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2017年3月27日 (月)

翁長知事、「次の一手」 その1 岩礁破砕許可問題

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今回初めての企画として、沖縄県宮古島在住のHN「山路敬介」氏より寄稿を頂戴しました。 

山路氏は、私が知る沖縄の論客の中のホープのような方で、常々ご教示頂くことばかりでした。 

ならばいっそう、山路氏に記事紙面を提供してしまおうと思い立ったわけです。 

私のかねてからの夢は、沖縄における言論プラットフォームを作ることでした。 

沖縄の極端に閉ざされた言論空間は、2紙がある限り揺らぐことはありません。 

すこしでも風通しがいい「異論」を語る場が必要です。 

幸い、拙ブログに来訪される沖縄の方は皆すぐれた論客揃いです。

また県外の方にも是非奮って投稿願えれば幸いです。 

なお、掲載にあたっての責任はブログ管理人の私にあります。

文章についてのご質問は、山路氏にコメント欄でお尋ねください。

                                   ブログ主敬白 

■追記
政府、辺野古阻止の権限乱用で沖縄・翁長雄志知事個人に
損害賠償検討http://wwwsankei.com/politics/news/170327/plt1703270011-n1.html

政府が、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古移設で、同県の翁長雄志(おながたけし)知事が移設を阻止するため知事権限を乱用すれば翁長氏個人に損害賠償請求を行う検討に入ったことが26日、分かった。権限乱用で工事が中断した損害額を算出し、個人資産で賠償を求める。移設阻止に向け本来の目的とは異なる形で権限を行使すれば違法として、国家賠償法に基づき手続きを進める方針だ。(略)
国家賠償法上の公権力の違法な行使と認定される公算も大きい。国家賠償法では、公務員が違法に他人に損害を与えれば国や地方自治体が賠償責任を負い、公務員に故意や重大な過失があれば国などは公務員に賠償を求めることができる。(以下略)

              ~~~~~~~~~

Photo_3http://nankai-c.jp/2015/09/28-111441.php

翁長知事、「次の一手」と沖縄二紙 
                                   山路敬介                                                                      

 

辺野古埋め立て許可に付随する、今日の「岩礁破砕許可問題」発生まで 

昨年12月の最高裁判決で、沖縄県のした「埋め立て承認取り消し処分」は違法となり、翁長知事は同処分を国の代執行による事なく、判決を容れて自から取り消しました。 

それでありながら先の高裁和解条項を遵守せず、不実にも和解の精神を独特の曲解から些かも省みることなく、なお「あらゆる手段をもって、辺野古新基地建設を阻止する」と公言して憚らない傲慢な態度をとり続けて来ました。 

この事に関して「オール沖縄」内部の革新左派(特に運動に直接関わる人たち)の間では、素直に判決に応じて「承認の取り消しの取り消し」を行うばかりか、続いてすぐに「承認の撤回」に踏み切らない知事の態度に疑念をいだき、その本心を危ぶむ声が高じておりました。  

いわく、「次の知事選では独自候補を候補を擁立すべき」、「知事は、裏で政府と連絡が行き届いており、つまりは出来レースなのだ」との声、「どだい保守から来た人間は信頼がおけるものではない」との意見が現場では喧しいものでした。 

しかし、今回勃発した「岩礁破砕許可」をめぐる一連の騒動でこれらの最左派の疑念とするところは杞憂であり、彼らが願うとおりの「翁長知事」に回帰した事にまずは彼らに満足の行く状態になりました。 

そして(これを書いている3月25日)今日、初めて翁長知事本人が辺野古移設反対現場へと赴くはずです。  

これで知事の考えている今後の「闘争」の骨格がハッキリして来たと言えます。 

私見を混じえますが、この事ついて予想し少々論じる事を本記事の目的としたいと思います。 

うち続く首長選挙での「オール沖縄」の敗退は深刻で、次のうるま市長選でも保守系陣営が島袋現市長に候補者一本化を成功、「オール沖縄」の敗北はまたもや濃厚です。 

㈱照正組の照屋氏に副知事就任を打診するも断られ、今や革新の総本山の沖国大・元学長の富川氏を副知事に迎えざるを得ない事にも象徴的に「オール沖縄」内の保守離れ(あるいは、保守追い出し)は加速していると見えます。

全体として縮小傾向著しい「オール沖縄」ですが、その事が内部構成にみる勢力バランスの変化を生み、翁長知事就任当時にくらべ相当の変質をもたらしたものと考えます。

これからさらに翁長知事は、二紙や運動体に接着する以外生きる道はなく、それらが提示する方向での県政運営に舵を取られる事になるものと危ぶまれます。

Photo_2http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/16730

■「辺野古工事」と「那覇空港第二滑走路工事」

予兆は確かにありました。

先の完全敗北した最高裁判決後の記者会見で翁長知事は、「(訴訟から)得たものもいくつかある。そのひとつは知事の裁量権の大きさだ」と言いました。

遅くともこの時点で既に「次の一手」を画していた発言と思われ、それゆえこの3月末で期限の切れる「岩礁破砕許可更新」が山場になるだろう、と予測する人は多かったと思います。

この「予兆」が確かなものとして顕在化したのは、辺野古とはまったく関係のない「那覇空港第二滑走路建設工事」においてでした。

知事は県民にとって大切な那覇空港整備工事において、工事に付随する「岩礁破砕許可更新申請」に対し速やかに応じるどころか、恣意的な県の権限行使を通じ、工事をストップさせる事態に陥らせました。

通常は徴求される事はありえない「追加資料」と「記載事項を修正した書類」を、(一度にではなく、時間をかけて順々と!)事業者である内閣府などに求めたのです。

その理由もイカサマで、「更新ではなく、新たな申請だ」からという道理の通らないものでした。

そのため通常の新規申請ですら一週間ほどで下ろされる許可が、40日もいたずらに経過してしまい、今や平成32年3月末の供用開始が危ぶまれる事態となりました。

かつて県の強い要望により国側は苦心惨憺しながら工期を大幅に短縮した経緯もあり、身内の沖縄総合事務所の開発部長あたりからも批判の声が出ました。

こうした県の措置は明らかに知事裁量権の濫用であり、なにしろ県民の利便性や県経済の発展に資する第二滑走路工事を止めたのですから、(例によって二紙には、この事に関する知事への批判的な論調は皆無でしたが)さすがに県内外からの反発は大きなもので、そのため、それでも何とか40日間で事なきを得ました。

この一見、馬鹿げて無意味な知事の行為の結果は、実は知事としてはまず満足のいくものであったと思われます。

この愚行の目的は、「第二滑走路」建設の為のものではなく、来るべき辺野古闘争を見据えた「岩礁破砕許可」という知事権限の行使により「工事を中断させる」前例を作る事、かねて「辺野古埋め立て許可訴訟」の際に高かった「第二滑走路」とのダブルスタンダード批判を解消するためのもので、よって知事の目途の半分以上は達成したものと思われます。

断言しますが、すべては「辺野古新基地建設阻止」のための、辺野古における「岩礁破砕許可更新」での訴訟の下準備(アリバイづくり)の為のものでした。

もっとも、私などが断言せずとも二紙はお抱えの「識者」の言として、こうした「内幕」を語らせておりましたが。

Photo_4http://www.sankei.com/west/photos/170325/wst170325...

辺野古工事に付随する「岩礁破砕許可」は更新の必要がない事

3月17日、18日の沖縄二紙は例によって「半狂乱」でした。

沖縄防衛局が15日午後、3月末で期限を迎える「岩礁破砕許可」に関して、「新たに許可申請する考えはない」と、文書で正式に県に通達したからです。

これでは「岩礁破砕許可」権限をつかい、工事を止め、政府を揺さぶる事も革新左派の欲望を満たす事もできません。

知事の目論見も完全に狂ってしまいます。

二紙には、「知事権限の無効化狙う」、「着手なら違法」、「県の抗戦 新局面」、「県、工事差し止め提訴へ」、「国、都合のいい法令解釈」など、いつもの通常運転で一方的見解を展開し、県民を扇動する見出しがおどりました。

防衛局の主張は、「全ての漁業権を放棄する手続きが終わったので、(工事区域は)漁業権の設定されている漁場にはあたらず、よって知事の許可は必要がなくなった」というもので、念を入れてこれに同法を所管する水産庁長官の「漁業権は消滅し、岩礁破砕などを行うために許可を受ける必要はない」との、お墨付きの文書を付して県側へ提出したのです。

そもそも「埋め立て」は知事の許可に基づいているもので、その工事をする場合には許可区域内の岩礁の破砕は当然に必須であるからして、「埋め立て承認」とともに県知事も「現象としての破砕」そのものは「承認済み」と解されます。

あらっぽく言えば「海域」の所有者は「国」なので、所有権がらみの権利関係の問題は最初から「埋め立て」には生じません。

しかしながら、従来から漁業をして生計を立てていた漁業者は海域に漁業権を有しており、この権利を整理しないと「埋め立て」は不可能なのです。

「岩礁破砕許可」を管轄するのは農水省である事からも分かるとおり、重要なこの「漁業者の権利」を保護するために念を入れて「埋め立て」と「岩礁破砕許可」を別途の承認・許可とし、その進捗を一定期間ごとに確認するのが「岩礁破砕許可更新」の趣旨です。

ご存知のとおり、防衛局は既にあまり関係のない西海岸の漁業者へも含めて、この権利の整理のために36億円もの補償金を支払っています。一人平均4,138万円です。

しかし、後述しますが、これだけではありません。

Photo_5国会質問する照屋寛徳氏(社民党) https://www.youtube.com/watch?v=G5QrIJTKc70

■照屋寛徳氏の国会質問と漁業権の完全消滅

3月16日、知事や沖縄二紙と常に密接で見事な連携プレーを見せている照屋寛徳氏が、この件について衆議院安全保障委員会で質疑を行いました。

防衛省の高橋整備局長は、上述の県への提出書類のように「もはや工事区域は漁業権の設定されている海域ではない」、「それゆえ、知事の許可は不要であり」、この見解は「水産庁に確認済み」との答弁を行いました。

そこで、照屋氏は「たとえ漁協が放棄しても、漁業権そのものは生きている。かかる理解にもとづいて那覇空港では岩礁破砕許可の更新申請をしたのではないか?」と、那覇空港整備工事を例にあげて「国の犯したダブルスタンダード」論で詰問します。

これに対して高橋局長は、「那覇空港では、漁業権は生きているとの理解にもとづいて申請をしたものである。しかし、辺野古においては漁業権消滅の法的手続きは終了しているので、許可は不要と判断した」と答弁しました。

実は、沖縄防衛局は名護漁協に36億円支払って漁業権放棄を実現した以降も、漁協と良い関係を続けており、昨年11月にさらに約6億円を拠出し、法的に通用する「完全かつ最終的な」漁業権放棄手続きの終了を実現しています。

この事は那覇空港の案件とは本質的にも法的にも違うし、この争いで県には全く勝目はありません。(県に全く勝ち目がないのは、省きますが、この事実ゆえだけではなく他に複数の理由があります)

また、照屋氏が主張する「たとえ漁協が放棄しても、漁業権そのものは生きている」との意味ですが、これは従来からの左派独特の理論であり、全国各地の埋め立て反対運動のなかで培われ唱えられてきた説でもあります。

「漁協以外にも潜在的な権利者はいる」とか、「漁業権所有者はいなくなっても、権利は残る」といった論は、良くも悪くも現在のところ法的に通用せず、問題にはなりません。

ですが今後、「承認取り消し問題」の時と同じように、翁長知事は訴訟の場で、またもやこういったリベラル左系特有の「通用しない理論」にすがり付く事になるのでしょう。

                                                 続く

                                           文責:山路敬介

2016年11月24日 (木)

沖縄防衛局作成資料 「違法かつ悪質な妨害活動の例」

沖縄防衛局が作成した資料をそのまま転載します。
クリックすると大きくなります。大きくしてご覧ください。

これに対しての琉球新報の報道
琉球新報http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-396868.html

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2

35これについてのコメントは受け付けていません。


2015年10月21日 (水)

普天間基地に居続けてもらわねば困る人たちの不思議な論理

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問題を整理しながら進めています。 

まず、この移転問題を考える上での、大前提を押えておきましょう。 それは普天間基地周辺の住民の安全性の確保です。

普天間基地をこのまま住宅密集地に置いておいてもいい、というならば、移転などという巨額の税金を使って、不便になる所にわざわざ移転する必要はないのです。 

実は移転しないというなら、やりようはあります。 

「クリアゾーンは米連邦航空法に基づいて米軍が作成した基準(AICUZ海軍作戦本部長指示)で設定されており、「事故の可能性が高く、土地利用に制限がある地域」(環境レビュー)です。
同基準の前提となった調査によれば、重大事故の75%は滑走路やその延長線上で発生。米国では居住や経済活動が全面的に禁止されています。
(略)
ところが宜野湾市の場合、07年時点でクリアゾーンに小学校や保育園・公民館などが18カ所、住宅約800戸が存在し、約3600人が居住しています」
(しんぶん赤旗2012年6月25日)
 

Photo_3(写真 以下赤旗によるキャプション「『環境レビュー』に明記された普天間基地のクリアゾーン(太枠)。米軍の基準によれば、滑走路の両端から幅約460㍍×長さ約900㍍×幅約700㍍の台形になっている。図は米軍資料を一部加工」) 

これはオスプレイ反対運動の旗振りをしていた中心人物であった、伊波洋一宜野湾市長がスッパ抜いたものです。 

赤旗の記事は、「危険機」オスプレイだから、米国がクリアゾーン(CRZ)を設けるように言っていたような口ぶりですが、もちろん違います。 どんな機種でも同じです。

クリアゾーンは、米国の航空安全基準に準拠したものにすぎません。 

問題をなにがなんでもオスプレイ配備反対に結びつけるから、わけがわからなくなるのです。 

オスプレイはむしろ安全な機体で、いままでの引退間際だったポンコツ寸前のCH53やCH46よりよほど安全です。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/20-e3fd.html 

それはさておき、クリアゾーンを純粋に航空機の安全対策として考えた場合、有効な手段には違いありません。 

というのは、航空機事故の発生確率が高いのは、離陸時と着陸時に集中するからです。 

ICAO (国際民間航空機関)の 統計では、離陸時が21.5%、着陸時が48.3%です。

このことから、離陸滑走開始後の3分間と着陸前の8分間を合わせた11分間を「魔の11分間」と呼んでいます。 

ですから、航空機事故の大部分は離発着直後に起きていて、滑走路両端の数キロに落ちています。 

ここにクリアゾーンつまり無人地帯を作ることは、安全上大変に有効な手段だといえます。 

ならば、さっさとクリアゾーンを行政が作ればいいじゃないか、という話です。 

米軍基地の安全基準を遵守しろと伊波市長か叫ぶのならば、逆に、宜野湾市や沖縄県がどうしてその移転工事を進めなかったのかが問われてしまいます。 

なぜなら、伊波氏は、米軍を責めているようですが、米軍には基地の外の人家を撤去することができるとでも思っているのでしょうか。 

あたりまえですが、それが出来るのは地方自治体です。沖縄県が、防衛施設庁に諮って、予算を取り付けた上で、施設庁と協力しながら実施するのが筋です。 

その場合、当該自治体の宜野湾市は、戸別に回って立ち退きの了解をとる矢面に立つことになります。

伊波さん、それを他人ごとみたいに言わないでくださいよ。 こういう「糾弾政治」をすることが首長の仕事なんでしょうか。

現実に、神奈川県ではこのクリアゾーンを、名称は違いますが実施しています。 

神奈川県は厚木基地の米軍機墜落事件によって、これまで11人の民間人が亡くなり、家族が巻き込まれたこともありました。 

そのために、基地周辺の地主が日本政府に対して土地の買い上げを求めた結果、政府も被害の重大性を認め、2度に渡って土地の買い上げを行っています。

その結果、滑走路から数キロに渡って無人地帯が設けられ、大和市、綾瀬市の基地周辺の262戸が1970年までに集団移転しています。  

ではなぜ、沖縄では厚木基地と同じようなクリアゾーンを設けなかったのでしょうか。 

理由は、沖縄独特の事情があったからです。 

その原因は、皮肉にも基地反対運動でした。

それが明らかになったのは普天間第2小学校移転問題の時です。この普天間2小は、反対運動の間では、いまも基地公害の象徴的な場所として、再三取り上げられます。

普天間第2小学校の位置を確認しておきます。基地のフェンスと隣接しています。信じがたい環境です。

Photo_4
次に普天間2小の校庭の写真をみます。

この写真ではまるで学校上空を飛行しているようですが、そういうわけではなく小学校は滑走路北側の延長から西北にはずれた位置にあります。

Futenma2es2
普天間2小が創立されたのは1969年で、普天間基地が出来てから24年目でした。ですから、学校は基地があることを知って建てられたのです。

2小という名前が示すように、児童数が急増して建てられたことは想像できます。

しかし、なぜこのような場所に児童が通う学校を建てたのか、理由はわかりません。

というのは、県道81号線には、後に返還されることになる西普天間住宅地域があって、そこに建てれば、少なくともクリアゾーンには入らなかったと思われるからです。

というわけで、ここに立てられた理由は分かりませんが、いまでもここにある理由はわかります。

1983年のこと、かねてから普天間2小の危険性を憂慮していた校長や安次富盛信宜野湾市長は、安全な場所への移設計画を立ち上げます。

市長は直接米軍と交渉し、今ある学校敷地から1キロ離れた米軍家族用地の8000坪を沖縄防衛施設庁などに仲介してもらって返還を約束させ、さらには移転費用30億円も、政府が負担するところまで話を進めました。

危険性が明瞭に存在し、それを除去しようとする行政の計画があり、そして土地と移転資金も手当てしたわけです。

ここまでお膳立てして、よもや反対されるとは、安次富氏は夢にも思わなかったはずです。

しかし、なんとここに横やりが入ります。自称「平和団体」の人たちです。

Photo_8写真はこの普天間2小とは関係ありません)

彼らの反対理由は、「移転することは、普天間の固定化につながる」というものでした。そして「身体を張ってでも阻止する」と息巻きました。

ああ、猛烈な既視感がありますね。

この人たちの論理は、あまりにもネジれているので箇条書きにでもしないと理解できません。 

①普天間第2小は危険だ
②危険なのは米軍基地があるからだ 

はい、ここまではそのとおりです。さて、ここからたぶんこの人達でなければ理解不能な、ハイパーロジック空間に突入します。注意してください。頭がグルグルしますよ。 

③小学校を移設すれば、それは普天間基地を固定化することにつながる(え、なんで?)
④移設せずに現状で改築すべきだ(航空機事故に耐えるような、分厚いコンクリートで校舎を固めますか?)
⑤普天間基地固定化阻止のために,普天間2小移転を阻止するぞ! (はいはい)

う~ん、なんか思いっきりネジれましたね。圧縮すれば、こういうことになります。

「子供の危険性は、基地撤去の日までそのままにしておけ!」

最優先されるべきなのは、子供たちの安全なはずですが、どうも違うようです。

そこはなぜかパスしてしまうくせに、運動ではさんざん「基地があるために子供たちがこんなに苦しんでいる」と叫び続けています。

子供が爆音に耐えて耳を押えている写真を使ったパンフを撒いておきながら、肝心な子供の安全と健康はほったらかしなのです。

これではまるで国会前の乳母車デモと一緒です。子供を人質にして、政治運動をしているにすぎません。

しかもこの後に、校舎が老朽化した折も移設話がでましたが、二度目も「平和団体」の反対運動に潰されています。

安次富氏はこう述べています。 

「反対派は基地の危険性を訴えていたのだから真っ先に移転を考えるべきだったが、基地と隣り合わせでもいいということだった」 

実はこの構図こそ、今の辺野古移設問題の原型なのてす。 

先の第2小「移設反対闘争」のケースと重ね合わせてみます。

①普天間基地は危険だから撤去すべきで、固定化は許さない

まぁ当然の要求です。問題はここからです。 

②辺野古に移設すれば、新しい米軍基地を作ることになる(「新基地」ではなく、シュアブの延長にすぎず、県全体では縮小になります)※この部分間違っていましたので訂正しました。
③だから移設に反対する(では代案はなんでしょう)
④普天間基地固定化は許さない (普天間の固定化しか選択肢が残りませんから、これで元に戻りました)

これでは、なんのことはない①から④までの永遠ループです。このような論理構造を循環論法と呼びます。

普天間2小が基地の真横にあっても移設に反対する。 普天間基地が市街地の真ん中にあっても、移設先の建設に反対する。

このクリアゾーンも、本気で伊波市長が実行する気なら、オスプレイ反対運動のプロパガンダなどに利用しないで、まじめにクリアゾーン撤去のための代替地と予算措置を講ずればいいだけなのです。

それをしないで、政治的プロパガンダにのみ興じるから、解決は永遠に遠いてしまいます。

そうならそうと、翁長氏や伊波氏は、はっきりこう言えばいいのです。

「普天間2小と同じく、普天間基地にはここに居てもらわねば困る。児童や住民の安全?知ったことか。彼らは人質なのだ」、と。

普天間基地とは、彼らにとって巨大な「普天間2小」なのです。

■追記 普天間2小移転問題については、宮本記者の誤報だという異説があります。詳しくはコメントをお読みください。

■テーマと無関係なことを長文でダラダラ書き込む荒らしもどきが来たために、この記事のコメント欄は閉鎖します。どうしてこういう人は、こだわったらそれっきりで、建設的議論ができないのでしょうか。うんざりします。

 

2015年6月 3日 (水)

基地移設賛成・反対の裏で進行する、統合リゾート計画

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昨年の知事選で、本土、地元を問わず、マスコミがまったく報じなかったことがあります。 

それは、この知事選で選ばれた知事こそが、沖縄における大型建設ラッシュの実権を掌握するとです。 

昨年11月の知事選において、菅官房長官は仲井真氏に::こう言ったといわれています。 

「ユニバーサル・スタジオ・ジャパンを誘致したいと沖縄県が申し入れています。私も関係会社と会ってきました」(森巧『総理の影』sapio 2015・6による) 

少し説明します。 

USJ誘致は、単なる大型テーマパーク施設の誘致だけの問題ではありません。

それは、USJという超弩級の人気テーマパークを中心として、IR(カジノ、会議、研修等の複合施設)やMICE(大型会議・研修・宿泊施設)、そしてそこに集客した観光客を南北に運ぶ本格鉄道などによって構成されています。 

沖縄県は、翁長知事になってこのような「統合リゾートに関する検討」という文書を作っています。
●沖縄県  I統合リゾートに関する検討について(PDF:442KB) 

「沖縄県内では、経済界を中心にカジノの導入を求める意見があり、平成13年には、経済団体が国や県等に対してカジノ導入に関する要請を行いました。
また、平成14年に国が策定した沖縄振興計画においては、質の高い観光・リゾート地の形成に向けた施策展開の中で、「沖縄観光をさらに魅力的なものにするため、夜間や、雨天時及び季節を問わず楽しめるショービジネスをはじめとした多様なエンターテイメントづくりを促進する。」と定められました。
沖縄県では当該計画に基づく取組の一環として、その当時国際観光におけるグローバルスタンダードになりつつあり、時間、天候、季節を問わず楽しめる新たな観光資源としてカジノ・エンターテイメントに着目しました」

ここには、はっきりとカジノ(IR)が、沖縄の「統合リゾート計画」の中心になると記されています。

現在、候補地として、北海道(:小樽・苫小牧)、千葉(幕張沖人工島)、 東京(お台場)、神奈川(山下埠頭)、大阪:(夢洲)、 長崎(ハウステンボス周辺)、 宮崎(:シーガイア)、沖縄(浦添市の米軍キャンプキンザー? 名護市のネオパークオキナワ?)などが候補に上がっているそうです。

政府はこれらの中から3ヶ所に絞る方針と伝えられています。

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(写真 大阪カジノ予想図・間違って沖縄コンベンションセンターの画像を掲載してしまいましたので、差し替えさせていただいます。もうしわけありません。ご指摘ありがとうございます)

さて、この「統合リゾート」の目玉はもうひとつあります。それがMICEです。
 

同じくこの県のレポートには、こうあります。

「平成22年度には、国会の超党派議員で構成される国際観光産業振興議員連盟での議論の進展を踏まえ、日本における統合リゾートが民設民営型になるとの前提で、「沖縄統合リゾートモデル」を検証し、ターゲットによるバリエーションとして、ビジネス層を中心とするMICE誘致型とファミリー層を中心とするアミューズメント・リゾート型を設定するとともに、それぞれに、立地によるバリエーションとして、郊外リゾート型と周辺施設連携型のモデルを設定し、計4つのモデルからなる「沖縄統合リゾートモデル」を再構築しました。また、各モデルごとに経済効果を試算し、アミューズメント・リゾートの郊外リゾート型が最も効果の高いモデルとなりました」

つまり、ファミリー層には郊外型アミューズメントとしてUSJを、ビジネス層には那覇から近いMICEを、そして外国人観光客にはカジノを想定しているわけです。 

そしてそのために、今まで貧弱な空港施設しかなかった那覇空港に第2滑走路を増設し、さらに鉄道がなかった本島に南北鉄道を建設するという計画までも付帯しています。 

身も蓋もない言い方をすれば、この最大のターゲットは中国人観光客です。

だから、翁長氏氏は就任早々の「宗主国挨拶」で、尖閣と辺野古移設阻止を貢ぎ物にして、福建-那覇航空路を実現したかったのです。 

中国人観光客を福建-那覇空路で呼び込み、USJで存分に遊んでもらった後に、カジノで金を落させ、返還跡地のイオン・モールなどの大型ショピングモールで爆買いをさせた後に、さらに南北鉄道でやんばるの海洋博記念公園にまで足を伸ばして一泊してもらう、というところでしょうか。 

言うまでもありませんが、こんな構想は、県が独自に作れるものではなく、政府が構想段階からバックアップしています。 

菅氏の構想は、これに具体的担保を与えていました。 

菅氏は13年8月の盆休みに、お忍びで沖縄を家族「観光」しています。そのとき、名護のホテルで秘かに会ったのが仲井真氏でした。 

その時、仲井真氏と同席したメンツが、なかなか興味深いものがあります。 

まずは国場幸一氏です。沖縄でこの人の名を知らないものはいないでしょう。県内最大手ゼネコンの「国場組」の社長にして、県商工会議所連合会会長です。

下図の県内建設業ランキングをみると、1位が一族から国場幸之助氏を議員に送り出す国場組、第3位に呉屋氏の金秀、第8位に下地幹郎氏(鳩山政権閣僚)の大米建設が入っています。

また第2位沖電工と10位の 沖縄プラント工業は沖縄電力関係で、仲井真氏の地盤でした。

沖縄の建設業と政界との強い結びつきが分かります。

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この国場一族を語りだすと、そのまま沖縄戦後史になるといわれるような一族の、目下の頭領だと思えばいいでしょう。

Photo(写真 国場幸一氏)

これに「琉球放送のナベツネ」こと小禄邦夫氏でした。 

Photo_2 (写真 小禄氏。もうなんだか、そのあのモノスゴイ迫力。眼があっただけで謝っちゃいそう)

小禄氏は、仲井真氏と共に「ウェルコム沖縄」を立ち上げて、離島のデジタル化を進めた間柄で、当時総務大臣だった菅氏とその時に接点を持ったとされています。 

この菅・仲井真・国場・小禄の四者会談で、菅氏が提示したのが、例の「進行予算3460億円という法外な振興予算でした。 

ヤボな説明は不要でしょう。もちろん移設の見返りです。 

この振興予算は1671億円の一括交付金を含んでおり、これは沖縄県が何にでも使えるという予算です。 

これをUSJやカジノの誘致、あるいはMICEに当てて、さらに公共事業費1417億円で南北鉄道建設に当てたらたらどうなのか、というのが菅氏の腹案であったと思われます。 

これは空約束ではなく、後に上京した仲井真氏に対して満額回答を与えて、その時に仲井真氏が吐いたとされる「有史以来の予算。基地関係も前に進む予感があって、いい正月になる」という言葉でした。

この慎重な仲井真氏とも思えない不用意な言葉は、地元2紙に揚げ足を取られて、「金で沖縄を売った仲井真」というキャンペーンを張られることになります。

このような大型計画が目白押しの中で、経済界の中で仲井真降ろしの旗を振ったのが、かねてから仲井真憎しを公言していた「かりゆしグループ」の平良氏であり、国場組の下請けの苦渋を呑まされてきて、国場にはひとかたならぬ恨みを抱く金秀の呉屋氏でした。

この両人は、このまま進行すれば、この巨大利権は、国場組を中心とする親自民党勢力に独占されると危惧しました。

これを仲井真ごとぶっ潰し、翁長氏を知事にすることで、自らで独占するというのが、彼らの目論んだ下克上の絵図でした。

かくして、彼らは翁長王朝を夢想する野心家・翁長氏を御輿に乗せて走り出すことになります。

「辺野古の美しい海」がどうたらなどという台詞は、恥部を隠すイチジクの葉でしかないことが、少しお分かりいただけたでしょうか。

長くなりましたので、次回に続けます。

※USJがUFJになっていました。すいません。銀行かって。行ってみたいな、大阪のホグワーツ城。

2015年5月27日 (水)

翁長知事の危険な「二元外交」

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今、翁長氏は「外交」をしようとしています。自分は訪米し、ワシントンには県の出先事務所を作ろうというものです。 

県の出先事務所というと、よその県はせいぜいが観光振興か、特産品輸出ていどの目的ですが、沖縄県は違います。なんと独自「外交」をするというのです。

琉球新報はこう伝えています。

「米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設断念を国際世論に訴えるため、沖縄県は27日、米国ワシントン市内に事務所を開設した。県事務所設置は北京、上海、香港、台北に続く海外5都市目。
ワシントンの県事務所のある区域は、政権に影響力があるシンクタンクや大学などが集中し、ホワイトハウスから徒歩10分以内の距離にある。平安山英雄所長、県職員、米国人のアシスタントの計3人体制で運営する。今後は事務所を拠点に米議会や米国務省、米国防総省、シンクタンクなどを本格的に回り、沖縄の現状や翁長雄志知事の考えを伝えるほか、5月下旬に予定する翁長雄志知事の訪米に向け、米要人との面談調整などを担う。
平安山所長は「知事の考えを直接伝える機会になる。関係機関に足しげく通い、政策立案に関わる関係者と会い、粘り強く沖縄の現状を訴え、理解を求めていきたい」と述べた」(琉球新報2015年4月29日)

 この翁長氏がワシントン事務所の駐在員に任命した平安山英雄(へんざ)氏は、沖縄の米国総領­事館に勤務していた人物で、米国内に広い人脈を持っているそうです。

平安山氏は、在沖縄米国領事館の政治担当特別補佐官をしており、オスプレイ配備の時には、「理解」を求めて体験搭乗イベントなどを企画しています。
※米国領事館 japan2.usembassy.gov/naha/pdfs/Karahai_2012-1-issue.pdf

それが一転して、「オスプレイ配備阻止」ですか(苦笑)。さぞかし、元の同僚にあざ笑われることでしょうね。翁長氏自身もそうですが、王朝にはこういう転向組が多いことよ。

その彼が、「翁長王朝」の米国初代大使というわけです。

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(写真 平安山氏に2年の駐在員辞令を出す翁長氏。。取り巻く県役人で、仲井真派と目された者はすべて左遷されたという)

しかし、そもそもこの翁長氏の行為は、日本国憲法第73条「内閣の事務」のうち、「2 外交関係を処理すること」に反しています。

したがって、沖縄県という地方自治体には、国の日米同盟という条約に関して容喙する権限はありません。 

少し説明しましょう。 

この憲法第73条は、「内閣の仕事」を規定したものです。このうち2項は外交は内閣、つまり国の専権事項だということを謳っています。 

専権事項とは、「思いどおりにできる権限」のことです。 

ただし、思いどおりにといっても、条約は法律に優位すると解釈されているほど強い効力を持っています。 

TPPがそうですね。国のあり方を条約で決められてはたまらないので、私も強い疑問をもっています。 

この外交の場合、勝手に内閣が条約を結んでしまって、「はい、明日からこれでやるぞ」と言われちゃたまらないので、締結前に国会承認がいるとして3項に、「条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要」として歯止めをかけたのです。 

そして4項に「国家公務員の事務を掌握する」として、これは国家公務員法の法的根拠になっています。 

憲法第73条「内閣の事務」の整理
①外交は内閣の専権事項である
②条約は国会承認を必要とする
③内閣は国家公務員を指揮できる

はい、いかがでしょうか。この国の外交を規定した憲法73条に、地方自治体、あるいは自治体首長、その自治体職員が一度として出てきましたか。 

よく翁長氏は「民意に従え」と言いますが、その「民意」とは、日本国全体で見れば、憲法第66条3項、及び1項に沙汰められた、国会における多数決によって選ばれた国会議員が選んだ内閣総理大臣と内閣のことです。 

これが去年暮れの総選挙の「民意」です。よく左の人は自分が見たい「民意」だけを「民意」と称していますが、都合悪い民意も世の中にあるのです。 

そしてこの国家の仕事には、「治安」「外交」「防衛」「教育の中身」「通貨発行権」という5ツの専権事項があるわけです。  

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(写真 平安山氏の決意表明。今までは移転とオスプレイ配備にご理解を。今や真逆に、移転阻止と配備反対にご理解を。二枚舌のお人。自分が情けないとは思わないのか・・・)

ここまでが議論の大前提です。

「いや、国は県と意見が違うから、国の決めたことは守らない、安全保障を定めた条約もいらない、県には外交権があるのだ」などと翁長氏のようなことを言い出すと、もうこんなものは「地方自治法」が定めた「県」ではありません。 

ただの知事の勝手気ままな恣意が罷り通る、「独立王国」にすぎません。

私が「翁長王朝」と呼ぶのは、あながち冗談ではなく、自治体の権能を越えることをひんぱんに繰り返すからです。 

ではなぜ,、こんな憲法の条文が生れたのでしょうか。それは戦前の日本がまさに、今、翁長氏がやろうとしている「二重外交」でひどい目にあったからです。 

日本は、昭和初期において帝国陸軍が政府の方針に強い不満を持ち、中国や旧満州で独断で秘密外交を行い、各種の秘密工作をしました。

そのための特殊工作機関も存在し、多額の予算が投入されていました。

その結果、日本外交は右手と左手が別々のことをするようなことになり、時には右手と左手が暗闘を繰り広げるという愚かなことをした結果、中国国民党政府との和平に失敗して、中国との戦争の泥沼に引きずり込まれていきます。

日中戦争の膠着は、米国との戦争の導火線となっていきます。

ちなみに、戦後日本が諜報機関を作らなかったのは、この経験に懲りた外務省が断固として諜報機関の独立を許さなかったからです。

羹に懲りて膾を吹いた結果、対外情報の圧倒的不足という弊害を招いたことが、この間のISテロで浮き彫りになりました。

それはさておき、戦前の帝国陸軍ばりの二元外交をしようというのが、この翁長氏です。

5月27日から、翁長氏は訪米して、米国政府や議会に、「県の独自外交」をして、その上にワシントンにそのための恒久事務所まで作ろうとしています。

これはもはや、ただの県内左翼勢力向けパーフォーマンスの枠を離れて、外国政府には、「独立国」、ないしは「分離独立を目指す地域」に写ることでしょう。

翁長氏はそれを狙っています。

5b35a52a(写真 一昔前の翁長氏は早期移設の推進者だった)

おそらく翁長氏は、本土での外国特派員協会での記者会見の発言からみれば、米政府関係者や議会関係者にこう言うはずです。
http://www.sankei.com/politics/news/150520/plt1505200071-n1.html

「あなた方が決めたからできると思ったら間違いた。辺野古への基地移転は絶対に建設することができない。強行すれば、我々は基地反対闘争が激化し、今は100人規模の動員を、1000人規模にまで拡大させる方針だ」

そして巧みにブラフまで折り込むはずです。

「辺野古移転が挫折したら日米同盟が崩壊するぞ。辺野古がだめになったら、日米同盟が崩れる。オレは沖縄自民党の最高幹部だった。だから日米安保体制を理解しているからこそ、移転をすれば日米安保が揺らぐぞ」

ついでに、ハワイで起きたオスプレイの事故まで、交渉材料にするでしょう。

「オスプレイが普天間でハワイのように落ちたら、県民は総反発して、沖縄基地に撤去を求めるだろう。そうなれば、日米安保体制は砂上の楼閣になるぞ」

このように、辺野古移設とオスプレイ配備というなんの関係もないことまで、強引に「安保を堅持したかったら」という脅しの文脈で結びつけるわけです。

米国政府関係者は、翁長氏訪米の意図を知っていますから、面会を拒否するでしょうが、執拗に面会を求め、面会できれば議員を捕まえて、徹底的に有利な言質を取ろうと脅したり、すかしたりするはずです。

そして一言半句でも有利な言葉をゲットしようものなら、地元2紙に大本営発表させます。

どうも政府は、菅氏訪沖時の対応を見ても翁長氏に対して腰が引けていますが、ここは毅然と「二重外交の禁止」を言い渡すべきです。

さもないと、さらにごじれて、翁長氏が狙う国内問題の国際問題化に手を貸すことになるでしょう。

翁長氏は本気でこんな独立国家のまねごとをしたいのなら、「日本に捨てられたのは自分たちで、いまでも捨てられると怯えている」などと心にもないことを言っていないで、本気で「独立」を目指すことです。

それならば、県民も覚悟を決めてそれぞれ自分の立場を明らかにするでしょう。

共産党本部を訪れた足でアポなし訪問をして、官邸に面会できないとなると、民主的でないと怒るふりをし、振興予算が減らされれば泣き言を言い、官房長官の言い方が気に食わないとケチをつけ、そのくせ外国にまで行って外交もどきのことをしたいのならも、その旗幟を鮮明にすることです。

Prison_release_of_kamejiro_senaga(写真 出獄して歓迎に応える瀬長氏。那覇市長もつとめた人物。共産党のリーダーというより、米軍政下では、「民族の英雄」だった。沖縄民族主義者は皆、瀬長氏を仰ぎ見ている)

翁長さん、あなたは瀬長亀次郎を気取っているつもりかもしれないが、彼は日本政府に甘えてはいませんでしたよ。

今のあなたは、甘えたり、すねたり、怒ってみたかと思うと、李克強には一転してゴマをすってみたりと、忙しいことです。

こういうチャイルディシュな態度こそが、本土の「嫌沖感情」を生み出している一番の原因なのですよ。

とまれ、このようなあいまいなグレイゾーンの線上を歩むようなことを続ければ、間違いなく中国につけ入られます。

いや、とっくに取り巻きたちは中国のエージェントばかりのようですがね。

 

2014年4月22日 (火)

バイエタという名の狂気 その2 飢えと格差を拡げるバイエタ

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近親者が重体になったために、広島まで付き添いに行っておりました。

90歳にもなる独居の年配者のために、病院にもご迷惑をおかけしました。

さすが、全国指折りの医療先進県・広島。病院での治療だけではなく、予後の地域ケアなど万全の手配りを頂き、感謝に耐えません。

私は、さすがくたびれましたね(笑)。

急遽、今までアップが遅れていた記事をかき集めて自動アップをかけざるを得なかったのですが、いやー、校正ができなかったので、ミスタイプの山。広島から見ていて、冷や汗かいてました。

さて気を取り直して、バイエタ生産の急増はなにを米国農業にもたらしたでしょうか?

まず、影響はトウモロコシの輸出に現れました。06年にはバイエタ生産と輸出量が並び、翌07年にはバイエタが追い越しています。

そして今や貿易量をはるかに上回り、トウモロコシ生産全体の約3割までもを占めるまでになっています。
(下図参照 柴田明夫「水戦争」)Photo

食糧生産には倫理が問われる場合があります。

サトウキビの搾りかすや木材チップといった人類の食糧と競合しない資材をバイエタ化するなら許せます。

事実、わが国ではこのような産業廃棄物や食糧残滓を使ったバイエタが実用段階に達しています。これがバイエタの王道ではないでしょうか。

しかしそのまま食べられる、あるいは家畜の飼料となる貴重な食糧を全体の3割も燃料として燃やしてしまってどうする、と思います。

私はこの穀物によるバイエタ生産は、エコに名を借りた犯罪行為だと考えています。

本来人の口に入るべき穀物が燃料となるために、慢性的食糧危機にある発展途上国では穀物高騰が起きています。

1912年8月には、国連食糧農業機関(FAO)のダシルバ事務局長は、「(米政府が)対応を誤れば、(世界的な)食糧危機を招きかねない」と警告を発しました。

ダシルバ事務局長によれば、FAOは米政府に対して穀物価格の高騰を押えるためにガソリンのバイエタ使用量を義務づけている再生可能燃料基準(RFS)の適用を一時停止するように求めています。

米国の穀物生産者は広大な畑を、トウモロコシ、小麦、大豆などの作物を相場をにらみながら選択して生産しているために、バイエタの価格が再生可能燃料基準で高くなって転作する者が増えた結果、他の品目の生産が減り、価格がこちらもつり上がりました。

つまり、バイエタによりこんな穀物相場の玉突き現象が起きたのです。

・バイエタ生産のためにトウモロコシに偏った生産シフトが起きた
・他の穀物の作付けが減少し、国際市場価格全体をを吊り上げた
発展途上国の穀物相場を押し上げ、穀物の分配の不均等を招いた
発展途上国で飢えと格差が開いた
・先進諸国においても、トウモロコシを飼料とする畜産業界の飼料価格高騰を招き、食品価格を押し上げた

12年7月には上院において超党派でバイエタ使用基準の停止を求める書簡を米環境保護局(EPA)に送りました。

しかし現状では、EPAは「農務省と協働で状況を注視する」と慎重姿勢にとどまっており、農務省サイドも「再生可能エネルギー投資に打撃になる」として同じく使用基準の見直しには腰が引けているようです。

このように地球温暖化人為説は提唱者の思わぬところで、人類全体の食に暗い影を落としているのです。

■写真 土浦の老舗佃煮屋さん。霞ヶ浦の回りは佃煮屋がいっぱいあります。こんなレトロな建物が楽しい街です。

2014年4月21日 (月)

バイエタという名の狂気その1 オバマの妄想

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バラク・オバマは第1期就任演説で、大統領選で現実にある2ツの危機とひとつの妄想訴えました。 

2つの現実とは、米国の財政危機と、破綻寸前のぼろ船に例えられている医療保険制度です。 

そして私が「ひとつの妄想」と呼ぶのは、他ならぬ地球温暖化対策でした。

80年代以降、IPCCの科学者とそのロビイストたちは、地球温暖化によるハルマゲドンのシナリオを持って議会を飛び回りました。

「14mの水面上昇が来て南太平洋の島々は沈んでしまいますよ」「北極の氷が溶けてシロクマは絶滅寸前です」「カトリーナみたいなハリケーンが毎年来て海岸沿いには住めなくなります」「毎年気候変動による飢饉が来ますよ」、エトセトラ、エトセトラ・・・。 

はっきり言って妄想の類です。

この妄想がIPCCから「9割の確率」で、「世界中の一流の科学者2000名の叡知を集めた」と言われ、米国元副大統領のイケメンに「科学の出番は終わった。これからは政治の出番だ」とまで言われたらこりゃ説得力あったわけです。

この法螺でゴアはIPCCとノーベル平和賞を共同受賞し、オバマもなにもしないでノーベル平和賞もらってました。

閑話休題。

その上、第1期の目玉政策をオバマは、本来先行してやるべき政治課題を医療保険制度ではなく、グリーンニューディールこと包括的エネルギー・温暖化法(2008年11月)に置いてしまいました。

保険業界や医薬品業界の頑強な反対に合うのが予想される(実際2期目にオバマは政府機関の一時停止事態を引き起こしていますが)医療保険制度改革ではなく、パッと華やかで新鮮味のあるエコ政策で実績を上げたかったのでしょう。

オバマは09年1月、政府施設から先行して省エネを実施し、原発を増設する一方で、風力や太陽光、バイエタなどの再生可能エネルギー(再エネ)を倍増させて、約50万人の雇用を増大すると表明しました。 

また7870億ドル(約72兆円)にのぼる米国史上最大の景気対策のうちから、年間150億ドル(約1兆4000億)円を投資すると宣言しました。

オバマの目論見では、経済と環境の同時解決という画期的な政策になったはずでした。

こんな税金の使い方をしなかったら、第2期オバマ政権の致命傷になった医療保険制度などずっと前に出来上がっていただろうと言われています。

結局、再エネは景気の回復にも雇用の増大にもつながらず、グリーンニューディールは2期目以前にシェーガス革命に救われるようにして秘かにフェードアウトしていきます。

しかし、フェードしないものがありました。それがバイエタです。

米国農業はバイオエタノール(バイエタ)政策という病に冒されています。 もはや狂気と呼んでもいいかもしれません。

ブュシュ政権は、自分がアンチ環境派だったにもかかわらず、2007年に始めたバイエタ政策により、バイエタ生産を当時の50億ガロンから一挙に7倍の350億ガロンに生産拡大する政策をとりました。

この目標に掲げた350億ガロンのバイエタを製造するためには実に122億ブッシェル(※)ものトウモロコシが必要となり、今の米国で生産されるトウモロコシ全量をバイエタに回してもまだ足りない馬鹿げた数字でした。

にもかかわらず、このバイエタ政策が単なる努力目標値や期待値ではなく、法的に再生可能燃料基準(RFS)として義務づけられたためにバイエタには多額の投資資金が流入し、今やトウモロコシを作ることは食糧生産ではなくバイエタ生産であるかのような倒錯した構図が生れてしまいました。

バイエタ政策を始めたのが、バリバリの環境派の対立候補であるアル・ゴアではなく、「環境派なんて、ファックだ」と言いかねない(実際似たことを言ってましたが)ブッシュ・ジュニアだったのは皮肉でした。

代々石油利権を後ろ楯にしてにしてのし上がったブッシュ・ジュニアですら、地球温暖化の既定路線からはずれられなかったのですから、その呪縛がいかに大きいかわかります。

バイエタは、作れば作っただけ再生可能燃料基準法で使用されるのが確実なために消滅するどころか、かえって増大していきました。

ゴアが種を蒔き、ブシュが地ならしし、オバマが育てたバイエタだったのです。バイエタは狂ったように穀物を食い散らしたのです。 

放っておいたら全米で生産されるトウモロコシは、皆燃やされて車のガスに消えていったことでしょう。 

しかも、これで二酸化炭素が現実になくなるわけではなく、単に穀物の生育期の二酸化炭素消費とゼロサムになるだけ、つまりは単なる数字合わせだというのですらから呆れたものです。 

バイエタが盛んなブラジルでは熱帯雨林を伐採して、「地球に優しい」バイエタ農産物を作っています。 

この歴代の米国大統領の愚行により、バイエタは米国農業にしっかりと食い込み、全世界の穀物市場が高値に貼りついた結果、多くの人々が飢え、数千万人が貧困に逆戻りしました。 

一握りの科学者が世界を巻き込んだ地球温暖化人為的二酸化炭素説は、このように人類に大きな傷跡を残して、そして今もなお人類を支配しています。

これが政策化された場合どんなことになるのか、米国をみると分かります。

次回に続けます。

※ブッシェル(bu)
ヤード・ポンド法の体積単位。かつて穀物を桶に入れて運送したためが由来。日本の米が俵(60㎏)で計算するのと一緒。慣習的単位なので、英米のブッシェルは異なる上に、穀物の種類によっても異なる。
トウモロコシの場合は 1ブッシェルは約14.52kg。

2014年3月20日 (木)

環境テロリスト・シーシェパードの誕生その2 ジャパン・バッシングの道具

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(先週からの続きです)

グリーンピースの「オペレーション・エイハブ」は、大型ゴムボートで調査船に幅寄せするという過激なものでしたが、それが全米に放映され大反響を呼びました。

一躍、グリーンピースは凛々しい動物保護運動家のヒーローに飛び出したのです。

米国民の熱狂を見て膝を打ったのが、デトロイトやピッツバーグの財界人でした。

それまで彼らは反核運動などをしていたグリーンピースなどという「ロン毛のクソガキども」には目もくれませんでしたが、彼らの利用価値の大きさに初めて気がついたのでした。

それは、他ならぬ日本に対するバッシングの道具としてです。

彼ら米国財界人は、日本が対等な貿易国ではなく、「可愛く賢いクジラ」を食べるような非文明人として米国民にアピールしたかったのでした。

いうまでもなく、自動車輸出と捕鯨はなんの関係もありませんが、大戦の時のレトリックと同じく、「日本人はこんなに残酷な人種だからテッテイ的に叩きのめさねばならない」という世論を作り出せればオーケーなのです。

「残酷なジャップ」に捨て身で阻む勇敢なエコロジストの青年たち!おお、いい絵になるじゃありませんか!

そして80年代、ジャパン・バッシングの絵作りのために、巨額の献金が米国財界から滔々と流れ込むようになります。

いままですりきれたジーンズと、手作りの事務所で活動していた彼らは一躍リッチになったというわけです。

その米財界の期待に応えるようにして、いっそうグリーンピースは過激に「残酷なジャップ」を襲撃するようになりました。

1989年、スーパー301条という日本制裁法の交渉のために訪米した竹下首相を、グりーンピースら、捕鯨反対の大手モで出迎えます。

もちろん日米経済問題と捕鯨がなんの関係もないのは百も承知で、米国民に反日意識が刷り込めればいいのです。

同年1月には、とうとう心配された調査船との衝突事故がひき起こされましたが、米国民にとって当然悪いのは日本です。

91年12月にも同様の妨害行動が行なわれ、95年2月には調査船の第18利丸への無許可乗り込みが起きました。

また、フランスからの処理済みプルトニウム移送にも、数ある原子力利用国の中で日本だけをあえて取り出すようにして抗議行動を続けています。

これはグリーンピース本来の反核にかこつけていますが、わが国がプルトニウムを原爆製造に使用する意志などまったくないのは誰も知るところです。

にもかかわらず、わが国のみを執拗につけ狙い、まるで核武装する陰謀でもあるかのような宣伝を続けます。

ましてプルトニウム移送は核ジャックの可能性があるために、その航路すら秘密にされているのに、追跡して全世界に「ここにいますよ。ただ今抗議中」とやりまくるのですからなんとも非常識な連中です。

なぜ、彼らは日本のみを執拗にターゲットにするのでしょうか

それは今お話した日米関係を背景にして彼らの行動を見ると、一目瞭然です。

日本を叩けば金になる、身も蓋もない言い方をすれば、そういうことです。

同じ捕鯨国でも、白人国で米国に冷凍魚ていどの輸出しかないノルウエーを叩いても1セントの金にもなりません。

それどころかバイキングの末裔たちからは断固たる反撃が返ってくることがわかっているからです。

実際、シーシェパードは、ノルウェイの捕鯨船を破壊した時に、怒ったノルウェイ漁民にかえり討ちにあってデコボコにされたあげく、頭目のポール・ワトソンは牢屋に入れられたりしています(笑)。

Photo_2 (写真 シーシェパードの抗議船。なかなかのセンスだが惜しくも自沈。彼らは調査船にぶつけられたと主張。ワトソンは調査船から銃撃された主張している。鯨類研究所が銃で武装しているとは大笑い)

それに対して日本はおとなしく逃げまどうばかりです。叩けば大金になる上におとなしい「残酷なジャップ」、これこそ絶好のターゲットだったのです。

90年代に入ると、1993年の宮沢-クリントン会談から始まる「年次改善要望書」に始まる米国の意のままにわが国を変えていく「構造改革」が始まりました。

これは新会社法、新独占禁止法、新建築基準法、そして2005年の郵政改革法案の流れへと続いていきます。

これは常に日本を従属的地位につけておくためにの内政干渉まがいの介入でした。

これを可能にする国際世論l作り、米国世論操作の先兵が、グリーンピースであり、シーシェパードだったのです。

環境運動がジャパン・バッシング・ビジネスに化けたのです。

このような政治的意図を持つダーティな資金提供を得て、グリーンピースは、小さな反核グループから、いまや巨大な多国籍環境保護団体へと成り上がりました。

つまり、グリーンピースこそ、日本を標的にすることが金脈であることを発見し、それをビジネスモデル化した最初の環境保護団体なのです。

そして日本叩きを原資にして、いまや多国籍企業と化したグリーンピース本部の幹部の移動はファーストクラス、年収は数百万ドル、泊まるホテルはスイートと噂されています。

これが、1971年9月15日、すり切れたジーンズにロングヘアーを海風になびかせて、「レンボー・ウォーリア号」で、アリューシャン核実験海域にむけての航海に向かった彼らの成れの果ての姿です。

このような堕落の過程で、オリジナルのグリーンピース・メンバーはそのほとんどが失望し、去っていきました。

「グリーンピース・クロニクル」(1979年)を書いたボブ・ハンターもそのひとりでした。

そして別の意味でグリーピースを去った(というか除名された)オリジナルメンバーのひとりに、後のシーシェパードの指導者ボール・ワトソンがいました。

そのとき、ワトソンは、このグリーンピースのジャパン・バッシングというビジネスモデルをもっと過激に、もっと派手に演出できる団体の構想をもっていたのです。

それがあのシーシェパードです。彼らには理想などありません。あるのは、ギラギラした金儲けヘの欲望だけです。

2014年3月14日 (金)

環境テロリスト・シーシェパードの誕生その1 当たり屋戦術の創始者グリーンピース

018

シーシェパードがまたアメコミ的調査捕鯨攻撃をしかけているようです。

なんですか、あの船首にシャチの口みたいなのを描いた船は、バッカじゃねぇか!(笑)

前回はバットマンカーもどきの黒塗りのステキな奴でしたが壊れて、あえなく自沈しちゃいましたね(こんどは失笑)。

Photo (写真 シーシェパードのポスター。もはや2流どこのハリウッド。中央の悪党づらが頭目のポール・ワトソン。目下、国際指名手配中。海賊旗みたいなのが彼らの旗。どこまでもマンガ的だが、やることはエグイ。)

乗っている船はテレビで流されていて、その内容はご想像どおりアメコミ・アクションムービーです。

悪い日本の捕鯨船が鯨を殺しまくっています。哀れ可愛い子鯨も刃に(悲鳴)。

そこに敢然と登場したのがジュリー・ロジャーズひらめかせたシーシェパード!(音楽高まる)

てな調子で、まるでキャプテン・アメリカって調子。視聴率もよろしいようです。

実際、カリフォルニアにはシーシェパードの店なんかあって、シーシェパード・カードも売っていて、カードを使うと自動的に数%シーシェパードの懐に転がり込まれる仕組みです。

まるっきり商売ですが、そのとおり、私はあれはビジネスだと思っています。

ただ、その「商売」の仕方がエグくて、調査船のスクリューを狙ってロープを投げたり、劇薬の入った瓶などを投げ込んだりしています。

海賊行為」という立派な犯罪行為で米連邦高裁はSS(シー・シェパード)を「海賊」と認定すると判決を下しています。

そのためにケネディ大使は、シーシェパードを内心ひいきにしているらしいのですが、残念ながら大っぴらには支持できないようです。

ちなみに彼女の従兄弟のロバート・ケネディ・ジュニアは、シーシェパードの顧問弁護士をやっているようです。

あの国のリベラルな富豪やスターたちの寄付はハンパじゃないようで、クリスチャン・ベールとか、オーランド・ブルームなどがシーシェパードに寄附しているのがリストアップされています。ファンの方、お気の毒。

というわけで、寄付を集めるには目立たにゃならんというわけで、「アグリー・ジャプ」攻撃に今日も飛び回っているわけです。

さて、あまり知られていないようですか、シーシェパードを作ったポール・ワトソンはグリーンピースの古いメンバーのひとりでした。

彼はグリーンピースから、彼らの「ビジネスモデル」をそっくり盗み、今や本家に並ぶ興隆を見せています。

本家としては面白くないので、本家グリーンピースと、分家シーシェパードの仲は険悪です。近親憎悪とでもいうんでしょうかね。

前の時も、シーシェパードが調査船の位置がわからなくなり、グリーンピース船に問い合わせたところ、にべもなく「だれが教えてやるもんか」と拒否されています。

というわけで、彼らがいかなる団体なのかを知るには、彼らのルーツであるグリーンピースから知る必要があります。

グリーンピースは今やとてつもない巨大な団体になってしまいました。会員290万人、支部数世界41カ国、専従スタッフだけで1万人以上はいると思われます。

立派な多国籍企業といってよいでしょう。まちがいなく世界最大の「環境保護団体」です。

十数年前の一時期、恥ずかしながら私も会員になったことがありました。

しかし、入ってすぐに私が疑問に感じたのは、納めた会費の使途が一切明らかにされていないことでした。

年次会計報告が一般会員には公開されず、単なるニュースレターしか来ないのです。

ニュースレターには、「こんなにグリーンピース大活躍」みたいな宣伝ばかりです。

これは環境保護団体としてはおかしいのではないかと、私は再三にわたてグリーンピース・ジャパン事務局に予算支出内訳を問い合わせたのですが、ナシのつぶてでした。

私はグリーンピースという組織は、なにか人に言えないような大きな「秘密」のようなものでもあるのかしら、と当時思った記憶があります。

結論から言うと、「その人にいえない秘密」とは、80年代から滔々とグリーンピースに流れ込んだ米国財界の日本制裁の世論作りのための金ではなかったかと思います。

初期のグリーンピースは、1975年に「オペレーション・エイハブ」を立ち上げる時まではっきりと反核団体といっていい団体でした。

つまり反捕鯨ではなく反核運動団体だったのです。

その規模も小さく、今のような各国に支部を持つなどというのは夢のまた夢といった小グループだったのです。逆にいえば、本来の運動体としてまっとうだったとも言えます。

この反捕鯨闘争の「オペレーション・エイハブ」で、グリーンピースは年来の抗議船戦術を「進化」させました。

エイハブは、メルヴィルの「白鯨」の船長の名前で、モビィ・ディックと格闘して死んでしまいます。

いいネーミングです。こんな初期グリーンピースのメンバーの叙情性は今でも私は好きです。

ただ、あのエイハブという名は、鯨を勇魚(いさな)と呼び、銛を片手に格闘した日本の鯨捕りにこそふさわしいのですがね。

この時、ポール・ワトソンはまだ下っぱで、大学でのインテリ・ヒッピーが多かった初期メンバーと異質なタイプだったと伝えられています。

貨物船の船員上がりで、ガッシリした体躯に払い下げの戦闘服を着込み、操船に馴れた実務派だったようです。

この肌合いの違いから、後に彼はグリーンピースの中で孤立し、やがてタテゴトアザラシ事件の時に暴力ざたを引き起こして除名されることになります。

それはさておき、彼らはそのときから、ゾディアックという強力なエンジンを搭載した大型ゴムボートを日本の捕鯨船との間に割り込ませ、接触事故を誘うというきわめて危険な戦術をとり始めました。

それまでは調査船と並行して抗議する程度だったのが、「実力行使」に手を染めたのです。

このとき調査船が少しでも舵を誤れば、ゴムボートは上院ごと調査船にまきこまれてしまいます。

実に危険な戦術で、万が一事故が起きた場合、日本側は彼らを「殺した」として国際的批判を浴びて、調査捕鯨も中止に追いこまれるでしょう。

それを狙った戦術だったわけですが、これは相手国が日本だったから取れた戦術です。

もしこれがフランスならば、ウーもスーもなく調査船に乗った特殊部隊員に捕縛されてしまったことでしょう。

実際、後にフランスは目障りなグリーンピースの抗議船を爆破することも平気でしています。

ですから、「平和主義」の日本だと思って初めからなめていなければ出来ない方法だったわけです。やれやれ。

ちなみに、分家のシーシェパードが捕鯨国が日本だけではないのに、執拗に日本ばかりつけ狙うのも一緒で、実際ノルウェイに同じまねをした時は、見事返り討ちにあっています。

さて、彼らの抗議の横断幕は、捕鯨船に対してではなく、ゴムボートを撮影しているテレビカメラに向かって掲げられていました

つまり、抗議の横断幕は調査船からは何も見えず、映しているテレビカメラにだけ向けていたのです。彼らがどちらを向いて「抗議」しているのかよく分ると思います。

この映像を米国のテレビ局に提供することで、グリーンピースは一躍時代の寵児に躍り出たのです。

これこそが今、シーシェパードの取っている暴力戦術の原型です。

グリーンピース自身は違うと言いますが、言い逃れのしようもなく、非暴力直接行動の原則を逸脱するものでした。

ガンジーやルーサー・キング師、あるいはダライ・ラマ14世などの非暴力直接行動は、抗議の対象に危険を承知で「我が身を投げ出す」ことにより、敵対者をも覚醒させるという方法でした。

しかし、グリーンピースの「発明」したこの戦術は、テレビ宣伝目当ての当たり屋まがいのもので、精神の高貴さとはほど遠いものでした。

そして今や、彼らの分派であったシーシェパードがグロテスクなまでにそれを戯画化してみせています。

しかし、これが受けました。バカ受けしたといっていいでしょう。

1980年代当時、日米経済摩擦を抱えて日本に苛立ちと不安を募らせていた米国民は、「可愛いクジラを殺す残酷なジャップ」に果敢に突撃するグリーンピースの「勇姿」に熱狂しました。

ここからグリーピースの繁栄と堕落がはじまったのです。

つまり、日本だけを標的にして、ジャパン・ディスカウントをする勢力と、「環境保護」を掲げる連中の利害が見事に一致したわけです。

ここに新たな「ジャパン・バシング・ビジネスとしての環境運動」という奇妙な新種が登場したのです。

それがグリーンピースであり、その過激な分派がシーシェパードだったわけです。

地球の壮大な変動周期とは

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温暖化二酸化炭素説というのは、あまたある気候変動説(おそらく10くらいはあります)のひとつくらいならほどがいいのです。

そうですね、人為的温室効果ガスはもあるでしょうね、という程度なら私もそのとおりだと素直に思います。 

ところがIPCC二酸化炭素説王朝が成立し、他の説を「粛清」すると、二酸化炭素だけですべての気象変動を説明できるような錯覚が生まれました。 

特にマイケル・マンのホッケースティック曲線のように、あたかも二酸化炭素の増大が地球温度とパラレルになって見えるはなはだ怪しげなグラフが出てからは、もういけません。 

他の説は皆忘れられるか、こっそりと異端審問にかけられて葬られてしまいました。

たとえば、IPCCは太陽の活動の影響を、二酸化炭素の温室効果の7%ていどと過小評価をしています。

忘れられた学説でいちばん有名なのは、おそらく旧ユーゴ(セルビア)のミルティン・ミランコビッチという天才の唱えたその名もミランビッチ・サイクルだというのは衆目一致するでしょう。 

これは数万年単位でなぜ地球に氷河期が来て、その後に温暖期(間氷期)が来るのかを、公転軌道と地軸の傾きから説明したものです。

地球の軌道が楕円だということをご存じでしょうか。 

約10万年の周期で地球は正円になったり、楕円になったりすることは知られていました。 

楕円軌道の時と正円軌道の時はなんと1800万キロも離れているのですから、地球に影響が出ないはずがありません。。(下図Wikipedia 楕円軌道)

実際、楕円の軌道の時は外周が太陽から離れてしまいますから地球は冷えていき、その逆に近づくと温暖化します。 

実は21世紀の地球公転軌道は、太陽に近づいている軌道上を回っていますから温暖化しているというわけです。 

次に、地球は公転しながら自転軸が変化しています。その傾きは21.5度から24.5度です。(図 同)

この傾きが大きいと夏が暑くなり、冬は寒くなるといった季節さが激しくなります。ちなみに現代は23.4度で傾きが大きいほうの時期になります。この周期は約4万1000年です。 

さて、これでお終いかと思ったらもうひとつあります。それが地軸そのものの回転運動です。独楽が首を振るように太陽と月の引力の影響で、自転軸が回転しています。 

これを歳差(さいさ)運動と呼び、その周期は約2万5800年です。(図 同)

さあ、この3ツの壮大な地球の軌道や自転軸の回転による周期が、地球の気象を決定づけています。

整理すると、周期の長い順番から
①約10万年周期の地球公転軌道の離心率の変化
②約4万1千年周期の地軸の傾斜角の変化
③約2万6000年周期の歳差運動

の3つが重なり、日射量の周期的変化が生じ、日射量の極小期が氷河期に当たり、極大期が間氷期(温暖期)にあたります。

ファイル:Milankovitch Variations.png

上図のPrecessionというのが歳差運動のことで、その下のObliquityは自転軸の傾斜角、3番目のEccentricityは公転軌道の離心率です。 

この三つの周期で地球気候が決まる分けてすが、その計算式は専門家にも複雑怪奇だそうです。 

しかし、それが正しいと立証されたのは、70年代に、海底のボーリング調査によって、採取されたサンプルの有孔類の酸素同位体比からえられた気象変動周期とミランコビッチ周期がぴったりと一致したためです。

これにより、太陽の日射量と氷河期の成立には強い相関関係があると分かりました。

国立天文台の伊藤孝士氏は、自転軸は傾きが大きければ極地方に入射する日射量は大きくなって氷床は溶けて小さくなり、傾きが小さければ極地方に入射する日射量が減って氷床は成長しやすくなる、と述べています。

この他に地球気候に大きく影響を与えているのは地球の自転、海流や気圧の変化により約30年前後の周期で大気と海洋が連動して変化する太平洋振動などもあり、そのうえに太陽黒点の変動も重なっているわけです。

こんなに変数が多いのに、どうして人為的二酸化炭素ガスだけが、地球気象の決定要因だと断言するのか理解に苦しみます。

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