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2025年8月30日 (土)

抗日勝利80周年、戦っていないのに勝っちゃう不思議

098

めでたくも、また抗日勝利80周年の時候でございます。
70周年はパククネ韓国大統領がお呼ばれしましたが、今回は正恩閣下がパレードでヒナ壇に並ぶ栄誉に浴するようです。パチパチ。

「北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が来月3日に中国・北京で開かれる抗日戦争勝利80周年記念軍事パレード行事に参加する。金委員長の訪中は2019年から6年ぶりだ。
北朝鮮国営メディアの朝鮮中央通信は28日、「敬愛する金正恩同志が中国人民抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利80周年記念行事に出席するために近く、中華人民共和国を訪問する」と明らかにした
(中央日報2025年8月28日)
北朝鮮「金正恩委員長、中国戦争勝利80周年記念式出席」…6年ぶりに訪中 | Joongang Ilbo | 中央日報

前回の抗日70周年戦勝軍事パレードにおける習の演説冒頭部分です。
それにしても毎度ながら、この退屈しきったたるみきった顔はなんなんだ。

※http://www.sankei.com/world/news/150903/wor1509030048-n2.html 

「中国人民の抗日戦争と世界の反ファシズム戦争は、正義と邪悪、光と闇、進歩と反動の大決戦だった。この惨烈な戦争中、中国人民の抗日戦争は最も早い時期に始まり、最も長く続いた。
侵略者に対し、中華民族の若者は不撓不屈の精神で、血を浴びながら奮戦し、徹底して日本軍国主義の侵略者を打ち負かした。中華民族の5千年以上も発展してきた文明の成果を守った。人類の平和事業を守り、戦争史上まれにみる中華民族の壮挙を作り上げた。 中国人民の抗日戦争勝利は、近代以来、中国の外敵の侵入に対する抵抗の最初の完全なる勝利だった。この偉大な勝利は、日本の軍国主義の中国を植民地とし、奴隷のように酷使しようというたくらみを徹底的に粉砕し、近代以来、外からの侵略に対する戦いで連戦連敗だった民族の恥辱をすすいだ」 

144139158439323927179(写真 70周年式典の習近平。何があったのか知らないが、主催者の顔じゃないよね)

ちなみに平和のハトこと土下座ハトはこの抗日ナンジャラに出席するそうです。ゲル氏も首相お辞めになったら行くのかしら。
ハトの息子は恥ずかしいから行くなといって止めているそうですが、行くんでしょうな。

さて私の亡父は北支派遣軍の兵士でしたが、一度として「パーロー軍(八路軍)と戦った」という話を聞いたことがありません。
というか、中国軍が「見えた」のは初めのほうだけらしいのです。あとは、「山賊との戦いみたいなもの」(父の表現)だったそうです。
話を聞くと、意外に平和な話ばかりで、どこで飯を食った、中国の便所は汚かったからの見張りを立てて野糞をしたほうがよかったとか、中国人の墓は土饅頭で、豚を買いに行くと水ばかり呑ませてあって騙されたとか、市場のマントウはでかかった、といったしゃーない話ばかりだったような気がします。 

当時、本多勝一の著した反日の聖典である『中国の旅』の良き読者だった中学生の私は、父が言うに言えないような残虐行為を働いたンだろうと勝手に決めつけていましたから、根掘り葉掘り問うたのですが、父は煙草をふかしながらこう言ったものです。 
父曰く。
「なぁお前、シナ事変なんて、初めだけだったんだよ。初めの徐州会戦なんかは死ぬかと思ったが、後はあんがいノンキなもんだったさ」
実際、日本軍は逃げる中国軍を追って戦線を拡大してしまいました。
 あ、この「中国軍」っていうまでもなく國府軍、いわゆる蒋介石軍のことですので、念のため。 

蘆溝橋事件から第2次上海事変の日中戦争初期の中で、日本を70万という大軍で攻めまくったのが蒋介石中国、つまり国民党軍だったことからもわかります。  
そして、この後に、逃げる中国軍を追って、日本軍がよせばいいのに南京戦から、徐州、武漢三鎮の制圧まで一気に進んでしまい、ここで激しい戦闘は終了します。  
後は戦争末期に、大陸打通作戦という壮大にして、無意味な大作戦をしたきりで、あとは防衛庁戦史叢書の題名とおり『北支治安維持戦』という、いたって地味なものになっていきます。 

クリントン政権で国防総省中国部長を、ブッシュ政権では国務次官補代理をつとめたランディ・シュライバーはこう述べています。

「私たちの友邦であり安保上のパートナーである台湾は、日本との戦争における役割、功績を中国に奪われている。戦時中、中国側の死傷者の90%は中華民国の人間だった。人民解放軍が日本軍と戦闘することはほとんどなかった」
(外交専門誌「ザ・ディプロマット」8月31日号)

習のいう「中国人民」とやらが蒋介石軍ならばともかく、それが共産党軍(八路軍)ならば、姿形が見えません。
そうなんですよ、「抗日戦争」において、中共軍はまったく戦いませんでした。

Moutakutou 

上の写真はいわゆる「長征」時代の毛沢東ですが、「長征」といっても後ろに向けて進撃していたのです。
追いかけ回していたのは、当時の正規軍である蒋介石軍です。
つまり逃げ回っていたのです。
中共軍は延々と逃げ回ったあげく、延安というとんでもないド辺境の洞窟に逃げ込んでいました。
したがって日本軍と戦うもナニも前線からはるか離れた洞窟に逼塞していたのですから、抗日もナニもありゃしません。

共産軍がヒッキーしていた延安の場所を確認しておきます。

Photo_2
ついでに、日本の支配地域も見ておきましょう。
ぜんぜん重なりませんから、戦闘になりようがありません。


640pxjapanese_occupation__map(図 Japanese_Occupation_-_Map)

これでは、抗日戦争のやりようがありません。中国共産党はハナから戦う気もないし 、その能力もなかったのです。
これをアグネス・スメドレーやエドガー・スノーらのバリバリの米国人共産党員ジャーナリストたちが、まるで赤いロビンフッドのように美化したために、虚名が世界に宣伝されましたが、実態は敗残兵の巣窟にすぎませんでした。
彼らが戦争中にもっぱらやっていたのは、「延安整風運動」という共産党内部の陰湿な粛清でした。
好きだねぇ、いつの時代も。激減した党員をさらに減らしてどーするんだと思いますが、やるんですな、これが。

「最終的には、中国共産党による迫害同然の運動となった。運動は毛沢東の権力を背景に進められ、一般の中国人民も運動に加わるよう強制された。運動の過程で、1万人以上もの人民が殺害されたと言われる」
※
整風運動 - Wikipedia

共産党は現代の習政権を見てもらえばお分かりのように、常に内部抗争に力の8割を費やしています。
そして敗者は殺されます。

504083537628(大紀元は台湾系のメディアであるが、この整風運動の生き残り証言を集めているhttp://www.epochtimes.jp/jp/2010/09/html/d54579.html)

「二〇世紀四十年代の延安整風運動、幹部審査運動、鋤奸運動(漢奸粛清運動のこと)党員の反省資料は大体3~5回に及んで書き直された。
一部の反省資料は13回まで書き直された。それは審査にクリアできなければの恐怖の心理そのものである。
運動を行った日々、党員幹部たちはみな緊張焦りの下で、寝食に不安となり、党員幹部たちは強烈な暴力の脅威と理論攻撃により、長い精神的試練の結末、肉体的にも精神的にも震えながらも「党」の強権の元へ屈した」
(大紀元 前掲)

まるで連合赤軍の妙義山キャンプか、ポルポト時代のカンボジアのようです。事実、彼らもまた皆、毛沢東主義者でした。
共産党は日本軍とは戦わず、もっぱら辺境でこんな内部粛清に興じていたようです。
国共合作といいながら、実際にやっていたのは、國府軍を背後から襲撃するようなことで、
1939年の晋西事件、山西新軍事件などでは、共産軍は国府軍を後ろから襲撃しさえしています。
ま、国府軍も共産党狩りをしていたのでおあいこですが。

では、こんな辺境でナニを共産党は待っていたのでしょう。
それは國府軍の消耗です。
国府軍が優勢な日本軍に磨り潰されのをジッと待っていたのです。
結局はこの「果報は寝て待て」作戦が図に当たって、棚からぼた餅よろしく共産党は政権を手に入れます。

このように実は日中戦争は延々と8年間も、対ゲリラ戦をやるかたわらインフラ整備をしていたというのが実際なんです。
治安維持という部分はイラクの米軍に似ていなくもないですが、違うのは、経済建設まで日本軍がやってしまったことです。

父によると、当時中国にいた日本の兵隊たちは皆、「平和な」中国にズっといたいと思っていたそうで、部隊が南方に引き抜かれるとわかると、ドヨーンとなったそうです。 
つまり、國府軍はひたすら逃走・撤退を重ねる、それを日本軍が追う、くたびれて停止して、支配地域の安定を図るために膠着状態になるいうのが、この戦争の通常パターンでした。 

ですから、日米戦争のような正規軍が正面衝突を繰り返す戦闘は、父が言っていたように初期の南京戦までです。 
共産党軍などは脇役というのもおこがましい、せいぜい「通行人A」ていどです。
気の毒にも台湾は、日本との戦争における功績を一切合切、ぜんぶ根こそぎ共産中国に奪われています。

したがって激戦がないために、戦死者はゲリラ戦での小競り合いによるものでしたので、犠牲者も軍人が中心で、住民を巻き沿いにした戦闘は非常に少なかったようです。 
一方、日本が中国大陸に介入するまでの国民党軍と共産党軍との内戦は、生き残りを賭けた階級闘争ですから、食うか食われるかでした。
ある都市を國府軍が包囲すれば、赤色区の住民は赤化住民として皆殺しにするということを平気で行なっていました。 
逆に、共産党軍も、地方の農村での地主階層への容赦ない粛清をもっぱらとしていました。
なお、 中国共産党用語における「粛清」とは殺害することです。
ちなみに、中国はこれらすべてを日本軍による犠牲者として計上しています。

では、日本軍が大戦中に何をしていたのかといえば、もっぱら鉄道を通して、それをゲリラの破壊攻撃から守ることでした。 
日本軍の鉄道建設部隊は、大戦中でありながら、実に1千キロにも及ぶ新路線を作ってしまっています。
日本陸軍には鉄道連隊という鉄道インフラ作りのための専門部隊までありました。

250px101(写真 鉄道連隊)

もちろん、中国のためにしたのではなく、日本軍支配地域での物流の改善のためですが、これは「解放」後の中国の貴重なインフラになりました。
なんともすごい鉄道好きな民族性ですが、華南では、港湾建設までしています。
なにも日米戦争やっている時に、中国大陸で千キロも鉄道建設するこたぁないと思うぞ。(笑)

なんのことはない日本軍が支配地域でもっぱらしていたのは、こんなインフラ作りと治安維持、そして経済活動だったのです。 
このように書くと、「いやそんなことはない。中国共産党は1937年9月に平型関で板垣兵団センメツ戦をしているぞ。ああ偉大なるかな、もう首席バンザイ、中国人民解放軍マンセイ!」といった中共の声が聞こえてきますが、ありゃただの宣伝です。
ま、映画『カイロ会談』では。蒋介石の代りに毛沢東が出席して主役張っていたなんていう、トンデモ映画を平気で作っていますがね。
もちろんファンタジーで、言うまでもなくカイロ会談に中国を代表して出席していたのは毛ではなく蒋介石です。

Cn2015093

共産党が日本軍に勝った勝ったと言っている平型関戦については、別にケーススタディしておきます。
まぁ、それも実際の戦闘は国府軍5万人が担い、共産党軍はゲリラ部隊ていどが非武装の輜重部隊を襲撃して、丸腰の兵隊を殺し、物資の略奪を行っただけの戦闘でした。
この戦闘全体にはなんの影響もなく、やったことといえば、死亡した日本兵の金品を略奪しただけことで、まこと立派な抗日戦です。

このようなことが抗日戦争という金ぴかの看板の実際です。
戦ってもいないのに勝っちゃうなんて冗談が過ぎます、習近平さん。

 

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コメント

建国されてもいない国が「抗日勝利」など本来なら恥ずかしくて口に出来ないはずですが、それを堂々と宣うのが今のチャイナのチャイナたる由縁なのかも知れません。

またぞろ元総理の看板を背負う鳩山氏が出席の意向を示すも、倅に諭されるというみっともない姿を披露。貴方が晩節を汚すのは知ったこっちゃないお好きにどうぞですが、元総理の看板が嫌でもついて回るわけで、自制をして欲しいと願うしかありません(無理だろうけど・・・)。

習近平のあの顔は、もう自分でもこの先何をどうすれば良いか、分からなくなっちゃってるんですかね。横のバカプーチンも同じ。

どう考えても、幸せじゃないですよね。内心バカにされてることくらい、分かる知能はあるはずだし。

どれだけ贅沢を尽くせる身分にあっても、他人の人生を欲しいままにできる立場にあっても、つまらんし満たされないですよね。

そもそも「対等な他者」を認識しない儒教文明文化圏のシナ・朝鮮においては、議論というものがなく、よって、そのためのファクトもありません。従って、西欧や日本でいうような「ファクトに基づく検証学」としての歴史は存在しないのです。目的のために手段を選ばぬ共産主義を経たロシアも同様。かような国々の歴史とは西欧・日本では「都合の良いファンタジー」と称すべきものです。かような国々の歴史戦に巻き込まれた時点でまともな我々の負けだと考えるべきでしょう。かの国々に歴史は存在しません。

>日本軍の鉄道建設部隊は、大戦中でありながら、実に1千キロにも及ぶ新路線を作ってしまっています。
>これは「解放」後の中国の貴重なインフラになりました。

日本人の残したインフラが、戦後の中国の発展に恩恵をもたらした事は、もっと知られるべきだと思います。

日本人の残したインフラに最も恩恵を受けたのは東北部 (旧満州) です。厳しい気候で、農業も碌にできない土地に、現在でも約1億人が住んでいますが、これは、東北部が各種インフラの整った工業地帯だったからです。

中国東北部 - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%9D%B1%E5%8C%97%E9%83%A8

>清朝時代の満洲は荒野が目立つ辺境の地であった。
>日本から資本が投下され鉄道や発電所など近代的なインフラストラクチャが整備された。
>豊富な鉱産資源を背景として満洲国時代に東アジアで最も工業化が進んだ先進地域となり
>満洲国には日本人開拓団の植民はもちろん、当時内戦中だった中国本土からも多数の移民が流入した
>中華人民共和国の統治下に入った後は改革開放が始まるまで、中国随一の工業地帯として同国の経済を支えた。

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