メディアがテロリストを作った
安倍氏を暗殺したテロリストの裁判がやっと始まりました。
「2022年7月22日に安倍晋三元首相を殺害した罪などに問われている徹也山上被告の初公判が28日午後、奈良地裁で始まった。日本のメディアによると、山上被告は罪状認否で「私がしたことに間違いありません」と、殺人罪について有罪を認めた。
山上被告は、殺人罪のほか銃刀法違反の罪にも問われている。事件では、奈良市で街頭演説をしていた安倍元首相を、山上被告が手製銃で撃ったとされる。
安倍元首相は複数回撃たれ、事件当日に病院で死亡した。強硬な外交政策と「アベノミクス」と呼ばれた経済戦略などで知られていた元首相に対するこの事件は、世界中に衝撃を与えた。
この暗殺事件によって、安倍氏がかつて率いた自民党と、欧米では「ムーニーズ」として広く知られる世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係が注目を集めることとなった」
(BBC10月28日)
山上被告が殺人罪認める、安倍氏殺害事件の公判開始 - BBCニュース
テロリスト名は伏せ字としました。
これは本ブログでは「テロリストに名前すらあたえない」という考えに基づいているからです。
おそらく弁護側はこのテロリストの「心の闇」に情状酌量を、という戦術でくることでしょう。
その結果、テロリストはテロリストを生んで行きます。
たとえば和歌山暗殺未遂事件の要にです。
和歌山の暗殺未遂はどうして起きたのでしょうか。
それは安部氏暗殺事件への対応を誤ったからです。
第1にメディアと野党が、山上某の動機解明と称してこのテロリストに「物語と顔」を与えてしまいました。
メディアが「第2の山上」を生んだ: 農と島のありんくりん (cocolog-nifty.com)
そのうえ政府が、「テロリストに報酬をやってはならない」 テロリズム 対処の大原則を踏み外してしまいました。
テロリストが求めていた「報酬」とはなんだったでしょうか。
それは旧統一教会とそれを支持母体する自民党に打撃を与えることでした。
事実であるかどうかはどうでもよく、この男が腐った頭でそう思っただけのことです。
メディアと野党は、こぞって「旧統一教会と自民党の癒着」というテーマにあさましいまでに食いつきました。
彼らがそうなるのは目に見えたことで、問題は政府・政権与党でした。
そしてあろうことか岸田政権はそれに乗ってしまいました。
永岡文科相が同日、「教団」に対する5回目の「報告徴収・質問権」を行使し、解散に追い込もうとしています。
メディアはこの犯人の「心の深層」に迫る」として、和歌山の模倣犯に対してすらこんな記事を載せています。
「小学6年で同級生だった女性は「小学生の頃は明るくてリーダーシップがあったけれど、中学に入ると無口になり、誰とも話さなくなった」と話す。
中学3年で同級生だった別の女性も「教室で話しかけても目を合わさず、いつも『ほっといてくれ』という雰囲気で教室の隅っこにいた。時々、同級生からからかわれていたこともあった」と振り返る。
木村容疑者は昨年9月、自民党系の当時の川西市議が開いた市政報告会に参加し、議員の報酬について質問していた。同級生の女性は「中学生の頃は、政治に関心がある様子はなかった」と首をかしげた」
(読売4月17日)
明るい小学生時代から中学で急に無口に、最近は「家に引きこもりがち」…首相襲撃の木村容疑者 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)
だからなんなんです。
このテロリストが何を考えていようといまいと、「心の闇」とやらを持っていようといまいと、なんの関係もありません。
仮に「心の闇」とやらがあったとしたら、それで免罪されるのでしょうか。
ほー、それは便利なことだ。
「心の闇」を持っていたら、他者を殺す特権を持てるのですか。
無辜の人の生命を奪い、その家庭を破壊しておきながら、被害者ヅラすれば許されるとでも。
人はひとつやふたつの他人に言えないことを抱えて生きています。
それがあたりまえの人生というもので、それで犯罪を説明することにならないし、ましてや正当化する理由にはなりません。
貧しかろうと、豊かだろうと、人生に挫折しようとしまいと、人は自らがやったことにおいてのみ裁かれ、断罪を受けるのです。
メディアは口先では「テロはいけない」と言いながら、テロリストにはベタベタに甘ったるい「物語」を作ってみせました。
これはテロリストに「顔」を与える行為です。
あまりにも有名なテロリストに対してアーダーン・ニュージーランド首相の言葉を、日本メディアはすこしでも噛みしめるとよい。
あなた方日本のメディアが、いかに傾いて狂っているのかわかるはずです。
「約100人が死傷したニュージーランド・クライストチャーチのモスク(イスラム教礼拝所)銃撃事件を受けて、ジャシンダ・アーダーン首相は19日、銃撃犯の名前を今後一切口にしないと誓った。
アーダーン首相は議会で、「男はこのテロ行為を通じて色々なことを手に入れようとした。そのひとつが、悪名だ。だからこそ、私は今後一切、この男の名前を口にしない」と、気持ちをこめて演説した。
「皆さんは、大勢の命を奪った男の名前ではなく、命を失った大勢の人たちの名前を語ってください。男はテロリストで、犯罪者で、過激派だ。私が言及するとき、あの男は無名のままで終る」
(BBC2019年3月19日)
ニュージーランド首相、銃撃犯の名前は今後一切口にしないと誓う - BBCニュース
アーダーン首相はがテロリストの名を呼ばないと誓ったのは、「名を得ること」が犯人の目的だからです。
つまり、メディアがこのテロリストの「心の闇」を報じることは、すなわちテロリズムの目的を国民に拡散することなのです。
ニュージーランドで起きたこのテロリズムにおいては、ムスリム排斥であり、そしてわが国では安部氏暗殺でした。
そしてアーダーン首相は、ソーシャルメディア各社に対し、テロに対抗するための対策を要請しています。
「こうしたソーシャルメディアのプラットフォームはただ存在するだけで、そこに掲載される内容に、プラットフォームは何の責任も負わないなど、私たちは甘んじて受け入れるわけにはいかない。各社は出版社でだ。単なる郵便配達人ではない。利益だけ得て責任は負わないなど、あり得ない」と首相は強調した」
(BBC前掲)
「「米フェイスブックは19日、犯行動画のライブ配信中の視聴回数は200回未満だったと明らかにした。動画が削除されるまでに合計で約4000回も視聴されていたという。同社は最初の24時間のうちに、世界中で問題の動画を約150万本削除したが、そのうちの約120万本はアップロードの最中にブロックされたという」
(BBC前掲)
ジャシンダ・アーダーンは労働党出身のリベラリストですが、日本にテロリトに特有の犯人に「寄り添う」自称リベラルとはまったく対照的です。
ジャシンダ・アーダーン - Wikipedia
アーダーン首相が要請したメディア規制要請の対局にいたのが、わが国メディアでした。
ただ犯人の言い分を垂れ流すだけではなく、積極的に称揚したのですから、反社会的行為への意識的加担と呼ばれても致し方ないでしょう。
つい数カ月前も、朝日は懲りもせずに『時代に敏感、感情任せでない犯行安倍氏銃撃、容疑者の投稿分析』と題して、山上礼賛特集を組んでいました。
「21年は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への度重なる批判、眞子さまの結婚騒動に絡めて「婚姻の自由」への言及、過去のNHK大河ドラマで登場した戦国武将の明智光秀の「語り尽くせぬ恨みあれども、此度(こたび)の戦決して私心にあらず。天下国家のため織田信長の首を取ることこそ天の道」といったセリフをいくつも引用して投稿している。
世の中を変えていく、といったところに注目していることがうかがわれます。
これらの投稿を見ると、単に妄想や感情にまかせて犯行に及んだものとは考えにくい。国や政治、世界に対して興味関心もあり、自分の意見を述べることができる人、時代の情勢に敏感で、問題意識が高い人ではないかと思われます」
(朝日1月8日)
「時代に敏感、感情任せでない犯行」 安倍氏銃撃、容疑者の投稿分析:朝日新聞デジタル (asahi.com)
テロリストのツイートにあった、明智光秀の「語り尽くせぬ恨みあれども、此度(こたび)の戦決して私心にあらず。天下国家のため織田信長の首を取ることこそ天の道」といったセリフをいくつも引用して投稿している。世の中を変えていく、といったところに注目している」そうで、「時代の趨勢に敏感で、問題意識が高い人だ」と手放しです。
恥ずかしくありませんか。
朝日はテロリストを信長を倒した光秀に例えて、「私心なく安部を殺したことが天の道だ」と言っているに等しいのです。
ならば朝日は、朝日新聞小尻知博記者が赤報隊と称する者に殺害されたこともまた「天の道」だと言うのでしょうか。
そしてこのテロリストに対しても、「理由が正しければ許される」「社会に対するやり切れなさが背景にある」と書いたでしょうか。
テロリストに「名前を与えるな」という言葉は、彼らの主張に耳を貸すなという意味です。
なにをテロリストが叫んでいようといまいと、この人物がテロリズムという最悪の方法を選択した以上、主張すること自体許されません。
もし許してしまったら、殺人こそが「時代の情勢に敏感で、問題意識が高い人」がとるべき「世の中を変えていく」最短の道だということになるからです。
秘蔵写真で振り返る「政治家・安倍晋三」の軌跡 ベテランカメラマンが撮った笑顔・憔悴・奮闘 | JBpress (ジェイビープレス)
ところが、安部氏となると次元の違う統一協会へミスリードし、テロリストを「義士」として崇拝し、助命嘆願する空気すら生んでしまいました。
その一例は、ワイドショーです。
加藤文宏氏は、このように日本メディアの狂騒を分析しています。
「2022年年7月8日の安倍晋三元総理の暗殺事件の直後から11月まで、月曜から金曜の週五日、各放送局のワイドショーは放送時間の大半を割いて旧統一教会(世界平和統一家庭連合)を追及する番組を放送した。放送回数、時間ともに驚くほどの力の入れようで、ワイドショーは異例の視聴率を記録している。
なかでも日本テレビ系列の「情報ライブ ミヤネ屋」は暗殺事件前の平均と比較して2%ほど高い7%台となる世帯視聴率を達成しただけでなく、テレビをつけている世帯全体に対して特定の番組にチャンネルを合わせている世帯の割合を示す占有率では、30%を超えるシェアを長期間維持し、午前午後を問わず他のワイドショーを圧倒した」
(産経2023年4月16日)
ワイドショーが善悪を決めていいのか - 月刊正論オンライン (sankei.com)
つまりテロリストを英雄視し、それを旧統一協会糺弾に持っていきさえすれば視聴率がとれるということを、メディアは発見したのです。
この期間の視聴率をみてみましょう。
これを執拗に扱い続けたミネヤが圧倒的に視聴率を稼いでいます。
“教団と政治”が分けたワイドショーの明暗~公務員が注目した『ミヤネ屋』が一人勝ち~(鈴木祐司) - 個人 - Yahoo!ニュース
「これで比べると、確かに『ミヤネ屋』は断トツだ。
午後と午前に時事問題を扱うワイドショー5本の中では、同番組が唯一30%台の占有率を誇り、他に大差をつけている。
また安倍元首相が銃撃された7月8日までの2週間とその後で比べると、『ミヤネ屋』だけが3%ほど数字を底上げした。
ところが『ゴゴスマ』『羽鳥慎一モーニングショー』『スッキリ』の3本は、事件後4週間平均で微減となった。さらに『めざまし8』に至っては、1.5%ほど数字を落としていた。
午後と午前に時事問題を扱うワイドショー5本の中では、同番組が唯一30%台の占有率を誇り、他に大差をつけている」
(鈴木佑司 2022年8月7日)
これはSNSの検索ワードにも現れています。
「2022年6月30日から9月30日までの「ミヤネ屋」と「統一教会 議員」の国内検索数を調べた。「統一教会 議員」は単語の間にスペースを入れて二つの単語が含まれる情報を検索したもので、旧統一教会と関係ある議員への興味が反映される。(略)
8月は過去に伝えられた内容を超える報道がなく、確たる証拠が何ひとつあがらないまま「ミヤネ屋」が自民党追及一辺倒になり、追及劇の急先鋒だった同番組への興味が検索数の急伸長に反映されている。
グラフは「ミヤネ屋」が国内の興味とも旧統一教会追及の本質ともかけ離れた話題を沸騰させて、視聴率を稼いでいたことを端的に表している」
(鈴木前掲)
ここでワイドショーが使った手法が、同じ主張を持つ者だけを集めての「糺弾会」です。
「ミヤネ屋」が特異だったのは弁護士の紀藤正樹氏、ジャーナリストの有田芳生、鈴木エイト両氏といったコメンテーターを揃え、善悪の裁定を全会一致で畳み掛けた点だ。
旧統一教会の言い分や疑惑の議員を紹介してコメンテーターが解説という名目の「糾弾会」を始めると、異論が挟まれることなく同質の意見だけが反響し合ってあらゆる方向から増幅されて返ってくる「エコーチェンバー現象」が発生した。
一方向を向いた論調が反響しあうことで番組内の感情が沸騰状態になり、コメンテーターの意見や裁定に大衆の代弁役たる出演者たちが驚いたり、共感したりすると視聴者は感情の渦に巻き込まれた。
そこに司会者の宮根誠司氏が溜飲の下げどころを示し、視聴者は納得した。この構成が徹底的に繰り返され次回へ、さらに次回へと共感や怒りが持ち越され、番組特有の主張が増幅される一方となった」
(鈴木前掲)
このようにして安部暗殺犯は「名前」を得て、現実の政治に影響を与えていく「世直しの義士」となりおおせました。
呆れるしかありません。反吐が出ます。
メディアにとって、このテロリストは待望久しく日本に現れた「世界的テロリスト」なのでしょう。
だから「名前」を与え、「物語」を作り、彼らの主張を事細かく伝え、そして無条件に讃美するわけです。
これは故なく殺された死者への冒涜であるとも感じない。
まったく狂っています。
本来あるべきテロリズムの厳罰化へとつながらず、無関係な統一協会規制へとそれていってしまった罪は、あげてメディアと野党、そして岸田政権にあります。
テロリズムは民主主義を根底から否定します。
武器は銃器から爆弾へと発展し、やがてその毒牙は政府要人だけではなく、一般市民にまで無差別に及ぶようになります。
そうなったときには遅いのです。
そりゃそうです、手製の銃や爆弾ひとつでお手軽に「世直し」ができるのですから、こんなイージーな方法はない。
考えてもご覧なさい。
「世直し」が、いかに膨大な手間と時間がかかることなのか。
様々な意見と情報を取り入れて主張を構築してそれを伝え、仲間を募り、選挙に出て・・・、あげく失敗することのほうがはるかに多いのです。
それに引き換えテロは簡単です。ホームセンターで部品を買い込み、自宅で粗雑な武器を作り、対象の者を付け狙うだけ。
これほど楽で堕落しきった最低の「世直し」はこの世にありません。
しかもメディアはそれを「義士」として讃美してくれるのですから、こたえられません。
こういう逃げ場を塞ぐためには、テロに対しては徹底した厳罰化をもって報いるべきです。
































































































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