白黒モノクロームで部屋を撮ってみました。なんかよ~わからんかもしれませんが、なにやら荘重な雰囲気ですな。まぁ、実際は本とCDが散乱しているゴミ箱なんですが。
いや、モノクロームにハマりそうです。今回、思い切ってコンパクト・カメラから買い換えたのですが、それにラフモノクロームというモードが付いていまして、これが実に面白い。憧れの銀塩カメラみたいで、下手でもなんとなくうまく見えます。
このラフモノクローム・モードでムービーを撮ると、なんとあーた、60年代の白黒映画見たいになります。かつてのジャン・ギャバンあたりが出ていたフィルム・ノワールのようです。
そういえば昔、パート・カラーなんてあったよなぁ・・・(私の歳くらいの男の人までわかる)。なんの話をしてるんだ(笑)。現代は「色がない」ってほうが新鮮だというのも面白いですよね。
このブログでも何回も書いていますが、人は「色がない」と、自分の感性でそれを補おうとするようです。といのも、無彩色というのは通常ありえない、ある種のパニック状況ですから、脳がとまどっちまうんでしょう。で、勝手に色をつけてしまうようです。
江戸末期の写真に後の時代にうっすらとパステル調の色彩を入れてある絵はがきがあるでしょう。実際は違った色ですが、あれはあれでいいもんです。あのようなことを脳が自動的にやるのだと思います。だから面白い。
そういえばのどかな江戸絵はがきとは真逆の世界ですが、「プラベート・ライアン」という映画がありましたね。スピルバーグでしたか。有名な冒頭の上陸作戦の海岸のシーンがあります。画像はノイズが入ったようなあえて粗い粒子で撮影されています。
そして色調はほとんど無彩色に近く、音声もところどころで切れています。兵士の流血、海中に飛び込んで来る機関銃の弾丸。上陸用舟艇から降りた瞬間にものも言わずに打ち倒される兵士。自分の腕を探し回る男。水中の数知れない屍。
そこにあるのは、戦争という巨大な顎に無抵抗に、なすすべもなく噛み砕かれていく人間の悲鳴です。ですから粗い無彩色画面は、人の心象風景なのです。
話はゴロリと変わって、せっかくうちの居間が初めてが出ましたので、わが家のインテリアの話を少し。私たちは当初はインテリアもなにもトリ小屋の横の土間に床を張ってましたんで、それどころじゃなかったのですが、今はさすが20余年。今は「長年アジアや中南米を旅行してきたひねくれたイギリス人が隠遁している家」というかんじになっています。
隠遁したイギリス人といえばカッコイイのですが、なんのこたぁない、お互いに行ってきた世界の辺境お土産物産大秘宝館ですよ。家具はさすがにお土産ではなく、「オールド・フレンド」という荒川沖の西洋骨董屋の倉庫の屋根裏から探し出したものです。この春は、どうやらハツカネズミのご家族が子孫繁栄にいそしんでいらっしゃいるようです。
ここでは見えませんが、居間のシャンデリアもアンティークといえば聞こえがいいですが、要するに西洋のボロ家具の哀しさ、力一杯暗いっす。そうなのです、わが家はともかく暗いのです。
実利的に考えれば蛍光灯にすればよかったのですが、あのテラテラに無表情な事務的な照明の下で生活したくなかったのですね。で、あえてというかマヌケにも「暗いのはご馳走」とか自爆的なことを抜かして、照明の非蛍光灯化、電球化なんぞしたもんで、暗いのなんの。正直言って、歳をとるとつらい!
最近は電球色の蛍光灯などに取り替えてはいますが、最近間違ってメチャ明るい蛍光ランプに取り替えたら、これが明るいのなんのって(涙)。暗かったのでよく見えなかったわが居間のゴミホコリ、散乱した本やなんかの現実がドバーッと視野の中に。
で、あわててまた暗いやつに換えました。
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