母屋と鶏舎が出来て、ようやく農場も軌道に乗ってきた頃の写真です。表情も明るいですね。
犬は当時飼っていて19歳まで生きたモモという犬です。すばらしく気立てが良くて賢い犬でした。まだ小犬の頃ですね。わずかですが出来上がったばかりの家が見えます。
さて、Fさんとの土地問題にも決着がつき、すべてが順風満帆に思えたちょうどその時でした。
関東平野をひたひたと東に上がってきたニューカッスル(ND)という鶏病の魔王が、とうとう私たちのヨチヨチ歩きの農場に侵入したのです。NDはその感染力、死亡率の図抜けた高さで、世界の養鶏家から恐怖の的になっている病気でした。
おかしいと思った時には既に遅く、たちまち下の写真のように鶏たちはバタバタと死んでいきました。わずか1週間で約500羽にも登る鶏が死亡しました。今でも悪夢に出る時があります。毎日、できたばかりの自分の鳥小屋には死亡した鶏が積み重なり、他のかろうじて生きている鶏もうつらつらするように生命の灯火を消そうとしています。そしてこの私はなにも出来ないでいる。 見て、声をかけ、励まし、餌を水で練ったものを口に与え、毛布でくるみ、しかし、まったく助からない。
感染を薬剤以外でくい止める最後の方法として、感染が確実な鶏を一羽一羽、殺処分にすらしました。
手のひらに包み込めるようなまるでうぶ毛の塊のような雛から育ててきた鶏の頸動脈に刃を入れて、そして力を入れて搔き切る。吹き上がる血、私の手の中で「死にたくない」と大きくビクッビクッとあらがう断末魔の力の強さ、蹴爪を私の腕にたてて。一羽殺すごとに合掌して黙祷しますが、なにを思っているのか私自身が分からない有様でした。私の命を奪って、手を合わせて自分だけ助かろうとするこの偽善者!この卑怯者!お前には永久の心の平安はない!という彼女たちの声が頭の中にこだましました。
一日に数十羽を殺処分(なんという人間の勝手な言葉だ!)にし、石灰を撒いた穴に放り込む毎日が続きました。夫婦の会話はめっきりと減り、食事も作る気になれません。暗くなった部屋で、いっそう自分たちが死んだほうが楽だなと私が言うと、いつもは気丈な彼女も黙って首を縦に振りました。
当時、平飼神話というものがありました。ほかならぬ私の農の恩師であった中島正先生が、その中心に居ました。都会から農村に移り住んだ若者の多くは、彼の激烈な農本主義の強い影響下にありました。都市を捨て、農村に拠り、農を復興させ、農により都市を包囲し、ゆっくりと解体する。そして都市の若者よ!街を捨てて、農に拠れ!農の再興に力を貸せ!と叫びました。
今になって振り返ると、日本農業の中に脈々とある農本思想と、当時まだ幻想を持っていた毛沢東主義のアマルガムですが、高熱を発する流行り病のようでした。激烈であるが故に単純。単純であるが故に純粋。純粋であるが故に、極めて狭い視界しかもっていませんでした。しかも農業技術体系と一体となっているために、思想と技術体系を実利的に切り離せないのです。彼の門を叩く者は思想と技術を、ふたつにしてひとつとして理解し実践せねばなりませんでした。
実際の先生は穏やかで、合理的ですらある方です。文章とは異なり、よくひとの声を聞き、妥当な解決策や進む道を教えていただける農の先達でした。そして、徒党を組むことを嫌い、年賀状すら「山中に暦なし」とされるひとでした。自然卵養鶏の福島正信先生のような存在だと思えば間違いないでしょう。
そして私はといえば、それを一言一句違えずにその思想を実践しようとしました。文字どおり職を捨て、街を捨て、わずかな財も捨て、身ひとつとなり、沖縄に入り、ポンコツ車に打ち跨がって全国を歩き、農地を得、鳥小屋を建て、家畜を飼い、家を建て、そしてこの蹉跌に遭遇したというわけです。私は忠実な中島先生の弟子だったのです。
師はNDたりとも、自然養鶏の前には怖くないと豪語し、自分はNDの鶏を触ったが、自分の鶏は感染しなかった、ワクランはいらない、いやむしろ打ってはならない、それは平飼鶏の生命力の強靱さを軽く見ているに等しいことだと述べました。
NDの真っ最中、対策を問い合わせた私に答えて、先生からは心のこもった一通の手紙をいただきました。その中で、「君の例はもはや民間療法ではどうにもならない。投薬をするしかない」としるされていました。師自らが言うように、平飼神話は神話でしかなかったのです。
NDの嵐が去った後、私の農場の外観は維持されているように見えました。たしかに鶏舎や倉庫は残り、家もあった。しかし、半数以上の鶏が死亡し、特に次の世代の雛は全滅しました。残った鶏もまったく卵を産まなくなりました。
そうです、私の農場は事実上壊滅したのです。
後日、私は師が最高顧問をつとめる全国自然卵養鶏会の全国集会の発表の場で、私の農場のNDの経緯の記録と写真を提出し、平飼神話は相対視すべきであると訴えました。同じ蹉跌を踏んでほしくなかったからです。
しかして、仲間だと思っていたわが聴衆の答えは、いわく「先生のおっしゃるとおりにやらないから事故を起こしたのだ」、「自分の失敗を先生になすりつけるな」でした。
師が言うとおりやらないから、起きた。それがいかに外部からの強力なウイルスの侵攻だとしても!これではまるで、念仏を数える回数が少ないから、お前は病に罹るのだ、というどこぞの新興宗教と同じではないですか。
私はこれ以上の声を上げることを止めて即時に脱会し、再び荒廃したとしてもわが唯一の拠り所である農場へと急ぎました。そしてその扉を堅く閉ざしたのです。ガンバレ、ハマタヌ!ご声援を。
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