パキスタン奥地の山賊村に行ったことがある
かなり前のことになりますが、カラコルム・ハイウェイを東トルキスタン(ウイグル)のウルムチから、クンジュラブ峠を超えて、パキスタンのイスラマバードまでバスで尻にタコをつくりながら走ったことがあります。
ハイウェイといっても、これをよもや高速道路などと思う方はいないと思いますが、そりゃあ見事なまでのボロ道です。そうそう、カラコルム・ハイウェイなんて名よりシルクロード南路といったほうが風情があるかしら。
上の写真は道を修繕しているところですが、だいたい数キロに一カ所は崩落しています。道の下の谷川にトラックの残骸が赤さびて車輪を天に踏ん張っている姿を見るのは、なかなかのものです。
前方を行くバスがものの見事に左車輪を落として、そのままつんのめるようにして車体を半分谷川に落としました。谷に落ちるバスなんて非日常の光景はめったに見られるもんじゃありません。
落ちた拍子にバスの屋根にくくりつけてあった黒山羊が、ロープ一本で転げ落ちるし、ジタバタとうるさいこと。
この時には幸いに、屋根に乗る人がいなかったのでよかったのですが、インドやパキスタンあたりのバスでは、冗談かほんとうか「ルーフ」というチケットがあって、屋根にしがみついている奴もいるんです。とうぜん、こんな状況だと谷底まっしぐらでしょうな。
そのときは、バスの後ろの窓からワラワラと人が脱出てきて、道端に座ってタバコなど吸っています。さほど悲壮感がないのがすごいといえばすごい。
後続のバスの私たちも知らんぷりもできないし、第一道がふさがれてしまっています。そこで、全員が降りて、バスに積んであったロープでヨッコラショと引きずり上げました。バスを引き上げる途中、黒山羊の野郎がベェ~ベェー、ジタバタとパニくりやがるので、そのつどバスのバランスが崩れます。
引き上げる音頭取り役のバスの運転手が、ヤバクなったらロープをパッね、みたいなことを手真似で伝えます。そりゃそうだ、ボロバスと一緒に谷底へさよーならではしまらない。
それでもなんとか小一時間で引き上げ、パキスタン人もフランス人もオージーも、そして日本人も皆隣の奴とガハハっと握手。そして何事もなかったかのようにギルギットまでの旅が再び続くのです。
ギルギットからイスラマバードまでは、一国の首都への道だと言うのに非常にヤバイ地域となります。
ギルギットからは一般のバスではなく、ガイドがついたミニバスになりました。ガイドが付かないと、外国人は行っちゃいけないんだと言われたのです。余分のガイド料が加算されるので参るのですが、なぜかはすぐにわかることになります。
街道の途中の谷間の小さな集落があります。チャイ屋と飯屋を兼ねたような蹴飛ばせばガラゴロンと谷底に落ちていくような店があって、さて一服ということになりました。
実は、ガイドはやめようと言い張ったのですが、外国人勢が、なぁに言ってんだか、いい景色じゃないか。ケツが痛いし、ショベンしたい、とわがままを言って止めてしまったのです。
降りた私たち外国人がチャイを飲んでいる横で、ガイドが店の親父としきりに交渉らしきことをしています。
私は一服終わって、さぁて出発しますかと、なにげなくそのチャイ屋の店の奥を見るともなく見てしまったのです。てらてらと黒く光るAK47自動小銃が数丁、さりげなく店の裏にたてかけてあるのです。スキやクワのようにさりげなく置いてあるのがかえって、こわい。
そして、今まで人のよさそうな笑みを浮かべていたチャイ屋の親父、その隣の息子、そして老人らしき三人が、ガイドとなにやら激しくやり合っています。
カラシニコフを見てしまった後は、ゾッとしました。すると、ガイドは札を手づかみにするような勢いでチャイ屋の親父に握らせると、もう私たちの尻を蹴り飛ばさんばかりの勢いで、「さっさとバスに乗れ、置いていくぞ!」と叫びましす。こういう時のブロークン・イングリッシュは絶対に通じるから不思議。
その村から離れてしばらくして、ガイドは私たち外国人にこう言いました。
「あの村は山賊、バンデットの村だ。馬鹿野郎!だから俺はよせと行ったじゃないか。通行料を寄越せといいやがった。
同族のオレがいたからいいようなものを、お前らがあいつらに捕まると身ぐるみはがれて、谷底に捨てられるんだぞ。いったん殺されたら、行方不明で終わりだ。さぁさぁ、俺がやつらに渡した通行料を徴収するぞ!割り増しだ!」
村ごと山賊、バンデット、当地の言い方でダコイトは珍しくないそうです。私がびっくりしたカラシニコフにしても、結婚式の祝砲でバリバリ撃ちまくり、流れ弾で花婿ケガ人というのですら、まぁお察しください。
アフガニスタンは指呼の距離にありました。部族的にもパシュトゥン族は、国境を超えてパキスタンとアフガニスタンに分かれて住んでいます。国境はイギリス人が勝手に引いたものですから。
偏見と言われるかもしれませんが、私は日本人ともっとも遠い国は、このようなパキスタン北部やアフガニスタンのムスリムではないかと思います。このアフガニスタンで゛農業指導に取り組み、タリバンにより殺された「ペシャワールの会」の伊藤さんの遺影をアップします。「ペシャワールの会」は、タリバン支持をはっきりとさせていたNGOです。
このような国に職業援助といって4500億円も出す為政者の気がしれません。
■写真は、伊藤氏の遺影以外Wikipediaより引用。
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