いちばん置いてはいけない男が事故対処のトップにいた
イラン情勢が緊迫していますが、今日まで福島事故を振り返っていきます。
さて、この東日本大震災と福島事故という未曾有の大災害が同時に起きた時期に、よりによって首相は菅直人氏でした。
この人物は福島事故対応の影の、いや正確には負の主役でした。
菅元首相をめぐってはいくつもの論点があります。
①福島第1の「陣頭指揮」事件
②海水注入中止命令事件
③東電本店演説事件
④東電全面撤退を自分が阻止したとする認識
⑤事故後の高岡原発停止要請
⑥事故後の再エネFIT導入
私は菅直人という政治家個人に対する評価ではなく、リスクマネジメントの立場で考えるべきだと思っています。
また彼に対する感情も排除します。感情とリスクマネジメントとしての判断はまったく別次元なのです。
さて福島事故は、従来の原子力安全行政の大きな欠陥を露呈させました。
ひとつは、原子力安全行政が一元化されていないために、指揮権限が誰にあるのかわからなかったことです。
原子力安全・保安院なのか、現場指揮を執る東京電力なのか、あるいは政府事故対策本部、つまりは官邸、ひいては本部長の首相個人なのか、ファジーだったのです。
その結果、当時立ち上がった政府と東電ふたつの対策本部が、相互になんの関連もなく動き、いさかいと反目を続ける結果となり、最後には菅氏がもう一方の東電対策本部に乗り込むという衝突寸前の事態まで引き起こしています。
東電に全面撤退阻止を要請しにいく菅首相。これが彼の最大の武勇伝だが、東電二斗って迷惑そのものだった。
そしてこの「ふたつの司令部」にバインドされた形になった福島第1の現場は、吉田所長の決断で状況を乗り切らざるを得ないところまで、追い詰められていました。
本来、修羅場を戦う事故現場を、後方の司令部が的確な情報提供と指示を出して支えるのではなく、逆に間違った指示を出して混乱させてしまっているのですから、話になりません。
もし、吉田昌郎という卓越した指導力と勇気をもった人物が所長にいなければ、私たちは今ここに生活することができなかったことでしょう。
まず、この国家的非常時において、当時の政府対策本部があった官邸の状況を、振り返ってみます。
この時の官邸の空気を、民間事故調(福島原発事故独立検証委員会)は、このように伝えています。
・「官邸が「パニックと極度の情報不足」に陥り、『テンパッた状態』」
・「今回の福島事故直後の官邸の初動対応は、危機の連続であった。制度的な想定を離れた展開の中で、専門知識・経験を欠いた少数の政治家が中心となり、次々と展開する危機に場当たり的な対応を続けた。
・「決して洗練されたものではなく、むしろ、稚拙で泥縄的な危機管理であった。」
・「(菅首相は)言い出したら聞かない」
・「菅首相の)強く自身の意見を主張する傾向が、斑目委員長や閣僚に反論を躊躇させた。」
民間事故調(福島原発事故独立検証委員会)
さて今では、2011年3月12日当日、官邸でなにが起きたのか、詳細に判明しています。再現してみましょう。
果たして、以下の事故後に行った首相の弁明は、正確にこの状況を伝えているのでしょうか。
「(海水)がすでに入っているなら当然入れ続ければいいと思っていた。それを(東電の)武黒フェローが判断して、吉田所長に止めろといった。東電関係者の発言を官邸の意向と表現されるのは間違っている。海水をいれることがいかに重要であるか、そのことが再臨界と関係ないことはプロであればよく分かっているはずだ」(国会事故調)
当日なにが起きたのか、今は詳細に判明しています。再現してみましょう。
2011年3月12日の事実関係を、船橋洋一氏の事故ドキュメントの白眉である、『メルトダウン カウントダウン』上巻・第4章「1号機水素爆発」を基に、その状況の流れを振り返ってみます。
この経過をお読みいただければ、菅氏がいかに「嘘は言っていないがほんとうのこともひとことも言っていない」類のものか、ご理解いただけると思います。
●[第1場 1号炉爆発 現場吉田所長の判断で海水注水開始]
・12日昼頃。吉田所長が1号炉に海水を注水することを決断。
・午後3時前。防火水槽の水が干上がっていることがわかる。
・午後3時すぎ。東電は保安院に「海水注入」の予定を告げた。
・午後3時20分。1号炉爆発。
・2名負傷。全員、免震重要棟に脱出。構内は高濃度の放射線で汚染された瓦礫が散乱。最悪の極めて危険な作業環境。
・午後4時27分。吉田原災法第15条第1項の「特定事象」(敷地協会放射線量異常上昇)を宣言し、政府に報告。
・午後4時30分から約1時間30分。吉田ら現場は破損した海水注入用消防車のホースの修理などの注水のための復旧作業に当たる。
・午後5時55分。この情報が海江田(経済産業相)に伝わらず東電本社に対して原子炉等規制法64条3項を根拠に海水注入を命じる。
●[第2場 首相官邸]
・午後6時。首相官邸執務室。海水注入をめぐる会議。出席者・菅、海江田、細野、斑目、平岡保安院次長、武黒フェロー(フェロー・副社長格・東電の連絡担当者)
・会議の情景。
・菅「塩水だぞ。影響は考えたのか!」
・平岡「(海水の注水によって)臨界の危険性が高まることはありません」
・武黒「臨界を作ることは芸術的に難しい芸当です。不純物だらけの海水を入れて、そんなのできるはずがありません」
・斑目「(菅に促されて)保安院がそういうなら」
・菅「自分の判断で言ってくれ。絶対にないんだな」
・斑目「あるかもしれません」
・菅「どっちなんだ」
・斑目「ないとおもいますが、ゼロではありません」
・菅「お前、水素爆発もないといったじゃないか」
・斑目「(泣きそうな声で)とにかく今水を入れなきゃいけないんです。海水で炉を水没させましょう」
・菅「もっと検討しろ!」「もっと詰めろ!」
●[第3場 武黒、清水、吉田に注水停止を命じる]
・午後7時過ぎ。官邸危機管理室から携帯で吉田に電話。
・武黒「おまえ、海水注入は」
・吉田「やってますよ」
・武黒「えっ、おいおい、やってんのか、止めろ」
・吉田「なんでですか」
・武黒「おまえ、うるせぇ。官邸がグジグジ言ってだよ」
・吉田「何言ってんですか」と電話を切る
・吉田証言「指揮系統がもうグチャグチャだ。これではダメだ。最後は自分の判断でやるしかない」
・吉田、テレビ会議で本店の武藤副社長に海水注入の必要を訴える。
・東電本店「官邸の了解が得られていない以上、いったん中断もやむをえない」
・吉田、納得せず
・東電清水社長「今はまだダメなんです。政府の承認が出てないんです。それまでは中断するしかないんです」
・吉田「わかりました」
第4場 吉田、本店がなにを言っても、絶対に水を止めるな]
・吉田の所員に対する支持
「海水注入に関しては、官邸からコメントがあった。一時中断する。」と大きな声で言った後、テレビ撮影機に背を見せて注水担当に対して、「本店から海水注入を中断するように言って来るかもしれない。しかし、そのまま海水注水を続けろ。本店が言ってきたときは、おれも中断を指示するが、しかし絶対に水を止めるな。わかったな」
以上でお分かりのように、狭い意味で、吉田所長に注水停止を「命じた」のは武黒フェローであり、彼からの「吉田は頑として言うことを聞かず注水を継続している」という報告に動転した東電本社の清水社長でした。
しかしそれは、この詳細な時系列経過をみればわかるとおり、強要したのは、ただの素人にもかかわらず権力を笠に着て「海水なんだぞ!もっと詰めろ!」と、明らかに中断を要求した菅首相にあります。
菅首相の事故対応について、証言する関係者のすべてに共通するのは、「あたりかまわず怒鳴り散らし、何を言っているのかわからない」というものでした。
たとえば、3月12日早朝の福島第1への突然の「現地視察」において、同行した武藤栄東電副社長はこのような証言をしています。
「免震重要棟に入った。そこで交代勤務だと思うが、作業員の人が大勢いた。中には上半身裸というか、除染などの人だと思うのだが、大変だなと思った。その前で菅氏はなんと言ったかというと、「何で俺がここに来たと思っているのだ」と言った。これには呆れました」
池田元久経産副大臣(当時)も手記の中で、「怒鳴り声ばかり聞こえ、話の内容はそばにいてもよく分からなかった」と記述していました。
この菅という人はなにかというと頭ごなしに怒鳴るイラチの人だったというのは、冷静さを要求されるこの事故処理において最悪でした。
(写真 BBCドキュメント映像。吉田氏は後に、ここに残る者は、ホワイトボードに名前を書いていけと命じたと言っている。それが墓碑銘だと決意したからだ。この69名に日本の命運はかかっていた。この命を賭した人々に対して、菅氏がかけたのは罵倒だけだった)
吉田所長は、調書の中で管氏を名指しで、「なんだ、馬鹿野郎」と吐き捨てるように言っています。
では、なぜ福島第1への不要不急な視察、現場に混乱をもたらした海水注水中止命令、あるいは、ふたつの対策本部同士の衝突事件である東電本店演説事件などが、相次いで起きたのでしょうか。
これをすべて、菅氏の人格が及ぼす破壊的エネルギーで片づけるのは簡単です。
残念ながら、事実として菅氏という、ある関係者をして「歩く人災」とまで評された政治家に、事故対応は仕切られてしまいました。
しかし、そこにだけ注目すると、この事態の本質がわからなくなります。
政府事故調の検証委員たちは、『福島原発事故はなぜ起こったか・政府事故調 核心解説』の中でこう述べています。
「重要なのは、わが国における緊急時における災害対応が、全体として機能したか、否かである」
政府事故調が指摘するとおり、当時1999年東海村JCO事後に、その反省から作られた「原初力災害特別措置法」(原災法)に基づいて作られたはずの「原災害マニュアル」がまったく機能しなかったことこそが、問題とされるべきなのです。
ではなぜ、原子力安全・保安院の原子力の専門家が、原子力災害はおろか、原子炉の仕組みすら知らない「素人政治家」たちの手に、指揮権を渡してしまったのでしょうか。
それには、海水注入事件に至る前段までの状況を知る必要があります。
2011年3月11日19時3分、政府は原子力緊急事態宣言を出します。これにより立ち上がったのが、菅首相を本部長とし、官邸を本部とする原災本部でした。
原災マニュアルによれば、ここで、現地オフサイトセンターに現地対策本部が作られ、本部から権限を委譲された現地対策本部長(経済産業省副大臣)が、事態の対応に当たるはずでした。
ところが、この目論見は早々に破綻します。
急遽、現地福島に赴いた池田副大臣たちは、地震により破壊されたオフサイトセンターを眼の前にして呆然とします。
オフサイトセンターは放射能防御の施設がないばかりか、ここに集中されるべき情報が、情報通信機能の破壊によって、官邸に届けられなくなったからです。
初動段階のこの失敗は、単にオフサイトセンターひとつがポシャっただけにとどまらず、大きく緊急対応に影響を及ぼします。
というのは、これで、指揮権が現地に委譲されずに、本来現地対策本部が処理すべき細々とした対応まで、一手に官邸対策本部が担うことになってしまったからです。
後に、管氏は、大きく事故全体を見るのではなく、原発に届けるバッテリーのサイズにまでクチバシを突っ込むようなマイクロマネージメントをするようになりますが、これも(もちろん管氏の視野狭窄的性格もありますが)オフサイトセンターの破壊という事態とは無縁ではありません。
本来、この現地対策本部が、このようなことを処理すべきだったのですから。
(写真 この時期の菅氏はほとんど睡眠をとらず、ほとんど狂乱状態だったと、居合わせた関係者全員が証言している。大震災と原発事故という二重のシビアな状況の中で、よく日本が持ったもんだと思う)
しかも、通常、このような原発シビア・アクシデント時に本部が設置されねばならない、官邸地下の危機管理センターは、大震災の災害対策本部が置かれていたために、ただの会議室である官邸5Fに官邸対策本部が置かれることになってしまいました。
なんと、官邸本部は、オフサイトセンターの壊滅だけではなく、官邸の持つ優れた情報・通信機能さえも使用不能だったのです。
かくして以後、官邸本部は、福島第1とのテレビ会議回線を持つ東電本店からの連絡待ち、という本部とも思えない情報過疎状態に置かれることになります。
もはや情報過疎といっていい事態の中に置かれた官邸本部が事故指揮を執る、という恐るべき状況が始まります。
そしてさらに、原災法マニュアルにない事態が起きました。それは、原子力災害の専門家集団である原子力安全・保安院が、使い物にならなかったことです。
原災害法には、原子力安全・保安院が原災本部の事務局を担うととされていますか、これがまったく機能しませんでした。
(写真 斑目委員長。本来この人物がすべての事故対策の指揮を執るべきだったが、リーダーシップ、胆力、共になかった。この人の責任は大きい)
斑目委員長以下保安院の専門家たちについて、政府事故調検証委員は、こう評しています。
「保安院が所与の役割を果たすことができなかったのは、現地や東電からの的確な情報を得られなかったことにもあるが、過去に経験した事故の規模を大きく越える、今回のような原子力災害への備えが能態的にまったくできていなかった点にある」(同)
もし、福島事故と同じ事態が起きた場合、米国においてはNRC(原子力規制委員会)が、フランスではASN(原子力安全機関)が、一元的に事故指揮権を掌握し、指揮全体を執るでしょう。
このような高度の専門知識が要求される原子力災害においては、専門家が指揮を執るのは、あまりにも当然です。
それを一介の「素人政治家」が、首相・本部長という肩書だけで事故指揮に介入すること、それが越権とされるべきなのです。
菅氏は野党時代に読みかじった反原発のパンフていどの知識を鼻にかけて「オレは原子力には詳しいんだ」と吹いていましたが、もちろんただの素人です。
彼は東工大卒というのが胸に輝く金の星だったようですが、在学中は学生運動に夢中だったことは知られています。
米仏ならば、相手が大統領であろうと、菅氏のようなまねをすれば、NRC委員長はこう言ったでしょう。
「閣下を部屋の外にお連れしろ。丁寧にな」
しかし残念ながら、原災法には、安全・保安院はただの「本部事務局」という位置づけしか与えられていませんでした。
このあいまいな「事務局」という位置づけを、菅氏は単なるアドバイザーと解釈しました。主従意識が強い彼にとっては、ただの従者であったのでしょう。
菅氏は専門家に対して、「決めるのはオレだ。オレの言うことにだけ答えていればいいんだ」という傲慢きわまりない態度で望むことになります。
菅氏は終始、斑目氏を「お前」と呼び捨てて怒鳴りつけ、斑目氏は管氏の怒声の下で忍従を強いられます。
このような菅氏のパワハラ行為に対して、ただの気の小さな学者バカでしかない斑目氏はまったく抵抗できず、他の関係者同様、どうやったらこの王様を納得させられるかばかりを気にするという、異常極まる雰囲気が、官邸本部を支配します。
管氏が座をはずすと、官邸スタッフと専門家、東電関係者が、菅氏説得シナリオを作って、発言分担まで決めていたという、笑えない場面すら生じました。
海水注入停止命令事件は、この空気の中で起こったことを頭にいれないと、理解ができません。
ここまでを整理しておきます。
①現地オフサイトセンターが壊滅
②原災法が想定していた現地対策本部が事実上消滅
③現地対策本部に集中されるべき、原発災害情報がほぼ完全に遮断される
④事故指揮を執るべき安全・保安院が機能停止
⑤本部は菅首相の「独裁」的状況
このような状況下で発生したのが、この海水注入事件でした。
既に、この一件に関しては、すべての事故調は一致して菅氏の指揮官の能力を批判しています。
・国会事故調 「官邸の直接介入が、指揮命令系統の混乱、現場の混乱を生じさせた」
・政府事故調 「首相が当事者として現場介入することは現場を混乱させるとともに、重要判断の機会を失し、あるいは重要判断を誤る結果を生むことにもつながりかねず、弊害の方が大きい」
・東電事故調 「現場実態からかけ離れた具体的な要求が官邸の政府首脳等から直接・間接になされ、海水注入中止の指示等、緊急事態対応の中で無用の混乱を助長させた」
このように想定した状況や機構がことごとく破綻し、発狂寸前の暴君の手に福島事故の命運が握られてしまっていたのです。
もし吉田所長というあえて抗命も辞さない男がいなければ、東日本全体はどうなったのか考えるだけで恐ろしくなります。
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原発事故当時にエセ理系の男が総理大臣をやっていて引っ掻き回した話ですね。
当時の法整備やシステムが機能不全だったことは明らかですね。特に旧通産省傘下の原子力安全保安院がプロ集団なのに何も出来ないという。
首相は広域の震災対応を俯瞰して調整するのが仕事でしょうに。
東電·メーカー·警察·消防·自衛隊等などごちゃ混ぜになってるのに、司令塔が機能しないどころか口挟んでどうするという。
当時ネットでは「菅は起きろ!枝野は少し寝ろ!」なんて言われてました。海江田なんか悔し涙流す始末で。
後に「私を辞めさせたいのならFIT法案を通せ」と本当に通させて「エコカンハウス」とやらで歳費貰いながら楽隠居。。
ボケが酷くなってようやく政界引退しましたが。
先日、深夜のNHK Eテレで5年前の震災から10年という節目で制作された2021年のETV特集で原発事故ドキュメントの再放送がされてましたが、まだ菅直人もしっかり喋れてましたね。
東電の勝俣が事故後1週間で「すべてを自衛隊におまかせしたい」とか投げ出すトンデモナイことを言ったとか(東電と勝俣本人からも回答無し)。自衛隊は何でも屋じゃ無いっての!原発なんて専門家がいなければどうにもならんっちゅうに。
敷地内の瓦礫撤去ですら、それなら自衛隊がやらなきゃならない理由は無いでしょうに。
まあ、そのくらい上が混乱していて現場の人の奮闘で今があります。。
昨夜はフジテレビで陸自霞目駐屯地のドキュメントドラマを当日の現場映像差し入れながらやってましたな。あの空中放水したチヌークのパイロット本人のインタビューや、空自から派遣された空港火災用大型放水車の話とかも入ってました。
投稿: 山形 | 2026年3月14日 (土) 07時04分
いやー、読んでいてため息が、、、。
私は仕事の関係で菅直人と会ったことがありますが、生理的に無理でした。
当のご本人は認知症で東日本大震災の事など何一つ覚えていない、総理大臣になったことも記憶から消えてます。
空っぽになった彼にとっては幸せなことなのでしょう。
投稿: 多摩っこ | 2026年3月14日 (土) 10時57分
菅首相の行動は肥大化した自己愛の持ち主特有なものでした。
そのようなタイプにとって、有事における責任時は多動性的パニックに陥りやすく、かつまた強烈な自己アピールも兼ねたものになる。
しかしまた、武黒フェローや班目さん、池田副大臣の責任も重いです。
彼らはまた、各々に与えられた職分や使命感の履き違いゆえ、権力者の越権行為を諫められない、日本型インテリゲンチャの典型的な人たちでしょう。
かくして東日本壊滅の危機から日本を救ったのは吉田所長をはじめ、現場の人々でした。それでもこの後になお、吉田調書問題などで朝日新聞の誤報事件が発生しています。私たち一般人は、せめて刮目して生きなければ真実にたどり着けなくなりそうです。
投稿: 山路 敬介 | 2026年3月14日 (土) 19時30分
あの人のポンコツさを知った阿比留氏のツィートまとめ
*日時部分(yyyy-mm-dd hh:mm:ss)をクリックするとオリジナルツイートが表示されます
https://posfie.com/@gentaro_55/p/JYWlTvQ
JA福島の代表者が農産物をもって訪問したときの発言。
TVカメラの前で「このまま食べても大丈夫ですか?」
https://x.com/YzypC4F02Tq5lo0/status/1373473490943111169
さすが「立てば国難、座れば人災、歩く姿は風評被害」といわれただけのことはあります。
投稿: ハルキゲニア | 2026年3月14日 (土) 20時48分
最近はだいぶ変わってきたそうですが、私が若い頃からずっと日本型組織は、トップがプロフェッショナルなリーダー的存在ではなくて、ただ口やかましいボス猿のような存在が多かったんですわ。先日も"ニデック(旧日本電産)"という大きな会社のN守とかいうかつて名経営者の誉も高かった御仁が実はとんでもないパワハラ野郎だと報告されていて、長年にわたる巨額粉飾の一番の原因だとされてました。まあ、日本型組織ではこんなことはマレな事案ではないというのは、現場で働く者なら皆ワカッテル。
故吉田昌郎という組織に飼い慣らされていないプロフェッショナルな"漢"がいなかったらと思うと、もう感謝の気持ちしかありませんわ、あらためて合掌。考えてみれば菅元首相も、この災害が無ければルーピー鳩山に続く只の無能な空き菅ということで済んでいたのに。その意味では記事にあるように、空き菅という欠陥人物に危機の責任の多くを負わせるのは意味が無くて、日本型組織の構造について考え続ける必要があるんですわ。
それにしても、事故から15年としてマスゴミで報道されているのは情緒的なものばかり。こういった危機時のリーダー論とか、命を張った英雄である故吉田昌郎所長への賛辞感謝とか、実際の復興の進捗の遅れが先記事にあった過剰な1ミリシーベルト規制が原因であるとか、そういった報道は視聴率が取れないんですかねぇ?
私的には、未曾有の大災害事故の原因がただの『全電源喪失』であって、その対策はコスト的にも作業的にもカンタンに出来たことなのに、それがどうしてこーなった?(なぜ、一つのカゴに全部のタマゴが入っているのに気付かなかった?そら現場の人達は気付いていただろうになぜ実行できなかった?政府の検査機関の目は節穴だった?) 未だ理解できないでいますわ。こんな肝心要の事がアヤフヤになって、広く世間に知らされていないのも日本らしいと思う。
投稿: アホンダラ1号 | 2026年3月15日 (日) 00時05分
「東日本全体はどうなったのか考えるだけで恐ろしくなります」民主党が政権を握る事は、正に「何とかに刃物」でしたね。
投稿: 珊瑚は大切に | 2026年3月15日 (日) 08時51分