リスク管理の失敗・1ミリシーベルト
福島事故後、石垣島や本島に大量の自主避難者が「脱出」しました。
有名な歌人までいるようですが、これらの人たちの脳内地獄をなんと評してよいものやら。
当然の結末として、彼らの大部分は失業や一家離散などを引き起し、気持ちよく受け入れた島の地域にも大きな負担を残したようです。
これについては、いくつか記事を書いておりますので、ご覧ください。
※関連記事
自主避難者の終わらないディストピア: 農と島のありんくりん
自主避難者は心気症にすぎない 脳内被曝地獄から抜け出せ: 農と島のありんくりん
彼女たちの多くは、計画的避難地域の外から逃げ出しており、「被曝」とほぼ無縁だった神奈川県や宮城県の人までいます。
私の生きる地域のような、確実に「被曝」した地域ならまだしもわからないではありませんが、まったく「被曝」と無縁な地域から逃げ出してしまうというのは、いかに彼女たちがひどい放射能パニックに襲われていたのかわかります。
むごい言い方になりますが、彼女たちは「被害者」であっても、それは「デマの被害者」という意味においてです。
そのデマの発信源は、当時マスコミや運動家を中心として星の数ほどいましたが、本来、民間のデマを抑える立場の民主党政権自身が発信源になってしまっていたために、いっそうパニックを煽ることになりました。
https://mobile.twitter.com/okinawa_yasai
さて、なぜこの1ミリシーベルトの除染などということを、政府は決定してしまったのでしょうか。
いちおう「科学的根拠」らしきものはあります。それが国際放射線防護委員会(ICRP)が2008年に出した「勧告111」です。

ICRPは1950年に設立された民間団体ですが、国連の傘下にあって、放射線防護の国際的機関として認められています。
同じ国連機関で、福島事故の調査結果を発表した機関にUNSCEAR(国連放射線影響科学委員会/略称・国連科学委員会)があります。
ただしこのふたつの機関は、性格がちょっと違っています。
ICRPの仕事は、放射線の「リスク管理」です。
「リスク管理」(Risk Management)の基本は、想定されるリスクが起こらないようにするために、そのリスクの原因と なることの防止策を検討し、実行に移すことです。
一方、国連科学委員会の仕事は、「リスク評価」(risk evaluation)です。
リスク評価とは、事故のリスクとその大きさが、受容可能かどうかを分析して判定することです。

この国連科学委員会の福島事故に対するリスク評価結果は、2014年4月に既にでています。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/unscear-0b78.html
■国連科学委員会 (UNSCEAR)報告書要旨
①日本国民の総被曝線量(集団線量)は、甲状腺がチェルノブイリ原発事故の約30分の1
②全身が10分の1
③チェルノブイリと比べて、放射性ヨウ素131の総放出量は3分の1未満
④セシウム137は4分の1未満
⑤ストロンチウムやプルトニウムは「非常に微量」
⑥(がんが増加しても非常に少ないために)見つけるのは難しい
⑦「福島はチェルノブイリではない」
ひとことで言えば、国連科学委員会の「リスク評価」の結論は、「福島はチェルノブイリではなかったし、住民のガンの発生が増加することは考えにくい」と明確に述べています。
ではなぜ、私がこの「リスク管理」と「リスク評価」の違いにこだわるのかといえば、民主党政権がこれを混同したからです。
たとえば、100ミリシーベルト以下の危険性について、「リスク評価」の立場は「疫学的因果関係が認められないために、限りなくないと思う」と答えます。
それに対して「リスク管理」の立場は、前者と同じ見解に立ちつつ「放射線被ばくは少ない方がよい」という立場を取るがゆえに、100ミリシーベルト以下まで影響があるかのようなLNT仮説(閾値なし仮説)をいまでも認めています。
ただしこれはあくまで放射線防護の「哲学」のようなもので、科学的「知見」ではないのです。
このLNT仮説があくまでも「リスク管理」の目安だと知らないで、この100ミリシーベルト以下にまで、機械的に適用すると、「2ミリシーベルトよけいに浴びると、200万人の福島県民のうち、がんで亡くなる人が200名増える」などといったトンデモを言い出すようなります。
事故当時、日本にやってきた「放射能デマ業界の世界的権威」であるクリストファー・バスビーなどは、「フクシマでは40万人がガンになる」と叫んでいましたが、同じ理屈です。
ICRP自身が、「実効線量は、特定した個人の被ばくにおいて、確率的影響のリスクを遡及的に評価するために使用すべきではなく、またヒトの被ばくの疫学的な評価でも使用すべきではない」と言明しています。
しかしこれをゴッチャにしたのが、当時、世間に掃いて捨てるほどいた低線量被曝心身症の人たちです。
一般人ならともかく、政府自らがこれをゴッチャにして避難や除染基準を作ったり、食品基準を作ってしまったのですから、たまったものではありません。
このように1ミリシーベルト問題の根は、「リスク管理」に対する勘違いにあります。
ICRP自身も1~20ミリシーベルトと「勧告111」で述べているように、緊急時には平時とちがう規制値が適用されるべきでした。
仮に20ミリシーベルト以上であったとしても、これが原因で小児ガンや甲状腺ガンになる可能性はほとんど考えられません。
それを自らの事故処理の不手際が引き起こした放射能パニックに怯えた民主党ポピュリスト政権は、1ミリシーベルトなどというこれ以上下はないという下限の数値を規制値としてしまったのです。
ここからいかなる超微量の放射線でも生涯を引き起こすという放射能心身症である低線量被曝恐怖症が誕生しました。
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廃炉作業はまたまだ長い道のりで、政府当初案の40年では無理でしょうけど···極端な話、今から大学で原子核工学を学んでその手の会社に入れば一生食いっぱぐれないですね。
バズビー博士かぁ。もう懐かしく感じる「緑の党」のデマ発信装置。
「おまたせしましたー!福島県で子供の甲状腺ガン患者がみつかりました」なんてツイートしてた某ジャーナリストとか、今何してるんでしょうね。。
当時こちらのコメント欄にも大量に押し寄せていた連中も。まあ2度と見たく無いですが。
仙台出身の某有名歌人さんは必死で仙台の実家に預けていた子供を連れて石垣島まで逃げたそうですが、現地での交流をまるで美談のようにされてて···そりゃあカネ持ってれば違うわな!と。両親は置き去りだし。
似たような話は多くて仕事のある旦那を置き去りにして東京から沖縄に逃げたけど、台湾の原発が近いので驚いて福岡に再移住したら黄砂が酷くて「こんな所に子供を住ませられない」と戻ってきた話とか。旦那が寛大で良かったし資金もあったんでしょうね。
深刻な例では朝日新聞の連載コラムにあったような福島市から国道13号の「山形県境」の栗子トンネルを抜けるまでクルマの窓を開けると、子供が怖がって「なんで窓あけるの!」と泣いた話とかは完全に朝日新聞その他のマッチポンプで不安を煽ったからです。
他にも伊達市のOLさんが米沢に1人で移住したけど、地元では何事も無いのに1人で何やってんだ?と白い目で見られたとか。
痛ましいのは郡山市に旦那を置いて子供と逃げた米沢市で「とにかく早く入居したい」と空き一軒家を借りたけどドカ雪で困ったり、週末に旦那に会いに行こうとして栗子峠の慣れない雪道で死亡事故があったり···夫婦の不和で別れたり不倫したりの話は多いです。
データ的には9年連続でラーメン消費が日本一だった山形をストップしたのがこの年の福島市。夫1人で残されて「晩飯はラーメン食ってくか」という独り暮らしがラーメン屋(まあ幸楽苑ですわな)に殺到したから。
当時は12000人を越えた福島県からの自主避難者は1000人余りになりました。福島市や郡山市ならともかく、浜通りでは未だに帰りたくても帰れない人がいるし、さすがに15年も経てば当時の乳幼児が高校生以上になってますから今更生活基盤を簡単には移せません。時間が経ちすぎました。
当時、救援物資を運んでくる輸送機と宮城県から逃げてきた人で山形空港は大混雑。各社の臨時便がメッチャ離発着してました。
既に小型リージョナル機しか来なくなってた過疎空港に、よくまああれだけ捌けるケロシンがあったものだと驚きました。
また既に管制は仙台空港に任せる「ラジオ空港」になっていたのが仙台空港が津波被災のため、既に使われていたILSを使用せず必ず盆地を目視で旋回する旧来コースで凄かったです。
投稿: 山形 | 2026年3月12日 (木) 07時24分
地震と津波によって、津波による原発電源喪失事故によって、その後の正しい情報によって、デマ誤情報によって、人生を変えざるを得なかった、変えられてしまった、変えてしまった方々に、或いは変えなくて良かったという方々に、考えを巡らせ、どうしてそうなったかを記録に残し、見返し続けるべきですね。黒歴史改変の試みや「検証も反省も無しにどの口でそれを言う?」なことも含めて。
私の本土勤務時代の戦友曰く、当時中学生だった娘さんは放射線技師になり、親戚の集まりなどで間違った情報で語る者があると片っ端から駆逐する、褒め言葉として「めんどくさい大人」になったとのこと。また、彼女の高校同窓生のひとりはもとから工学志望でしたが、なかでも原子力工学を選んで、世界的な原子力回帰と需要増に備えて小さくとも奮闘中とのこと。
あの出来事に、そういう方向で人生を選択する直接間接の影響を受けた方々もあることに、同時に考えを巡らせたいと思っております。
投稿: 宜野湾より | 2026年3月12日 (木) 16時36分
令和になって、完全にメッキが剥がれ落ちましたが、広瀬某とかいうペテン師的放射脳運動家が、昭和に持て囃されたというのは完全に黒歴史ですね。
投稿: 珊瑚は大切に | 2026年3月12日 (木) 21時40分