村人が自分ひとりしかいないクチョーおジィ
昨日、密造ジジィのことを書いたら、私が出会ったもうひとりのヘンツツおジィのことを思い出した。
その名は「クチョウー」です。なんのことやらだろうが、「区長」のことである。東京都港区の区長などという大仰ものではなく、字を束ねる自治会長みたいなものだ。
村の十数所帯を束ねる世話役というところか。私の村にもある。村内のもめごとや決め事があると、クチョーの出番になる。
その「クチョウー」おジィは、沖縄の山の中に住んでいた。ヤンバルのど真ん中、一番山々が連なっているところだ。東南アジアのジャングルを思い出していただければ、ビンゴである。
私の就農第一歩がこのジャングルだったのだが、そこにはわずか十所帯に満たない人しか住んでいなかった。
クチョーを除く村人は、下の町から山に上がってきた連中だったが、クチョーだけはいわば先住民だった。
実は、この村は一回廃村になっている。沖縄では村はソンと言う。たとえば東村はヒガシソンというわけだ。そして村はシマと言い習わす。
このシマは一度廃村になっていた。なぜって、学校がないからだ。今でもない。
だから、小学校にもテクテクとと小一時間かけて山を下らねばならない。そして帰りもリュキュウイノシシがブイブイいう山道をまた歩いて帰る。
高校ともなれば、名護の町中に下宿させねばならない。この負担に耐えかねて村人たちは去っていった。
村人がひとりふたりと去るごとに、おジィはサンシンを爪弾いて、島酒を酌んで惜別した。最後の村人が去って、おジィの友はサンシンと島酒だけになった。
そして廃屋だけが残った。今でも、竹藪と化した住居はハブ宮殿と化している。
クチョーの家だけは、竹のくし刺しを免れて、傾きながらも生きている。竹というのは、床下から畳をぶち抜き、天井までもブスっとやるのだ。けっこうこわい風景だ。
その屋根の梁にハブが家族で住んでいるのだ。コワイぞぉ。無防備で入ってはいかんぞぉ。首筋にポトリと落ちてきたら死ぬぞぉ。
クチョーおジィの家は、ガタガタの赤瓦に、庭にはバショウの樹があった。バナナの樹というとシャレて聞こえるが、バショウは赤い花弁を子供の腕の長さほど伸ばし、ピロピロと亜熱帯の風にそよがせているのだ。オシャレどころか、かなり不気味である。
おジィがどうしてひとり残ったのか。子供はとっくに下界の建設現場に行ってしまったし、妻には先立たれている。身軽なものである。
それに役場の職業欄には書けないが、彼はハブ採りだったのだ。ハブは儲かるのだ。ただし命がけだが。
下界の町の保健所に生きたまま持ち込むとたしか当時1万円ていどにはなった。保健所はこれで血清を作るのである。
ハブがお出ましになる早朝と夕方に、猟場である山を歩けば数匹は捕まる。一日数万円。いい商売かもしれない。ただくどいが、命がけだ。
クチョーというのは、おジィが廃村を認めていないからだ。役場は、何度か足を運び下界に親戚はいないかとか、なんなら老人施設もあるからと猫なで声で説得を試みた。
その都度オジィは、「うんにゃ、廃村ではない。ワンがいる」と 突っぱねた。それどころか、「ワンはクチョウである」とすら宣言したのである。まるで独立宣言である。
市としても、まさか強制退去させるわけにもいかず、渋々追認した。「そこまで言うのなら、勝手に名乗ってなさい」という気分だったのだろう。
かくして、ハブとヤンバルクイナ、そして自分ひとりしか住民がいないクチョーが誕生した。沖縄の山の中のことである。
■写真 梅雨の前に花開く赤いバラの花言葉は、「愛情 ・ 美 ・ 情熱 ・ 熱烈な恋 ・ あなたを愛します」です。あなたには贈りたい人はいますか?