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2012年8月21日 (火)

米国熱波・バイエタ政策に非難の嵐

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「日本農業新聞」(8月21日)によれば、バイオエタノール(バイエタ)が米国で批判の的になり始めてきたようです。大変に遅いですが、まずはまっとうな反応でしょう。

国連食糧農業機関(FAO)のダシルバ事務局長は、「(米政府が)誤った対応を誤れば、(世界的な)食糧危機を招きかねない」と警告を発しました。

ダシルバ事務局長によれば、FAOは米政府に対して穀物価格の高騰を押えるためにガソリンのバイエタ使用量を義務づけている再生可能燃料基準(RFS)の適用を一時停止するように求めた、としています。

このような要請はFAOのみならず、米国内の畜産業界や食品業界にも波及しており、7月には上院において超党派でバイエタ使用基準の停止を求める書簡を米環境保護局(EPA)に送りました。

現状では、EPAは「農務省と協働で状況を注視する」と慎重姿勢にとどまっており、農務省サイドも「再生可能エネルギー投資に打撃になる」として同じく使用基準の見直しには腰が引けているようです。

これはオバマ政権が再生可能エネルギーへの転換による雇用創出政策の重要な柱としてバイエタを位置づけたことによります。

しかしこのようなテクノクラートの姿勢に対して、大統領選で「揺れる州」(スイングステート)と呼ばれる檄戦地はまさにこの熱波による干ばつ地域に入っており、この地域の畜産業者たちの声を頭から無視することは無理な情勢だとも伝えられています。

一方、バイエタ業界はオバマ陣営の重要な支持基盤であり、大統領陣営はこの対立の中でモミクチャにされているようです。

これは背景に、ブュシュ政権が2007年に始めたバイエタ政策により、バイエタ生産を当時の50億ガロンから一挙に350億ガロンに生産拡大する政策の流れがあります。

この目標に掲げた350億ガロンのバイエタを製造するためには実に122億ブッシェルものトウモロコシが必要となり、今の米国で生産されるトウモロコシ全量をバイエタに回してもまだ足りない馬鹿げた数字でした。

にもかかわらず、このバイエタ政策が単なる目標値ではなく、法的に再生可能燃料基準(RFS)として義務づけられたためにバイエタには多額の投資資金が流入し、今やトウモロコシを作ることは食糧生産ではなくバイエタ生産であるかのような倒錯した構図が生れてしまいました。

このバイエタ生産の急増による圧迫のために米国のトウモロコシ輸出余力はみるみる縮小し、既に2006年には輸出とバイエタが並び、翌年07年にはバイエタが大幅に上回り全体の27%を占めるまでになってしまいました。(下図参照 柴田明夫「水戦争」)

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今後、今年の記録的熱波のみならず、毎年のように繰り返される気象変動と水資源枯渇をもろにかぶる米国の穀物生産にとって、もはやバイエタなどという偽りのエコにうつつを抜かしている余裕はないはずです。

2012年8月 1日 (水)

米国農地の砂漠化の進行 穀倉の水源オガララ帯水層の危険な水位低下

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      図版 Wikipediaより危険な水位低下 低下は赤とオレンジ、増加は水色と紫)

昔、ヒューストンからの帰りの飛行機から地上を眺めたことがあります。行けども行けども土漠が続く乾燥しきった大地に、真円の巨大な染みが沢山あることに気がつきました。

後でわかったのですが、あれがセンター・ピボット灌水という奴です。「米国のパンかご」と言われるグレートプレーンズ(大平原)では一般的な灌水方法だそうです。

下の写真を見て頂くとその巨大さが分かります。大きなもので半径1㎞もあるような巨大な自走式散水管に化学肥料入りの汲み上げた水を高圧をかけて注入し、ザーッと散布していきます。(写真 アイダホのジャガイモ畑 出典同)

ですから真ん丸の農場という異形のシロモノが出来上がるというわけです。アメリカ人はやることがなんにつけてもゴツイですな(笑)。私たち日本人には考えもつかないですよ。

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この方法で地下のオガララ帯水層から地下水を大量に汲み上げ、日本のような土づくりなんてまだるっこいことはいっさい省略。

巨大トラクターで耕耘してから飛行機で種をぶん播き、後はピボット灌水で汲み上げた水に化学農薬と肥料を入れてブッかけて、成長したら巨大コンバインで収穫して一丁上がりです。最初から最後まで農場主は土に触りもしません。

典型的な収奪農法です。自然環境から奪うだけ奪って与えない。与えることをせず、土を生産にだけ隷属させ、絞り尽くせば使い捨てにして去っていくという農法です。

しかしやがて、強引な灌水は農地を地中から塩を噴かせるアルカリ土壌に変えていきます。

また等高線に沿って計画的に土留めをしないために、いったんアルカリ化した砂を大量に含んだ土砂は崩れて、低い土地をも呑み込んで拡がっていくことになります。

これが砂漠化です。米国農地では今静かに砂漠化が進行していると考えるべきです。近年毎年のように続く熱波はこれと何かの相関関係があるかもしれません

このような収奪農法は米国やブラジル、あるいはロシアなどでしか可能な農法ではありません。狭隘なわが国でこんな農法をとれば十年たたずしてすべての農地は消滅してしまいます。

私はこのような持続することをハナから捨てているような農法を、「農業」とは呼びたくありません。これは水と土という貴重な人類が共有するべき地下資源の私的略奪です。

作物にとって水は欠くことのできないもので、特に主要作物のトウモロコシは大量に水を必要とします。

この水をグレートプレーンズではこのオガララ帯水層から汲み上げています。ですからこのオガララ帯水層とグレートプレーンズは完全に重なっています。(グレートプレーンズは緑色部分・下図参照 出典同)

このオガララ帯水層と五大湖によって潤う湖周辺地域を合わせて、米国の穀倉地帯は作られています。言い換えれば、「米国のパンかご」の過半はこのオガララ帯水層なくしては成立しないのです。

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オガララ帯水層は、ロッキー山脈東側の大平原の地下に存在する文句なしに世界最大級の地下水層です。総面積は450,000km²で日本の国土の約1.2倍という馬鹿げた広さです。わが愛する霞ヶ浦などここにくると針穴ていどになってしまいますな(笑)。

オガララ帯水層は氷河期の地球が遺してくれた恵みとも言うべきものですが、年間降雨量が500mmに満たないこの地域では、増えることは期待できません。

むしろ、人間の乱開発がないとしても、大草原特有の乾燥した強風によって地表水や降水の蒸発が促されているために蒸散し続けています。

しかも、オガララ帯水層は地下水の蒸散を早め、降雨を浸透させない働きのある炭酸カルシウムの不透水層によって覆われているために、降雨は地下浸透しません。わずかに降った雨水は地表を滑るようにして川に流れ込んでいってしまいます。

つまり、いくら巨大な地下水帯だろうと、新たな増水が期待できず、むしろ減る一方なのにもかかわらず、それを戦後本格的にジャカジャカ乱費する潅漑農業が盛んになったのですから結果は見えています。

1980年の統計の時点で既にオガララ帯水層からの揚水量は地下水涵養量の3倍に達していました。実に年間1.5mにもおよぶ水位低下の地域すらあり、枯れた井戸が続出しました

冒頭に掲げた地図は、オガララ帯水層の1980年から1995年の地下水位の変化を示しています。水位が著しい低下を示している赤とオレンジ色のゾーンに注目してください。

テキサス州北西部、カンザス州南西部では危険なまでに水位が低下しています。わずかに水位が上昇している地域は水色と紫色ですが、比較するまでもなくオガララ帯水層は水位低下が顕著になっています。

そもそも限りある水資源を収奪農法によって1911年から延々一世紀以上にわたって収奪し続ければ水源の枯渇が起きて当然でしょう。近年になって一定の計画下に置いたとしても既に手遅れであり、一時しのぎにすぎません。

米国の輸出を前提とする過剰な穀物生産を見直さない限り、米国の農地の砂漠化は不可避だと思われます

念のために申し添えますが、この問題とわが国畜産や食品加工の米国依存は別次元の問題です。それぞれの国で解決を見いだしていくべきで、グローバリズムは解決にならないと私は思っています。

2012年7月31日 (火)

米国農業は輸出補助金なくしては延命できない体質だ

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米国農業は一風変わったスタイルをしています。それはハナから輸出シフトだからです。

もちろん、伝統的な家族農業を基礎とするこまやかな野菜作りは弱体化しながらも残っていますが、主流はなんといっても自由貿易を前提とする飼料作物の大規模生産です。

米国農業の目玉商品は、願いましては、トウモロコシ、大豆、小麦、米、綿花、ピーナッツ、ソルダム、乳製品、キャノーラ(菜種)などです。

どれもこれもわが国になじみ深いもので、トウモロコシ、小麦は日本畜産の要であり、米国産大豆がなけりゃ国民食たる醤油、味噌、豆腐、納豆などことごとくアウトです。キッコーマンなんぞ、かなり前に産地に近いところに工場を移転してしまったほどです。

なんでこんなに米国農産物に依存するんでしょう。ひとつは安いからです。もうひとつは近いからです。

「近い」ほうから説明しましょうか。米国が熱波で打撃を受けると、各商社は分散調達を開始します。

三菱商事は大豆をブラジルから輸入するためにかの地の大手穀物集荷会社に出資しました。双日はアルゼンチンでの開発輸入を始めています。

豊田通商は今春に、豪州の穀物集荷会社と合弁し、小麦の調達に乗り出しました。三井商事はロシアの穀物会社と提携しています。全農はアルゼンチンからの輸入を開始しています。

と、まぁこのように一斉にアッチコッチに当たりをつけているのですが、なにがネックかというと船賃なのです。船賃はもともと安さを要求される原料用飼料では絶対的条件です。

ところが、昨日も書いたように飼料用穀物が価格上昇すると、連動して原油相場も上昇していく傾向がありますから、同時に船賃も上昇している場合が多いのですね。

ここで、世界最大の貿易ルートである太平航路とマイナーな南米、豪州航路との差がついてしいます。なんせ便数とトン数と船会社の数が桁違いです。圧倒的なボリュームの太平洋航路はなんといっても強い

というわけで、米国依存は日本の商社にとって「わかっちゃいるけど止められない」というわけなのです。

ところで、もうひとつの「安さ」ですが、これは米国政府が輸出農産品にゲタを履かせているからです。

ゲタとは米国が得意とする輸出補助金制度なのです。本来これは、農作物特有の天候異変による市場価格上下を平均化するセーフティネットだったのですが、だんだんと輸出商品のゲタに変化していきました。

何かというと補助金漬けと揶揄されているわが日本の農業補助金など可愛らしいものです。おそらくTPP交渉では間違いなく日本が言わずともオーストラリアやNZあたりからの猛攻撃にさらされているでしょう。

これには5種類の補助金枠がありますので欄外をご覧ください。 (資料1参照)

まさに至れり尽くせりですな。補助金漬けと揶揄されている日本の農業補助金など可愛らしいものです。おそらくTPP交渉では間違いなく日本が言わずともオーストラリアやNZあたりからの猛攻撃に合うことは避けられないでしょうね。

特に②のCCPはひどい。もしこれが日本のコメならば、天候不順で収量が低下したり、品質が悪いために市場価格が下がったら、その差損を政府が埋めてくれるということになります。

ひと頃、民主党が言っていた農家戸別所得補償によく似た発想で、政府の所得移転で農業を底上げしようという考え方です。

しかも米国の場合日本と違って、基幹作物のコメを守るというのではなく、トウモロコシ、大豆、小麦、米、綿花に7割が投入されて、それを輸出攻勢の武器にしろやということですからタチが悪い。(資料2参照)

実は米国の穀物生産は、今年に限らず熱波や洪水で年がら年中作柄が変化しています。こうまでよくやられるのを見ていると、米国農地や治水は相当にダメになっているなぁ、というのが私の感想です。

化学肥料と農薬一本で突っ走ってきた「世界の穀倉」は、間違いなくかんじんの地味が疲弊しきっているように見えます。これによる作柄変動に税金をぶっ込んでやっとのことで安定した輸出を続けているというのが米国農業ではないでしょうか。

ですから今や、外すに外せないゲタと化してしまっているのが輸出補助金制度なのです。 

しかも受給者が大規模アグリビジネスに偏っていることが、米国内部でも問題となっています。 

たとえば受給者第3位のDnrc Trust Land Managemenだけで、09年に政府から受け取った補助金がな~んと290万ドル(約2億3千万円)。おそらく日本の農家でこれだけ一年で税金をもらってしまっては国会喚問ものです。もはやギネス級といえましょう。

ここまで巨額な米国農業補助金はもはや農家支援という次元ではなく、市場価格の86%までもが補助金という凄まじさです。私たち日本人は、米国の納税者の金を食卓に乗せていたわげです。

よく自由貿易論者の人たちは、米国農業がグローバリズムになるのは、輸出を前提にしているためではなく生産過剰にあるといいますが皮相な見方です。

そうではなく、過剰な生産を前提としたグローバリズムなくしては、米国のアグリビジネスは生きていけない特殊な体質があるだけの話です。

ちなみに、米国の自給率が高いのはこのような輸出依存体質があって余計に作ってしまうからで、逆に日本が低いのは国内市場が中心だからにすぎません。

これをして国際競争力がウンヌンという工業製品と同じ尺度で農業を測るのはいかがなものでしょうか。

     ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

■資料1 米国の各種農業輸出補助金制度

①直接支払制度(Direct Payments)・・・土地の価値を評価に対して農業者に直接支払らわれるタイプの補助金。年間約50億ドル。

②CCP(Counter Cyclical Payments) ・・・うまい訳語が見当たりませんが、市場価格の低下による差損を補填するタイプの支払い。差損を補填することで、安価な農産物を輸出し続けることができるために、WTOで禁止されている輸出補助金に相当するとして国外からの強い批判を浴び続けている。

③マーケティング・ローンの提供・・・農産物の販売のための農業ローンを提供しLDP(ローン不足払い)になった場合に差額を政府が補てんする仕組み。

④ACRE(Average Crop Revenue Election Program) ・・・08年に登場した補助金枠で、価格、低収量収入の最低保証をする補助金。トウモロコシ、大豆生産者の全部が加盟していると言われる。

⑤作物保険 作物保険加入にあたっての政府補助金 ・・・農業共済加入に対して与えられる補助金枠。

■資料2 米国連邦政府の農業補助金支出内訳

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2009年10月 4日 (日)

有機JASは 小泉構造改革が導き入れたグローバリズムの流れにあった

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「百姓の子」様からコメントをいただきました。ありがとうございます。

(引用開始)濱田さんがあるところで、小沢民主党の農業政策は農産物輸入自由化を考えており、竹中ー小泉の新自由主義を農業政策に継承しているという主旨を記載していることに関心を持ち、最近、このブログを読み始めた百姓の子の一人です。
(中略)
これがWTOが定めた有機農産物貿易のルールです。そのため、欧米、ことにアメリカにとって日本市場にオーガニック農産物を輸出するためには、是非この有機認証制度を日本で作らせる必要があったのです。

こうした外国の、ありていに言えば、アメリカの利害によって作ることを命ぜられた法律、これが有機JASです。
私が有機JASは日本の有機農業のために生れたのではなく、アメリカの利害のために生れたグローバリズムの法律だと言っているのは、そのためです。

を読んで、竹中ー小泉前政権が、米国の年次改革要望書に沿って政策を進めたと言われていることに対応しているように思いました。

(引用終了)

そのとおりです。
私は有機JASが「トロイの木馬」であると考えるようになってきました。では、何の軍勢を引き込んだのか?明白です。アメリカを中心とするグローバリズムの軍勢をです。
そして、この有機JASに現れたグローバリズムの波は、もちろん単独の波ではありませんでした。1989年の日米構造協議、94年から始まる年次改革要望書と絶えるまもなく繰り出される対日経済要求のわずかひとつの波でしかありません。

_edited_2 このアメリカの年次改革要望書という内政干渉まがいの圧力が本格化するのは、小泉-ブッシュ会談の2001年6月の日米経済パートナーシップからでした。
この小泉-竹中構造改革路線はこれと完全に照応しています。この流れの行き着いたところが郵政改革というアメリカにわが国を売り払う政策でした。

また小泉-竹中改革は、プライマリーバランス論という名で緊縮財政を国民と地方に押しつけました。
結果、惨憺たる有様です。

一方、有機JASは1997年ころより協議に入り、2000年には施行案が提示されており、2001年4月に本格施行されました。
時期的には重なっていますが、小泉元首相の指導関係はあきらかにはなっていません。しかし、明らかに農業分野における「構造改革」のさきがけであったことは確かです。
それは感覚的にではなく、この有機JAS法が国内農業の必然から生れたのではないことでわかるでしょう。この法律は外国からやってきました。コーデックス(国際食品規格委員会)というWTO傘下の組織から交渉が始められ、各国共通の有機農産物基準法が日本に制定されました。

_edited_3 そしてこの法律は一種の貿易の「受信器」であり、「発信器」である同質な外国法と対になっているのです。このような国際規格平準化の大きな例は既にISOにあり、有機JASはこれをモデルにしています。

農水省の頭の中に、このような日米構造協議の流れが入っていないはずもなく、やがて近い将来に来るであろう農業グローバリズムのテストケース、はっきり言えば生贄に有機農業を国際貿易の祭壇に捧げたのです。

しかし、このような日米構造協議-米国の年次改革要望書-小泉・竹中構造改革路線-郵政改革が、ひとつの大きな俯瞰図で私たちが見られるようになったのはわずか数年前にすぎません。
これはご承知でしょうが、関岡英之氏の「拒否出来ない日本」(文春新書)、「奪われる日本」(講談社新書)という衝撃的な著作を待たねばなりませんでした。氏のこれらの労作により、多くの日本人は小泉-竹中政権によって、とてつもなく巨大な売国的詐欺にあったことを知ったのでした。

この私もそのひとりです。そして気がついたからこそ、たとえひとりの声であろうとも発すべきだと考えました。結果、私の社会的営為の10年間を否定することになろうとも、です。

この日米協議-構造改革路線は、形を変えて民主党政権に受け継がれています。今後も継続してウオッチをしなければなりません。
ところで、日経ネットの記事(10月4日)に爆笑するような記事が載っていましたので転載いたします。

小泉純一郎氏は「子ども手当を支給する一方で消費税率上げを4年間やらないのであれば、他の予算をよほど削らないとできない」と民主党の政策に言及。「小泉より徹底的に(歳出削減を)やるのかどうか。(やるのなら)構造改革を忠実に継いでいるのは民主党だ」との見方を披露した。(01:10)

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090930AT3S3002030092009.html

2009年10月 3日 (土)

私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ その7  なぜ、かつてのタペストリーのような有機の畑は消えたのか?

Img_0002_2 2日間のお休みをいただきました。
葦原微風様、ありがとうございました。いただいたコメントがなければ、もうしばらく書くのは止めようかと気弱に思っていた時でしたので、強い気持を頂戴いたしました。
なかなか自分の関わったことを書くのはしんどいものです。自分の手袋が白いことを証明するためにではなく、自分の成したことがいかなる結末を見たのかを知るのは、なかなかしたくはないことです。

さて、グローバリズムは決して抽象的な事柄でもなければ、海の彼方にあることでもありません。むしろ私が日々日常でその中に住む世界の中にこそ、グローバリズムがあるのだということを知るために、このシリーズを書き始めました。

えてして、私たち有機農業の世界に住む住人は、高踏的と言われる場合があります。どこか日本農業に対しても、突き放したというか、容赦のない批判者に終始しています。
私は、ある高名な有機農業者の口から、「長年の誤った化学農薬と化学肥料への依存が、今の日本農業の衰退を生んだのだ。反省して、一切の化学農薬と肥料を切ることから始めろ」という言葉が吐かれたのを聞いたことがあります。

Img_0005 これは、もちろんその人の確かな経験と理論から生れているわけですが、なんと無慈悲な言いようでしょうか。なんと相手の生き方を断ち切る言葉なのでしょうか。私が既存の農家ならば、金輪際、こんな連中とは関わろうと思わないことでしょう。


私はその同席したその場で、「違う!断じて違う!」と心の中で吠えていました。自分の到達した地点をして山頂と見なすなら、なんとでも言えます。では、今の日本の有機農業が置かれた位置はなんなのですか。その人が居る高嶺は、道標なき独立峰ではないですか。

その高名な農業者も有機JASの認証団体の責任者も勤めています。しかし、自分の農場は有機JASに入れていません。この自分の中にあるギャップに向き合わないで、他者へ原理的な決めつけをするならば、それはどこかおかしいと私は思うのです。

Img_0006 なぜ、有機農業に一般の農民がそれぞれの道を辿ってやってこれないのか、何が立ちふさがっているのか、その障害の原因を明らかにせずに、「農薬を切ってこい」ではなんの解決にもならないのではないでしょう。

私は、多くの原因があると思いますが、その筆頭に有機JAS制度を挙げます。

有機JAS制度の前の有機の畑は精緻なつれづれ織りのようでした。
初夏ともなると、茄子の根本にはねぎやニラが植えられ、トウモロコシの茎を支柱にしてインゲンのツルが巻きつき、水田の畦の淵には大豆が育っていました。シャレた言い方で、このような農法をコンパニオンプランツ、混植(混作)といいます。ねぎが好むシュードモスという土中微生物の働きを借りて、病害虫に弱いナス科を守る知恵です。

ちょっと前までの有機農業をやっている農家は、いっぺんに大規模な作付けをしなかったものです。だいたいが、2畝~5畝(1畝=0.1アール)といったところです。
その理由は、畝ごとに互いに相性がいい作目を植えることができるからです。ナス科の横にユリ科、ユリ科の横にはセリ科を植えたりして、できるだけ、人様が虫をとったりする手間をかけずに、自然界が自分で勝手にやってくれる仕組みを作っていたのです。そうです、
「自然界が勝手にやっいてくれる仕組み」を少しばかり手伝うこと、それが有機農業なのです。

Img_0078 そう言えば、ハーブなどというと、今やイタリアンの流行で多く作りますが、初めに畑に植えてみた農家は、食べようというより、その強烈な臭気(失礼)で害虫を追い払うために作ったのが始まりです。バジルなどは害虫予防に効きます(笑)。春菊も強烈に土壌せん虫を寄せつけません。マリーゴールドもそのような働きをします。

ところが、このようなタペストリーのような畑を今作ろうとすると、「有機農産物」の名での生協や大規模流通への出荷はあきらめねばなりません。もうお分かりですね、有機JASのシールがつけられないからです。

もちろん、有機JASの基準にはただの一行も、混植をやめろとか、一作をどれだけの面積にしろとなどとは書いてありません。それはあくまで農家の自由であることは確かなのです。しかし、現実にやってみたらわかる。茄子の根本のネギやニラを、どのように管理票に書くのか・・・?!
そして仮にそれができたとして、あの煩雑にして膨大な認証システムに乗せる手間と意味がどれだけあるのか。

・・・ナンセンスです。無意味。それは伝統的農法の破壊でしかない。

Ezln_1_3有機JASは、イリノイの広大なとうもろこし畑や、オーストラリアの小麦畑にふさわしい。ここはアメリカでなければ、オーストラリアでもない、日本という湿潤な、褶曲に満ちた、その里と森にそれぞれの神が宿りたもう土地なのです。
細々とした作物を、土にはいつくばるようにして、年に四季折々40品目以上を慈しみ作る土地なのです。飛行機で種と農薬をばらまいて、大型ハーベスターで収穫する国と同列にしないでいただきたい。

今、日本型有機農業は消滅するか、JAS有機制度の外にその世界を求めようとしています。あるいは今まで通りの孤立した高嶺に留まって終わろうとしています。
そしてその代わりにやって来たのが、有機農業の大型化と単作化、つけ加えるのなら外国有機農産物の流入です。この流れは押し止めようもなく、今も続いています。

有機JASは日本の有機農業のいわば構造改革でした。今までのあり方を守旧派として切り捨て、新しい有機JASによる新世界を夢見たのがこの私です。結果、私は日本の有機農業に対するグローバリズムのトロイの木馬の役割を果たしてしまいました。

私はこれが大きな誤りであったと認めます。時間がかかりましたが、そう思います。そのことで初めて、メキシコの密林で今日も戦うサパティスタの農民と笑顔で話ができるのではないかと思います。

■写真の最下段は、メキシコのサパタ民族解放軍のインディオの農民。覆面をしているのは、弾圧を家族に及ぼさないためと、自分は多くのメキシコのインディオのひとりなのだという意思表示だといいます。

2009年9月29日 (火)

私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ その6   民主党政権トレサビリティ路線は官の権限の肥大化

_edited 民主党政権がトレサビリティを徹底すると言っています。GAP(適正農業規範)もど~んとやるんだとか。
ため息がでてきますね。だから素人はイヤダ。
民主党の政策は、野党時代に培った消費者団体や市民運動家の意見が、多々盛り込まれています。CO225%削減から始まって、夫婦別姓、外国人参政権付与、人権擁護法とか・・・このトレサビリティもいかにも、消費者受けしそうな政策です。


例の悪名高きMA米事件から、このすべての農産物にトレサビリティを義務づけようという流れが現れてきたようです。しかし、このMA米事件は大きくはWTO交渉によるMA米という関税に伴う措置からきているのですし、悪徳業者と農水省の地方事務所の怠慢による失態がそれを助長しました。
だからといって、トレサビリティをすべての農産物に拡げようというのは、いかがなものでしょうか。

有機JASは、日本でたぶん最初の農産物トレサビリティでした。ですから、トレサビリティに関してはもっとも経験を摘んでいます。なんで民主党は、トレサビリティなんて政策を考えつく前に、なんでうちの団体にでも見学に来ないんでしょうか。

D_edited まずは左の写真をご覧下さい。うちの団体の冷蔵倉庫の扉に貼ってある表示です。この貼り紙の黄色の欄の上から二番めにご注目下さい。「エコチャレンジ」とあるのは減農薬減化学肥料(特別栽培=特栽)というジャンルの商品です。
また「theふーど」とあるのは有機JASのジャンルの商品です。
「このふたつを区分して保管しなさい」とこの貼り紙は注意を促しているわけです。

素人の皆さんは、トレサビリティと気安く一言で言いますが、これほど大変なことはありません。やりゃ分かる。
つまりは、消費者が手にした一本のニンジンが、どの畑で、誰が作り、いつの時期に種を蒔いて、どのような栽培管理をして、どのような土壌資材や種を使って、いつ収穫し、そしてそれをだれが生産工程管理の責任を負い、そしていかなるジャンルの農産物であるのかを誰が格付けしたのか・・・まぁおおざっぱに言って(←これでもですぜ)、このようなことを明確に表示し、区分して保管する。

以上の工程すべてをせっせと帳簿を作り、記録し、保管するわけです。帳簿の記録だけで膨大なものとなります。うちのグループでは事務所の壁面にいっぱいズラーっとファイルされて並んでおります。
あ~、よ~やっているよですが、しかしこれが有機JASを取得した個人や団体の負わされた有機JAS法に基づく義務です。このうち一点でも間違っていたり、虚偽をすれば認証取り消しとなります。

Img_0025_edited_edited_edited_2 そしてこの工程管理は、単に帳簿だけにとどまらず、倉庫、コンテナ、荷姿、トラックに至るまで区別されて管理されなければなりません。流通業者の手に渡るまで、取り引きの伝票、農産物の区分けをするわけです。

私たちのグループではこれらの管理のために専従職員を雇用しているほど、大変な手間となります。また、上の貼り紙のように、農産物の区分けのために、それを置く冷蔵倉庫を別途に使用しています。

これがいかにすさまじいコストを農業現場に要求するものか、なんとなくでもお分かりいただけましたでしょうか。このコストは販売価格に転化できませんし、とうぜんの国はビタ一文支援の助成などは出してくれません。ただひたすら取り締まるだけ。
前に一度試算したところ、センターコスト15%のうちの実に5%という腰が抜けそうな数字が出て、見えません、見えません、見えなかったことにしよう、クワバラ、クワバラ、ツルカメ、ツルカメと言い合ったことがありました。

私たちもこれが有機農業の生産にかかるコストや手間なら惜しみませんよ。多少高い土作りだって、微生物の研究だって、有機に向いた種作りだって、いくらでも金をかけます。しかし、このトレサビリティは、なんの生産もしない、ただの表示義務だというだけだからバカバカしくもなります。

そうです、この有機JASのもうひとつの側面とは、このトレサビリティの徹底して至り着いた姿です。日本の農産物の大部分がされていない現状ですが、この有機JASのやり方に他を合わせようというオソロシイことを、民主党の素人衆は仰せになっているようです。これがどのようなことを招くのか、一回有機JASの現場を視察してから、マニフェスト化して頂きたかったものです。

とまれ、このようにしてトレサビリティの行き着いた姿である有機JASにより、有機農業のコスト増大と、行政の権限の関与の肥大化を招いたのでした。
前々回で有機JASの三つの大罪と言いましたが、ここにもうひとつ追加します。四つめの大罪、有機農業に対する行政権力の関与を大きくし、官の権限を強化してしまったこと。

JAS有機で踏んだ轍を、他の農業部門もが辿ることを、民主党政権は選ぶのでしょうか。

(くたびれてきたけど、まだ続けると思う)

2009年9月28日 (月)

私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ その5    支援がないのに、取り締まりだけあり、とは

_edited_5 葦原微風様、余情半様、ゆっきんママ様、コメントをありがとうございます。有機JASについては、ほとんど話題にすら登らなかったために、国民の大部分は知らないままに通りすぎているというのが実態ではないかと思います。
なぜでしょうか?

その大きな理由は農水省の不作為です。不作為・・・本来すべきことを知りながら作為的にしないこと、まさに有機農業に対する彼らの農政には、この言葉がもっとも適しています。

農水省は、JAS有機を施行するにあたっての幾度とない説明会の席で、この法律を作らねばならない理由を、コーデックス(WTO傘下の国際食品規格委員会)の外圧と、有機農産物の表示法がないために似非「有機」の跋扈状態をあげています。つまり、一方で「黒船が来るよ。もう浦賀の港の外で大砲を撃っているよ」と脅しながら、一方で「あなたたちもニセモノにはお困りでしょう」と宥めるというわけです。

_edited_2 この「脅しと宥め」のカードを巧妙に繰り出す中で、私たちが自ら有機JASを率先して取得するように追い込んでいった、ややブラックに言えば、そういったところです。
われながら、歯ぎしりをしたくなるような愚かさです。

政治力というものに疎い私たち有機農業者を手玉に取ることなど、しぶといJAや自民党農水族と,年中わたりあったり、野合したりしている農水省官僚にとってはまるっきりの楽勝であったと思います。 反骨精神と浪漫だけは人一倍あり、理屈っぽく、ナイーブ(←褒め言葉ではない!)、情報力も貧弱。政界への人脈、笑えるくらい、なし。資金力は聞かなくても、ゼロ。従って、政治力、ダメダメ。ああ、私の性格そのもののよう。まさにこれが、われらが「業界」のいいところでもあり、ダメなところでもあります。 私たちがJA農協のように巨大な利害集団であり、関係議員もわんさかいる票田であったのなら、議員先生のひとりも出てきてもう少しまともな有機JAS法が出来たのでしょうが、有機農業関係の議員など、今に至るもツルネイ・マルティ氏ひとりしかいないという寂しさが、わが「業界」(てなもんか)の実力なのです。

2005年に有機農業推進法が全会一致で採決されただろうって?いえいえ、あれはマルティさんの孤立した力業と、中島紀一先生など有識者のご尽力があったればのことで、有機農業の生産者の力とはかならずしも言えません。われらが同業者は、自らの支援法にすらまったく大同団結できないことを満天下に示してしまったのではないでしょうか。


まして農水省などの発意ではまったくありません。彼ら官僚は国会で通過した後に、上部から「今後有機農業が日本で可能かどうかなどという議論はしなくていい。推進法が出来た以上、この方向でやれ!」と一喝されて、渋々重い神輿が上がったのだと聞いたことがあります。

まぁそれはともかく、有機農業推進法は、むしろ国会での「全会一致」などということ自体、国会議員諸公にはどっちでもいい、痛くもかゆくもない「総論賛成、各論なし」の法律だったということです。
実体を作るには、各地での有機農業者の自覚を待たねばならない、そのような融通無下というか、ファジーな法律だったのです。

_edited_4 EUなどでも有機農業推進法に似た法律は多くあります。それも10年以上前に作られて、現実に有機農業を国策化すらしています。EUの有機農業認証制度や直接支払い制は、このような流れの枠組みの中で登場する諸政策なのです。
どういうことかといえば、直接支払いや支援法などを作るためには、その対象を絞り込む必要があります。どこまでを「有機農産物」と呼ぶのか、その基準が必要となるわけです。
だからそのために、有機認証制度が必要だったのです。

大事なことですからもう一回繰り返しますね。 有機農業を支援するための制度作り(制度設計)をするためには、どこまでが有機栽培であるのかの線引きが要ります。それを基準として明示せねば、支援する「範囲」が明示できないからです。
だから、本物の有機農産物と似非有機を厳しく区別する必要が出て、有機生産基準と、それがほんとうの有機農産物であることを立証する認証システムが生れたのです。それが本来の有機認証制度のあり方だったのです。つまり支援政策=育てると、基準を作る=取り締まる、という一見相反する概念は同じ政策哲学から生れていたのです。

一方わが国農政には、有機農業に対しての「哲学」自体がありません。ですから、初めから有機農業を支援する意志などさらさらないし、ただひたすら外圧に屈して私たちを生贄を差し出しただけでした。これがJAS有機認証という歪んだ法律が出来た誕生の秘密でした。
本来あるべきだった有機農業に対しての政府の支援政策はおろか、自分たち官僚が外圧に屈した結果生れたはずの有機JASに対してすら政府広報もまったくせず、痛みすら感じなかったのです。重箱の隅をつつくような表示義務違反を取り締まるだけが、農水省の有機農業政策でした。ですから、JAS有機の所轄は、表示法担当部局であって、有機農業部局ではありません。いやそもそも、あれだけの巨大な官庁の中に、有機農業担当部局など、いまだもって存在しないのが農水省です。こんな彼らに、これから来る本格的なグローバリズムと闘争ができるのでしょうか。

ただですら経営体力があるとはいえない零細な有機農業者や団体に対して、この10年間で行われた支援はまったくのゼロ!そして、有機認証の重圧の上に、覆いかぶさるようにして厚労省管轄のポジティブリスト制度までもが発足するに至っては、気分として「どうして有機農業ばかりいじめ抜くのか」といったところです。これで日本の有機農業が成長したらほんとうに奇跡です。

これを農政の不作為と呼ばずして、他になんと呼べばいいのでしょうか。そしてこの不作為を許したのは、苦々しいことには、ほかならぬ私たち自身でした。無知と無力は罪です。

(続く)

2009年9月27日 (日)

私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ その4   外国農産物に門戸を開けたら

_edited これまでのこのシリーズ3回をお読みになって、有機農業関係者が雁首を揃えてJAS有機に批判的だとお思いにならないでください。このことについては、微妙に意見が分かれている、というのが実際のところでしょう。

「有機農産物や食品の信頼を担保して、その市場拡大、発展に欠くことの出来ない法律・制度」、といったあたりが一般的な見解でしょう。

しかし、私は有機JASの大罪は、三つあると思っています。

まず一つめは、日本の農業の現場を無視した外国基準を丸呑みしたような直訳的あてはめが、日本の有機農業者の経験や蓄積といった農業「現場」を混乱させ、時には破壊すらしました。これはJAS有機の認定を捨てていく農家が増えていることでもわかります。

次に二つめには、有機農業推進法ができる2006年12月まで、実に5年間もかかったことです。これでは順番が逆です。「育てる前に規制した」ことにより、芽ばえかけた有機農業への参入の道を潰してしまいました。今やJAS有機を取得しようとする新規農家はほとんどいない有様です。
これら二点については別な回でくわしくお話します。

_edited そして三つめは、輸入有機農産物を激増させたことです
今日はこの三点めをお話します。

[以下引用]

有機農産物の生産の5倍が有機輸入農産物
―01年度の有機農産物生産・輸入実績―

 農水省は10月30日、01年度の有機農産物と有機農産物加工食品の格付実績(生産量と輸入量)を発表した。

 それによると、有機農産物の国内格付量(生産量)は3万3,700トンで、野菜が1万9,700トン、果樹が1,400トン、コメが7,800トン、麦が700トン、大豆が1,100トン、緑茶(荒茶)が900トン、その他農産物が2,100トン。

 国内生産量に占めるこの有機農産物の割合は約0.1%で、品目別には野菜が0.13%、果樹が0.04%、コメが0.09%、麦が0.08%、大豆が0.43%、緑茶が1.10%であった。

 これに対し、海外で有機認定されわが国に輸入された有機農産物は国内産の5倍の15万4,600トン。最も多いのは大豆で6万1,000トンで、次いでその他農産物(アーモンド、緑豆、紅茶など)が5万8,500トン、野菜が2万6,200トン、コメが2,672トンなどとなっている。

(2002/11/15「全国農業新聞」))[引用終了]

この数字はJAS有機を始めてわずか1年半しかたっていない極初期の数字であるにもかかわらず、一挙に堰を切ったような輸入がはじまったことを示しています。
野菜が国産有機が2万t弱である対して、輸入有機野菜は2万6千tと、軽く国産有機を上回ってしまいました。大豆などは比較にもなりません。国産が約1千tであることに対して、その60倍もの約6万tがなだれ込んできました。

_edited_2 今試しに、スーパーで「有機しょうゆ」と表示されている商品を買ってみましょう。手元にはたまたまキッコーマン「有機しょうゆ」がありますが、有機大豆はアメリカ産です。また認証団体はEcocert-QAIとありますが、これはアメリカとフランスの合弁会社です。なんのことはない、日本の醬油という伝統食の原料は、原料もアメリカ、認証団体もアメリカというわけです。国産は工場と有機JAS法だけだというわけです。

味噌や納豆などで「有機」と表示されているものの、特に国産有機と表示されていない限りほぼすべてが外国産です。また野菜ジュースなどの原料としても多くの果汁原料が輸入されており、国産はほとんどない状況でしょう。

輸入農産物は、1961年に6千億円だったものが、1998年に4兆円を超え、現在も増加し続けています。特に食品業務用としては圧倒的なシェアを有するようになりました。

この輸入農産物の新たな市場拡大の要求として、日本の有機農産物市場が狙われていたのです。そしてその目論見のために有機JASが外国の圧力によって「作らされた」というわけです。

私は自分の経験からも、農産物がいったんグローバリズムに門戸を開放するやいなや、たちまちにして輸入農産物に国内市場を洪水の如く制圧されると思っています。

(続く)

2009年9月25日 (金)

私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ その3  アメリカの農産物輸出のために作られた有機JAS

_editedJAS有機認証(以後「有機JAS」と表記)という法律は、さりげなく農林規格(JAS)という実に地味な法律の枠内に納まっています。改正JAS法で、2001年4月実施の有機農産物が入りました。このJAS法というのは、醬油の特級がどうしたの、スパゲティの太さがどうしたのという、まぁ今やあってもなくてもいいと言うとなんですが、古色蒼然とした法律です。

Yuuki_2 ところがこの一見地味な有機JASは、とんでもない食わせ者でした。というは、普通、JAS法は国内法であると思われるでしょう。ところがそうではないのです。有機JASは、なんと青い眼をした「出身欧米、現住所日本」というヤツだったのです。

有機農産物、オーガニックだけは、実に変わった輸出入における性格を持っています。輸出した先で「有機農産物」と商品名をつけるにはその当該国の有機認証法をクリアせねばなりません。そして、出す方の国も同様な有機認証制度を持つ必要があります。

ですから、アメリカの有機農産物を日本に輸出したい場合、名無しならどうでもいいのですが、「有機農産物」(オーガニック)と商品を名乗りたいのならば、アメリカで同等の有機農産物の表示法があり、かつ、日本の有機認証を受けてパスせねばなりません。

_edited_2これがWTOが定めた有機農産物貿易のルールです。そのため、欧米、ことにアメリカにとって日本市場にオーガニック農産物を輸出するためには、是非この有機認証制度を日本で作らせる必要があったのです。

こうした外国の、ありていに言えば、アメリカの利害によって作ることを命ぜられた法律、これが有機JASです。
私が有機JASは日本の有機農業のために生れたのではなく、アメリカの利害のために生れたグローバリズムの法律だと言っているのは、そのためです。

ですから、初めに出てきた有機JASの素案にあった生産基準の文言などは、まさに横文字の羅列化、判じ物のような直訳ばかりでした。訳している農水官僚が、有機農業など学んだことも、見たことすらないのですから、宇宙人から頂戴した手紙といった塩梅。

法律が施行されるまでに大分ましになりましたが、そもそも日本で出来たものではなく、日本の有機農業などどうでもいいと思っている農水省が押しつけてきた有機JASの生産基準は腰を抜かすような文言に溢れていました。

たとえば、有機圃場(畑のこと)と圃場の距離は20m開けろと出てきた時には、怒るよりも爆笑の渦でした。そんなところが言うも愚かですが、日本のどこにあるというのすか。これだけの距離がないと農薬の飛散を防げないと言う。やがて、言っている農水省の役人も苦笑し始めます。これも後に、どうやらアメリカ大陸の道路の幅員が根拠だと分かってきました。

_edited_4あるいは、慣行農法(通常の化学農法)の畑で使用したトラクターは、完全に洗浄しなければ、有機圃場で使用できない。その洗った記録を残すこと。はいはい、あんたら現場を知ってるのかねぇ・・・。

はたまた、同じ作物を慣行と有機で並行して作る場合は、農薬飛散の可能性があるため、収穫時に慣行との境界の有機を4mを慣行として出荷しろ。つまり、せっかく作った有機農産物を、隣に慣行の畑があったら災難、有機としては捨てねばならぬってことですな。

土壌資材として一切の化学処理されたものは禁じる。これの打撃は大きかったですね。原料が天然素材であったとしても、その工程の中でたとえばひとつでも硫酸などが使われていたら、もうその資材は使えなくなります。これによって、リン系や苦土石灰系の資材が軒並み使用不能になりました。

別に危険だからウンヌンではなく、ただ化学資材が微量使われていたというだけで、今まで堆肥を作る上で不可欠だった安価な過リン酸石灰や苦土石灰などが使用不能となり、わざわざバカ高いグアノというフィリピンの孤島で採れる水鳥の糞を使わざるをえないというお笑いです。

また、培土や種子にいたるまで一切の薬品の使用が禁じられました。培土はともかくとして、種子は種屋から購入する以上、既に保護薬がコーティングされていました。市販品には存在しないのです。種がなくて、農業をやれとでも?これはさすがに多くの有機農業団体が抗議したために、猶予期間が認められましたが。

このような今までの日本で培ってきた農業現場での経験や伝統、そして技術を一切無視して突然に日本に降って湧いたのが、この有機JASだったのです。

このような実情を無視した有機JASのために、日本の市場には外国産の有機農産物が溢れる一方、有機農業は拡がるどころか、多くの日本農民にとって無意味に狭き門と化していきます。

(続く)

■わが村の化蘇沼稲荷神社の祭礼の風景。名物の童女による巫女舞や奉納相撲もあり、実に楽しいお祭です。

2009年9月23日 (水)

私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ その2       グローバリズムのトロイの木馬

Img_0003 上のわが団体のパックセンターの写真を見ると、なんとも言えないほろ苦さがわいてきます。そう、そうだったな、あれを掲げた2001年の秋の時には、無条件に嬉しかったっけ。

今はもはや引きずり降ろしたいような看板ですが、当時は村内への宣言のような気分でした。幕末のある人が書いた手紙にあるように「「もし疑わしく候わば、われらの所業を眼を開けて見よ」とでもいうところでしょうか。このたった一枚の看板の背後には、それまでなにかと言えば陰で、「隠れて農薬さ振ってんだっぺ」というような疑いの視線を、宣言することで「どうぞ、いつでも見て下さい。私たちには隠すものはなにひとつない」、という覚悟とも気負いともつかない強い感情が流れていたのです。

1997年頃から有機認証に対しての私たちの研究は続けられてきました。では当時から、積極的にJAS有機認証を取得するという意志があったかといえは、かならずしもそうではありませんでした。むしろ、世界情勢としてもはやコーデックスがステップ7まで来てしまっている以上、有機認証制度から逃げることはもはや不可能だろうと観念した、というのがほんとうのところでした。

Img_0002ただし一方で、当時の有機農産物を巡る風景がありました。当時は 農水省が定めた農産物表示ガイドラインの時代水準だったのですが、これがどんな杜撰なものかは、私たちは身の回りで見てきました。

生産者が農家の親父さん、確認者がその女房殿、はたまた取り引き流通の担当者。これで「無農薬栽培」を堂々とうたえてしまうのですから、もの凄まじい時代でした。また、「有機」も「無農薬」もいちおうは定めはあるのですが、まぁそんなものは一種のフィーリングのようなもの。

量販店の担当に「どっちがいいすかね、有機じゃわかんねえしょ。無農薬にして下さいよ」と言われた人もいるくらいです。こんな、まっとうな有機農産物を作っている者が馬鹿を見るようなジャングル状態の「有機」に私たちはうんざりしていました。ほとんどが、紛い物。社会面ネタで「有機栽培」のシールが束で売っている太田市場市場が報道されても、懲りることなく悪貨か良貨を駆逐しているのが当時のご時世でした

確かに有機農産物の信頼を取り戻すためには、新しい表示法が必要であったことは事実なのです。では、どのようにして、誰が、となると、そもそも農水省は「日本の風土の中で有機農業はありえない」と公言していた時代ですから、神輿が動くはずもない。では、民間かといえば、われらが「民間」の有機農業界ときたら、まさにバラバラを絵で描いたようなものでした。

Img_0011_2 まずは、日本でもっとも暖簾の古さを誇る日本有機農業研究会(日有研)は、意識の先鋭な小規模農家と、消費者や学者で構成されていました。そこにおいては「提携」方式という個人産直や小規模グループ産直が主流で、それ以外を「商売」として切って捨てる傾向が濃厚でした。

小農-個人産直という従来の提携運動の流れの中では、一定規模以上の流通団体とは組めません。そしてあまりにバラバラで、規格もなく、農法も拡散しており、そしてなにより、余りに小規模でした。

この流れは、有機農業が出来た時からある伝統的な方法でしたが、極少派から抜け出せず、というより、抜け出すことを意識的に否定する考えを持っていたために、早晩行き詰まることは目に見えていました。

そしてそのような時代に、海の向こうからJAS有機認証がやってきたのです。客観的でシビアな、公正な基準、そしてそれを立証する認証システム、私はこれを、「時代だからしかたがない」と受動的に受けとめるのではなく、積極的に打って出て、新しい有機農業の展開する軸にしたいと考え始めました。

そしてこのJAS有機認証を、新しいグループの統合軸に作られたのが、私たち「有機農法ギルド」でした。まさに有機認証制度の申し子とでもいえるでしょう。私たちはこのJAS有機認証を、今までの個々バラバラであった生産基準の統一のモノサシにしようとしたのです。私はためらいもなく皆に宣言したものです。

Img_0010 「今まで考えている自分の有機農業の生産基準は忘れてくれ。以後、私たちと一緒に進みたい人はこのJAS有機認証一本で出荷してもらいます」

私たちが茨城、千葉、栃木という三県をまたぐ広域法人として、有機農産物を流通させる時に、JAS有機認証を用いたのは偶然ではありませんでした。まさに、広域に農産物を流通させることこそが、有機認証制度の本質だったのです。

そして、広域で有機農産物が行き交うトレードは、私たちの当時の視線をはるかに超えて外国からの農産物を自由に受け入れるツールでもあったのです。つまり、それがグローバリズムだったのです。

皮肉にも、私たちはグローバリズムを導き入れるトロイの木馬の役目を果たしてしまったことになります。

(続く)

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