安倍「70年談話」の精神はドレスデン和解だった
80年談話をやりたいと意気込んでいる石破氏の歴史認識は、まるでピンクの中坊レベルです。
「わが国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、それが今日さまざまな形で表面化しているように思われます」
首相は平成31年8月23日付のブログで、日韓関係についてこう指摘した。「徴用工」訴訟などを巡って関係が冷え込む中、韓国は同22日、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を一方的に破棄した」
(産経7月31日)
「戦争責任向き合ってない」「被害者は忘れない」戦後80年見解意欲、石破首相の過去発言 - 産経ニュース
凡庸なリベラル左翼の薄っぺらい言説とまったく同質で、おいおい、たまには自分のアタマで考えろよと言いたくなります。
いわく、「被害者は歴史を忘れない」、「戦争責任と向き合う」・・・、何万回、戦後この手の手垢がつききった言葉を聞かされてきたことか。
そしてこういうロジックを得々と語る人の多くがそうであるように、戦後ドイツを「正しき模範」として取り上げます。
「首相はブログで「(ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いた)ニュルンベルク裁判とは別に戦争責任を自らの手で明らかにしたドイツとの違いは認識しなくてはならない」とも指摘。同30日付のブログでは、極東国際軍事裁判(東京裁判)を挙げて「戦争の総括を米国を中心とする連合国の手に委ね、自国で行わなかったことの代償は大きい」と重ねて強調した」
(産経前掲)
この人は本当に戦後ドイツがどのようにして「戦争」の恩讐を乗り越えたのか、知っているのでしょうか。
たぶんなにも知らない。
ドイツは戦後ヨーロッパ社会で生存するために、ナチスドイツをすべて悪と決めつけて、戦後ドイツ人から切り離しました。
戦後補償について書かれた本のすべてに登場するのが、この余りに有名な1985年5月のドイツ連邦議会におけるヴァイツゼッカー大統領の一説です。
やや長文ですが、引用します。
「我々は、戦いと暴力支配とのなかで斃れた人々を悲しみのうちに思い浮かべる。ことに強制収容所で命を奪われた六百万のユダヤ人・・・ソ連・ポーランドの無数の死者・・・命を失った同胞・・・虐殺された・・・シンティ・ロマ(ジプシー)、精神病者・・・銃殺された人質・・・ドイツに占領されたすべての国の抵抗運動の犠牲者を。
罪の有無、老幼いずれを問わず、我々全員が過去を引き受けねばならない。全員が過去からの帰結に関わりあっており、過去に対する責任を負わされているのである。
過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険にも陥りやすいのだ。
若い人たちにかつて起こったことの責任はないが、その後の歴史の中でそうした出来事から生じてきたことに対しては責任がある。若い人たちにお願いしたい。他の人々に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないように。敵対するのではなく、たがいに手を取り合って生きていくことを学んでほしい」
(永井清彦訳)
もはや神話的な演説で、その文学的修辞の格調の高さに世界が感動の涙を流しました。
この有名な部分は、実は長い演説のごく一部なのですが、ここだけかピックアップされて取り上げられています。
この部分は繰り返し各国のメディアによって流されて、「ドイツ人は過去のホロコーストと侵略の歴史を直視し、若き世代もまたそれを背負って生きていく。それがドイツ人が犯した大罪の償いなのだ」と、国際社会は受け取りました。
そしてドイツ人みずからも自己欺瞞に陥り、「ドイツは反省したが、日本は反省していない」といい始めました。
それを検証することなく鵜呑みにし、受け売りしたのが日本のメディアと戦後知識人でした。
上の写真は1970年12月7日、ヴィリー・ブラント西ドイツ首相(社会民主党=SPD)が、ワルシャワを訪れた際に、ゲットー英雄記念碑に献花し、ひざまずいて黙祷を捧げた時のものです。
このひざまずく黙祷のポーズは、後のヴァイツゼッカー演説と並んで強烈な<反省>プロパガンダを発しました。
日本の左翼メディアやリベラル知識人が総なめにされただけではなく、中韓はこれこそが正しい歴史認識だ、ドイツに学べと絶叫したことを覚えています。
しかし違うのです。
ブラントは、ユダヤ人のホロコーストにのみ戦後謝罪したのであって、彼らが世界を巻き込んだ侵略については別なのです。
いいでしょうか、ユダヤ人は当初は「ユダヤ系ドイツ人」虐殺という国内犯罪でした。
やがてそれが占領地域全体に拡がっていくことになりますが、これはある意味で国家が自国民に犯した国家犯罪であって、戦争とは無関係です。
ドイツは「ユダヤ系ドイツ人」虐殺については反省し、歴史を直視するが、自分たちドイツ人も同じようにナチスの被害者なのだと言いたいのです。
ヴァイツゼッカーは、いやドイツ人はというべきでしょうが、謝罪などしていないのです。
たとえばヴァイツゼッカーは、単純な第2次世界大戦への謝罪を述べたのではなく、巧妙にドイツ民族、あるいは国民一般もまた、ナチスの被害者だったのだと言っています。この部分です。
「しかし日一日とすぎていくにつれ、5月8日(※ドイツ降伏の日)が解放の日であることがはっきりしてきました。(略)ナチズムの暴力支配という人間蔑視の体制からわれわれ全員が解放されたのであります」
※阿部賢一氏よるhttp://www.tulip.sannet.ne.jp/ken-abe/rondan-2014-07.html
ドイツ国民は負けたのではなく、「解放」されたのだと、言っています。
ヨーロッパ全域に対する侵略行為、そしてユダヤ民族絶滅もまた実行犯はナチスであって、それは極少数派だったのだと言っています。
ホロコーストも、大部分の国民はそれを知らなかったし、ましてやそのとき生れてもいない若者には責任をとりようがないのだ、と言っています。原文はここです。
このどこが「ドイツ人は皆、歴史を直視し反省している」のか、お聞きしたいものです。
「ユダヤ人という人種をことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。この犯罪に手を下したのは少数です」
「一民族に罪がある、もしくは、無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まったく生れていもしませんでした。この人たちは自らが手を下してはいない行為について自らの罪を告白することはできません」
このようなレトリックを駆使し、ドイツは戦争責任から逃れ続けました。
しかし彼らは連合軍からも虐殺を受けていたのです。
そのひとつがドレスデン爆撃でした。
まず、1945年2月13日から14日の夜、ドイツ・ドレスデンでなにがあったのか、知る必要があります。
ドレスデンはドイツ東部のエルベ川沿いの美しい芸術都市でした。
街にはなんの軍事目標もなく、軍事的に攻撃する価値はなにひとつない無防備都市でした。

当時この街には怒濤のように押し寄せるソ連軍から、追いかけられるようにして大量の難民が逃げ込んでいました。
この難民ひしめく街に英米の連合軍は実に1067機もの爆撃機を投入し、3波に渡って7049tもの爆弾・焼夷弾を投下します。
旧東ドイツ・ドレスデン市の公表した数字で、3万5000人の市民が一夜で殺戮されました。
http://www.kmine.sakura.ne.jp/kusyu/kuusyu.html
一方日本が受けた最大規模の夜間無差別爆撃による被害数は、1945年3月10日夜の東京大空襲による死者8万3793人(警視庁発表)でした。
行方不明者をいれれば、東京大空襲の死者は10万人以上に登るとされています。
元国防長官・ロバート・マクナマラは、『戦争の霧—ロバート・マクナマラの人生からの11の教訓—』のなかでこう述べています。
マクナマラは戦争末期に軍で働き、グアム島のルメイ司令部で、日本の67都市の夜間爆撃計画を練っていた経験があります。
「もし戦争に負けていたら、ルメイ将軍も私も戦争犯罪者だった。これだけの都市の人口の50%から90%を焼夷弾爆撃で殺傷したうえで、原爆を投下したのは余計なことでもあった。」
ルメイ自身、戦後こう述べています。
「もしわれわれが負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸いなことに私は勝者のほうに属していた。」
ルメイとマクナマラが告白するように、なんの誇張でも政治的プロパガンダでもなく、これは正確に「ドレスデン大虐殺」、あるいは「東京大虐殺」と称されるべき出来事でした。
しかし、そうは呼ばれることなく、ただ「空襲」という無機的な言葉で歴史年表には記されています。
原爆による大量虐殺でさえ原爆「投下」という表現を使ってしまう、それが敗戦国の性なのです。
なぜでしょうか。理由は単純です。ドイツと日本は敗戦国で戦勝国の機嫌を伺って戦後を生きたからです。
石破氏は、「ドイツは自らを裁いたが、日本はしなかった」などと言っていますが、なにを言っているのか、この人は。
このニュールンベルク裁判と東京裁判は勝者による敗者への報復裁判です。
それは勝者が犯した戦争犯罪は不問に付されいるのを見ればわかりそうなものです。
ドイツと日本は戦争を起こし、残虐行為を働いたが故に、「神の懲罰」を受けたからだ、連合国は解釈しました。
この二国には抗弁を一切許さない、自国が受けた戦争犯罪の異議申し立てすらも許さない、永遠に人道に背いた十字架を背負い続けて生きよ、ということです。
この敗戦2国に一切の弁明を許さないという考えが、弁明に対して貼ったレッテルである「歴史修正主義」です。
安倍氏は長きに渡って欧米からそう呼ばれてきました。
しかしドイツ人は諦めませんでした。
1995年2月13日、ドイツ統一後2代目大統領・ローマン・ヘルツォークのドレスデン追悼式典での演説を抜粋します。
「50年前、わずか数時間でドレスデン市は完全に破壊されました。数万の命が戦火の中で失われ、ヨーロッパ文化のかけがえのない貴重なものが、二度と甦ることなく失われました。それには人間の魂も含まれます。
(私たちドイツ人は)ここにお集まりの方々には、告発や後悔、自責を求めないでしょう。ナチス国家におけるドイツ人の悪行を、その他の出来事によって相殺しようとはしないでしょう。
もしそれが目的だったら、ドレスデン住民はイギリス、アメリカの客人たちを、いま経験しているようには温かく迎えることはしなかったでしょう。
まず死者に対する哀悼を捧げたいと思います。
それは文明の起源にまでさかのぼる人間感情の表現です。歴史全体を理解しないかぎり、人は歴史を克服できないし、安寧も和解も得ることはできません。
そして我々は我々の弔意を、我々ドイツ人が他の国民に対して行った犯罪行為を自国の戦争犠牲者、追放の犠牲者によって相殺しようとしている、と主張する人に対してはそれが誰であるにせよ抗議します。
生命は生命で相殺はできません。苦痛を苦痛で、死の恐怖を死の恐怖で、追放を追放で、戦慄を戦慄で、相殺することはできません。人間的な悲しみを相殺することはできないのです。」
(太字引用者)
もし私がこの式典に参列することを許されたのなら、静かに立って拍手します。
このドレスデン追悼式典に呼ばれたのはドイツ人だけではありませんでした。
イギリス女王名代・ケント公、米国統合参謀本部議長・ジョン・ジャリカシュビリ、英国・ナウマン・インジ国防幕僚長という制服組トップ、駐独・英米大使が招待されています。
なぜ彼らが招待されのか、それはいうまでもなく、ドレスデン空襲の実行者が英米軍だったからです。
この式典においてヘルツォークは、当時の日本人が聞いたら驚くほど踏みこんだことを言っています。私が抜粋で太字で強調したフレーズをもう一度読んで下さい。
ヘルツォークはこう論理構築しています。
最初の段落です。
「まず死者に対する哀悼を捧げたいと思います。それは文明の起源にまでさかのぼる人間感情の表現です。」
ヘルツォークは人間の根源的感情である死者への「哀悼」を論理の礎に置きます。
その上に立って、死者に戦勝国も敗戦国もなく、敗戦国が死者を追悼することは戦争犯罪を相殺することではないとしています。
「我々ドイツ人が他の国民に対して行った犯罪行為を自国の戦争犠牲者、追放の犠牲者によって相殺しようとしている、と主張する人に対してはそれが誰であるにせよ抗議する」
この部分は前任者の初代統一ドイツ大統領・リヒャルト・ワイツゼッカーがした1985年の有名な「荒野の40年」演説を踏まえています。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-d286.html
ヘルツォークはドイツ民族が巨大なナチス犯罪が故に、自国の犠牲者を弔ってはならないのか、これは連合国がよくいう「相殺主義」なのかと問うています。
そして後段でこう畳みかけます。
「生命は生命で相殺はできない」「死者の相殺はできない」
ストレート直球です。なんの飾りもない肺腑をえぐる言葉です。これが後に「ドレスデン和解」と言われる神髄の部分です。
戦争責任を追求し合えば永遠に恨みは残ります。
確かに敗戦処理により法的・実務的には決着がついていても、残された者たちの心の中にはやるせない怒り、持っていきようがない悲しさが残り続けます。
この怒り、恨みの感情をいったん脇に置いて、勝者と敗者、加害者と被害者の立場を超えて死者のために共に祈ることにより、この哀しみを共有しよう。
そしてそれを和解の礎にしようと呼びかけています。
これを期にドレスデン和解は、戦争に対する共通の姿勢として認識されるに至ったのです。
石破氏よ、少しは歴史を勉強しなさい。
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今日の記事はとても良かったです。わたしの本件のような事例への理解が進みました。赦す心は大事ですね。
投稿: ueyonabaru | 2025年8月 1日 (金) 11時07分