安倍米国議会演説の凄味
石破氏が80年談話をどうしても出したいようです。
彼が8月15日以前に辞める可能性はほぼありません。
石破氏は周囲に旧安倍派幹部が退陣を要求していることに激怒しているそうで、そういえば今回の敗戦責任は旧安倍派の「裏金」問題でしたっけね。
森山幹事長に「旧安倍派の裏金問題が国民に反発されて敗北した」という検証を出させて、3連敗の口を拭うつもりでしょう。
どこまで安倍キライなことやら。
そして念願の90年目の「8月15日」に居すわろうと言う魂胆です。
どのような「80年談話」を準備しているのかわかりませんが、この人物のうすら甘い歴史認識を知っている者からすれば、ゾっとする話ではあります。
ただし歴史認識には踏み込まないという報道もなされてはいますが、どうなりますことやら。
「石破茂首相は戦後80年の節目にあたり発出する予定の「見解」で、先の大戦に関する歴史認識には踏み込まない方針を固めたことが10日、分かった。見解は戦前の旧日本軍に対する文民統制(シビリアンコントロール)の実態を検証した上で、現行憲法下での自衛隊の位置付けを問い直すことを焦点としたい考えだ。複数の政府関係者が明らかにした」
(産経6月1日)
<独自>石破首相「歴史認識」踏み込まず、戦後80年で「見解」 自衛隊の文民統制焦点に - 産経ニュース
戦前のシビリアンコントロールね、ここまで見苦しく総理の座にしがみついてでも出したいもんなのかね。
この男のつまらない訓詁のために、ここまで日本の政治がダメになろうとは。
さて、70年談話というものがありました。
米国議会での安倍首相の演説がそれに相当します。
政治家の演説とは、人が人に語りかける始源的な力によって、政治的意図を伝えることです。
シンプルが故に難しく、挨拶の伝統はあってもスピーチの経験の乏しい日本人にとって苦手だと言われてきました。
ですから、「政治的意図を伝える」というということを妙に短絡させてしまって、ただのテンプレート的作文になりがちです。
そんなことをやりたいのだったら、外務省にプレスリリースさせておしまいにすればいいのです。
さて、10年前の安倍演説は、慎重なロジック構築がなされていました。
[パート1]戦争犠牲者に対する慰謝
[パート2]寛容による和解
[パート3]敵対から同盟へ
当時、安倍氏が真っ先に米国議会で語らねばならなかったことは、先の大戦における戦死者に対する慰霊でした。
これはあくまでも戦争全体に対する一般的「謝罪と反省」などといった、紋切り型のものであってはなりません。
もし、安倍氏が抽象的に、米国議会人に対して、「戦争は悲劇です。私たちはこの悲劇を二度と起こしてはならない」といったありきたりの台詞を口にしたとしても、それは「ふーんアベ、そんなアタリマエのことを、わざわざ言いにきたんか」と思われるだけです。
ましてや、米国とはなんの関係もない韓国人の慰安婦(それも真偽に乏しいときていますが)への謝罪などしても、米国人は、「一体、なんのこっちゃ。ここは米国だぞ。韓国に謝りたいなら韓国でやれ」と感じたでしょう。
そりゃそうです。慰安婦問題を取り上げているのは、米議会の極少派でしかないチャイナ・コリアロビーのマイク・ホンダたち、ひと握りの議員たちだけだからです。
チャイナ・コリアの紐付きではない多くの米国人が求めていたのは、あくまでも米国人の青年たちの死に対して、どのようにかつての敵国首相が語りかけるのかということに尽きます。
安倍氏は冒頭にこの言葉を置きました。やや長いですが、当該部分を引用します。
※外務省米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説「希望の ...
「先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。
一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。
その星一つ、ひとつが、斃れた兵士100人分の命を表すと聞いたとき、私を戦慄が襲いました。
金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。
真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。
歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。
親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます」
見事です。感動的だと言っていいでしょう。これが[パート1慰謝]の部分です。
そして安倍氏は、このフレーズの後に、演説に同席している硫黄島で70年前に大尉として戦った93才のローレンス・スノーデン海兵隊中将と、栗林忠道大将の孫にあたる新藤義孝衆議院議員を紹介します。
「中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、仰っています。
「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。
もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。
これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。
熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました」
「歴史の奇跡」・・・、選び抜かれた言葉です。この言葉が示すものは、[パート2寛容による和解]です。
おそらく今まで日本の政治家が発した、多くの戦死者ヘの慰霊演説の中で、最も人の心を揺さぶり、共感へと導くものに違いありません。
安倍演説は、戦争犠牲者がその死の状況とは関係なく、一様に国境を越えて慰霊されるべきであって、「悼む」という人間の根源的感情において、敵国とも共感し得るのだと言っているのです。
これが、死者に笞打ち、墓を暴いて唾を吐きかけ、千年先まで恨んでやると言う東アジアの燐国と、私たち日米両国の大きな文化的違いです。
そして、安倍氏は戦争犠牲者に対しての慰霊と、反省をこのように語っています。
「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。
アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。自らに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。
焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2,036頭、やってきました。
米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。
下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました」
ただ謝罪して坊主懺悔するのではなく、その反省に基づいて、日本が戦後アジアの興隆にいかに尽力してきたのか、それが今のアジアの勃興にいかに力になっているのか、むしろ誇らしげに述べています。
言い換えれば、安倍氏は、「謝罪と反省」の先にもストーリーはあった、それか今の環太平洋経済圏の基礎になっているのだと、米国人に話しかけているわけです。
参考までに、かの村山首相談話と比較してみます。
村山談話は1945年8月15日から一歩も先に踏みだしていません。今もなお、永遠の罰を受けるべきだと、彼は信じているようです。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」
(村山談話1995年8月)
あー、内容ウンヌンの前に、悶死するほどダサーっ(苦笑)。勘弁してほしい。
たぶん外務官僚に頼んで、村山氏が「アジア諸国の人々」「侵略と植民地支配」「謝罪と反省」などといった文言を散りばめた作文をしてもらったのでしょう。
まるで心のこもらない、無味乾燥の役人臭い死んだ言葉の羅列です。どうせ謝るのなら、もっとマシに謝れよ、相手に伝わるように謝ったらどうなんだ、と言いたくなります。
お暇なら、1985年5月のドイツ連邦議会ヴァイツゼッカー大統領演説と、比較してください。まるで文学者と、中学生の反省文です。
ヴァイツゼッカー演説のからくり: 農と島のありんくりん
そして、安倍氏は演説の結びで、わが国の兵士・民間300万の命を奪った敵国である米国の寛容こそ「希望」であり、米国との同盟はまさに「希望の同盟」なのだと結びます。
自分たちの寛容ではなく、米国の寛容さに救われたと言っています。これは大変に高度なレトリックです。

演説の最終部分です。これが[パート3敵対から同盟へ」に相当するのは説明する必要がないでしょう。
「まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。
『落ち込んだ時、困った時、...目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために』。
2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。
そして、そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手を差し伸べてくれました。
私たちには、トモダチがいました。
被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。
――希望、です。
米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。
米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。
希望の同盟――。一緒でなら、きっとできます」
演説とは、武力を用いない言葉の力を使った外交手段です。
当時、左翼系ブロッガーが、「アベはまた口先で騙している」と書いていたものがありましたが、外交とはそもそも「騙す」ものなのです。
「騙す」という表現が悪いのならば、自国の国益を最大限にするために、手練手管を使うということです。
当時、安倍氏は米国のリバランス政策、つまりアジア回帰を強く支持するという目的があって米国訪問をしました。
そして、そのためには喉にひっかかったトゲである大戦を慰霊し、そして今は共通の価値観を持つ同盟になったのだと宣言する必要があったのてす。
そして、それは米国で受け入れられました。
日本人が最も苦手とする言葉を使った外交の分野で、素晴らしい先例が生れたことをひとりの日本人として素直に歓迎します。
かくしてもう日本人には戦後談話はいらないのです。










































































































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