沖縄問題

辺野古移設と普天間2小問題をリンクさせるな

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初めに宜野湾くれない丸さんのリードで書き始めましたが、長くなりすぎたので別記事に移しかえました。

普天間2小問題は、 辺野古移転問題の象徴です。

元来のきっかけはあの米兵少女レイプ事件でした。

この痛ましい事件によって、子供たちの生命が危機にさらされていはしまいか、という思いが出発点だったはずです。

それをなんとか取り除きたいという思いから、移設問題の協議は始まったはずでした。

しかしそれから20年近く経過し、原点たるべき「子供の安全」という視点そのものがなし崩し的に忘れられてきました。

移設問題はいつか政治対立の場と化し、いまや移設を阻止することこそが翁長県政の柱となっています。

くれない丸氏の宜野湾市への問い合わせにおいても、市はこのように答えています。

「一日も早い普天間飛行場の閉鎖・返還に向け鋭意取り組むことが、子どもたちの安全確保につながるものと考えております」

市行政は、今、現実に児童の頭上に米軍機が飛び交っているのに、それに目を閉ざして、基地の閉鎖まで待てというのです。これはすり替えです。

校庭に米軍機の部品が落ちても、抗議はするが、具体的対策は校庭であそばないということだけだ、というのです。

冗談ではない。

Img_eeecd1b9fef45ff394fe862f692ab6chttp://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/183862

この市の返答が伊波前市長時代のものであったとしても、宜野湾市は要は普天間飛行場が閉鎖されないかぎり、普天間2小は移設されないのだと言っているに等しいわけです。

「国外、ないしは最低でも県外」などというのは、いまや空理空論であるのは誰しもわかっているはずです。

わかっていながら移設反対に「鋭意取り組む」ならば、普天間飛行場はそのまま固定化され続ける結果となります。

普天間2小が宜野湾市によれば、「同校の移転につきましては、現在のところ計画はない」以上、翁長知事の移転阻止運動の勝利とは、普天間2小が半永久的に基地フェンスの横にいたままでかまわないということになります。

なぜなら、基地があり続ける限り、「閉鎖・返還に向け鋭意取り組むことが、子どもたちの安全確保につながるもの」だからです。

これで元に戻りますから、これでは永遠の循環論法です。

飛行場移設問題と普天間2小移設問題を、しっかりと分けて解決すべきです。

リンクさせるから普天間飛行場移転されないかぎり普天間2小も移転できない、と言う奇妙な論理になるのです。

私は辺野古の移設に賛成しろと言っているわけではなく、この不毛なリンクを断つべきだと言っているにすぎません。

なるほど本質的には、普天間飛行場が市街地にある限り危険はなくなりません。

しかしそれをいうなら、最低で十数年先、まかり間違えば固定化すらありえるのです。この長い期間、大人たちは「子供への危険」を放置するのでしょうか。

立ち止まってもう一回、守るべきものはなんなのか戻ってみるべきです。

初発は普天間2小のような「子供への危険」をなくすことではなかったのか。それが忘れられているのではないだろうか、というくれない丸さんの指摘は重いと思います。 

そしてそれを議論させない、沖縄の空気もまた。

このようなことにあらためて気づかされた氏の労作に、深く感謝いたします。 

※ネガ(陰画)では分かりにくいので、改題しました。

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米軍ヘリ、また予防着陸

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こちらは緊急で入れた記事です。宜野湾くれない丸さんの寄稿2回目は、もう一本のほうです。ぜひお読みください。

さて、米軍のAH-1Zヴァイパーが予防着陸をしました。今度は読谷です。
AH-1Z ヴァイパー - Wikipedia

「県警などによると、乗員2人と住民に負傷者はいない。ヘリは普天間飛行場(同県宜野湾市)所属の海兵隊のAH1攻撃ヘリ。現場近くにはリゾートホテルがある」(時事1月8日)

予防着陸でも、頻発すれば問題の次元が違ってきます。

Photo時事https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180108-00000034-jij-soci

防衛大臣が厳しく安全要求するようですが、「もっとしっかりと整備しろ」といった精神論ではダメです。

小野寺五典防衛相は8日夜、沖縄県読谷村での米軍ヘリコプターの不時着に関し、米太平洋軍のハリス司令官と速やかに会い、安全対策の徹底を要請する意向を明らかにした。小野寺氏は東京都内で記者団に対し、「調整がつけば9日にもハワイに向かいたい。飛行、運用の安全について直接伝えたい」と語った」(読売1月8日)

偶然ですが、小野寺氏が米太平洋軍司令官と面談できるスケジュールだったのは不幸中の幸いでした。

日米で整備を完結するといった具体策を盛り込んだ整備体制の抜本見直しを提案したほうがいいでしょう。

このような抜本対策は、前方展開基地である沖縄現地軍と交渉するより、そのトップである太平洋軍司令官ハリス氏と話すほうが早いと思われるからです。

技術的には十分可能です。

頻発する米軍機事故は今や政治の領域となってきていますので、政府が自覚的に取り組んで解決しないとダメです。

一方、読谷の村長はこのようなことを言っていました。

「読谷村の石嶺伝実村長は現場を視察した後、記者団に「極めて異常な状況が沖縄で起こっている」と指摘。「ここは日本国かという感じだ。米軍の占領地ではない」と訴え、原因究明までの全航空機の運用停止を求めた」(時事1月8日)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180108-00000034-jij-soci

米軍は事故が起きた場合、その程度に応じて同型機種の運用を停止したりする場合がありますが、航空機全部の飛行停止措置はありえません。

今回の事故は物損なし、人命に異常なしといった予防着陸レベルですから、通常なら同型機種ですら飛行停止されるかさえ微妙なレベルです。

ましてやヘリのダイバート(緊急着陸)で、推進型式が違うレシプロ輸送機やジェット機の運用まで止めることはありえません。

ただし石嶺氏の言いたいことは、これだけの頻度で発生すれば,気分ではわかります。

ですから、今回政府が従来どおりの精神論にとどまっていると、「それみたことか。沖縄はいまでも占領地なんだ」という石嶺氏のような主張が返って来ることは必至です。

いまこそ、日本政府は米軍の整備体制にもの申すべき時です。こんな状態では同盟関係の信頼は担保できないではありませんか。

ちなみに、メディアは、あいかわらず「不時着」という表現をしていますね。

事故時こそ報道する側は冷静に状況を見極めねばならないのに、これでは煽り表現に等しいと思います。

とまれ米軍はこういうことで、しかも今のような緊迫した時期に、日米同盟の信頼性を傷つけないでほしいものです。

ひとつ言えることは、大きな選挙があると必ず法則のように起きる米軍の失態によって、名護市長選が現職有利に傾いたことです。

※追記 ヘリは修理されて自力で飛行して帰還しました。https://news.nifty.com/topics/yomiuri/180109216574/

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うるま市砂浜への米軍ヘリ緊急着陸について

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今日は宜野湾くれない丸氏の寄稿と二本立てです。ぜひ氏の記事をお読みください。

PC修理に休日を棒に振り、苦節丸1日、当たり前に作動する平凡な喜びをしみじみかんじている私であります(うるうる)。

さて米軍ヘリがまたやらかしました。

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「6日、沖縄県うるま市の砂浜に、アメリカ軍のヘリコプターが緊急着陸したことを受けて、うるま市の島袋市長は、沖縄防衛局に抗議するとともに、相次ぐアメリカ軍機の事故やトラブルへの具体的な再発防止策を、国として求めるよう要請しました。
6日午後4時ごろ、沖縄県うるま市の伊計島の砂浜に、アメリカ軍普天間基地に配備されているUH1ヘリコプターが、「回転翼の異常を計器が示した」として緊急着陸しました。
住民や乗員にけがはありませんでしたが、最も近い住宅から100メートルほどしか離れていませんでした。
機体は、今も現場に残されていて、7日朝から、アメリカ軍の関係者が、回転翼を取り外して運び出すなど、機体の撤去とみられる作業を行いました。」(NHK1月7日)

http://www3.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20180107/5090001583.html

まず、緊急着陸についておさえておきます。

緊急着陸(ダイバート)は、不時着(水)とも、ましてや墜落とも本質的に違います。
ダイバート - Wikipedia

「ダイバート(divert)とは、航空機の運航において、当初の目的地以外の空港などに着陸すること。ダイバージョン (diversion)・代替着陸・目的地外着陸とも呼ばれる」(Wikipedia)

煎じ詰めていえば、この三者の違いは

緊急着陸とは、制御された状態で飛行場まで辿り着けずに目的地以外で着陸したインシデント(incident)です。

インシデントとは、事故などの危難が発生するおそれのある異変が発生した事態のことです。

要は<正常以上・事故未満>:、これが緊急着陸インシデントなのです。

その原因はさまざまで、気象状況で引き返した場合もありますし、今回のような警告灯が点いて念のために降りたケースもあります。

2017年9月7日の日航機のようにエンジンから出火という場合は、「重大インシデント」に分類されましたが、今回の米軍ヘリのケースはされないと思われます。

一方、不時着(水)は操縦によって制御された状態ですが、飛行場にたどり着けず機を破損させた事故です。うるま市沖のオスプレイ事故のケースです。

そして墜落は、制御できずに墜ちた事故です。

ね、そうとうに3者の状況は違うでしょう。

自動車に置き換えれば

緊急着陸は、警告灯が点ったので路側に寄せて停止した状態。

不時着(水)は、運転手がブレーキやハンドルを操作しながら、壁などに衝突して止めた状態。

墜落はそのものズバリ、ハンドルもブレーキも効かずに車や物に衝突する状態。

ですから、これを一括して、ぜーんぶ「墜落」だというのはおかしいのです。

この三つの概念を混同してメディアは、前回のオスプレイ不時着水事故も「墜落」と表現していました。

緊急着陸は、特に軍用機だけが起こすわけではありません。

最近では、先月だけで2例もあります。言い方は悪いですが、そう珍しいことではありません。

・2017年12月15日、成田発バンコク行きの全日空805便(ボーイング787―8)が那覇空港に緊急着陸
・同12月14日、上海発米シアトル行きデルタ航空588便(乗員乗客約220人、ボーイング767―300型機)が成田空港に緊急着陸

旅客機の場合、ヘリとちがっ原っぱに降ろすわけにはいきませんから、目的地に着かないで緊急に着陸するのもダイバートと呼びます。

今回は人家から100m離れていたからと言ってメディアは問題視しましたが、ヘリにとって100メートルはまったくの安全距離です。

ドクターヘリなどは、日常的に病院の屋上や庭のヘリポートに着陸しています。

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上の写真は、ドクヘリが、病院の庭のヘリポートに着陸して患者を搬送したときの様子ですが、自動車から10メートルていどの距離です。

コントロールされた着陸なら、ヘリにとって特にアクロバティックなことではありません。

今回の米軍機の緊急着陸は、航空機なら事故を予防するためにとった行動で、パイロットの判断としては間違っていなかったと思います。

むしろ警告灯が回転異常を示していながら飛行を継続していたら、そちらのほうが問題だったでしょう。もっと大規模な事故につながりかねませんからね。

ただしこの間の米軍機、特にヘリの事故が多すぎることは確かです。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/pc-3009.html

これは12月20日の記事でも書きましたが、米軍が大韓航空などの決して整備技術が高いとはいえない(というか世界的に見てもボトム)航空会社に外注化しているためだと思われています。※追記 この機種は大韓航空が請け負っていません。

日本政府は、通り一遍に安全性の確保を要請するのではなく、安いからといって米軍に止めるように要請すべきです。

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宜野湾くれない丸氏寄稿 なぜ普天間2小は1ミリも動かなかったのか その1

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宜野湾くれない丸さんに、更に突っ込んだレポートをお願いしたところ快諾され、労作を頂戴しました。

現地からのレポートは教えられることばかりです。

今回私が目からうろこだったのは、小学校を建てた1969年(開校70年)時点では普天間は休眠状態だったということです。

だから関係者は、後に危険きわまりなくなるこの土地を選択してしまったわけです。

なるほど、これで「どうしてこんな危険な場所を選んでしまったのか」という疑問が、氷解しました。

普天間飛行場が今の軍用機が多数離発着する状態になったのは、復帰後の76年にハンビー飛行場が返還され、普天間飛行場に統合されてからのことなのです。

ですから1970年~1976年の6年間に関しては、NHKの報道のように「基地があるためやむを得ない選択だった。歴史を知れ」と言えるわけです。

ただし、それ以降に関しては次元を異にします。明らかに小学校のフェンスのつい先には米軍基地があるという新しい現実が始まったのです。

この危険性から児童をどのように守っていくべきなのか、行政は深刻に考えて行動せねばならない時代が始まったのです。 

NHKや反基地運動家たちは、開校当時の70年頃のことを言うことで、76年以降の「新たな現実」がなぜ起きたのかというもうひとつの反面に目を閉ざしていたことになります。

3回にわけてアップいたします。なお、タイトルと小見出し、図版等は編者のものです。  

                                                                                     ブログ主

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 ■なぜ普天間2小は1ミリも動かなかったのか その1
                                ~宜野湾市当局とのやりとりに見る真実の一端~

                                                                          宜野湾くれない丸

 小学校建設が急務だった移転当時 、普天間飛行場は休眠状態だった 

普天間第二小学校の校庭に米軍ヘリCH53E の窓枠が落下した事故は半月ほど前の先月12月13日の午前10時08分ごろであった。  

児童に怪我はなかったことは不幸中の幸いであった。  

しかしこの学校が抱えてきた問題の経緯を調べていくうちに、今回のこの事故での児童への精神的な負担が重くのしかかるのではなかろうか、と心が曇ってしまう。

事故から数日後のNHK沖縄のローカルニュースで、時間枠をフルに使って事故の後追い報道をしていた。

番組中では沖縄国際大学の某准教授が解説をしていたが、学校や宜野湾市へ誹謗中傷の電話が掛かってきている事の苦情を述べていた。おっしゃるとおりである。  

礼節の欠片もないそのような電話は絶対に慎むべきである。 

更にこのコメンター氏はこうも話していた。おおよその概要は『(普二小が現在の場所に建設されたのは)混乱の中で歪な都市計画をせざるを得なかった為である。

時代背景を顧みないこのような誹謗中傷は許されない』というような事を述べられていた。 

そして「時代背景を顧みない歴史の考察」は慎むべきであるとのこと。これも同感である。  

60年代半ばから普天間地区の人口が増大して既存の普天間小学校だけでは飽和状態となっていた事実。新たな小学校の建設計画は急務であった事実。  

そして当時は「休眠状態(静か)」だった普天間飛行場に隣接する「あの土地」が用地買収含めもっとも条件が良かったという事実。
※「議会史」(P-138、P-140)に用地買収金額等の可決記録あり。  

だから「あの土地への建設を計画し、(琉球政府から)認可された」のだろう。 

復帰前の宜野湾市当局は、様々な混乱と歪な都市計画にならざるを得ない中で「急務な課題」である「新規小学校の建設」という事業を成し遂げたのである。  

評価すべきは正しく評価せねばならない。というのが「建設前後の状況」についての私の見立てである。  

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■普天間2小の危険は79年代末の普天間とハンビー両飛行場の統合時から始まった

しかし、コメンターのコメントにいささか腑に落ちない点が残った。
 

それは、建設当初は「そうであろう」が、その後、普二小の「騒音問題」が表面化したのは、ハンビー飛行場が全面返還(76年)され、普天間飛行場へ統合された後の70年代末期からである。  

実は今現在に至る「普二小問題」は、この76年のハンビー飛行場が返還され、普天間飛行場が蘇った頃から始まったのである。 

私が調べた限りでは、建設・開校から70年代末までの間で「深刻な騒音被害」などの記事や記録は見当たらなかった。  

私が、「いささか腑に落ちない点」というのは、この辺の説明と解説を付け加えて欲しかったからだ。  

つまり、「最初は安全な場所だった。

が、76年にハンビー飛行場が普天間へ統合されてヘリ騒音が激増した。82年にはヘリも学校近くに墜落した」と、コメンター氏の解説に補足するべきなのである。  

このことを付け加えるか、しないかでニュースを見る側の「肌触り感」が少し変わると思う。  

コメンター氏の全体説明だけを聞くと、まるで「行政は出来る限りのことをやった。仕方なかったのだ」という風にも聞こえる節があったからだ。  

窓枠が落下した後、市は「ヘルメットのひとつも支給した」のでしょうか?窓枠落下後、市は具体的に子供達に「何をした」のであろうか? 

私にとって重要な視点というものは、そのような児童の安全に関わる事なのだ。 

                                                                                              (続く)

 

 

 

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振興予算を減額されて怒る沖タイの奇妙さ

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沖縄に対する振興予算が減額されたことについて、沖縄タイムスが奇妙なことを言っています。2016年12月24日の紙面です。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/77204

「内閣府に計上する2017年度沖縄関係予算が3150億円で決着した。21年度まで約束している3千億円台は維持したものの、前年度当初に比べ6%、200億円の減となった。
 既に決まっている沖縄関係税制の延長幅の短縮と合わせ、沖縄側には厳しい内容である。背景には、最高裁判決後も新基地建設反対を貫く翁長雄志知事をけん制する狙いがあるとみられる」

なになに、沖タイは200億減ったことを、けしからんと言っているんですね。 

「コップの水がこんなにこぼれたと問うな。これだけあると発想しろ」という話ではありませんが、こぼれた水はたったの200億。いまだ3150億もあるのに、何がご不満なのでしょうか。 

そもそもかつての水準はこんなものでした。大久保潤氏の『幻想の島』のグラフを見てみましょう。Photo_2

これは1990年(H2)から2008年(H20)を見たものですが、1998年(H10)に太田昌秀知事が4713億というピークをつけた時を例外として、だいたい2000億~3000億台で推移しています。 

ではなぜ、この1998年に今思ってもスゴイ額の4713億という破格の振興予算を政府は給付したのでしょうか。 

その背景は普天間移設問題です。

1996年(H8)は、今や長い迷路と化してしまった移設問題を橋本首相が言い出した時期にあたっています。

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自分の任期はおろか他界しても決着がつかず、後の首相の悩みの種を残したのですから、橋本氏の「善意」はずいぶんと高いものについたことになります。 

さて当時、候補地は名護市に絞られたのですが、ゴーサインを出すには3点セットが必要でした。 

まずは現地である辺野古地区、次に名護市、そして沖縄県の了解、ないしは容認です。 

このうち前者は容認に向かいました。あとは太田知事を残すのみとなりました。

「1997年12月に名護市長が受け入れを表明してしまった。普天間基地移設問題が名護市移設ベースになったことについて、大田は名護市移設ベース実現の具体化の話し合いを求めた首相官邸や名護市長に対し、彼らに極力会うことを避け、彼らと対面しても普天間基地移設問題について触れたがらないようになった」
普天間基地移設問題 - Wikipedia

政府が面談さえ避ける太田氏の岩戸の扉を開こうと提示したのが、この法外な4713億という破格の振興予算額だったわけです。 

まぁ、言い方は悪いですが、札束で頬をたたいたのです。 

そして知事が条件付き容認の稲嶺氏に代わりいったんは井決は落ち着くところに納まったて、振興予算額も平常飛行に戻って行くとおもわれたのですが、とんだハプニングが起きました。

あのL鳩山首相の歴史的なちゃぶ台返しです。登った梯子をこともあろうに言い出しっぺの本土政府にハズされた形となった仲井真知事もまた、反対の立場にならざるをえなくなりました。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-8979.html

そこで、再び登場するのが振興予算バズーカです。 

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沖タイ前掲記事はこう解説しています。

「前知事が辺野古埋め立てを承認する直前に決まった14年度予算は3460億円で概算要求を大きく上回った。翁長氏が知事に就任した直後の15年度予算は基地が『踏み絵』となり5年ぶりの減額で3340億円、16年度予算はそれとほぼ同額の3350億円だった」

この仲井真氏が減少傾向に歯止めをかけ、3460億を獲得した時に、口をきわめて「沖縄を売った」と批判したのはどこの誰だったでしょうか。

病身の仲井真氏を百条委員会まで作ってつるし上げたのは、他ならぬ地元紙と今の「オール沖縄」の皆さんでしたが、どうやらお忘れになったようですね。

言うも愚かですが、移設問題に協力していくか否かを政府が振興予算のひとつの判断材料としていることは常識です。

ただそれまではソフスティケートさせて いただけで、翁長氏のような聞く耳を持たない知事には分かるように言ってやっただけのことです。

それが去年の8月の、菅氏の振興予算-基地リンク論です。

「今年8月、菅義偉官房長官と鶴保庸介沖縄担当相は『基地と振興策はリンクしている』と明言し、移設作業が進まなければ予算の減額もありうる、との考えを示した。これまで否定してきたリンク論をあえて持ち出したことと、今回の予算は無関係ではない」(前掲記事)

おいおい、無関係なわけがないでしょう、沖タイさん。

関係があるのですから、「そうか減ったか。県民よ、そういうわけだ」と諭すのがあなた方頑固派反基地派の役割なはずです。

それをいまさらのように、なに言ってんだか。

そもそもリンク論を否定するなら、仲井真氏が大幅な増額を得た時に、「基地を代償に沖縄を売った」などといわねばいいのです。

当たり前のことを当たり前に言われると怒り、協力はしない「あらゆる手段で移転を阻止する」といいながら、経済支援だけは寄こせという。

なんというご都合主義なことよ。左翼陣営のいけないところは、現実を見ないことです。

見たくない現実から眼をそむけて、「糾弾」だの「怒り」だの、果ては「独立」だのと言っていれば本土政府からの支援がもらえると思っています

ところが、現実は先に進んでいるのです。米国は今歴史的なセットバック(後退)時期に差しかかっています。

今の時点では夢想に聞こえるでしょうが、私はそう遠くない将来、米軍は左翼陣営の望みどおり沖縄から段階的に去っていくと思っています。

今年成人式を迎える若者が、子供を持つ頃にはおそらくそうなっています。その時に気がついても遅いのです。

キャンプシュワブは陸上自衛隊水陸機動団宜野座駐屯地となり、カデナは航空自衛隊嘉手納基地となります。米軍は一部残るでしょうが、かつてのような規模ではありません。

それはまったく健全なことで、沖縄は「普通の県」になるのです。

さてここまで読んで、沖縄にとって<道>はふたつしかないことに気がつかれましたか。

ひとつは本土の援助なく自立していこうとする意志を持つ沖縄。

そしてもうひとつは、基地に経済的に依存しない沖縄です。

このふたつは矛盾しません。

振興予算は一種の麻酔剤のようなものです。

外国軍基地を過重に引き受ける代償として、本土政府が投与し続けたものでした。それは必要な時期もありましたが、今や身体を蝕ねかねない危険をもった偽薬となっています。

永遠に偽薬で、だまし続けるわけにはいかないのです。

※お断り 結語部分を大幅に加筆しました。

 

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宜野湾くれない丸さん提供の資料から考える普天間2小移設問題

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宜野湾くれない丸さんから、普天間2小の移転問題についての丹念な資料を頂戴いたしました。 

地元でなければ出てこない冊子まであたっていただいています。感謝にたえません。ありがとうございました。 

今まで、普天間基地がらみて2回の墜落事故が起きています。1959年と1982年で、59年には犠牲者17名中、小学生が実に11名を占めました。 

痛ましさの限りです。あらためて普天間2小の場所を確認しておきましょう。基地滑走路のまさに脇に隣接しています。 

これを見て愕然としない人はいないでしょう。 

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 航空機事故には、「魔の11分(critical eleven minutes) 」というものがあります。 

もっとも事故を起こしやすい時間帯のことで、飛行機の事故は統計的に離陸時の2分間と着陸時の9分間に多いことから、この離発着を合わせて「魔の11分」と呼んでいます。 

日本流体力学会によれば事故発生率が高い時期は
・離陸・初期上昇での事故発生率       ・・17%
・最終進入・着陸時での事故発生比率・・・51%

ですから、航空機の進入路直下は、離発着の両側の4㎞以上にわたって国が買い上げて無人地帯にするべきです。 

事実日本の航空法ではそうなっています。 

米軍のAICUZ海軍作戦本部長インストラクション(OPNAVINST110.36B)によっても、滑走路の両端の延長線上4.5㎞に住宅や学校、病院、集会場の設置を認めていません。 

実際になんどとなく墜落事故をおこしている厚木基地の進入路直下や周辺地は、防衛施設庁によって買い上げられ、1970年までに大和市、綾瀬市の基地周辺の262戸が集団移転しています。 

本来、普天間においても進入路を4.5㎞にわたって買い取って無人地帯(クリアゾーン)を作るべきです。 

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もう一枚、普天間2小の航空写真と並べると、本来は完全にクリア・ゾーンに入っているのがわかります。Photo_2

 当然、米軍も国もクリアゾーンを設置すべきことを理解しています。
2. 安全基準 (1)日米合意による普天間飛行場の安全基準 ① 1996年3 ...
 

上図の米軍「『環境レビュー』には、普天間基地の航空施設安全クリアランス(クリアゾーンは太枠で示してあります。 

米軍の基準によれば、滑走路の両端から幅約460㍍×長さ約900㍍×幅約700㍍の台形として、ここを無人地帯にすべきだとしています。 

宜野湾市によれば、「クリアゾーン内に市立普天間第二小学校、新城児童センター等の公共施設や保育所、病院等が18施設、住宅が約800棟、3千人余りの住民が居住している状況がある」(前掲)とされています。

仮に移転が挫折した場合、普天間の固定化が自動的に決定してしまうわけですが、その場合国は、本腰を入れてこの地域の学校、病院、保育所などの移設から開始し、計画的に住宅地も買い上げて行くべきでしょう。 

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さて普天間2小移転問題が、なぜうやむやのままに、放置されてきたのかについて頂戴したくれない丸さんの資料を参考にして考えてみましょう。

なお、私はかつて産経宮本支局長の基地反対派団体の妨害説に立っていた時期がありましたが、今はその立場をとりません。 

というのは、宮本記の裏が取れないからです。反対運動があったというなら、そのビラ・パンフなど運動の痕跡があるべきですが、一点も見つかっておらず、証言者が1名では根拠が薄弱です。 

今回、くれない丸さんがあげておられた「疑問4」に、ひとつのヒントが見つかりました。 

沖タイが『これってホント!?誤解だらけの沖縄基地』にあげている移転が挫折した理由を「国の援助がかなわず頓挫」と「用地費不足と老朽化が進み断念」をあげていますが、これは信憑性に欠けます。 

沖タイは『普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(中)誤解だらけの沖縄基地・9』(2016年2月1日)でも、同じ内容があります。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/23402

西普天間には返還が予定された地域があり、宜野湾市の財政が苦しく移設費が払えず、防衛施設庁が冷酷にも予算を与えなかったことを沖タイは挙げています。

私はこれは信憑性が薄いと思います。このような児童の安全という最優先にされるべき課題を市が単独で行う必要があるとは思えません。

よしんば予算がつかないならば、県に与えられている潤沢な振興予算からどうにでもなることではなかったのでしょうか。 

県は有り余る振興予算で不要不急の公共施設を作りつづけているのですから、小学校の移設費など微々たるものです。

つまりはこの二つの理由は、表向きの言い訳にすぎません。 

となると真の理由は、沖タイもあげているもうひとつの理由、すなわち、「米軍が学校跡地を米軍施設として提供する」という部分が最大のネックとなったと考えられます。

「キャンプ瑞慶覧の一部を学校の用地として返還する代わりに、いま第二小がある敷地を普天間飛行場に編入する。つまり、市民の土地を新たに基地へ差し出すというものだった。
当時は西銘順治知事が普天間飛行場などの整理縮小を訴えていた時代。安次富氏は返還への条件があったことや、その対応を公表しないまま、3選を目指した85年7月の市長選で、革新の桃原正賢氏に敗れた。」(前掲)

当時の安次富市長が決断できなかった理由を、子息の修氏はこう述べています。

「施設庁側は、第二小の移転は市長の決断次第だ、と言っていた。ただ、父にとって編入条件の受け入れは、第二小の移転が実現する一方、市民の理解を得られるのか、もろ刃のつるぎの側面があった。世論を見極めていたように思う」(前掲)

この子息の説明で、安次富市長をためらわせた理由が「世論」、本土では「沖縄の苦悩」とか「沖縄の心」と称されているものだとわかります。 

安次富氏に代わって市長となった、桃原市長も同じような壁にあたってしまいます。

「市長就任後、編入条件を知った桃原氏もまた、苦悩する。『基地の整理縮小を求める民意に背くことになる』。86年11月には条件の撤回と、あらためて用地取得のための補助金交付を那覇防衛施設局へ要求した」(前掲)

革新系桃原市長は、この米軍の提案自体の撤回を求めようとします。

移転用地は米軍が提供するが跡地は米軍施設とする、これでは基地縮小の民意にそむく基地拡大ではないか、というわけです。 

う~ん、既視感が猛然と頭をもたげてきましたね。 これが一貫した沖縄革新陣営の定番的主張です。現実には、縮小計画は、いわばパズルゲームで、こちらを返して、その代わりに色々な条件がついてくるという性格のものです。

それはアジア情勢まで持ち出さなくても、相手がある国家間交渉とは互いに譲歩し合うものだからです。

たとえば高江では大幅な北部訓練場の返還の代償に、はるかに小規模のヘリポートを作らねばなりませんでした。

それを革新陣営は「返す」という部分を伏せて、あたかも「新たな航空基地」であるかのようにプロパガンダしました。

普天間基地を移設するための辺野古移転などは、とうとう「新基地」建設です。

ものごとの軽重は明らかです。

目の前に下の写真のような厳然たるリスクが存在します。 

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そもそもいかなる基準、いや常識に照らしても、ここに小学校などあってはならないのです。

ならば四の五の言わずに、移転する用地があるのですから、とまれそこに移転したらいいのです。

そこが「新基地」になるなどということは、「民意」と小学生の生命のどちからが重いのでしょうか。

仮に「市民の土地」が新たな米軍施設になったとしても、米軍はそこに恒久的施設を作ろううとはしないでしょう。

なぜなら、すでにこの時期に、普天間基地の移転は日米政府の議題に登っていますから。

おそらくは前述した無人地帯(クリアゾーン)にしたと思われます。

ものごとを素直に軽重すれば、まずはなんとしても小学校を移転することを最優先させくべきなのは常識です。

議論が深まらない前に、「民意」におののいて腰くだけになる宜野湾市行政の姿は、象徴的です。

いつまでこんなことを続けて、肝心要の学童の安全を放置しつづけるのでしょうか。

かくして1986年に「民意」を説得しておけば、36年も前に解決したリスクの下に、今でも子供たちを放置し続けているのです。

宜野湾くれない丸さんがおっしゃるように、このような危険に児童を日常的にさらしておきながら、事故があると大声で糾弾はするが、「移転のための行動はおろか、全県民的な議論がない」という空気そのものを変えていかねばなりません。

                               ~~~~~~~~~~~ 

0025720209時事https://www.jiji.com/jc/p?id=20171214101004-0025720209

以下、宜野湾くれない丸様コメントです。 

普二小問題は近所ということもあり、また学校脇でヘリが飛び立つ様子(午前中が多い)をよく見かけておりましたので「なぜこのような場所に学校を造ったのか?」「なぜ学校は移転できないのか?」という大きな疑問があり、その経緯について自分なりに調べておりました。 

 宜野湾市立図書館に「普天間第二小学校創立35周年記念誌」(H.17年月1日発行)という冊子があり、その中に「PTA新聞から見える普天間第二小学校の歴史」という特集ページがあります(P46-P55)。 

新聞のコピーを冊子に収録したものですので、虫メガネを使って読みました。「普二小の移転について」のPTAの苦悩の経緯が垣間見ることができました。 

また、通っている児童の作文もいくつも掲載されておりましたが、その「切実な訴え」を読んで、深い落胆の念を感じました。あの作文を書いた女の子は今はどのような暮らしをしているのだろうかと。
 以下、「PTA新聞」「宜野湾市史」「新報」「沖縄タイムス」などを参考資料として私なりにその概要を簡単ではありますが、まとめてみました。
 

①1959年(S.34)6/30
宮森米軍機墜落事故(死者17名/小学生11名、一般6名)
 

②1966年(S.41)
「普二小の新設へ近く政府へ認可申請」(新報・朝9/1)
 

③1968年(S.43)8/26
「普二小認可」(沖タイ・朝9/1)
 

④1968年(S.43)11/19
「B52 嘉手納基地内に墜落」(新報・夕11/19)
(19日午前4時18分ごろ。民家139戸被害、5名の負傷者)
 

⑤1969年(S.44)
「普二小建築中止問題で議会大荒れ」(新報・夕6/20)
 

⑥1969年(S.44)
「ようやく認可」(沖タイ・朝6/29)
 

⑦1970年(S.45)
普天間第二小学校 開校(69年普天間小学校校庭に仮設校舎を設営したらしい)
 

⑧1972年(S.47)5/15
沖縄の本土復帰
 

⑨1976年(S.51)
ハンビー飛行場全面返還

http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/hamby-airfield 

⑩1979年(S.54)
「この頃より学校移転が話題にあがる」(PTA新聞30号)
「第二小の防音工事について陳情」(議会史P206)
 

⑪1982年(S.57)8月19日
「米軍ヘリ普二小から200mの地点に墜落」
 

⑫1985年(S.60)
「特集!!学校移転は果してできるか?」(PTA新聞30号)
 

⑬1987年(S.62)
「学校移転に向けてPTA精力的に取り組む~これまでの動き~」(PTA新聞38号)
 

⑭1988年(S.63)
「第二小移転に係る用地取得についての要請決議」(議会史P45)
 

⑮1992年(H.4)
「危険と同居仕方ない 第二小移転を断念」(沖タイ・朝9/19)
 

⑯1995年(H.7)9/4
「沖縄米兵少女暴行事件」
 

⑰1996年(H.8)12/2
SACO合意
 

⑱2011年(H.23)
6/6 オスプレイ(MV-22B)普天間配備正式発表
10/.2 普天間飛行場へ配備
 

⑲2015年(H.27)3/31
「キャンプ瑞慶覧 西普天間住宅地区返還」
 

⑳20017年(H.29)
「普天間第二小学校校庭へCH53ヘリの窓枠落下」
 

 PTA新聞などの資料を読むかぎりでは、開校後の70年代半ば以降から「騒音被害が大きくなってきた」と書かれている。これは、76年の「ハンビー飛行場の全面返還」によって同飛行場を利用していたヘリが普天間に移ったためであると考えられる。 

疑問点-Ⅰ
①の大事故が起こったのになぜ「普天間基地の隣接地」に学校建設」を検討したのか。また、なぜ「建設許可が下りたのか」
 

疑問点-2
学校建設許可の認可がおりた3ヶ月後には④が発生している。「再検討」はされなかったのか。
 

疑問点-3
⑤は「市の道路整備計画地と第二小建設現場がダブっていた」ということでの議会が荒れたと新聞記事には書かれている。

「建設計画そのものがズサンであったのでは」と言われてもおかしくはないのではなかろうか。

また、「議会が大荒れ」したわりには、「その9日後に認可が下りた」ともある。早すぎるのでは。 

疑問点-4
学校移転が話題に上がってから「断念」するまで約13年間の時間があった。
 

断念の理由としては、「これってホント!?誤解だらけの沖縄基地」(沖縄タイムス社編集)を参考にすると(P150-158)、「予算、国の援助がかなわず頓挫」「のめぬ条件、跡地を基地に」「用地費不足と老朽化が進み断念」と3項目を挙げて説明している。 

米軍側も危険を考慮したのであろう、5条件をつけて学校移転を検討し、宜野湾市側へ提案した。 

その条件面で「難題があった」と続けて説明がある。 

一番の難題は「現在の普天間第二小の敷地、建物を普天間飛行場として米軍に提供すること」である。 

「キャンプ瑞慶覧の一部を学校の用地として返還する代わりに、いま第二小がある敷地と建物を普天間飛行場に編入する。つまり、市民の土地を新たに基地へ差し出すというものだった」と解説されている。 

この時、「学校跡地を差し出してでも、米軍が提供を申し出たキャンプ瑞慶覧の一部へ移転する」という、「子供達の安全・安心を少しでも確保する」という「選択肢は無かったのか?」という疑問である。 

全県民的な議論は無かったのか? 

疑問点-5
上記にあげた「キャンプ瑞慶覧内の西普天間住宅地」はSACO合意のもと、2015年3/31に返還されました。私はその前後に宜野湾市役所教育委員会へ問い合わせを行いました。「返還される土地に第二小を移転させる計画はありますか?」と。
 

返答は「検討しておりません」ということでした。 

以前、移転しようと日米で試みたその「土地」が返還されるににも関わらず、市役所は「移転計画すらさえしていない」のである。なぜなのか? 

 同様に、この返還地には普天間高校の移転話もあがってます。 

一度は頓挫したものの今現在県は土地取得へ向けて動いている、とのことですが、先月末のNHK沖縄ローカルニュースでこんなニュースが流れてました。 

「普天間高校の西普天間住宅地への移転計画で、用地取得目標は7.5ヘクタールだが、そのうち0.1ヘクタールしか取得の目途がたっていない。用地買収におうじた地権者は2人のみである」と。
 
 最後に、「PTA新聞31号」(1985年11/30付)にある小6の女子児童が書いた作文の一節を抜粋掲載いたします。
 

「市長さんや役員の方々は、この学校のことを考えていらっしゃるのでしょうか。本気になって考えていらっしゃるなら、普二小を早く移転させてください」 

【参考資料】 

「普天間第二小学校創立35周年記念誌」 平成17年3月1日発行
「宜野湾市史 7 資料編六 新聞集成Ⅲ(下)」
「宜野湾市史 8 資料編七 戦後資料編Ⅰ戦後初期の宜野湾」
「宜野湾市と基地」平成21年3月 宜野湾市基地政策部基地渉外課編集
「これってホント!?誤解だらけの沖縄基地」沖縄タイムス社編集局 高文研 2017年

 

 

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BPO提訴した辛淑玉氏のやったこと

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BPO問題に戻ります。 

BPOは、シンスゴ(辛淑玉)氏の在日韓国人(以下在日)の運動が、高江紛争の「黒幕」扱いにされたのは不当だ、という抗議をそのまま認めています。
https://www.bpo.gr.jp/wordpress/wp-content/themes/codex/pdf/kensyo/determination/2017/27/dec/0.pdf#page=14 

「ニュース女子」の流れをBPOはこう述べています。

「また、二番目のゲスト女性が、反対派の『ボスは日本の方ではないってことですか』と質問したのに対し、A氏は『もう、わかんないんですよ。とにかく韓国人がいるは、中国人はいるは、という状況なんで。だから、なんでこんな奴らが反対運動やってるんだってことで、地元の人は怒り心頭になっているっていうのを聞きましたけど』と答える」(BPO報告書)

という流れで、例のシン氏の「ホットケナイ、高江。ないちゃ~大・作・戦会議!」が登場します。

「Cさんからね、驚くべきものを持ってきていただいたんです」と述べる。C氏はまず東京で配られていたという「ホットケナイ、高江。ないちゃ~大・作・戦会議!」「特派員を派遣しよう!」「往復の飛行機代相当、5万円を支援します」などと書かれたチラシを見せる。
そのチラシを見てインタビューするA氏が、『たしか韓国の方ですよね』などと述べたあと、『いやビックリしたのが、5万円あげますって書いてある』と声のトーンを高めて言うと、C氏が「あとは自力でがんばってくださいって』と応じ、ナレーションも『一体、何をがんばれというのだろうか』と続ける。」(前掲)

そしてこの後に、「茶封筒」やらなにやらが証拠としてでてくるわけです。雑なつくりです。ため息が出ます。 

しかし、おそらく電波メディアで初めて在日の運動が、高江紛争に影響を与えたということを報じたことについては一定の評価を与えておくべきでしょう。 

下の写真が2016年9月9日、高江紛争真っ盛りの時期に、シン氏たちの「のりこえねっと」がひらいたくだんの「ホットケナイ」集会のものです。 

Photo_2

この時のシン氏の発言は、しばらくは「のりこえねっと」のサイトにアップされていましたが、高江で逮捕者が出ている状況において、教唆煽動となることを恐れたのかすぐに削除されています。※現時点では復活しているそうです。 

ここはひとまずBPOに提訴した張本人であるシン氏の発言を聞いてみましょう。なかなかスゴイものがありますよ。
書き起こしはhttp://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-98d0.html 

「ネトウヨなんかがね、朝鮮人たちがよく現場に行っているとか、あそこは朝鮮人が仕切っているとか書いてありますよね。そりゃそうだわって。
あたしもそう。今回捕まった?(聞き取り不可)もそう。それから広瀬さんのそばにいる在日の人もそう。行ってますよ。
おそらく日本のね、1億何千万の比率に対して60万の朝鮮人の比率から言ったらですね、在日の数はたぶん比率としては高いと思う」
「そして、私たちは一票ない。一票ない人間が何ができるのかっていえば、口でやるか、そしてもしくは一生懸命稼いで金送るか、もしくは現場に行ってね、体を張るかですよ」

そしてこのシン氏の発言は、当時ネットで有名になった、こんなことも述べています。

「あと若い子には死んでもらう。若い子にはお国のために頑張ってもらうって稲田も言ってるんですから、稲田が言うなら私も言おうじゃないかって。」
「それからじいさん、ばぁさんたちは向こうに行ったらただ座って止まって、なにしろ嫌がらせをして、みんなつかまって下さい。
でね、70以上がみんな捕まったら刑務所もう入れませんから、若い子が次頑張ってくれますので」

そして、高江でなにをするのかということまで具体的にしゃべっています。この部分です。

「なぜならば現場の人が足りないからです。現場で彼ら2人が二十何台も止めた、それでも1日止められるのが15分。
でもあと3人いったら16分止められるかもしれないんです、もう1人行ったら20分止められるかもしれないんです。だから送りたいんです」

なにもない時でしたら、70年安保世代が居酒屋でやるような「革命的放言」にすぎません。

しかし在日運動組織の主宰者が、現実に高江に人を動員し、資金提供もし、現地で車両検問をすることを具体的に教唆したとなると、やや違って聞こえます。

ここでシン氏の、「ホットケナイ」集会での発言要旨をまとめておきます。

①2016年夏、在日団体は高江に動員をかけた。
②在日団体は沖縄に派遣した者たちに、財政的援助を行った。
③若者に暴力的闘争を教唆煽動した。
④老人には座り込みをして警察に逮捕され、機能を麻痺させることを教唆煽動した。
⑤私的「検問」をする者が不足しているので、もっと本土から行けと教唆煽動した。

その結果、下のような私的検問が横行し、「2人で20台止めた」という違法行為があたかも戦果のように言われる状況が現出しました。

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そして現地に行った人たちは、シン氏の言うように「じいさん、ばぁさんたちは向こうに行ったらただ座って止まって、なにしろ嫌がらせをして、みんなつかまって下さい」という行動を起こしたのです。

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また、シン氏が高江現地に連れてきて、山城氏に引き合わせた人物がいます。添田充啓(別名・高橋直輝)容疑者です。

当時は「しばき隊」幹部でした。

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上の映像で山城議長と並んで、シャツから入れ墨を見せている男が添田です。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-d19e.html 

この写真を見ると、腰に手を当てて警察をなめきっている添田の姿勢がわかります。

下の写真はしばき隊の集合写真です。どこかの指定暴力団のものだといわれても、そうかと思うような一枚です。

実際に添田容疑者は、某広域暴力団の構成員だったと自称していました。

Photo

この人物が本土でやってきたことは、反ヘイトの看板をかけた暴力的反対派狩りでした。

ある時は在特会をリンチにかけ、ある時は安保法制デモに紛れ込もうとした過激派を蹴りだし、そしてある時は身内さえも容赦なくリンチにかけました。

これが世にいう「十三リンチ事件」、あるいは連赤事件を暗喩して「十三ベース事件」と呼ばれています。
※十三ベース事件
http://togetter.com/li/974584
http://critic20.exblog.jp/25658919/  

人もあろうにシン氏は、この十三ベース事件を知りながら、この暴力を屁とも思わない人物を、高江の衝突現場に連れてきたわけです。

この添田容疑者に影響されたのか、山城氏は暴力闘争をエスカレーションさせ、警察に逮捕されました。指導者を失った運動は一気に崩壊へと進みます。

シン氏のなんと罪深いことよ。当時のシン氏のツイッターです。

毎度のことながら、この人物の言葉の過激さにはほとほとうんざりします。

Photo

言葉のあやとしても、外国人に安全保障問題で「戦争」など起こされたくはありません。

当時の高江紛争の支援網について、篠原章氏は「Hanada 2月号」で、在日関係者の聞き取りとしてこう述べています。

「要するに反日運動なんです。日本あるいは日本政府をおとしめようとする活動なんです。
在日差別を沖縄差別に置き換えれば『差別』というキーワードも共有できますしね。
朝鮮総連の関西系本部が中心だと聞いていますか、北朝鮮寄りの在日韓国民主統一連合(韓統連)大阪本部や民団の一部も朝鮮総連に歩調を合わせて沖縄に支援人員を送っています。
これとは別に、日本基督教団のキリスト団体には在日系牧師が少なからずいて、高江や辺野古での活動や、本土の情宣活動に積極的に取り組んでいます。
韓国のキリスト教団体も多数の支援者を送り込んでいます。
結果的に、在日団体の指示や勧誘で沖縄に来ている活動家の数は、反対運動の中でかなりの勢力に成長していると思います」

私はシン氏を「黒幕」だなどとは思いません。そんなに「褒めて」やる必要はありません。

現実は、上記の篠原氏の記事にあるように朝鮮総連関西系と北朝鮮寄りの民団の一部、韓統連大阪本部などが、在日を送り込んだほんとうの「黒幕」でした。

シン氏はよくしゃべる広告塔にすぎませんでした。

しかしそれでもなお、高江紛争に対して暴力を持ち込み過激化に導いた責任は重いとは言えると思います。

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アレッポさんにお答えして

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アレッポさん。 私はできるだけニュートラルに見ているつもりですが、なかなか話がかみ合いません。困ったことですね。 

直接、この件だけにとらわれず考えてみましょう。 

翁長知事の決起集会の模様です。 

昨日も紹介したニューズウィーク(2015年6月30日「沖縄もうひとつの現実」は、このように報じています。

「会場ですぐ目につくのは、色とりどりの旗やのぼり、横断幕だ。赤、青、黄色と鮮やかなのぼりには『日教組』』「JP労組』「全農林労組』など様々な労働組合や、社民党など革新政党の政党が、沖縄はもとより、東京、埼玉、神奈川、大阪と全国の地方と支部名と共にはためいている。
『安保粉砕』という文字と過激派の名を記した赤い横断幕も目につく」
「開会直前に主催者から、旗やのぼりを降ろすように指示されるとそれまで会場に満ちていた『組合臭』は隠されて、本土の組合員たちも等しく『県民』とカウントされる」

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ニューズウィーク前掲 

集会が始まるまで会場に溢れていた本土の組合や政党系団体の赤旗は、翁長氏の登場に合わせて降ろされました。それが上の写真です。 

特に隠す必要がない基地前集会などでは、下の写真のようににぎやかに組合や政党の旗が林立しています。 

Photo

はなぜ翁長氏の決起集会において、赤旗が隠されたのでしょうか? 

それはもちろん、投票前に翁長陣営の中の大勢力だった「組合臭」や「左翼臭」「本土臭」を消して「県民しかいない」とカモフラージし、<国家権力vs沖縄県民>という構図を作るためです。 

あくまでも翁長氏は「オール沖縄」、言い換えれば島ぐるみの候補である必要がありました。

さもないと従来の革新候補のような左翼陣営候補と一緒で、保革を超えた「怒れる沖縄県民」の代表とならないからです。 

もっとも知事になってしまえばこっちのものと思ったのか、当選後は平気で赤旗たなびく場所でも演説しているようですが。 

ちなみにこの翁長氏の決起集会がひらかれた会場は、翁長氏が沖縄自民党の大幹部にして那覇市長の時に、振興予算を引っ張って作ったものです。

「会場は、翁長氏が那覇市長時代の遺産である沖縄セルラースタジアム那覇。5年前、総事業費約68億円のうち4分の3を国庫補助を受けて完成した。その場所で基地反対集会を開いたこということが、基地問題の根深さを物語っている」 (前掲)

基地を見返りにした累積11兆円の振興予算、年平均3000億円にも達し、多少減額されるとメディアが騒ぐという本土からの予算で出来たスタジアムで、反基地を叫ぶ候補が「怒れる沖縄県民」を代表して決起集会をするというわけです。 

そしてその翁長決起集会には、 本土からも大勢の労組組合員や政党運動員が押しかけ、そしてその「匂い」は巧妙に隠されていて、メディアも知っていて目をつぶる・・・。

まさに二重三重に奇妙な風景ではないでしょうか。 

高江や辺野古でも、このような「左翼臭」「組合臭」「本土臭」を消すことがなされた気がします。

ここでも理由は同じです。<国家権力vs地元住民>という構図が有効だと思われたからです。

事実、メディアは一貫して、高江の反対派を「現地住民」、あるいは「反対派市民」と呼んでいます。

アレッポさんは、現地の農民も参加していると書いていますが、それは私も知っています。 

高江現地には、「ヘリパッドいらない住民の会」という安保廃棄・沖縄統一連系の団体が存在します。 

「住民の会」の伊佐真次・東村議は共産党員で、反対派のリーダーです。

Photo_3https://twitter.com/ihayoichi

伊佐氏は 県議選では共産党候補として出て当選しています。
伊佐真次(沖縄県・東村) - 議員 - 日本共産党

統一連はもまた、共産党系団体加盟組織として知られています。

その傘下には、日本共産党沖縄県委員会、沖縄民医連、沖縄医療生協、沖縄県労連、沖縄民商、新日本婦人沖縄、民青沖縄県委員会などの名が並びます。 

統一連の上部団体は)安保廃棄中央実行委員会」で、彼らのサイトもこの中にあります。
http://anpohaiki.news.coocan.jp/ 

この安保廃棄中央実行委員会のサイトをみると、沖縄の反基地闘争一色で占められているといっても過言ではありません。

それは反戦・反基地闘争が、今や沖縄だけが全国唯一の拠点だからです。

Photo_2

いかに共産党が全力で辺野古・高江紛争を支援していたのか、かいま見ることができます。

共産党が資金提供しているかどうかは公表された資料がないので、実態は分からないとお答えしておきます。

なぜ分からないかといえば、共産党がむき出しの形で献金するケースはほぼ皆無で、傘下の大衆団体、労組からの「カンパ」の形で提供しているからです。

したがって、当該部分はこのように修正しました。

「沖縄では一説で、連合や共産党系などの政党が資金提供をしているといわれています」

修正したものに「共産党系」と「系」を挿入したのは、共産党は社民党と違って、前面に共産党の看板をだすような不用意なまねはしないからです。

もちろん党旗は各支部にありますが、内輪の集会で飾るくらいで、ほとんどのデモ・集会では労組、大衆団体の名を出しています。

全労連系の労組内でも、公然と赤旗を配っている党員すら、あなたは党員かと問われると答えをはぐらかします。

覆面を脱ぐのはオルグするときだけ。

私、若き日に、よもやこの人は党員ではないと思っていた人から、「党員にならないか」と誘われたので、ちょっと怖かったですよ(笑い)。

このへんは、かつての非合法だった時の「革命党」の体質そのままです。

これについてはかつて、『なぜ共産党志位「党首」は責任を問われないのか?』と題して記事にしたことがあります。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-938e.html

共産党は一般的な左翼政党ではなく、「革命政党」だということがわかっていないと、あの党を分かったことになりません。

それについては上記の記事をお読みください。

このようにシンスゴ氏側が隠したかったことは、在日韓国人や労組、左翼政党などの高江での影だったのです。

そして「茶封筒」というやくたいもないことを理由に、BPOはそれを追認したというわけです。

 

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BPO「ニュース女子」報告書 茶封筒問題の実態とは

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BPOの「ニュース女子」報告書について、ややイライラしながら書いています。 

前回も書きましたが、私は本土の右サイドのネットのようにこのテーマに乗り気ではありませんでした。 

それは「ニュース女子」のレベルの低さもありますが、それ以上に既に沖縄の政治局面は目前の名護市長選と、県知事選に向けて進んでいるからです。 

高江紛争は山城氏逮捕で1年前に決着がついています。地元の高江集落から遊離した暴力闘争をすればあのような結末になるということです。 

稲嶺市政と翁長県政の牙城を崩すことは、容易なことではありません。 

自民は前回知事選時の解体状況よりややましになった程度で、例によって「オール沖縄」に対して対抗軸を明確にできないままでいます。 

二階氏が主導する本土から党利党略の介入は水面下でねちっこく続けられているようですし、そもそも沖縄自民自身がなにをしたいのかよく分からないようです。 

経済振興なら経済振興で、政権与党なのですから明確なプランを示すべきですが、それもできないでいます。 

今の自民は仲井真氏の経済振興プランに、新たな具体性を付け足すことができたのでしょうか。 

肝心の安全保障政策は常に後ろ向きなために、国境の島という自覚が乏しく、「オール沖縄」と本質的に変わるところはありません。 

県議会でなにか事故や犯罪が起きるたびごとに見苦しく動揺し、「オール沖縄」与党と肩を組んで反米軍決議に同調してしまうようでは、どうしようもありません。 

自民に決定的に欠落しているのは、沖縄の今の日本から望まれていることに対する自覚、そして未来に対するビジョンです。 

「オール沖縄」が揺らいでいる今こそ勝機はあるはずですが、立ち向かっていくチャレンジ精神がないようでは、やる前から負けています。 

このまま時間だけ推移すれば、稲嶺市政と翁長県政は安泰でしょう。沖縄自民は政権与党としてシャキっとしなさい。 

Bpo


おっといかん、沖縄自民に怒っていたら紙数が尽きてしまいます(苦笑)。BPOについて話を戻しましょう。 

BPOがこの報告書全体で述べていることは、要はこうです。 

「暴力はなかった。危険な状況ではなかった。救急車は問題なく通行できた。日当をもらっているような人はいなかった。反対派は機動隊や右翼から差別語をいわれながらがんばっていた」 

なんと既視感溢れることよ。この既視感は、BPOが沖タイ、琉新、つまりは「オール沖縄」の主張とそっくりです。 

つまりは、沖縄の閉塞的言論状況をBPOが、「ニュース女子」検証という形を借りて信用の裏書きをしたということになります。 

BPOがそのような左翼的バイアスに満ちた機関だとうことは、いまさらいうまでもないこと で、今それを言う意味はないと私は思っています。 

それを言い出せばメディア全体がそうであって、特にBPOだけが突出してそうであるわけではないのですから。

今日は③の日当問題を考えてみます。 

「③本件放送で提示された茶封筒のカラーコピーやチラシは、基地建設反対派は誰かの出す日当をもらって運動しているという疑惑の裏付けとなるものとは言いがたい。これらの内容は、他のマスコミが報道しない「過激な反対運動」の実像を伝えるという本件放送の核となるべきものであるにもかかわらず、それらに十分な裏付けがないままに放送された点で、本件放送には放送倫理上の問題が含まれていた」
(BPO報告書Ⅴ 考査に対する検証)

https://www.bpo.gr.jp/wordpress/wp-content/themes/codex/pdf/kensyo/determination/2017/27/dec/0.pdf#page=14

 やれやれ、BPOからやはり言われてしまいましたね。 

あんな拾った茶封筒はなんの証拠にもならないのはわかりきった話です。こんなものを取り上げて、ことさら意味があるが如く放映してしまう神経に驚かされます。

「ニュース女子」は「金をもらって動員されてきた連中が多くいる」、ということを言いたかったのだと思います。

「ニュース女子」は運動がすべて身銭を切ってするのだけが、崇高だと思っているのでしょうか。

運動は一定規模になれば、組織動員が前提となります。

保守はそもそも運動をすることが目的ではないために、運動組織は持ちません。

菅野氏のヨタ本で有名になった日本会議ですら、実態は懇親会と勉強会のようなものにすきません。

しかし左翼運動は1世紀もの長い運動経験と組織を有していますから、そんなに純真なわけではありません。

運動を継続するには事務局を維持せねばならず、集会は黙っていても集まらないので、動員をかけて会場までの移動の手配、弁当代、街宣車などの経費で一回の集会で、何十万、何百万という金が飛ぶことを熟知しています。

県民大会クラスだと、数千万の費用がかかるのではないでしょうか。

当然のこととして、それを維持するために多額の資金が必要で、その資金源は労働組合や左翼政党です。

沖縄では、一説で、連合や共産党系などの政党が資金提供をしているといわれています。※コメントの指摘を受けて断定調を修正しました。

辺野古や高江紛争のように長期化すれば、地元に現地事務局や小屋も必要になります。

彼らを無給で使うわけにはいかないので、生活費を支給します。

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上の写真はシュワブ前の集会風景ですが、集会の動員も、自然発生的に集まるわけではなく組織動員がなされています。

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ニューズウィーク(2015年6月30日)「沖縄もうひとつの現実」は、こう述べています。

「陸の抗議活動は日々、さまざまな団体から動員が行なわれて維持されている。朝からマイクで労働歌や演説を繰り返しながら、各地からの動員を待つ。人数が揃うとゲート前の道を練り歩き、車の出入りを封鎖する。これを毎日繰り返すだけの大人数が必要で、組合によっては動員人数の目標を設けるところもある」

集会が設定されると、運動事務局から労組や市民団体に何人出してくれというお達しが回ってきます。

南部・中部、本土から来る参加者のためにバスを用意し、弁当を喰わせ、街宣車を回し、日当まで払うと、一体1日どれほどの金がかかるのか、想像していただきたいと思います。

闘争は金がかかるのです。

労組や政党によって動員された集会参加者には、日当と弁当、足代が支払われます。額は幅がありますが、1万円(※)前後ではないでしょうか。※1万円と書きましたが、単組、団体によってかなりのバラ付きがあるようです。

言い方は悪いですが、組織動員で現地に来た参加者は、個人の飛び入りをのぞけば大部分がアゴアシ付きです。

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「ニュース女子」が放映した「茶封筒」は、たぶん上のものだと思われますが、そういう性格のものです。

上の写真の書き込みには「生業としてやっているなら隠すな」とありますが、特に隠してはいないと思います。

もちろん集会に参加している人の中には、「生業」でやっているいわゆる運動家、あるいは専従という職業的左翼運動家たちも多くいます。

前掲のニューズウィークは、辺野古のいわゆる「外人部隊」についても報じています。

「カヌー隊で海上抗議行動を連日行なうH(※原文は本名)もまた、労組によって本土から派遣されたひとりだ。もともとは大阪の生コン運転手。建設運輸関連の組合から各地の平和・反核運動に動員され、辺野古には昨年は計1か月間、今年は正月開けから8月末まで派遣されているという」(前掲)

ここで出てくる「大阪の生コン労組」とは、あの有名な過激労組の「関西生コン」です。

ここに登場する人は、正月明けから8か月間、累積約9か月間も現地で暮らして運動をしています。

もちろん9か月も会社を休めるはずもありませんから、とうぜん職業として左翼活動しています。

専従は給料と同等の賃金が貰える上に、「現地」での生活費や活動費も加給され、時には危険手当さえもつく悪くない仕事のようですが、単身での現地暮らしも楽ではないでしょうね。

この記事に出てくる生コンの運ちゃんも、毎日こんなすさんだ暮らしをしていると、元の実直な勤労者に戻るのはむずかしいかもしれませんね。(よけいなお世話だ)

このような労組や政党によって動員された人たちが、大量に高江に向かいました。

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上の写真は岩上安身氏のツイッター(2016年8月7日)に載せられた写真ですが、このように説明してあります。

「県外からきてくれた人、手を挙げてください」という山城氏の呼びかけに応えて挙手する参加者の方々。18時からの集会が本番。まだまだ増える見込み」

恒常的な統計数字はありませんが、高江紛争の主役が県外者である時期がそうとう長期間続いたのは紛う事なき、事実です。

これを、メディアは「地元住民」と画一的に報じています。

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上の写真は沖タイ(2016年7月23日)ですが、「平和を叫ぶ市民を国家権力が暴力で排除した。これは殺人行為だ」と報じています。

地元紙や全国紙などのメディアは、このような衝突の背後にあるものを意識的にスルーしています。

そしてこんな基地反対運動の実態を知らないはずがないBPOも、そ知らぬ顔をして「茶封筒のカラーコピーやチラシは、日当をもらって運動しているという疑惑の裏付けとなるものとは言いがたい」とシャラと言ってのけたわけです。

シンスゴ氏が名誉棄損をさけぶなら司法に提訴すればよいものをあえてBPOを選んで提訴したのは、弁護人ぬき裁判ができるからであり、なによりもBPOがシンスゴ氏のよき理解者だからです。

 

 

 

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木を見せて森を見せないBPO報告書

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リクエストにお答えして、あまり気が乗らなかったのですが、BPO報告書問題をやります。

あんなものが高江紛争の「定説」となっては:たまったものではありませんから。

12月14日、:GPO(放送倫理検証委員会)は、「ニュース女子」について、「重大な放送倫理違反があった」との意見書を公表しました。 

まず私は、この東京MXの番組はできがよくないと考えています。立場が正しいから内容も正しいというのは短絡的です。

この番組は沖縄のみならず、本土すらも覆うメディアの反対運動絶賛報道へ一石を投じるものでした。

しかしならばなおさらのこと、綿密な事実検証をして丁寧に番組をつくるべきだったと思います。 

この番組の杜撰な内容が、放送法9条の「真実でない放送の訂正」条項に問われる結果となってしまったことは、テーマがテーマなだけに大変に残念です。 

後述しますが、番組には裏取りがされたとは到底思えない印象報道のつなぎ合わせ、反対派に対しするべきではない悪意表現などが随所に登場します。 

放送直後から、シンスゴ側の高江において反対派の暴力行為がなかったかのような宣伝に利用されてしまいました。 

結果として、反対運動の暴力を現地の東村から告発し続けていた依田氏の社会的立場を、いっそう困難なものにしてしまったように思えます。 

制作したDHCテレビジョンは、今なお進行している高江紛争というデリケートな問題に対して、制作責任者として事前考査をするべきでした。 

とくに司会・統括役の長谷川幸洋氏はベテランの報道記者なのですから、事前に目を通してチェックすべきでした。

また、この放映したMXも、このような出来上がった形態で局に入れたいわゆる「完パケ」に対しても、厳しい事前考査をかけるべきでした。 

これらの地上波に要求されるクォリティ・チェックを怠ったために、BPOから指摘を受ける結果となりました。 

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 ところでBPOの指摘は、以下の6点です。
https://www.bpo.gr.jp/wordpress/wp-content/themes/codex/pdf/kensyo/determination/2017/27/dec/0.pdf#page=14

①抗議活動を行う側に対する取材の欠如を問題としなかった
②「救急車を止めた」との放送内容の裏付けを確認しなかった
③「日当」という表現の裏付けを確認しなかった
④「基地の外の」とのスーパーを放置した
⑤侮蔑的表現のチェックを怠った
⑥完パケでの考査を行わなかった

ではこのBPOの指摘が正当性を持つかといえば、まったく違います。 

BPO検証委員会は、2回にわたって現地で調査をしたと述べていますが、とうてい真摯な調査をしたとは思えません。 

①の反対派への取材が欠落していたことについては、トンネル前の井上氏の「ここより先には危険で行けない」という表現が引っかかったものと思われます。 

井上氏の事実誤認です。取材当時、すでに高江の暴力的状況は終了していて、現地に行くことは十分に可能でした。 

弁論書でDHC側は「反対派に襲われそうになった」と述べていますが、ならばその状況こそ伝えるべきだったと思われます。 

まぁ、「両論併記」を否定する報道が日常化している放送界に言う資格があるとは思いませんが、それはまた別次元の問題です。 

②の救急車事件については、「救急車の現場到着が大幅に遅れたケース自体が見当たらない」で済ませてしまっています。

「現地の消防本部の資料などによれば、救急車の現場到着が大幅に遅れたケース自体が見当たらない。反対運動による渋滞の列に救急車がいたという情報が仮にあっても、それは反対派が実力で救急車を止めたという本件放送の伝えた事実とは趣旨をまったく異にしており、到底その裏付けにならないことは明らか」(BPO報告書)

BPOがここで「反対運動による渋滞の列に救急車がいた」と認めながら、「反対派が実力で止めた」ということにはならないという苦しいロジックを作っています。

ではまず、防衛局が公式にアップしている、当時の高江への県道の状況を写した一枚をご覧いただきます。

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道が人為的に封鎖されているのがお分かりでしょう。

このように公道の通行を妨害した結果、仮に救急車が通過した場合、結果はいうまでもありません。救急車に翼でもついていなければ、通行不可能です。

ならばそれは救急車を止めたに等しい行為ではないでしょうか。

ところがBPOにかかると、道路封鎖と救急車を直接止めるのは別次元だなどというのですから、詭弁もいいかげんにして下さい。

道路が通れなければ、救急車も通れないに決まっています。中坊か、BPOは。

たまたま写真のような封鎖時に、救急車が遭遇しなかっただけの幸運があっただけにすぎません。

もし通り掛かっていたら、間違いなく悲惨な結果を招いたことでしょう。

BPOはこんなことを書いています。

「③ 抗議活動側が傷病者であった18件のうち1件について、傷病者を収容した救急車が徐行運転を開始して間もない高江橋で、抗議活動側の人が救急車に対して手を挙げて合図し、救急車に停止してもらい、誰を搬送しているのかを確認したことがあった。救急車が停止した時間は数十秒であった。この事実が「救急車を止めた」と誤解された可能性がある」

BPOにお聞きしたいのですが、「救急車を止めて誰が乗っているのかを見る」、こういう行為を検問というのではありませんか。

私人がこのような救急車両を私的検問することが:日本で許されているのでしょうか。

これを「数十秒」だったから許されるかのごとき記述をする:BPOの法治意識がわかりません。

BPO委員が、升味代表代行は沖タイに登場する常連、斉藤委員は「マスコミ9条の会」呼びかけ人をしているなど、ほぼ全員が左翼関係者で占められているのは有名な話です。

どのような思想を持とうと自由ですが、違法行為に眼をつぶっていいのでしょうか。

このBPO報告書「2 基地建設反対派は救急車を止めたのか」の記述は、一貫して何分遅れたの遅れなかったのという記述の羅列でしかなく、肝心の私的検問というまぎれもない暴力が横行していた事実から眼をそらしています。

BPOにかかると、このような妨害活動をされても、救命活動にはなんの影響も及ぼさなかったという驚くべきものです。

BPOがいう「反対派が実力で救急車を止めた」というのは、この下の写真のような状況を指すと思われます。

高江に続く公道には、ご丁寧にも各所に反対派の事前検問所までが設置されていました。 

依田氏は地元住民なのにもかかわらず、高江を通過しようとしてこの私的検問に引っ掛かってしまい、反対派に抗議して揉み合いになったことから事件となりました。 

Photo_7

上の写真は反対派のツイッターですが、みさかいなく警察車両までも止めて「検問」をしているのが分かります。

このような行為は当時各所で頻繁に目撃されており、画像に多く残されています。

BPOはその1枚も見なかったようです。これで「調査」というのがおこがましい。

また高江に続く道のみならず、集落内部においても、日常的に下の写真のような狂態が我が物顔で行われていました。 

Photo_6

つまりは当時、高江集落に行こうとすると、手前の私的検問所に引っかかって「帰れ」と命令され、仮に通れたとしてもその先には車が十重二十重のバリケードを築いており、そして高江集落内部は住民すら通行できない状態が日常化していたのです。

住民は下の写真のようなステッカーを作って、せめて畑くらいには行かしてくれと、反対派に懇願しましたが、拒否されました。

高江の住民が通行許可を行政や警察に要請したのではなく、反対運動団体に頼んだことを留意して下さい。

もはや公権力は無力化し、反対運動が実効支配していたのがわかるでしょう。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-1f27.html 

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これについては、他ならぬ反対派の応援団長格の沖縄タイムス(2016年9月8日)ですら、こんな記事を掲載しています。

長文ですが、当時の状況を物語る唯一の記録ですので、再度引用いたします。(上写真も同じ)
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/61153

■高江の農家、ヘリパッド抗議に苦情 県道混乱で生活にも支障
2016年9月8日 ステッカーを使った対策は5日から始まった。区は村を通じ県警に通知。市民側にも伝えているが、仲嶺久美子区長は「農家から効果があったとの報告はない。周知が必要」と言う。
 県道70号では8月から、市民が「牛歩作戦」として、工事車両の前を時速10キロ未満の速度で走る抗議行動を展開。
機動隊の交通規制もあって県道は渋滞し、出荷や作付けする農家を中心に地元住民の往来に支障が出ていた。
 高江区の農家の男性(75)はカボチャの植え付けに向かう途中で渋滞に巻き込まれ、本来10分で到着するはずの畑に1時間以上を要した。
『作付け期間は限られている。このままでは1年間の収入に響く』と嘆く。『決してヘリパッドに賛成ではない。ただ、彼らのやっていることはわれわれの生活の破壊。もう爆発寸前だ』と憤慨する。当初の機動隊への怒りの矛先は市民側に変わりつつある。
 ヘリパッド建設予定地に近い国頭村の安波小学校では5日、「牛歩作戦」の影響で教員1人が授業に間に合わず、学校側は授業を急きょ変更した。
宮城尚志校長は「反対運動を否定しないが、もっと別にやり方はないのかと思う」と首をかしげる。
 高江共同売店では物品の入荷日を抗議集会のある曜日は避けるようにした。仲嶺区長は『区民のストレスは限界に来ている。早くヘリパッドを完成させた方がいいとの声も出ている』と打ち明ける。
通勤、保育園送迎、通院などに支障が出ていると苦情は絶えない。 
7日早朝、抗議行動を遠目で眺めていた与党県議は『これでは反対していた人たちまで離れていく。工事を進めたい国の思うつぼだ』とつぶやいた」

生活物資は滞り、生産活動は出来ない、学校には通えないという状況が続くならば、間違いなくムラは死滅します。

反対派はわかっていて、このような暴力を働いていたのでしょうか。

記事にあるように住民の多くは当初高江のヘリパッドに反対でしたが、あまりのことに反対派から離れていきました。

そして残ったのが、外人部隊だったのです。これについては明日にします。

こういう反対派の「ムラ殺し」によって高江村落は危機的状況に陥りましたが、それが解消されるのは、沖縄県警が重い腰を上げてようしゃなく違法駐車を取り締まってからのことです。

地元集落を踏みつけにして、なにが「やんばるの森を守れ」ですか。

反対派が高江紛争ので敗れたのは (負けていないというなら別ですが)、このような地元住民から浮き上がった過激路線にあります。

地元住民の強い支持があれば、別な展開がありえたはずですが、自らそれを潰してしまいました。

救急車妨害事件は、このような反対運動の暴力全体の中に置いて評価すべきなのです。

また①の反対派への取材がされなかったという点も、この空気の中での判断だったわけです。

おそらく、BPOは大阪MBS・斉加尚代ディレクターのような調査をしたのだと思います。 

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 斉加氏はこの番組の中で、消防署長から下の発言を引き出しています。

「ナレーター 『もう一度地元の消防本部の署長に確認しました』
署長 『本当にですね。政治的圧力もそうですし、反対派の抗議活動に業務を阻害されたというか邪魔されたことは一切ないです』
斉加『ということは、ないということですね結論は』
署長『そうです。ウソはついていません』」

反対派陣営はこのMBSの番組以降、鬼の首をとったようにこの消防署長の言葉を拡散し、依田氏をデマッター扱いにする個人攻撃を強めていきました。 

ところが、この「ニュース女子」検証版において、同じ消防署長に別な聞き方をしてみたところ、このような返事がかえってきています。

なお初回版はこの消防署長への聞き取りもしておらず、手抜きと批判されても致し方ないでしょう。

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 これが真相です。

救急車は、反対派の過激な行動によって活動を妨げられていたのです。 

現時点で署長は、公務員として証言できる範囲ぎりぎりまで答えています。

「ニュース女子」検証版も、MBSのような恣意的な編集はせずに無編集で流しています。

このように去年夏、反対派の暴力闘争が北部緊急医療に大きな打撃を与えたことは事実だったと断言できます。

それをBPOは、「渋滞はあったが救急車は止めていない」というアクロバティックな論理で反対派の暴力行為を糊塗してしまっています。

このようなことを、「木を見せて、森を見せない」と呼びます。

さてさて、①②だけで今日は終わりになってしまいました。③以降の問題は明日に続けることにいたします。

 

 

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