農場の暮らし

趣味の雑草写真

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昨日ちょっとテンションを上げてしまったので、今日は趣味の写真の話など。

木の葉がくれというか、新緑の木々の間から見たら青くなった山椒を見つけました。私の農場には山椒がわんさかありまして、裏山から苗木の時にお移りいただいたのが、もう人の背の倍にもなっています。

今はこの山椒の葉の一番柔らかい部分をひとひら頂いています。葉は小さくともその芳香の強さは一人前です。実ももう少し熟してから乾燥させて、粉にします。農場の赤唐がらしと柚子の皮を混ぜて三味唐がらしをつくったりもします。

私は写真は、気がついた日常のひとかけらを刻むものだと思っています。だからなのか、いわゆる絶景はすごいなぁと思っても、誰が撮っても一緒になるので写真としてはあまり面白くありません。

私の住む霞ヶ浦のあたりだと、西の夕陽を浴びる筑波山と湖面というポイントがいくつもあります。確かに大絶景で、土日ともなると三脚を構えて遠くから私と同じような趣味の写真を撮りに大勢いらっしゃっています。私も何枚か撮りましたが、ま、すごく綺麗な平凡な写真なんですよね。

私が好きなのは野草というより、雑草です。園芸種も綺麗だなとは思いますが、ケバい。メイクをできめたギャルという風情でどうもなじめません。


私が好きなのは、透き通ったピンクの花をおしげもなく咲かせている昼顔、轍の間でも健気に咲いているイヌフグリの青。見事な円球を描くタンポホの綿毛。清楚なヨメナ(野菊)。そして雑草界の女王であるカラスウリのレースのスカートをまとった華麗な花。

今後も、野草の花や、水たまり、水田の変わりゆく季節の姿、雲の形、昆虫などを友にして、写真を撮っていきたいですね。趣味の雑草写真とお呼び下さい。

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春のテントウ虫の冒険、あらよっ、こらさっと!

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ある春うららの農場の朝、テントウムシの曲芸的冒険をみていただきましょう。まずはホトケノザの大木にえいこらさ。しかし、何しに登ってるんだろうね。

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葉っぱの大テーブルに乗っかってヤレ;うれしや。いい景色。と思ったら。これが不安定でやんの。おっとと。弁当を食べて、ヤッホーを言う暇もなく、たちまちアクロバットをするはめに。

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あらら・・・。シュワッチ。短足ですが健気にしっかりしがみついております。見ているほうは面白いんですが、でも落ちたら・・・ぜんぜん平気。だって羽があるもん。なら、初めから羽で飛んでこいよ、と思うのはあさはか。「非常際使用のこと」ていどなもんでブンブン飛ぶもんじゃないようです。

しかし男テントウムシ(←性別未確認)そう簡単に落ちてはならぬ。勢いをつけて隣にエイヤっとのり移ります。いやホントはズルズルとですが。

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この後、このヒョロヒョロの草を降りて行ったのであります。ま、そこにあったから登って降りただけか。短い人生、こんなことに使っていいのかぁ。あ、余計なお世話でしたか。

私にはこの無為な行為に短い人生を費やすテントウムシに哲人の相貌をみたのであります。

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わが家の居間をモノトーンで撮ってみました

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白黒モノクロームで部屋を撮ってみました。なんかよ~わからんかもしれませんが、なにやら荘重な雰囲気ですな。まぁ、実際は本とCDが散乱しているゴミ箱なんですが。

いや、モノクロームにハマりそうです。今回、思い切ってコンパクト・カメラから買い換えたのですが、それにラフモノクロームというモードが付いていまして、これが実に面白い。憧れの銀塩カメラみたいで、下手でもなんとなくうまく見えます。

このラフモノクローム・モードでムービーを撮ると、なんとあーた、60年代の白黒映画見たいになります。かつてのジャン・ギャバンあたりが出ていたフィルム・ノワールのようです。

そういえば昔、パート・カラーなんてあったよなぁ・・・(私の歳くらいの男の人までわかる)。なんの話をしてるんだ(笑)。現代は「色がない」ってほうが新鮮だというのも面白いですよね。

このブログでも何回も書いていますが、人は「色がない」と、自分の感性でそれを補おうとするようです。といのも、無彩色というのは通常ありえない、ある種のパニック状況ですから、脳がとまどっちまうんでしょう。で、勝手に色をつけてしまうようです。

江戸末期の写真に後の時代にうっすらとパステル調の色彩を入れてある絵はがきがあるでしょう。実際は違った色ですが、あれはあれでいいもんです。あのようなことを脳が自動的にやるのだと思います。だから面白い。

そういえばのどかな江戸絵はがきとは真逆の世界ですが、「プラベート・ライアン」という映画がありましたね。スピルバーグでしたか。有名な冒頭の上陸作戦の海岸のシーンがあります。画像はノイズが入ったようなあえて粗い粒子で撮影されています。

そして色調はほとんど無彩色に近く、音声もところどころで切れています。兵士の流血、海中に飛び込んで来る機関銃の弾丸。上陸用舟艇から降りた瞬間にものも言わずに打ち倒される兵士。自分の腕を探し回る男。水中の数知れない屍。

そこにあるのは、戦争という巨大な顎に無抵抗に、なすすべもなく噛み砕かれていく人間の悲鳴です。ですから粗い無彩色画面は、人の心象風景なのです。

話はゴロリと変わって、せっかくうちの居間が初めてが出ましたので、わが家のインテリアの話を少し。私たちは当初はインテリアもなにもトリ小屋の横の土間に床を張ってましたんで、それどころじゃなかったのですが、今はさすが20余年。今は「長年アジアや中南米を旅行してきたひねくれたイギリス人が隠遁している家」というかんじになっています。

隠遁したイギリス人といえばカッコイイのですが、なんのこたぁない、お互いに行ってきた世界の辺境お土産物産大秘宝館ですよ。家具はさすがにお土産ではなく、「オールド・フレンド」という荒川沖の西洋骨董屋の倉庫の屋根裏から探し出したものです。この春は、どうやらハツカネズミのご家族が子孫繁栄にいそしんでいらっしゃいるようです。

ここでは見えませんが、居間のシャンデリアもアンティークといえば聞こえがいいですが、要するに西洋のボロ家具の哀しさ、力一杯暗いっす。そうなのです、わが家はともかく暗いのです。

実利的に考えれば蛍光灯にすればよかったのですが、あのテラテラに無表情な事務的な照明の下で生活したくなかったのですね。で、あえてというかマヌケにも「暗いのはご馳走」とか自爆的なことを抜かして、照明の非蛍光灯化、電球化なんぞしたもんで、暗いのなんの。正直言って、歳をとるとつらい!

最近は電球色の蛍光灯などに取り替えてはいますが、最近間違ってメチャ明るい蛍光ランプに取り替えたら、これが明るいのなんのって(涙)。暗かったのでよく見えなかったわが居間のゴミホコリ、散乱した本やなんかの現実がドバーッと視野の中に。

で、あわててまた暗いやつに換えました。

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春が来ました!ニホンミツバチも大忙し

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春です。文句なく春です。まこと真実の春です!

最高気温が20度になりました。もう午前の農場の庭は、在来種のニホンミツバ チが軽やかな羽音をたてています。

昨日の記事の野草の花がなにかお分かりでしたか?ホトケノザです。ホトケノザは稀にルビー色の花が発現する場合があります。うちの農場はいまやホトケノザとイヌフグリの大群落と化していますが、あのルビー色の花は稀にしか見られません。

このホトケノザにニホンミツバチが仕事に来ました。ミツバチは長い冬を完全絶食状態で、巣の中で生命活動を最小限にして、蓄えた蜜で越冬します。そして、待ち望んだ春!

樹の洞や、地上の草むらに隠れた巣から一斉に春の仕事開始です。森林地帯だと楽勝で3㎞は飛んで来ます。なにもない平坦地だと、身を隠せませんから、ぐっと短く数百メートルといったところです。

越冬でカラカラになった巣の食料庫を満タンにせねばなりません。ミツバチも大変なんです。長い「フン」という管を口から出して花の蜜を吸い出し、蜜胃にコポコポと注いでいきます。だいたい一回に25~50㎎ていどを運びます。


花粉だと10~30㎎を運ぶんですが、脇の下というのか、羽の付け根近辺にぶら下げています。たぶん飛行中のバランスがいい重心位置なのでしょう。下の写真の赤い紡錘形の小さな玉がそうです。これはなんの花粉でしょう?梅?桜?ちょっと大きすぎるような・・・。どなたかお分かりでしたらお教えください。

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1日一回だいたい10~15往復しますが、最盛期にはな~んと150回もするんだとか。見ていると面白いのは、ガサゴソと葉の裏にまわったかと思うとまたひょっこりと顔を出し、あ~でもない、こーでもないと品定めをしています。

でも、この写真のように一心に蜜を吸っている時はノーガード。私がカメラをググッと寄せても知らぬ顔。おい、ちょっとその背中あぶないぜ、オレが野鳥だったらオダブツだよ、と思ってしまいます。実際こういう時に鳥や天敵オオスズメバチになどにパックリやられることもしばしばあるとか。

昨年はミツバチが激減して大騒ぎになりました。ある種の感染症が海外から入ったと思われます。なんかこの小さなニホンミツバチを見ていると、がんばれよと言いたくなるから不思議です。

ミツバチ女王の恋は生涯ただ一回、空中で交わされます。ある晴れた日、十数メートルまで上昇した彼女を追って雄の群れが飛び立ちます。奮闘努力のかいあって、ただ一匹のみが交尾の特権を得ます。晴れた日の天空の恋というわけです。見た人によると、生涯忘れられない光景だったとか。

5月ともなると、新たな新女王蜂が誕生する時期となります。待ち望んだ分蜂(ぶんぽう)の季節が来ます。若い女王は従う家臣を引き連れて、ある日突然に新たな新天地めがけて飛び去っていきます。

ちなみにこの働きバチも雌でして、ミツバチの世界とはやたらカッコイイ女の世界なのであります。

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白と黒、モノトーンの朝

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毎日、毎日、昨日は嵐、今日はみぞれにたたられています。私の家業は、夜中に屋根を叩く雨の音がすると寝床でああ~とため息が出て、それが止んで静かになっても安心はできないんですな。だって雪だったりするんですから。

さて、農作業さえかんがえなければ、雪の早朝は壮麗です。今年の初雪の時は、5時くらいから撮りまくりました。上の写真はたぶん何度目かの雪の朝7時くらいでしょう。ちょうどこの画面の奥のほうが真東ですので、もう太陽は森の稜線から離れて低い角度がら農場を照らしています。

この低い角度から射す朝日というのがことのほか美しいのです。太陽はまだ若く、頼りなげでありながら強い光線を放ちます。樹木の間を抜けて差し込む光線の作り出す強い陰影はこの世のものとも思えない。

あるいは垂れ込めた絨毯のような雲間の一点の切れ目から射す太陽などには息を呑みます。一種宗教的な感情に襲われるほどです。なるほど、あの垂れ込めた雲の彼方に天界があるのか、と。救いがあるのか、と。

現実世界で強いコントラストを発見することはなかなかないことです。また、モノトーンの世界もなかなか見ることができません。いわば非日常なのです。カラーの世界は説明的で退屈ですらあります。
ですから、雪の朝の強い朝日に照らし出された白と黒、暗と明、陰と陽のハイライトの世界を貴重なものとしてみることが出来ます。

そう思うと、この頃の映画の色調の独特の暗い色彩設計の傾向が分かる気がします。昔と違って照明ワークだけではなく、デジタル処理が簡単に出来るというのもあるでしょうが、あえて鮮明な色彩を排除し、時には粒子を粗くしたりさえします。

たぶん人は、白と黒、そしてその階調の狭間に、自分の想像力を込めてしまう生き物なんでしょう。

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今朝のワンコロどもの獲物・キジの雄

014_edited1 このところ、うちの農場の下の原っぱ、正式名称・耕作放棄地でわが家のワンコロともが狩猟などするよになり、毎日のようになにか捕まえてきます。

先日は野うさぎで、ワンコロどもにも美味だったとみえて、ハグハグと食べられてしまい、残ったのは哀れ尻尾のみ。

英国人は野うさぎの尻尾は幸運のお守りとするそうですが、こんなもんだけ残されてもねぇってかんじです。入植した当時、ある農家から勧められてウサギを飼ったことがあります。といっても、10羽くらいですが。

あ、そうそうウサギは「羽」とカウントします。なにやら江戸の昔、獣食が禁制だった時代に、これはニワトリの肉だと言って、お上をだまくらかしたとかなんとか。ま、お上もダマされたふりをして、一緒にウサギ汁にフーフーと舌鼓を打ったんでしょうな。

結局、そのウサギたちは、大部分自分たちで食べてしまいました。味はあっさりとしていて、たしかにニワトリと似ていなくもない。ただ肉量が非常に少ないのです。モモ肉にしても、オバさん鶏より細いんです。

たしかにその勧めて頂いた農家さんが言うように繁殖力はあるようですが、でも、灰谷さんの小説のタイトルではありませんが「兎の眼」は可愛すぎて、ちょっと落とせない。そうとうに心理的な抵抗感があります。
しかも、食肉処理しようとして捕まえると、妙に固まってしまうのですから、かえって罪悪感をそそるんです。

毛皮は、本を調べてなめしました。ちょっとグロで恐縮ですが、ウサギは丸剥きが出来ます。肛門に包丁を入れて少し拡げてそのままセーターを脱がせるようなあんばいでクルリと剥きます。そして皮に付いてくる肉をきれいにこそぎ落として、薬品を使ってなめしていきます。
可愛いミニマフラーが出来ました。ただし、なめしがいい加減だったで、摘むと毛がゴソと抜けました。

そして今日は、ワンコロの獲物は、なんとキジの雄です。ケーっというような甲高い声で啼くので、いるのは分かっていたのですが、よもやわが庭にゴロリと横たわっているとは。

どうやら、うちのワンコロどもは集団で狩猟をすることを覚えたようです。複数の犬の組織的な狩猟はいわば本能です。一匹がガーっと追う、一匹が待ち伏せする、そこに別のもう一匹も加わって包囲するという手筈です。習熟した犬の集団狩猟からは、まず逃げられません。

こんなことを覚えさせていいんでしょうか。日に日に狩猟犬のようになりくさって、嬉しそうに主人にウヘウヘと鼻をならしながら獲物を獲ってくるわが愛犬を見ると、犬の教育を根本的に間違えたのかと、カミさんと真剣に悩む毎日であります。

■写真 キジの雄。たぶんまだ若いと思われます。なんとメタリック・グリーンとメタリック・ブルーというハデハデ。雌はいたって地味な茶色です。いつも思いますが、自然界というのは、人間の感覚と違いますなぁ。キジはニワトリの一族なので、姿は酷似しています。

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稲刈り前に、台風なんか来るんじゃねぇ!

Img_0008_2 台風が近づいています。いやな時期に来たものです。

田んぼは、もう早い所では稲刈りを始めています。この稲刈り寸前の台風というのは、下手をすれば,せっかく実った穂が倒れて床土に着いてしまい、そこから芽が出てきます。

こうなると、直ちに引き起こさないとやばい。そこから芽が出てしまいます。麦芽ならぬ米芽はシャレになりません。そこから、せっかくこの天候不順(←仲間のお百姓が言うに、冷夏というほどではなかってので、ま、いいかなと)の夏に健気にも蓄えたでんぷん質がどんどんと失われていくことになります。

そうなると一所懸命に倒伏稲を引き起こしても、まったくうまくない米となってしまいます。これがつらい。収量はともかく(いいわきゃない)、照りもなければ、美味さの芯がない味の新米となってしまいます。

_edited_3 実は一度やりました。就農して何年めだったか、まだルーキーだった私の田んぼは、田植えがなんせ田んぼづくりから入っていたために6月の中旬、いや下旬といったほうがいいような時期に入ってしまいました。

回りの田んぼの苗が、完全に活着して初期除草なんてやっている時に、悠然と(内心はあせあせです)田植えをやっているのは、けっこう鉄仮面の私でも恥ずかしいものです。

完全にこの地方の農事暦には一カ月半分ズレていますから、とうぜんのこととしてシッポの稲刈りの方は9月の下旬にズレ込みました。これまた、こっ恥ずかしいものです。回りの田んぼがすっかり稲刈りを終えたスケスケの田んぼなのに、この私の田んぼは未だ熟さぬ穂がわさわさと風になびいておるのです。

私の田んぼの師匠などは、毎日のように田んぼに来ては、穂を取って成熟具合を見ると、「おいこらお前、オレに恥をかかせるつもりか。もう台風くっぞ゙!」などとプレッシャーをかけるし、お師匠様、むごいでございます!もう半ベソ。

あ、今の穂を取って見るというのは、師匠に教えて頂いた収量予測調査の基本なのです。一本の稲の茎が地中で何本に分結し、そこから発生した穂にいくつの籾が成っていて、更に籾の中にしっかりとでんぷん質が蓄えられているか、これを師匠はしっかりと見ているわけです。

そのくせに、師匠は刈り取っていいとは言わず、ああ暦は流れる水車、輪廻転生の理あり(←なんのことだ)。で、来ました、台風。タハハです。私は、自慢じゃありませんが、いややっぱり自慢か、台風に関しては相当に動じません。沖縄でダテに百姓修業やってませんから。

しかし天よ泣け!こともあろうに年にたった一回の稲の収穫間際に襲来の台風が来たのです。これで倒伏すれば、今までの努力はパーとなります。

_edited_4師匠の読みは、マーフィの法則のようにピッタリと的中し、台風が来ました。前日の夜半から猛烈な暴風雨。当時私が住んでいた鶏小屋がきしむほどです。近くで樹がズズンと倒れる音すらします。

私は鶏小屋住居の中で、ひとりタオルの鉢巻きをして、茶碗酒をグビグビと飲みながら大嵐に耐えたのでした。ただ 途中で寝てしまったのは、天が私の潔い心根に微笑まれたからに違いありません。

翌朝、爆撃にあったような田んぼを見ました。泣く?泣かねぇよ。やること一杯あるもん。カミさんとふたりで、田んぼの両側から倒れた稲をエンヤコラとロープで引っぱり上げて、それでも半分の稲しか救えなんだ。

半分はそのまま穂から芽が出てまるで米のモヤシ。

■写真上 珍しくも撮らせていただいたアカネ一族。たぶんナツアカネだと思います。アキアカネ(いわゆる赤とんぼ)はもっと鮮烈な紅です。トンボの品種はとても難しいのです。幼体と成体、雄と雌がまったく違ったりするのはあたりまえです。

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朝焼けと郵便受け

_edited 暑中お見舞い申し上げます。

一昨日、泊まり掛けで大地を守る会の皆さんが遊びにいらっしゃって、とても楽しい一時をもつことができました。

気持のいい、涼しい夕べだったので、表に収穫コンテナを置いて、その上に昔の木の扉をテーブル代わりに乗せての一杯が二杯、三杯、以下略。全員が酩酊、意識不明者多数という、楽しくもすごい宴をやらかしました。

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さて、今朝5時の朝焼けです。禍々しいまでの美しさです。刻一刻と様相を変えて、さながら天体ショーのようでした。お盆でこちらに帰省された街住まいの人かち、何人かこれがみれたかな。

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これはうちの新聞受けです。白い花に彩られて綺麗でしょう。実はなんのこたぁない、カラスウリです。今、カラスウリが満開。特に夜ともなると、怪しげな白いレースの裳裾を拡げて月下の舞踏をしております。

このカラスウリ、満開になって一晩で散る花だそうです。

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この手の空っぽは、きみのために空けてある

_edited 樹は植えておくもんだと思いました。

今朝、待望の雨があってようやく気温が下がりましたが、蜃気楼でもたつかというようないきなりの炎暑。

その時に、母屋に緑陰をなげかけてくれるのが2本の大きな欅の樹です。欅がなかりせば、ジリジリとした太陽に炙られてとてもではないですが、住んではいられません。特に屋根裏の寝室は悲惨ですね。屋根一枚、外は太陽ギ~ラ、ギ~ラですから。

だいたいがグータラの私たちですが、唯一先見の明があったと自分でいい子、いい子、しているのが植樹でした。樹だけはせっせと植えました。裏山からこっちの水は甘~いゾと移住願ったもの、植木屋やDIYで苗を買ってきて植えたもの。そして勝手に実で繁殖しているもの、それぞれ由緒は異なるものの、いまやちょっとした森の中にいるようなところまで育ちました。

特に大樹となる欅は無理をして大きな苗を買いました。それから約15年以上たって、いまや大樹の風格さえ備えてきました。

_edited_2 左の写真は母屋ができたばかりの光景です。上の写真とほほぼ同角度で撮っています。雪のせいもありますが、実にシンプル、なんもない。

車が直に玄関に横付けできたんですねぇ。忘れてました。今は、はるか手前の「森の入り口」で降りねばなりません。

これから入植する新規就農者の人にいつも言うのは、樹は住む場所が決まったらすぐ植えること。30㎝の苗が10年たてば大きな樹になって、緑陰を作ってくれるから。そして樹は、風雨から私たちを守るだけではなく、君たちの生きてきた記憶を覚えていてくれるから。樹は梢を風に揺らせながら、こう言っています。

この手の空っぽからっぽは、きみのために空けてある。

■最後の一節は、認知症の母親や病死した妻を題材に、命をうたう藤川幸之助氏の詩集の表題から頂戴しました。PHP研究所から出ています。ぜひご一読をお勧めします。

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トンボのメガネは、まぁるいメガネ

Photo 梅雨が明けました。うっとおしい日がつづくと、ぶつくさ言うくせに、カッと暑くなると、すぐにふへぇ~とへたばります。

わが農場はトンボがスースーと涼しげに飛翔しています。立てたホオズキの支柱の枝の上で、まったりとしたモーニングタイムを楽しんでいらっしゃいます。思わず、「コーヒーのお替わりをお持ちしましょうか」と声をかけたくなる優雅さです。

このトンボは図鑑で調べたのですが、よく分かりません。たぶんシオカラトンボの雌ではないかと思います。雄は青っぽいのですが、雌は黄色で、まるで別な種のようです。

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次の写真は別な機会に撮影したものですが、一見同じようですが、色がややくすんだ黄色で、体形もやや大型です。

単なる個体差なのか、それともまた別の種なのでしょうか?分かる方、教えて下さい。

しかし、なんともかとも警戒心ゼロで、私が昆虫フェチの鳩山邦夫氏か、かつてのような悪ガキならば、たちどころにゲットされてしまいます。私が今は上品な紳士になっててよかったね。

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ほら、この上の写真なんか見て下さいよ。下から見上げて撮っているんですぜ。自慢ではありませんが(あ、やっぱり自慢か)、図鑑を色々見ましたが下から見上げてトンボを撮った写真はなかったようです。

私の腕がいいのか、人柄がいいのか、単にトンボにもバカにされているのか、はたまたトンボが居眠りでもしていたのか。

それにしてもトンボの優美な肢体はゾクッと官能的ですらあります。透き通った複雑な文様をもつ四枚のハネ、太めの腹から一気に尻尾がすっと細く伸び、種によってはそれすら透き通っています。アールヌーボーでよく題材にされたのもうなずけます。

ナツアカネも飛び出しました。しかし、アカネちゃん一族はなかなかすばしっこくて、私如きには撮らせてもらえません。ああ、また夏来りぬ。

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