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2012年6月 9日 (土)

ぬか漬けと堆肥

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毎朝、ぬか漬けを練っています。毎日かき回していてもなぜか酸味がでてしまって、粉カラシをいれたり、水を抜いたりしています。

今年始めて初期発酵にビールを飲ましてやったのですが、効果テキメン。あれよあれよと言う間に発酵過多になってしまいました。ぬか漬けが酔っぱらったのでしょうか。

なんでも漬けます。きゅうり、大根、にんじん、なす、みょうがもいけます。ジャガイモはやめたほうが。

やってみると改めて思ったのですが、こりゃ堆肥づくりそのものです。米ぬかをベースにして、微生物発酵を利用し原料を栄養豊かに、風味溢れるものとする。すごい技術です。

うまくできた堆肥は、芳しいですからね。水が多すぎたの少なすぎたのと水分調整に苦労し、いい熱が出たの出ないのと心配し、イヤな匂いになったと心配し、ヌカ捏ねならぬ天地返しをして、できたるは自慢の逸品堆肥。

百姓は堆肥を食品加工のような気分で作っています。ほんとうに、堆肥を味見する老百姓を知っています。

農産物を作るためには、その前に「堆肥という土の食べ物」を作る必要があるのです。

発酵技術は日本が世界に誇る技術です。ありとあらゆるものを輝かせる技術です。素地を壊すことなく、その持てる本質的能力を目一杯開花させます。

不思議なもので、発酵過程から抽出精製した微生物群、ミネラル群を無機物として与えても同じ結果は得られません。

なんなんですかね、不思議ですね。

かつて肥料成分の無機質化があたりまえだと思われていた時代に、私たち有機農業は前近代的だと笑われながらも、シコシコと堆肥を作っていたわけです。

植物は確かに無機物で吸収するのですが、そう単純なことだけではないと分かって来たのが最近です。

土壌中、特に根のそばに棲んでいる微生物群や土壌生物の働きがどんどんと明らかになってきています。

ヌカづけくさい指でキイボードを叩きながら、楽しみな時代になったなと思っています。
あ、そうそうこの指の香りは、母の香りだったっけ。

・・・農家が放射能のことを書かなくなる日が早く来ますように。

■写真 かまきりが幼虫から脱皮した瞬間です。世界は彼にどのように写っているのでしょうか。

2010年5月 2日 (日)

田植えの方法も色々あります

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ようやく少し春めいてきました。もう待ってはいられないと、ごく一部の田んぼは田植えを敢行したようです。いやまさに「敢行」というかんですな。

今年の稲の苗は、低温と日照不足がモロにたたって生育が非常によくないのです。稲の苗は温室の中でニクロム・ヒーターを入れて加温するのですが、それでも今年は苗が非常に良くないのです。

稲の苗はとてもデリケートです。いわば保育園の頃の子供のようなもので、ちょっとした水温の変化でもダメージを受けてしまうことがあります。これを嫌って、もっと大きくなるまで田植えを待つという農法もあります。

もっと根の分けつが進んで、しっかりとした根が出来てからおもむろに田植えをするのですが、すると5月末から6月となるわけです。だいたい通常の農法の1カ月から1カ月半遅れといったところでしょうか。

GWに田植えという農事暦も、まぁ有体に言えば人間サマの都合で、兼業農家が増えたので連休中に田植えをやっちまおうというただそれだけということでもあるんですが。

まぁ、昔の農事暦ではそんな兼業農家事情などは考えてもいないわけですから、6月近くにやっていたとジィ様が言ってましたっけね。6月になれば、田んぼの水温も充分に上がっていますし、根も立派なので活着も早いので、しっかりとした稲に育ちます。

ヒョロ苗を冷たい水に漬けていいわけなかっぺよ、とのことでした。確かに水温が低いのは万病の素で、日当たりの悪い田んぼなどひと晩でイモチ病という稲の業病でやられて真っ白になったこともあるそうです。

このごろはそれを予防防除といって、発症する前にあらかじめ殺菌剤系の農薬を撒いてしまいます。

また田植えの方法も違います。大きく株間を取って一尺(30.3センチ)くらいの升目に数本、ときにはたった一本の苗を植えます。今の田植えが機械植えのために密植しているのと対照的です。尺角植えと称します。

この方法だと無農薬栽培でやることが可能です。今のヒョロ苗⇒GW田植え⇒機械植えの農法ですと、やはり有機農法はかなりしんどいというのが、私の経験です。

ですから、この立派な苗になってから遅れて植える農法には合理性があるのです。しかし難点もあります。機械植えができませんから、人力での田植えとなります。自家用米ていどの私ならこれでもいいのですが、大面積の稲作農家にはきついでしょう。

そして、稲刈りがまんまズレ込みますから、台風シーズンに掛かってしまいます。私など何度台風で倒伏したことか。一回倒れた稲はすぐにでも起こさないと、たちまち穂から白い糸のような芽が出て、デンプン質を吸い取られてスカスカのものとなります。長い時間放置すれば、腐れが出て完全にオシャカです。

倒れた稲を田んぼの左右からロープをかけてせーのと引いて起こすのですが、水をたっぷりと吸った稲はなかなか起きないのです。それでなくとも、他の田んぼがぜんぶ稲刈りが終わっても、なお残るわが田が、それみたことかとぶっ倒されると、やはり恥ずかしいものです。いやまったく泣けます。

さて今年の田んぼ。なにとぞ冷夏になりませんように。瑞穂の神よ、やおろずの神々よ、頼みますぞ!

■写真 わが村の田んぼ風景。昔はこの川から水を田んぼにくみ上げていましたが、今は基盤整備をして右後ろに見えるコンクリートの小屋のポンプハウスからパイプラインで給水する仕組みとなりました。このせいもあって、あまり皆と時期をはずしての田植えはしにくいという事情があります。日本人の秩序意識にこの共同の田んぼの水管理が根っこにあるというのは、村に住むとヒシと実感できます。

2010年4月12日 (月)

春だからしたい、種と交配のお話

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村のそこここでは、路傍に川辺に菜の花やとう立ちしてしまった葉物野菜から菜の花が満開です。ちなみに写真はホンモノの菜の花です。

葉物野菜をとう立ちさせておくと花が咲き、インゲンのような莢が出来、黒く熟して弾けそうになれば種が採れます。晴天無風の日に、大きな青シートを拡げてバサバサと茎の根元を持って叩いて莢を落として、後はのんびりと余分なものを捨ててふるいかけていきます。ふるいを何度か通して自家採取の種となるわけです。瓶に詰めてシールを張っておきます。

菜種の場合は、油絞り屋さんに持ち込んで絞ってもらいます。前にこの菜種油製造実験をやったことがありました。そのうちお話しましょうね。結論だけ簡単に言うと、作るのは簡単、種だけに仕分けるのが大変。たぶん何かの選別機械があるんだろうなぁ。

さて、自家採取の種を採る時は畑の一角に同じ系統の他種の野菜を植えずにとう立ちをさせて種を採取します。

これまた言うのは簡単で、実際たいした技術がいるわけではないのですが、問題は異種交配しちゃうことです。たとえば、私の経験では、小松菜とたぶんコウタイサイかなにかがかかってしまって、薄紫色の小松菜というなんとも面妖な新野菜が出来てしまったことがありました。

この交配という神の業は、在来ミツバチ諸君やチョウ、時には風がせっせと交配にいそしんでいただけたおかげであります。種の拡大戦略というやつですな。花は一種のネオンサイン。こっちゃ来い、おいしい密や花粉があるでヨー(←なぜか名古屋産)と誘っているわけです。夜の蝶ならぬ、昼のハタラキバチ。

ですから、自家採種をする場合には、専門の種会社では、離れ小島とか、四方にまったく畑のない専門農場ですると聞いたことがあります。私たちでも原理は一緒で、今年はこの種を残すと決めたら、私はこの一種のみとしています。別の品種は離れた場所でやります。

ただ、現在の野菜の種はF1といってハイブリッド種のカクテル品種ですから、次代になると形質が分解してバラけていろいろな種が出てきます。おや、あんたの中にはこんな形質が眠ってたのねってもんです。

それらをできるだけ原種に近く戻すためには、そこからもう何世代もかけて、原種に近いものを選抜してそれを残し、また翌年出来たものから選抜し・・・ということを繰り返していきます。これを戻し交配といいますが、まぁ、けっこう気が長い仕事で、5、6代で終わればいいかなといった根気が勝負の仕事となります。

私たち農家が、特に化学農薬を使わないで栽培している有機農家が原種にこだわりたがるのは、在来種のほうが耐病性が高いからです。いじりまくられて生産性がいい消費者受けする品種はどうもひ弱なものが多いのです。

在来種の保存運動はもうかなり前から始められており、先に言った戻し交配ではなく、生産者同士で交換した在来種の種を自家採種する場合がほとんどです。

というのも、苦労して原種に戻したからといって、消費者の口にあうとは限らないわけで、むしろいじりまくって、原種から魔改造をしたコマーシャルな野菜のほうが好評てなことはザラにあります。

たとえば、その典型がトウモロコシです。原種のトウモロコシは中南米原産ですが、日本人のように茹でて食べるということはしません。よく干してから、石灰を入れ水煮をして、あく抜きをしなければなりません。それを石のセンタク板みたいなものですり潰して粉にしてから、パン生地にしたのがメキシコのトルティーヤです。

わが日本では、例によってガラパゴス的発展をとげて、今や砂糖キビのような大甘の品種まで作り出される始末。当然柔らかいものが好まれて、生食可などと、インディオが聞いたらのけぞるようなものさえあります。
ちなみに原種の中南米トウモロコシは、ハードボイルドなまでに甘さなどこれっぽっちもありません。色も黒あり、茶色あり、大小ありで、まぁ、日本のトウモロコシとは、別な品種と割り切ったほうがいいのかもしれません。

そんな人間サマまの思いを知ってか知らずか(知るわきゃないが)、在来ミツバチは今日もアッチの花粉をコッチに、コッチをアッチへとぶんぶん飛び回っております。

■写真 菜種とニホンミツバチのコラボ風景。ミツバチの羽はその超高速羽ばたきによって空中停止も可能というすぐれものです。
ちなみにセイヨウミツバチは、屋外に天然の巣を作ることが出来ず、越冬ができません。ですから、セイヨウミツバチは、飼育されても、日本の自然界では拡大できないわけです。外来種による自然生態系攪乱がみられない例です。

2009年12月24日 (木)

野鳥とともに作るレンコン第2回

017_edited1 今、Yさんが握っているウォータージェットの筒先には約5キロの圧力がかかっています。出荷の繁忙期の今は時々この倍の10キロをかけるそうです。

筒先をにぎってた手がカチカチに凍ってホースから指が離れなくなるような時もあるそうです。

彼は消防団の経験もあるのですが、10キロとは、消防のホースと変わらないんじゃないかなと苦笑。仕事に消防団が役だっているのは、オレくらいだね、と大笑い。

007_edited1_2 親父の時代にはこんなウェータージェットなんかなかったので、大変だったそうです。これになってから、レンコンの傷つきやすい肌が守れて大進歩だったそうです。昔は鍬の一種で掘っていたので、どうしても肌に傷がついたそうです。商品化率は大きく上がったのだそうです。

着ているのはレンコンやセリ用の農業ウェットスーツです。霞ヶ浦の漁師さんも冬の漁には着ることもあるそうです。あんがい温かいもんよ、漁師さんのほうが田んぼに漬かっていないぶん大変でしょう、とYさん。

この時期の田んぼは、朝など薄氷をパリパリ割って田んぼに漬かるのだそうです。しっかり朝飯喰っておかねぇと冷えてしかたがないのだとか。
やはりベテランの彼でも、小雨まじりで風が強い朝は、寝ていたいなと思うとか。鉄人もやはり人の子であったのだよ。

オレのほうはホース握ったり、田んぼを動き回っているからあんがい汗かくけど、しんどいのはあいつのほうじゃねぇかと、田んぼの淵で寒風に吹かれながらシコシコと選別作業をしているスタッフの方を指さしました。
余談ですが、下の写真のスタッフの後ろにある赤いものが、舟といって掘ったレンコンを乗せて運ぶものです。

002_edited1 彼は、芽を摘んだり、良くない形のものを選別しています。持って帰って納屋でやりゃいいじゃないですか、と言うと、掘り出したのを、ここでどんどんやっていかないと、溜まってしまうのだそうです。

この第1次選別の段階で2割、そして品作りの段階でまた1割、都合3割は規格外として捨てなければならないと言っていました。

というのはこれは1次選別にすぎず、これを持って帰って、本格的な品づくりにするのです。そのときにはおっかあ、おばぁまで出てやるそうで、その時にはYさんは出番がないそうです。このような、いいものなのに市場の規格で出荷できなかった農産物を無駄にしない場所としても、私たちのグループの直販所はあるのです。

今が盛りのレンコン出荷、田んぼから掘り起こして第1次選別をかけたものをせっせと農場の納屋で待っている女性軍団に渡し、またとって返して堀り続け、夜の遅くまで品作りを家族総出でするそうです。

2009年12月23日 (水)

野鳥とともに作るレンコン

020 田んぼの粘土が美しいレンコンを生む秘密です

Yさんのレンコン田んぼは国道から入った谷津(やつ)にあります。ああ、そうでした。谷津というのはわかりますか?里山の森の下に沿うようにしてある田んぼのことです。

谷津の田んぼだから谷津田(やつだ)と言います。このような田んぼは私たちの住む北浦ではよくみられます。森からの豊かなミネラル分が豊かな地下水として田んぼを潤すので美味しい米やレンコン、セリなどを収穫することができます。しかし、その一方、狭い地形が多く、日照に制限がある上、作業性が悪いのでだんだん手が入らなくなりつつあります。

Yさんの田んぼの土の特徴は家屋の壁土にできるような柔らかい美しい粘土です。このような粘土は鉄分が少ないので、レンコンが汚い茶色になりません。また、土が柔らかいのできれいな丸い形になります。レンコンにもっとも適した土地で作るYさんのレンコンは、「漂白しているんじゃないか」と心ないことを言われたこともあるほど美しい陶磁器のような肌の乳白色をしています。

野鳥は正直、困り者だが、来ないような田んぼはもっと困る

 さて、私たち有機栽培の田んぼを訪問された人が皆、驚くことがひとつあります。それは有機栽培の田んぼがもっている生き物の多さです。まず、ツバメは虫を食べに来る常連さんです。

そういえば、いつの年でしたか、除草のためにコイを入れたら村中のサギがわらわらと集合し、わずか3日で私たちが投入した除草軍団300匹ものコイをペロリとたいらげてくれましたっけね。マガモのつがいもよく訪れました。マガモは苗をふみつぶして頂ける、殴ってやりたいほど可愛いヤツです。

有機農業の大親友であるクモ類(*コナガやカメムシなどの害虫をモリモリ食べてくれます)の種類の多さも有機の田んぼでしか見られない風景です。クモはいいのですが、お子さんが喜ぶザリガニなど、田んぼの壁の部分である畔(くろ)に穴をあけて漏水の原因を作ってくれます。

特にレンコン栽培では、レンコンの地下茎と地下茎の間から出る芽が野鳥の好物であるために大きな被害をうけるそうです。そこでYさんなどの有機農業者は細いテープを田んぼの縦横に張って野鳥の害から田んぼを守っているのです。それでも賢い野鳥は、張ってないとなりの田んぼから歩いてくぐり抜けてくるとのことでした。

(続く)

2009年11月22日 (日)

究極の玉子かけご飯

012_edited1 上の写真は、うちのグループがフェスタ・、オルガニカ用に作ったかまどです。
今年の祭には私は関わらなかったのですが、若いスタッフたちが何でおもてなしがいちばん素敵かと議論して、「究極の玉子かけご飯」となったと聞きました。

「究極の玉子かけご飯」。よく私たちにも消費者から「何が玉子のいちばんおいしい食べ方でしょう?」と聞かれることがあります。私、躊躇ためらいもなく、玉子かけご飯ですね、と答えるでしょう。

手はかけない、しかし素材の味がキッチリわかってしまうとなれば、こりゃ玉子かけご飯しかないですよ。
あるいはそうだな、半熟のゆで卵をスプーンで掬ってハフハフ言いながら食べるのもいいですね。時間は沸騰したお湯に入れて7分で黄身が半熟、外はやや固いていどかですか。もっと半熟がいいなら、5分~6分。タイマーでちゃんと計ってね。
004_edited1 ともかくいじりまわさない。余計な味をつけない。玉子とご飯と醤油、あるいは塩一本で勝負。ストイックだねぇ!
ただし、よくある市販のたまごかけご飯用醤油なるものはおやめになるほうが無難です。甘ったるくて味の素くさくて、かえって素材を殺します

このシンプルな食べたかは全国共通なようで、前に同業者で酒飲みながら、この話題になったら、やっぱり皆声をば揃えて、「決まっているだろう。玉子かけご飯だよ!」と言っていましたっけ。

バターご飯。パターをひとかけホカホカごはんに置いて、ひとたらしのお醤油。これもうんまい!おーと、もうひとつあった。トキワの石沢さんは目玉焼きのターンオーバーなんて言ってましたっけ。目玉焼きをひっくり返して、頃合いを見てスプーンで黄身をしゃくうんだそうです。これもなかなか。


ともかく、プロフェショナル(←クイクイと胸を張る)の食べ方は、素材に自信があるので、すこぶるシンプルなのです。というのは、生産者は毎日、自分の農場の品質をベロメーターで計っているところがあって、余分な味を使うとわけわからなくなってしまうでしょう。

で、究極の「玉子かけご飯」ですが、うちのグループの田んぼで作った有機栽培の新米を天日干しにしました。天日干しにすると、石油で一気に火力乾燥させるより、心持ちしっとりと乾燥します。そしてなによりお天道様のビタミンDと滋養をたんと芯まで吸い込むのです。


これを贅沢にも、かまどで薪で炊いてしまう。当然水はわが村の自然水。あんがい、うちの村の水はクセがなくておいしいのです。
これでまずかったらウソ。もうこれだけで自己完結するよなぁ。

008_edited1 カマドにお釜というのもスゴイんですよ。電器がまはそうとうによくなってきてはいても、あの薪の強火が出ないのです。お釜の厚い鉄で、分厚い5、6センチはあろうかというぶ厚い木の蓋で圧力をかけるようにして一気に炊く!

この手作りのかまどは、昨年私たちの村にやって来て、今うちの直販所の責任者をしていただいている老練のログビルダーさんが作ってくれました。
木の屋根もついていて、横には食事の合図を、カンカンと知らせるアンティークの重厚な鐘まで付いています。

そしてこの究極の新米に、ガッチリ拮抗するは、私たち平飼生産者自慢の文字通りその朝採れた玉子。

ポンと割ると黄身がもっこり、白身も黄身を持ち上げています。殻はあくまでも堅く、美しい茶色。

これをホカホカのご飯の先をちょっとだけ崩して、割り入れます。そして、これまた有機栽培の大豆と自然塩と麹だけで、おまけに木の樽で仕込んだ醤油をひとたらし。

今回はこのかまどでのご飯炊きを消費者のみなさんに作ってもらいました。パパが懸命に火を起こす。子供が吹く。グツグツ釜が煮えてくる。さぁ火を落として蒸らすんです。皆、この初体験を面白そうにやっていましたっけ。

ただひとつの心残りは、お焦げがうまく出来なかったのです。最後にむりむり作ってようやくお焦げが出来てホッとしました。

あ~、書きながらよだれが湧いてきました。今日は玉子かけご飯にしようかな。

■「フェスタ・オルガニカ」とはオルガニカはスペイン語で有機のこと。つまり有機農業の祭ていどの意味です。初代実行委員長であらせられた私が、キューバ帰りの熱気で命名してしまい、今でも舌を噛むと不評です。反省。

2009年10月13日 (火)

農業は金では計れない

Img_0009_2 実は私、恥ずかしながら大学でマルクス経済学の学徒でした。宇野学派です。大内力先生の流れの中山弘正先生に師事しておりました。

ゼミで資本論三篇を読み通したというのが、ボンクラ学生時代の唯一の自慢です。ただし、今は情けないことにほとんど覚えておりませんが。
また先生の専門が社会主義農業経済学でしたので、社会主義各国の農業の実態を勉強しました。


で、実際自分が農民になって25年たったわけですが、そうとうにそこから離れたところに今、私はおります。
それは農業という私の家業が、なにやらわけのわからない存在だからです。農家はマルクス経済学でいうところの「労働者であり農業経営者であり土地を持つ農業資本家」と言えないこともありませんが、そのようなマル経的な概念既定にぴったし当てはまるのかどうなのか、深く疑問に思うようになっています。

「資本家」とか「労働者」という概念既定自体が、私は農業の「外」から来た概念ではないかと思っています。そのような単純な、あるいは単線的な生産-消費プロセスとは別な次元に農業はあるのではないでしょうか。
ですから、アメリカ農業は、私からいわせれば、単なる穀物生産工業であって、工業の延長であり、とても農業には見えません。

たぶん農業ってもっと複雑なナンカなのです。

日本の農業のありようは、環境を創造し、保全し、再生し、おこぼれを頂戴して生活を立てている仕事だと思っています。単に経済、言い換えれば金だけで測れないのです。

具体的に言ったほうがいいでしょうね。例えば、田まわりをするとします。純粋に経済学の範疇で考えれば、田まわりを減らせば経済効率が上がることになります。近経(近代経済学・もはや死語)で言えば、生産コストのうち労働コストが低減することにより、製造物コストが押し下げられます。そのことによって商品はより安価になり、市場競争力を持つわけです。
コストをかけるな、ひたすら安くしろ、これが経済の永遠の鉄則です。お前、何やってんだよ、下請けのコストを叩くのが仕事でしょう、というわけですね。 この伝でいえば、田まわりなんぞ止めてしまったほうがいいわけです。実際、経済同友会あたりが考える米作りですと、パイプラインと同調した水位センサーによるコントロールということになるわけでしょうね。

一方マル経においては、価値は労働力の中からのみ生じるということになっていますから、田まわりをすればするほど、汗をかく、労働時間はかかる、そこで剰余価値は上がります。ただし、そのことによって商品の価格も上がり、市場競争力は下がるでしょう。笑い話で、旧ソ連のコンピュータは重量が重いほうが価値があったそうです。なぜなら、それだけ剰余価値が多く含まれるから(笑)。 それはともかく、市場競争力を落さないためには、余計な労働をしないか、したらその分の労働力の再生産(←要するに食うためですな)のために賃金を上げろ、戦うぞ、オーっ!ということになります。雇用-被雇用関係から逃れられないんです。

ガサツな言い方で恐縮すが、入り口こそ違いますが、マルクス経済学も近代経済学も、農業を経済効率という単一の絶対的尺度でしかとらえられないとしたら、同じ穴のムジナなんです。

田まわりを減らせば、てきめんに水管理がおろそかになります。うっかり田んぼの堰が詰まっていたりして水位が下がったりすれば、ドエライことになります。干上がるわけです。活着した稲のみならず、そこに棲む多くの生きものが死にます。
あるいは、近経が教える労働コストの削減をするために、田んぼの雑草や畦の草をアイガモや刈り払い機で切ったりしていたものを、除草剤をパッと振る。一回で作業は終了しますが、それによって、畦の生物相や植物相は壊滅的な打撃を受けます。


コモリグモという、ウンカの天敵がいますが、こいつは人相は悪いがすばらしい田んぼの友です。多くのクモ類、あるいはカエルなどは害虫の天敵です。これらが多くいる田んぼこそが「いい田んぼ」の条件です。
では、このクモ類やカエル諸君は、経済学的にはなんという項目に入れたらいいのでしょうか?

確かに労働力コストはかかるが、こいつらと共に田んぼを維持していくことが、長い眼で見れば良好な田んぼが維持できるわけです。キザな言い方になりますが、私は中島紀一先生のおっしゃるように「農業は金では計れない」と思っています。ですから経済学は農業となじみません。

マルクス経済学には、「環境」というパートはありませんでした。なんせ19世紀の真ん中に出来た学問だからです。当時、環境は無限に収奪が可能だと思われていました。結果、このマルクス経済学を金科玉条にした社会主義農業は、ことごとく失敗に終わりました。
なぜでしょうか?社会主義うんぬんというイデオロギッシュな問題を置いて、大きくはふたつあります。

ひとつは、農民が単なる集団農場や共同農場の農業労働者になってしまったために働かなくなったからです。ブレジネフ体制の末期には、出来たジャガイモを、収穫する労働者は収穫だけ、どんなに倉庫で腐ろうとも生活ができる。そしてジャガイモを運ぶ労働者は運ぶだけ。ただ運べばいい。途中でイカレてもそれはわれ関せず。路線が止まったら、それは鉄道労働者の仕事。
かくて農場から都市に着く頃には、生産量の半分にも満たないわけです。ところが、地方のゴスプラン(経済計画局)は、畑の数字を中央ゴスプランに上げますから、すごくいい数字しか出ないわけですね(笑)。今の中国の最悪の製品は統計数字だそうです。と、まぁ社会主義と統計数字は相性が悪いようです。
しかも、生産物は私有財産の概念自体がないので、盗み放題。ブレジネフの自伝にも、恥ずかしげもなくコルホーズ時代のかっぱらいが楽しげに書かれています。


次に、環境です。環境についてマルクスは一言も言っていないので、外部環境は単なるゴミ捨て場か、開発を待つ未開地だけになりました。公害廃棄物は捨て放題、未開地は乱開発。旧東欧や、現在の中国の環境汚染のすさまじさは眼をおおうばかりです。市民団体が許されないだけ歯止めが効かない。
これを50年間もやれば、間違いなく確実に国が滅びます。

話しを戻しましょう。
農業は経済の言葉だけでは語れない。これが私の信念です。
日本の自然はただ漠然とあるのではなく、「作られた」自然です。誰が、何の為に?そう、百姓が、農業のために作った精緻な自然システムなのです。それは米を食うためであり、多くの換金作物を作るためでもありました。そのかぎりにおいては「経済」です。
ただし、経済であるだけではなく、自然と共にある、いやそのようなニュアンスでは当たらないな・・・そう「育てて守る経済行為」なのです。
それを私たち後世の者は、美しい景観だと感じるのではないでしょうか。

この景観、あるいは風景は農業や林業が作ったのです。だから、尊いのです。それが「価値」です。そしてめげずに、いやめげながらも維持しています。だから、たまには言ってほしいと思います、あんたら、農業もちょっとエライと。

2009年10月 9日 (金)

ありんくりん先生のオーガニック・スクール その5  どうして化学肥料や農薬を使うの?

Img_0058_edited Q9 化学肥料ではダメなんですか?

A9 化学肥料は微生物の餌にはならない。

今の日本ではほとんどが化学肥料に頼った農業をしている。先生のグループみたいなそれに頼らない(有機農法って言うんだけど)方法はごく一部だ。化学肥料は大部分が石油からできている。自動車の油を作った副産物からだね。だからいっぱいあって安い。お百姓さんは喜んで使った。

植物は有機質をいったん無機質に変えてから吸収するので、化学肥料だけでも生育することはします。
でも、「作物を作る」っていうことは、単に植物を育てるということだけじゃない。土というのは単なる作物を支えている土台じゃなくて、作物も含めて土全体をみていかなくちゃならない。土あっての作物だからね。言ってみれば、土というお母さんの懐で眠る赤ちゃんが、野菜なんだよ。

そのお母さんである土にとって、いちばん大事なご飯はなんだろう。ハイ、うんちょ?虫の死んだの?葉っぱの腐ったの?君の30点の算数テスト?
うん、いいぞ。それらが皆んな大事な栄養となって、お母さんの土になっていくんだったね。

Img_0028_edited 微生物はこのうんちょや虫の死骸、葉っぱの腐ったものなんかを自分のご飯にして土を富ましてくれる。だから、微生物という友達がいないといい土にならないんだ。微生物にとって無機質は餌にはならない(ただしミネラルも無機質だが、これは吸収します)。

化学肥料は、土全体の働きで作物を育てるんじゃなくて、作物だけに必要な栄養だけをやる作りになっている。チッソは大きくなる成長栄養、リンサンは実をつけるために必要な栄養というふうにね。

Q10 じゃあ農薬はなぜかけるんでしょうか?危ないってわかっているのに?

A10 土が弱くなったので、作物がひ弱ですぐに病気にかかるからです。

だって楽だもん。人手が足りないもん。野菜の値段ずっと安いもん。
化学肥料だけでも育つことは育つ。だから、お百姓さんは、メンドーな堆肥を作ったりすることを止めて、袋入りの化学肥料をパラパラふってオシマイにするようになってしまった。

堆肥作りというのはとても大変な手間がかかるんだ。昔は山の落ち葉を集めていたりしたが、今はなかなかそこまでできない(だから山が荒れたんだがね。哀しい連鎖だ)、そこで木屑、もみがら、米ヌカ、家畜のうんちょやオシッコ、骨粉、カキガラなんかを混ぜて、水をかけて微生物の力を借りて、切り返しながら待つこと半年。これでいい堆肥ができる。

この仕事は機械化された今でも大変な手間がかかるし、堆肥を寝かせておく場所もいるんで、今のお百姓さんは、いいことはわかっていてもなかなかしなくなってしまった。お百姓さん自身が歳とったせいもあるんだよ。60過ぎで堆肥作りは、作るのも大変だが、それを畑に撒くのもひと苦労。

こうして日本の畑から堆肥が消えると、その堆肥にたっぷりと含まれていた微生物とその餌が同時に消えていってしまった。するとどうなっただろう?お母さんの土が弱くなっていったために、その子供である作物もひ弱になっていっちゃたんだ。

そうなると病気でまくり。白菜は昨日のような嵐が来ると、根が張っていないので、すぐにコロコロこける。雨の後にくわっと温度が上がるとレタスなんかはすぐに芯から腐さる。きゅうりは真っ白にかびのようてものが生えて腐る。しかたがないので、シュワッチと農薬をかける。

Img_0033_edited 虫がついてほうれんそうに穴があくと、消費者が買ってくれないので、殺虫剤をかける。大根に虫食いがあると買いたたかれるんで、土中燻蒸剤という毒ガスを土の中に散布する。だから、農薬がこんなに使われるというのは、町の消費者の過剰なきれい好きにもあるんだよ。虫がすこしくらい食っていてもなんちゃことないだろう。とって食べればいいだけだ。

虫と言っても、害虫を食べるいい虫も大勢いるんだけど、それも一緒にミナゴロシだから、天敵となるいい虫も死んでしまう。ところが、ミナゴロシをした後に復活するのは、な~んと害虫軍団のほうだ。悪党はしぶとい。けど、いい虫さんは農薬ズレしていないもんでね。

すると、殺虫剤を散布した後に、復活してくるのは害虫軍団だけ。そしてこのようなミナゴロシの中で、仮に100匹死んでも、1匹生き残ると、そいつに耐性が生れてしまう。つまり、害虫がいっそう強くなる一方だ。これじゃあ、農薬は濃度を濃くせねばならないし、金はかさむし、第一人体にも危険だ。 中国では、ホウレンソウにシロアリ駆除剤を撒いていたことがわかったが、既に香港ではそれを食べた死者まででる騒ぎとなった。中国は農薬が事実上野放し状態なので、工場の排水なんかもあって、水や土の汚染は取り返しがつかないところまで進んでしまっている。 水俣病やイタイイタイ病などがものすごい数出ていると思う。中国の農家のことを考えると、胸が痛む。おうちに帰ったら、お母さんに中国産の食品は、安くてもゼッタイに買わないでね、って言っておいてね。

さて、それだけじゃなくて、害虫のほうもあんまりしつこくやられると、こりゃヤバイ、もっと子孫を作っておこうとして産卵率を上げていく。これではいくら農薬をかけても永遠にイタチゴッコだね。 そこで、思い出したのが、リトルフレンド・微生物だったんだ。今、モーレツに微生物が見直されて研究も進んできているのはうれしい。

というわけで、いくら農薬をかけても害虫はなくならないとわかってきたんだ。今、その反省から、すこしでも農薬を減らして、堆肥を入れて土を富ましていこう、やがては完全に化学肥料や化学農薬に頼らない有機農業になっていこうという努力が始まってきたというわけだ。

 

2009年10月 8日 (木)

ありんくりん先生のオーガニック・スクール          岩はどうして土になったのか?

Img_0056_edited_edited_2 Q7 じゃあ、そのままでは植物が育つ土にならないんですか?

A7 ならない。微生物が働いて生命が生まれるんだ

これで土ができたとおもったら大間違い。太陽がさんさんとさし、水がたっぷりとあり、そして岩が水に溶けだしてできるミネラルがあってはじめて微生物がレッツラゴーとなる。

先生はうら山の土をとってきてある実験をしたことがあった。うら山から前回のQ5でも言った世界一の土である山の腐葉土をバケツにひとつとってきた。これを米ぬかに混ぜて、のこくず(ノコギリで板をひいたクズだ)をちょっと混ぜて水を入れてかき回す。手でつかんでまとまって、はなすとハラリとくだけるていどかな。これを麻袋に入れてそのままにしておいた。

翌日、なんもなし。翌々日、なんの変化もな~い。そのつぎの日ダメ。あ~こりゃだめかと思った5日めかな朝に行ってみるとなんかいい匂いがするじゃないか。まるで焼きたてのパンのような(ちょっとちがうかな)、味噌をつくる麹(こうじ)のような。そして熱がでている。これが発酵熱だ!キミもご飯を食べるとなんかポッポするだろう。あれと一緒で、発酵とは微生物が適当な水分(雨のかわりかな)、光や熱(つまり太陽だね)の条件があって、「オレは生きてくぞぉ!」という熱になったということだ

普通は買ってきた菌でやるが、裏山の腐葉土からもできるんだ。このバケツに入った森の土には無数の微生物がいて、彼らが目を覚ましたんだ。そして熱心に動き始めた。

そして先生はこれをヒョロヒョロの草しかでなかった場所にすきこんでやった。これをなんども繰り返して、たまにニワトリのよく乾燥したウンチョなども入れてやった。そして野菜の種をまいてみた。

よくできたぞぉ!りっばな大根や小松菜ができた。わかったかな、岩が砕けただけの土ではなにもできない。それが太陽の熱と光を受けて、雨水の湿気が加わり、大好きなミネラル分や葉っぱや糞などの養分があると微生物は働き出す。そして死んだ土から生きている土にかわるんだ。

今、君たちが走り回る土も地球という惑星、無数にある広大無辺の銀河系第3肢太陽系第3惑星が約40数億年かけて作ってきた土なんだ。ただし、壊すのは一瞬だけど。

Q8 土が壊れるのはあっという間なんですか?

A8 そう、あっという間だ。短くて5年。砂漠にするには50年でいい。

森の土はいつ行っても豊かだ。惚れ惚れとする腐葉土が、いつでもかぐわしい香りを空気にただよわせているね。これはいつでも葉っぱや動物、昆虫などが分解して土に養分を与えているからだ。ここまではいいね。

じゃあ、今、ボクら日本の畑はどうかっていうと。畑の上には樹はない。トラクターをかけたるのにジャマだから切ってしまった。トラクターをかける畑にも草は生えていない。これは除草剤などで枯らしてしまったからだ。野うさぎが畑を駆け抜けて、たまにウンチョをしてもそんな量はしれている。

土の下を見てみよう。ほとんどの微生物が死んでしまっている。なぜだろう?微生物を殺す土中燻蒸剤毒(どちゅうくんじょうざい・気化したガス状の毒物のこと)をまくからだ。これの毒をまかれるとたいがいの生き物は死んでしまう。ましてちいさな働き者のリトルフレンドなどあっという間だ。こんなことをやっていると約5年で土はダメになり、50年やり続けると砂漠になってしまうという。

もう皆んなもわかると思うけど、微生物がいない土に作物を植えてもちゃんと育つはずがないだろう。それでも昔は牛や豚の糞をワラに混ぜて寝かせてから、土に戻したりした。今はそんなカッタルイことはせずに、お金で化学肥料というものを買ってくるだけだ。これでうまくいったら豚が木に登る。

2009年10月 7日 (水)

ありんくりん先生のオーガニック・スクール 第3回          土はどこから生れたのですか?

Img_0052_edited Q5 じゃあ、森にはたくさんの微生物がいるんですか?

A5 そう、森は微生物の宝庫だ。

キミといっしょに森に行きたいな。歩くと靴が埋まるようなかんじがするだろう。みなフカフカして、これは毎年の落葉が腐って(誰のおかげだぁ?微生物!よくできました)できる腐葉土だ。森全体が発酵槽のようになっていて、土と水と酸素を製造しているま最中だ。ほら、手にとって土をかいでごらん。甘くてなんともいえないいい香りだろう。これが腐葉土という世界最高の土の香りだからよく覚えておいてほしい。この土と水と酸素という生きるための三大要素が全部あるから、ボクたち人間は森をいとおしく思うんだろうね。

この森の土の生物調査をした学者がいる。1㎡、深さ40㌢に生息する生き物は、ミミズだけで360匹、2㌢未満から0.02㍉までの微生物が330万匹だって。更に微細な微生物は1㌘、つまり納豆一粒の大きさに3億から4億の微生物がいるらしい。えらいこっちゃ。

Q6 土はどこから生まれたのですか?

A6 山の岩石が水によって削れて溶けだしてできました。

今戦争をしているイラクやアフガニスタンの写真を見ると、ゴツゴツした岩山がたくさんあるだろう。ああいった土がないはげ山は世界中にいくらでもあるんだ。そんなところでは農業はとってもむずかしい。先生もパキスタンの奥に行ったことがあったけど、そこも畑を作れる土地は谷底の川のまわりだけだった。キミと同じくらいの歳の子供が大きな水を汲んだ桶をもって畑に水をやっていた。何百メートルもある川から小さな顔を汗だらけにして、うんしょうんしょと運ぶ。学校にも行けないんだ。

この子たちにとって学校こそが夢だ。同じ年頃の友だちと学んだり、ひとり一冊の教科書をもつこと、校庭でサッカーをすること、それが夢だって言ってた。このささやかな夢を聞いて先生は、鼻の奥が熱くなった。

キミらは学校なんか行けてあたりまえだ、親から押しつけられているなんて考えているかもしれないけど、そうなのかな?心のどこか片隅にでもいいから、イラクやアフガンの子供たちのことを置いておいてほしい。あの子たちに平和に勉強やサッカーができる日がくるといいね。

さて、土の話だ。そんな岩山が雨の水や川の水で削れて長い間かかって砕かれた小さな岩になる。そしてちょっとずつ溶けだしていったものが土だ。でもまだ、この土は生き物が住めないんだ。ほんとうに生き物がぐんぐん育つ土になるにはもうしばらくかかるんだ。

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