沖縄問題

翁長氏を継ぐのは誰か?

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いささか旧聞に属しますが、去る5月27日に「オール沖縄会議」が正式に分裂しました。 

今まで名実の名だけは残っていたのですが、それも割れたことになります。 

「沖縄県の翁長雄志知事を支持する県議会の一部会派や企業が27日、12月に任期を迎える知事選で翁長氏の再選を目指す新組織を設立した。新組織には共産党や社民党、労組などでつくる「オール沖縄」を離脱した県内有力企業も参加し、オール沖縄は事実上、分裂したことになる。背景には、オール沖縄が革新政党の生き残り策として利用されているとの不満もあり、知事選への影響もありそうだ。
 27日結成されたのは「オナガ雄志知事を支える政治経済懇和会」。沖縄市で開いた総会には保守系無所属を含む県議8人の会派「おきなわ」のほか、オール沖縄を離脱した観光大手「かりゆしグループ」と建設大手「金秀グループ」の関係者も出席した。
翁長氏は15日に膵(すい)がんを公表した。知事選に向け健康不安はぬぐえないが、総会に出席した謝花喜一郎副知事は「映像で見るよりも、ご本人ははるかに元気だ」と強調した。
(産経
2018.年5月27日)
https://www.sankei.com/politics/news/180527/plt1805270028-n1.html

Photoマイクを握っているのが謝花副知事

この直接の原因は、翁長氏のステージ2のすい臓がんです。 

検査入院した4月5日のわずか2日前の4月3日に、今回新たなグループを立ち上げたかりゆしグループの平良朝敬氏と金秀グループの呉屋守将氏が「オール沖縄会議」から脱退しています。 

翁長氏の病状との因果関係は明確ではありませんが、呉屋氏は「オール」の共同代表を2月28日に辞任しており、その時の理由づけは県民投票でした。

「呉屋氏はまた、オール沖縄会議の中で新基地建設を巡る県民投票を実施するための運動を始めることを提案したが、自身を交えた議論を経ずにこの案が却下されたとした。その上で「立場や結果を問わず県民の覚悟を自ら示すべきだ。私は今後も県民投票の実現を目指していく」とした」(琉球新報3月1日)
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呉屋守将氏

 呉屋氏は共同代表辞任時から5月に新団体を立ち上げると言っており、今回の「政治経済懇話会」は、脱退した彼らの受け皿を作るために作ったものです。 

さて、翁長氏も謝花副知事が言うように「映像でみるより元気」だとのをことで、快方に向かわれているご様子、嬉しく思います。 

この集会で、平良・呉屋氏たちは翁長氏を支援し続けると述べています。 

また去られた側の「オール沖縄会議」(照屋代表)も、4月17日に翁長氏擁立を確認しています。 

といっても、現実が許すかどうかは別問題で、ステージ2に入ったすい臓手術後の翁長氏が、2期目の激務に耐えられると考える人のほうが少数でしょう。 

この「オール沖縄会議」は、共産党を中心として、社民党、社大党、官公労(連合沖縄)といった左翼系党派と団体によって構成されています。 

これに自民党脱走組の翁長氏と旧那覇市自民市議団の新風会、そして今回新団体を結成した平良氏と呉屋氏たち経済人ら「保守」層が加わってできたのが、「オール沖縄(会議」です。 

この左翼党派と経済人が共に、共通の知事にと担いだのが、一種独特のカリスマ性があるとされる翁長氏だったわけです。 

この両者の考え方に共通点は少なく、体質的には水と油であったことは明白です。 

共産党は、党首選がこの18年間開かれたことがないということに現れるように、本質的にはいまだ秘密結社的体質を濃厚に持つ左翼政党です。

業グループの総帥と、共産党が仲良くできるはずもありません。 

この両者がかろうじて結婚できたのは、元自民党県連幹事長の翁長氏という重しが効いていたからにすぎません。

しかし時がたつにつれて、総帥側はこの「オール」が実は共産党のカバー(包装紙)であることに気がつきます。

自分たちが利用されたと気がついて、さぞかし不愉快だったでしょう。

「オール沖縄が、革新政党の生き残り策として利用されているとの不満」(前掲)が鬱積していったことだと思います。

一方、共産党側は、いっかな「全基地撤去」」はおろか、移転阻止にすらまともに取り組まない翁長氏にしびれを切らし始めていました。 

彼らの目から見れば、翁長氏は政権与党の利権の上にあぐらをかいていたような汚れた政治家だったはずです。

それが仲井真氏に後継を指名されなかった恨みで、反基地デモに飛び込んでくるような基地反対派に豹変したから受け入れて、ついでに奉って知事にしてやったような人物でした。

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したがって重しの翁長氏が倒れた以上、分解すべくして分解したわけで、そのこと自体に驚きはありません。 

問題は、目前 に迫った知事選候補の選定です。もうリミットの時期にきています。

本来なら翁長氏でいくはずだったのでしょうが、倒れた以上、残された道は翁長氏に替わる候補者の擁立となるはずです。

しかし翁長氏のような保革に又をかけたような人材がいれば、そもそもこのような状況にはならなかったのです。

この苦衷がわかるのは、自民党サイドからは何人もの候補者が浮上するに対して、いまだこの旧「オール」の2グループからは新たな候補者が出てこないことです。

あいも変わらず、揃って翁長氏にこだわっているようにすら見えます。 なぜなのでしょうか?

それは旧「オール」2グループにとって、翁長知事誕生があまりにおいしい成功体験だったからです。

極端な左翼志向のある候補でなく、むしろ無色透明に見えて保守層に安心感を与えられる実務派のほうがよいと、総帥派は考えているはずです。 

なぜなら、次の候補は「翁長氏のやり遂げられなかった意志を引き継いで、基地反対・移設阻止を戦い抜く候補」であればいいからです。

方、左翼陣営にとっても人材豊富とはいえません。 

どこにでも顔を出しパーフォーマンスが好きな糸数慶子(社対党委員長)氏のような運動家タイプか、あるいは2期の名護市政で「名護不況」の手垢がついた稲嶺前市長では、勝負になりません。

そう考えると、左翼陣営も似たような人選に収斂されるるかもしれません。

すなわち、保守層にとっても落ち着きがよく、革新からも見てもなんとなく味方に見える「翁長氏の意志を受け継ぐような人」です。

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そう考えると、自ずと人材は限られてきます。

知事の側近であり、知事を支えてきた経験のある実直な実務家タイプということになります。

それに最も近いのは、元知事公室長であり、浦崎副知事の退任に伴って副知事に昇格した謝花副知事あたりに白羽の矢が立つかもしれません。

謝花副知事は知事公室長に任命時から、翁長氏に基地問題の専任を命じられており、うってつけかもしれません。

いやむしろ、琉球独立などと叫んでいた糸数氏などより、はるかに保守層に受け入れられやすく、「翁長氏のやり残した情熱を引き継ぐ人」と見えるかもしれません。

選挙戦で、翁長氏が家族に病躯に鞭打って登壇し支援を訴えれば効果百倍でしょう。

また謝花副知事ならば、「オール」系2グループ共通の候補者になりえるでしょうから、再び「オール沖縄」の擬似的再生につながるやもしれません。

ただし、謝花氏がどのような人か存じ上げませんが、どうみても翁長氏のようなアクの強いタイプではなさそうです。

仮にめでたく知事に当選したとしても、この旧「オール」2グループと国、野党自民党に取り囲まれて、胃に穴があくことになるやもしれませんので、お引き受けなさならないほうが賢明ですと、ご忠告しておきます。

いずれにしても、自民党は「翁長氏の影」との戦いになることでしょうが、それは決して楽な戦いではないはずです。

■大幅に加筆修正しました。もうしわけありません。午後5時

 

 

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「ポスト翁長」時代に望まれるものとは

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こういう言い方をするのはまだためらわれますが、「ポスト翁長」を考えねばならない時期に来ているのは万人の目にも明らかです。 

基本的には、かつて書いたシナリオを大きく変更する必要はないようです。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-f4c0.html 

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さて、翁長氏には蛮勇の破壊者の側面があります。それは保革双方に対してです。 

翁長氏がまず破壊したのは、利権とポスト配分にあぐらをかいていた沖縄保守でした。 

その根っこには、米軍基地があってこそ振興予算が島に流入するという隠微な関係がありました。 

このような中から、基地と振興予算をめぐる利権の温床が生じました。このように基地をリアルな安全保障問題としてとらえられないような「眼の曇り」が、保守内部にもあったのです。 

沖縄県管轄地域が国際紛争の現場となる可能性があるにもかかわらず、沖縄保守、いや自民党沖縄県連と名指ししてしまいますが、驚くほどその危険性に鈍感でした。 

それは沖縄保守県政において、離島防衛に対しての意識が生まれず、尖閣から宮古・八重山を経て沖縄本島までの巨大な空間が、安全保障の空白地帯として残ったままだったことでも分かります。

島の自民はむしろ反対派がハネてくれれば、それを口実に予算がぶんどれる、ていどの隠微な読みがあったような気がします。

これは本土の55年体制において、社会党が反安保闘争を激化させれば、政府が米国からの要求に言い訳が立つと考えていたような阿吽の関係に似ています。

かつて翁長氏が寝返るに際して「基地を押しつけるならカネはいらない」と言ったことを、私はほほぉという気分で聞いたことを思い出します。 

また、朝日とのインタビューの中で、「革新は戦ったことで精神的に満足している。政治家は結果だ」と言ってのけた時には、思わず拍手すらしそうになりました。 

まことにそのとおりで、翁長氏は沖縄の宿痾が「基地とカネ」にあることを喝破していたことになります。 

ならば、その利権の構造の中心にいたがゆえに、その汚泥の臭みを最も知り抜いた翁長氏が、オスプレイ反対・辺野古移転阻止を戦ったらどのようなことになるのか、私の関心はそこにありました。 

私は、翁長氏が左翼好みの美辞麗句を言いながら、面従腹背をするのを待ちわびていたのです。 

どこで自民党県連では実行不可能な腹芸を繰り出すのか、待ち焦がれていました。 

特に、一昨年の裁判所が仲介した実に10カ月にも及ぶ「和解」期間において、いかなる寝業を見せてくれるのか、心密かに期待していたものです。

この翁長氏への「期待」は、何度か記事にしました。 

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結果は、ご承知の通りです。菅官房長官が毎月定期的に沖縄に通って来るという、これ以上ない機会がありながら、指をくわえていたのです。

翁長氏がこの10カ月間に紛争の解決に向けて、何か能動的に動いたという記録はありません。ただ、反対派と同じ怒りと怨念を、本土政府にぶつけたにとどまりました。 

こんなことなら革新知事にもできます。それはなぜでしょうか?

理由ははっきりしています。翁長氏が共産党を甘く見たということです。 

共産党はいかなる状況にあっても基本方針の変更を拒むことでこそ、純粋な「革命党」でありえるという秘密に気がつかなかったことです。 

このような「革命党」を自らの手足としてしまえば、翁長氏に選択の自由は存在しません。

翁長知事が言えるのは、わずかにオスプレイ反対と移転阻止の二つだけだったのです。 

翁長氏には「オール沖縄」が降ろしてくる方針を、そのまま実施する以外になにも出来なかったはずです。 

2016122301政府の北部訓練場返還式典を欠席して参加した反対派集会での翁長氏と稲嶺前市長

知事という「黄金の檻」に閉じ込められた共産党の操り人形、それが翁長氏でした。 

翁長氏が「基地を押しつけるならカネはいらない」と吠えたことは、弊履のごとく捨て去った自民党県連に対するあてつけだったでしょうが、それは一面の真理です。 

ただし翁長氏の致命的欠陥は、ひどい経済オンチだったことです。おそらく氏には、県の経済とは基地利権だていどの理解しかなかったはずです。 

翁長県政は、自らの構想と力で沖縄経済を刺激し、浮揚させることをしませんでした。 

この傾向は翁長氏が飛び込んだ革新陣営においては更にひどく、彼らはまるで「資本主義を憎んでいる」ようです。

この体質は、共産党が主力だということと、自治労、沖教組という食いっぱぐれがない「親方日の丸」の人たちがその中心だったためです。

たとえば伊波洋一氏などが選挙公約で、県最低賃金の倍増と言いだした時には失笑しました。

景気の浮揚を伴わない政治的賃上げでは、地場産業は軒並み破綻するのは目に見えています。今の韓国のムン政権と同じです。

経済を活性化させる中から、失業率を地道に減らしていき、そのことによって起きる労働力不足による賃上げを展望するのでなければ、絶対にうまくいきません。

そういう彼らが「独立」を叫ぶのは笑止です。

もし本気で「独立」を希求するなら、それは与えられるものではなく、自らが自分の足で経済を支えることができてこそ初めて獲得できるものです。

独立とはとりもなおさず、強い自前の経済力をもつことであり、大国の干渉に負けない自前の軍隊を持つことのはずなのですが、彼らはそのいずれも忌避してきました。

今の琉球独立派は、北京で会合を持つような人たちにすぎません。

「翁長時代」は、このような左翼陣営に権力を握らせたらどのような結果になるのかを明らかにしました。

このように考えてくると、「ポスト翁長」時代があるとすれば、基地とカネという旧弊な構造から自由にな人物が望ましいと思います。

 

 

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山路敬介氏寄稿 かくれた基地推進派~翁長知事は早期辞任の決断をしろ その4

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今回で山路さん寄稿の最終回です。 

                       ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。 

承前

翁長氏の中に眠る琉球士族血の怨念 

すでに知られるところですが、翁長家は琉球王朝に仕えた首里士族の末裔です。 

旧士族としての唐名(からな)を「顧」氏と言い、この姓名は重要でこれで「門中」も成立しています。 

篠原章氏がどこかで書いていましたが、翁長氏の先祖は琉球処分時には喜界島に赴任していたそうで、まさに琉球処分によって没落の憂き目にあった典型と言えましょう。 

知事が高裁で行った知事の意見陳述では、「歴史的にも現在においても、沖縄県民は自由・平等・人権・自己決定権をないがしろにされていた」という文脈の中に琉球処分を位置づけ、これをも歴史的な「「魂の飢餓感」の一因としました。 

私はこれには今でも「フザケるな!」と言いたい。 

知事ら旧士族の先祖にとっての「琉球処分」は知事の評価のとおりでしょうが、大多数の琉球国民にとっての琉球処分は「農奴からの開放」であって、国民の自由・平等・人権・自己決定権をないがしろにしたのは琉球王朝の手先となった知事の先祖たる琉球士族たちの所業のゆえです。 

かつてこのような馬鹿げた事を保守側の政治家が言った前例はなく、不必要な対立を避け、歴史の汚い部分を語る事を極力避ける知恵を皆が持っていたものでした。  

その傷口をわざわざ引っ掻いてみせるような様を知事は見せたのであって、それゆえ私としてはそこに知事の「情熱」の根源を見ざるを得なくなります。 

知事の言うような事は歴史家が自己の歴史観から言う事は自由ですが、知事としてのこの見解はまんま歴史修正主義的であり、到底許せるものではありません。 

どうもロマンチストというものは主観的にすぎて、ストーリー重視のうえに歴史を多角的に見る観点が不得手なようで、故意でないにしろその時の状況に従って都合よく解釈する方向に与しやすい性質があるのです。 

翁長氏の自滅は約束されていた 

ともあれ、そうした意識を根底に秘めた知事が目指したものは、「どうせ国がつくる」辺野古移設反対や阻止ではなく、政府と沖縄と間の関係性の再構築です。 

知事にとっての米軍基地の存在は、沖縄と日本を結ぶ「特別で妙なる紐帯」であり、基地があるからこそ、そこを利用して本土との交渉に役立て、その結果として物心ともに潤ってきた経験が過去に多々あったわけです。 

しかし、近年では運動員の高齢化や米軍の努力、日本を取り巻く安全保障環境の悪化があったりして県内の基地反対派勢力が激減してきていて、本土からの「基地反対」の声も低調です。 

知事の眼目は「本土と沖縄との力学的バランス」を温情的な旧経世会時代そのままに戻したい狙いであって、それでこそ県議時代に革新の太田知事を議会で追い詰め、辺野古移設計画に尽力した自分と内部矛盾なく一貫性を持った人生として完成されるのです。 

知事のこうした心情はシュミットの言う政治的ロマン主義の特徴にして根幹をなす「~~を取り戻す」のような「復古主義」そのままであり、ここにこそ知事の主観的な価値観と情熱の根源があると言って良いと思うのです。 

それを「以前から積み重ねたうえでの約束だから」とか、「普天間の危険性の除去」だとか木で鼻をかんだような正論を言われても、知事には到底受け入れらもしないのです。 

しかし、安倍政権が「頑な」なのではありません。知事の責任です。 

共産党をも内にはらんだ県政である以上、どのような政権であっても「話し合い」は成立の余地がなく、翁長氏は最初から自滅する事を約束されていたのですから。  

                                                                                                (了) 

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山路敬介氏寄稿 かくれた基地推進派~翁長知事は早期辞任の決断をしろ その3

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山路氏寄稿の3回目となります。

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承前 

翁長氏をプロファイルする 

話がそれました。翁長知事に主題を戻します。 

ブログ主様は4月12日の記事で「翁長氏という人物は、善きにつけ悪しきにつけ、バイタリティある泥臭い野心家」で、「政治家は当選してバッチをつけてなんぼというのが、翁長氏の信条」、「絶対反対の交渉ハードルを高くすれば、本土政府は更に譲歩を重ねて補助金交渉も楽に進むという現実的思惑があった」と言っています。 

これはもう、そのとおりです。 

そして「右でもなけれは左でもないという意味」で、「無思想な人物」としています。 

翁長氏の父助静氏、長兄の助裕氏は何度となく選挙に落ちています。 

その時の反動意識として彼は「選挙通」、果ては「執念の選挙屋」になったのだし、保守政治家の息子としていじめにあった経験から「共産党とさえ組む」という無限融和の道を最後に選んだのも理解できます。 

また、金に汚く評判の悪かった長兄の助裕氏を反面教師として、自身は「クリーン」でもあります。 

しかし、助裕氏らには選挙に落ちた経験からこそ、「学んだ点や掴んだもの」もあるのです。 

翁長知事にはそれがなく、私には不良息子のように反面教師としてしか親兄弟を見ていない感じが強くしてしまうのです。 

私にとっての翁長知事は、「右とか左とか」との前提を除いても「無思想な人物」としか映らず、対して評判の悪かった助裕氏は著書の『私の政治論』のなかで、(若干、上から目線ではありますが)今日の状況にも通じる沖縄の問題を「大衆のあり方」の観点からも解き明かす試みをしています。 

両者の知的懸隔は明らかで、「深い思想」が長兄の助裕氏にはちゃんとありました。 

翁長知事はかつて市長会において、「辺野古はどうせ国がやるんだ。しかし、簡単には同意するな。反対する事が大事なんだから」と発言し、喜納昌吉氏には知事選前に「賛成して基地を作らせるよりも、反対しながら作らせるほうが何かとやりやすい」と言って驚かせています。 

中山石垣市長との覚書の中でも、はっきりと「県内移設を排除しない」と書いて署名押印もされているのです。 

つまり、最初から翁長知事には「辺野古移設阻止」など政治的道具にすぎず、その本質は選挙と権力維持のために県民・国民を謀り続けて来た外道政治家にすぎないのです。 

知事によってこれまで辺野古関連で無意味に投下された損失は、篠原章氏によれば既に100億円は超えると見られており、これは到底許されるべきではありません。 

こうした小悪党にスキなく喰らい付くもの左翼の本分で、ついににっちもさっちもいかない状態に追い込まれた姿を4/12の記事でブログ主様は次のように表現しています。  

「やがてこの場当たり的な政治選択は、翁長氏(自身)をがんじがらめにして、ミイラ取りがミイラになるようにして知事という「黄金の籠」の捕らわれ人となった」 

翁長知事の「命がけ」の意味とは 

さて、ここまで書いてきても、多くの納得がいかない人には、やはり納得が行かないものでしょう。 

それは知事が命懸けであるからで、まして膵臓腫瘍という病を押してまで成そうとしているその事自体に一定の共感を覚えるからです。 

なるほど、それはそれで「情緒的だ」と切って捨てるわけにも行きません。 人は誰かが命懸けで事を行おうとする場合には、そこに重大な意味を求めようとするものだからです。 

知事職も何もかも放り出して治療に専念し、「一日でも長く生きる」という選択肢があるにもかかわらず、それをしない信念に打たれもするでしょうし、これまでの私の説明と矛盾する点を「命懸け」という理由一点で嗅ぎ取るかもしれません。 

しかし、ドンキホーテが騎士道に則って風車に向かって決闘を挑んだ際に、相手が風車だったからと言ってドンキホーテが「命懸けでなかった」とは言えません。 

同時に、ドンキホーテが「命懸けであった」からと言って、風車が「退治すべき巨人」であったことにはならないのです。  

さらにこの説明がうまく出来るかどうか自信がありませんが、私が翁長氏の中で一番嫌悪する点にも関連するので最後に試みます。 

■思想なき心情の人、翁長氏 

すでに言ったように翁長知事には思想はありません。  

それはそれでいいのですが、困った事に知事は非常なロマンチスト(ロマン主義者)であって、その事が翁長氏の信念の実行に重要なポイントとなって現れていると思うのです。 

ロマン主義は思想や理論ではなく、つまるところ「心情」です。  

翁長氏は、カール・シュミットが言う政治的ロマン主義者の定義にそのまま当てはまります。 

シュミットは、政治的ロマン主義は概略として、「保守から出でる」ものであって、「美学的・観念的言葉で語る」、「合理主義に反する」こととしています。 

そして最大の特徴は「主観的な生の充実だけを求める情熱であり、その条件さえ満たせばどのような政治的イデオロギーとも結びつくことが出来る道徳的無節操である」点としています。 

そうしたロマン主義者特有の政治の困難について、シュミットは次のように指摘しています。 

「(ロマン主義は)至上化した生の高揚のために政治を利用する「機会偶因主義」」であり、「その本質は、一切の原因との対応を欠いた浮動性にある」、「いかなる思想とも合体しうる政治的受動性を持つ」のです。 

また、「無意識のうちに、最も身近で最も強力な勢力に服従し、その優位性はきわめて皮肉な逆転を蒙り」、結局のところ「ロマン的なるもののすべては、他の様々な非ロマン的なエネルギーに仕え、他者の力、他者の決断に屈従的にかしづく事になる」としています。 

まるで、シュミットが生きて、翁長氏をとりまく現状を描写したかの如くです。 

ポイントは「主観的な生の充実だけを求める情熱」という点です。  

つまり、「情熱」が発火点であって、翁長氏の命懸けのそれが何処からどういうふうにもたらされたのか、が次の問題です。 

                                                                                            (続く)

                                                                                                  次回終了

 

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沖縄政局の流動化は止められない

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今日は二本立てです。山路氏の3回目も是非お読み下さい。

さて私事ですが、先週から広島に母の見舞いに行って、昨夜帰りました。骨の髄まで疲れ果てました。歳ですなぁ(苦笑)。

その間に、沖縄市市長選で現職の保守系候補が再選されました。
左翼陣営は沖縄第2の都市でも敗れたわけで、連敗記録を塗り替えてしまいました。
もう「オール沖縄」の衰退は誰の眼にも明らかで、翁長氏の病状とは関係なく、その終焉を迎えたと思われます。

「沖縄県沖縄市長選が22日、投開票された。与党などが支援した現職の桑江(くわえ)朝千夫(さちお)氏(62)(無=自民、公明、維新推薦)が、翁長(おなが)雄志(たけし)知事らが支えた新人の前市議・諸見里(もろみさと)宏美(ひろみ)氏(56)(無=希望、民進、共産、自由、社民推薦)を破り、再選を果たした。
 県内の市長選は、2月の名護市長選、3月の石垣市長選に続いて与党側の3連勝となった。今秋にも予定される知事選に向け、与党側は弾みをつけた形だ」
(読売4月22日)

翁長氏が手術をしました。手術には本土からの医師があたったとの情報も流れています。この情報が真実なら、良性の腫瘍ではない可能性もあります。

今の時点ではなんともいえませんが、良性であることをお祈りします。

検査結果は2週間先とのことですが、結果が良性か悪性であるかにかかわらず、沖縄政局は激しく流動化を開始し始めました。

それはこの時期がよりによって知事候補を擁立する時期に当たっていたからで、その中心人物の2期目が著しく不透明になったからです。

知事の検査結果にかかわらず、次の焦点は7月といわれている辺野古の埋め立て工事開始となります。

「オール沖縄」としては、なんとしてでもこの「撤回」をするまで翁長氏に知事職にとどまらせねばなりません。

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画で、護岸工事が始まって25日で1年になる。国は海域を埋め立てるため、7月にも土砂の投入を始める見通しになった。移設に反対する翁長雄志(おながたけし)知事が埋め立て承認の「撤回」にいつ踏み切るかが、焦点になっている」
(朝日4月23日)

なんとも非情なことですが、政治の論理で事態は進行しつつあります。

ところで、正恩のいわゆる「核実験・ICBM実験中止」ですが、私が土曜の追記で書いたとおりに、メディアは1面をデカデカと使ってまるで北が譲歩したかのような報道をしています。

あまりにも予想どおりなので、失笑してしまいました。

もちろんそのような事実は一切ありません。北は1センチの譲歩もしていません。

本気で思っているならそもそも北を語る資格がありませんし、分かって言っているなら平壌の出先機関と呼ばれても仕方がないでしょう。

首相の日米首脳会談外交を感情的に否定し「蚊帳の外」を言う人たちに、そのようなことを言う人が多いのは何かの偶然でしょうか。

正恩にとってプンゲリ核実験場は既に使用不能ですから痛くもかゆくもありませんし、ICBM実験などしたら米朝会談自体が吹っ飛び、あとは戦争しか残っていないことくらい分かりきっています。

トランプは、正恩を米朝会談に引きずり出して叩きのめすためにツイッターで喜んだふりをして誘っているだけで、何の意味もない外交的ジェスチャーです。

これについては、明日あたりに元気が回復したら書きます。

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山路敬介氏寄稿 かくれた基地推進派~翁長知事は早期辞任の決断をしろ その2

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山路氏寄稿の2回目です。

 

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承前 

革新陣営は翁長氏を骨までしゃぶりつくそうとしている 

むごい事に病身の知事の体にムチ打たせ、最悪でも任期を努め上げさせるところまでは革新側も知事・保守側と最大公約数的に一致します。 

しかし、革新側(共産・社大・社民・オール沖縄会議)のその目的は「県民投票」をやりたい知事側とは違っていて、7月末にも予定されている辺野古への土砂搬入の前に無理にでも知事に捻じ込んで「撤回」をさせる腹です。 

知事の病気で、そのチャンスは「むしろ近くなった」と捉えているようでもあります。 

一方の自民党としては知事選候補者の決定を前倒しして行いたい意向であり、様々な紆余曲折を経ながら9月の統一地方選と同時に知事選を当てて来るだろう、との観測があります。 

自陣にタマはあるのですが、戦う「相手が誰なのか」マトを絞れない中で、なるべく先送りしたほうが良いとの意見もあるようです。 

その上で、「県民投票をやりたい知事」と書きましたが、革新系の大きな部分は知事を全然信用していなく、「知事は県民投票を実行しないだろう(あるいは、それを辺野古阻止には結びつかないようにやるだろう)」、「小事の許可権限を元にした訴訟の乱発は、知事の目くらまし」と、正確に知事の本心を見抜いています。 

革新陣営は辺野古移転阻止が現実に可能だとは考えていない 

はっきり言って革新系は知事を利用して骨までしゃぶりつくそうとしているのであって、知事は知事で「県民主体の住民投票を」という(県民投票派にあっても、金秀だけが同意)、上げたハードルを今だに下げていず、意図的に住民投票に踏み出せないようにしているかのように見えます。 

ここにも対決の構図がはっきりとあるし、知事に騙されるつもりもリーダーシップを握らせるつもりもない革新系(特に「オール沖縄会議」と共産党)と保守系の対立が結果的には知事への求心力を削いでいるのが現状です。 

しかしながら(こういう事をいうと、一生懸命に純真な気持ちから辺野古反対の運動に汗を流している皆さんには申し訳ないですが)、その革新系にしてからが「会議」以外の頭の方はよもや「辺野古を阻止出来る」とはゆめ考えていません。 

本当の目的は、反対運動を通じて自らの政治的立場を拡大させる目的だったり、自派の(広義の)利権の拡大のために行政の深部にくい込む事を企図した「反対運動」であるにすぎません。 

ムーブメントを起こして「反原発」や「反安倍」に動員運動を繋げる事、「運動支援」から生じる選挙活動的な副次的効果が目的なのであって、辺野古移設を阻止出来るかどうかはもはや主眼ではなさそうです。 

「デモ」や「反対運動」などに対する一般人が感じる嫌悪感は本土並にあると思いますが、それでも沖縄というのは特殊な環境下にあります。 

運動家上がりのデマゴ-グが大学の学長にまで上りつめたり出来るようなラインが確立されてあり(この人は、つい先日死にましたが)、新報のへっぽこ記者でも左派色が強く詭弁が得意であれば容易に大学教授にもなれるのです。 

皇太子殿下に火炎瓶を投げつけたりする輩でも、名護市議に選出される馬鹿げた心情性もあり、革新思想に透徹しておらずとも、損得勘定と口がだけが達者な人間ほどお手軽に左にハマる傾向と、そのほうがむしろ出世の近道であるような構造もあるのです。 

そうした意味では全く無駄に見える「基地反対運動」の類も、その手の人たちが目指す到達点によっては応分の価値があると言っても良いかと思います。 

                                                                                               (続く)

 

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山路敬介氏寄稿 かくれた基地推進派~翁長知事は早期辞任の決断をしろ その1

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山路敬介氏から寄稿いただきました。 

編者の不手際で掲載が遅れましたが、この論考は、翁長氏のすい臓腫瘍が分かった4月15日直後に寄せられたものです。 

状況的にややズレたものとなってしまったことを、山路氏に深くお詫びいたします。

寄稿の沖縄テーマが続く異例のものとなりましたが、このような優れた沖縄の論考を取り上げるのも、私のブログの仕事だと考えています。

なお、小見出しは編者によるものです。

 

                    ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。 

            ■かくれた基地推進派~翁長知事は早期辞任の決断をしろ
                                                                                   山路敬介
 

翁長氏は知事在職のまま入院加療するつもりか?

沖縄二紙の報道では「腫瘍が見られ」、その腫瘍の摘出手術をしながら「悪性か良性かの判断をする」としています。 

また、「これまで自覚症状はなく」、「検査によって発見された」としています。 

このような報道内容をそのまま信じる県政界関係者はおらず、逆に「相当に深刻な状態」であるとの観測が大勢です。 

私はこの「相当に深刻な状態にある」との情報は信ぴょう性が高いものと見ますが、客観的に誰が見ても短期間でのあの異常な痩せ方、食事量の著しい減少などの証言もあり「自覚症状がなかった」との言はありえない強弁であって、政治的な意図を持った発言である事はあきらかだと考えるものです。 

この点、ブログ主様の4月13日の記事中、「いきなり健康診断で癌が見つかるという公表には疑問」があり、「おそらく1年前くらい前からは、時限爆弾のように「健康不安」はくすぶっていたはず」との推定には合理性があります)  

そのような中、知事会見の模様と二紙の記事を再三確認するにつけ、知事は「悪性」であっても少なくも任期中は知事職にとどまる意思が濃厚に感じられ、県民として大きな憤慨を禁じ得ません。 

4月12日のコメント欄では、「在職したまま入院治療しても、それはそれで構わないと思う」との意見がありましたが、胃癌などのように摘出すれば完治する方向がはっきり見えるケースとは事情が違います。 

その意味は私がコメント欄で申しましたように、「県民の負託に十分応えられない体調」であることや、「(税金から)職員に不必要な負担をかける事」等々の表層的問題だけではありません。 

肝心な事は県政一般の政策実現性の根幹にかかわる求心力の問題であり、県民から負託された知事権限を行政に対し十二分に反映させる事が出来づらくなる事への懸念があるからです。議会対応の問題もあります。 

わかりやく例えれば、ふつう現職知事が内心で再選出馬をしない決心をしている場合にも、その正式発表は政治状況が許す限りギリギリまで遅らせるものです。 

重要な課題が残存する場合はなおさらです。 

これは政治的レームダック化を回避すためで、ギリギリまで議会に対しても統括する行政機関に対しても、求心力を保つ事が継続的に政策を実行する立場にとって必須と考えられているからです。  

また極端で特殊な例ではありますが、一期限定制度を持つ韓国大統領の十八番のように決まっての後半の凋落ぶりを見ていただければ、言わんとするイメージの程はご理解頂けるものと思います。 

言いたい事は、「死に体政権」が生じさせる、その期間中の政治的混乱を防ぐのも知事の責務だし、長期間放置すればその結果として我々県民に損失をもたらすのが明らかなのであって、そうした状況は極力短く潰して行かなくてはならないという事です。 

この意味で翁長知事の今の姿勢は、この期に及んでも「二期目不出馬」を明言しなく、無理にでも「完治に向かっている状態」であり、「治療しながら知事職を全う」出来る、という「絵」をとりあえず県民に見せたいと理解できるのです。 

知事の場合には逆に病気を奇貨として、あえてモラトリアム期間を生じさせるが如き政治的手法、いわゆる「生臭さ」が常に付きまとうているのが現状です。 

翁長知事の思惑は県民無視だ

知事がこの「絵」を死守しようとする本当の理由は他にもあって、ブログ主様が記事で言うように「後継候補者問題」に他なりません。 

知事はいまだに是非とも意に沿う保守系の後継者を擁立したいと考え、水面下ではその動きを画策しているとの観測がもっぱらです。 

しかし、その「絵」はもはや「取るものを取った」感のある金秀、かりゆし両者の「オール沖縄会議」からの離脱で崩れ去ったと見ます。 

この両者は「オール沖縄会議」の外側から知事を支える事を明言していますが、支持母体が保革一本化された状況を保てないならば知事選は戦いにもなりませんし、それだとそもそも「オール沖縄」になりません。 

これからは保革の「ブリッジ共闘だ」などと言う声も聞かれますが、それはただの「言葉の遊び」にすぎません。  

そして、自からの政治的状況打開のために最も根治困難とされている膵臓癌を背負ったまま、この先5ヶ月間も知事職に連綿としてしがみつくとすれば、それは「県民無視」の最たるものです。 

県マスコミと翁長氏は、革新系の思惑も絡んで県民心情に訴えるような方向性が出来あがりつつあると見ますが、またぞろそうした県民へ感情操作的なやり方が行われるとするならば、それは私が個人的に最も嫌うところであり、吐き気がするほど嫌で嫌でたまらない事です。 

■「オール沖縄会議」の思惑

知事の「保守からの候補の擁立」の思惑は、今のところ「オール沖縄」内の革新系勢力、わけても「オール沖縄会議」の企図するところとはもちろん一致していません。 

むしろ革新勢力はそれを牽制した動きをしており、これからも一致する事はないでしょう。 

「オール沖縄」内においては革新勢力が圧倒的に発言権が強いものの、だからと言って革新系候補では知事選を戦えないのは革新勢力自身の大勢も理解しているところです。 

だから、今は「翁長二期目支持!」と言うしかないのであって、上述の「革新勢力の企図するところ」の内容は表向き翁長知事の続投に他ならず、知事選の司令塔として労組などの各組織を束ねる「調整会議」の方向性と一致して次のように述べています。 

「知事が自から元気である事を示した。予定通り走り出せる。ポスト翁長を議論する状況には至っていない」(与党幹部 4/11琉球新報2面)、「政治的にはやる気だ。知事は二期目にむけて出馬するという自分の見立ては変わっていない」(与党県議 4/14琉球新報2面) 

なんともナンセンスな発言ですが、もちろん本心ではありません。 

                                                                                               (続く)

※2回目の掲載は、一日おいてあさっての月曜日となります。

 

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宜野湾くれない丸様寄稿 普天間高校西普天間返還地への移設断念 その2

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今回で終了となります。ありがとうございました。

宜野湾くれない丸さんの普天間2小問題については、こちらからぜひご覧下さい。

※「宜野湾くれない丸氏寄稿   なぜ普天間2小は1ミリも動かなかったのか その1~3」
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-9e31-1.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/21-2-7d30.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-8595.html

                     ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。 

承前 

■そして「断念」へ 

準備は整ったはすなのに、閣議決定から半年もたたない2017年11月末に「土地収得は1%に満たない」とのニュースが流れた。一体どういうことなのか?

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171127-00175578-okinawat-oki

上に挙げた記事では「売らない理由は?」の問に『軍用地等地主会又吉真一会長は、「先祖代々の土地、子や孫に譲りたい、投資目的・・・土地は大切な財産で、売らない理由はさまざま」と難しさを訴える』とある。 

何とかならないものなのか。正直な気持ちとしては歯がゆさを感じるのであった。 

そんな思いを抱いていたが、「1%にも満たない」から半年後のこの4月14日に冒頭に挙げた「移転断念」のニュースが流れた・・・・。

土地取得予算は約45億円、校舎整備予算に約40億円と県は試算し、国と調整を行ってきた。2022年までに工事を終え、2023年9月には移転が終了するという予定で進行していたということだ。
 

これらの計画は全て白紙に戻ったわけである。普天間高校在校生は、関係者は、どのような気持ちでこの現実を受けているのであろうか。 

この機会を逃したら、普天間高校の条件の良い近隣地への移転はほぼ不可能に等しい。 

6(普高の移転予定地だった人材育成ゾーン 右奥の白ビルは米軍病院。その他のビルも米軍関連)

■なぜ普二小は返還地へ移転させないのだろうか?

以前の投稿でも少し触れたが、この返還された跡地へなぜ普二小を移転させないのだろうか?という疑問がずっとある。
 

過去の普二小の移転問題に関しては紆余曲折あったが、学校から約500メートルの地点に広がる約51ha(東京ドーム約11個)の土地が2015年3月31日には日本へ返還され、整地作業も外から見る分では、順調に進行しているように見受けられる。 

80年代に移転話が出た頃に米軍から提供の申し出があった「その同じ場所」が返還されたのにも関わらず・・・・なぜ? 

これも以前に宜野湾市役所へ問い合わせを行ったが、「検討はしたが、無くなった」旨の返答があった。 

さらに「なぜ無くなったのか?」という問い合わせも行ったが、返答は全くない。

ただ、普天間高校の移転計画経緯を参考にすると、学校関係者らからの「要望」があって行政は動くという事が分かる。
 

過去の普二小も騒音被害が増し、近隣に米軍ヘリが墜落事故を起こしたりする中で、79年、80年ごろより「この頃より移転が話題に上がる」とPTA新聞に掲載されていた。 

PTAや学校関係者らが市へ「移転要望」を行っていたのである。普天間高校の場合は同窓会からの「要望」を受けて県が動き始めたのである。

真意のほどは分かりかねるが、普二小関係者らからは、返還地への「移転要望」はあったのか、そうではないのか?
 

先にも書いたが以前市へ問い合わせした際には「普二小の返還地への移転は、検討はしたが、なしになった」ということであったので、学校関係者らはもしかしたら市へ「要望を行った」かもしれない。 

であるならばなぜ「無し」になったのか? 

疑問は尽きないが、約51haもの近隣の土地が返還されたのであるから、子どもたちの安全安心、ましてや普天間飛行場の閉鎖はともかく、辺野古への移設の目途もたっていないこの現状の中で、学校関係者らはどのように考えるのか?という事である。

話は少しそれるが、先月3月3日の琉球新報1面トップに『夜間中学補助打ち切り県教育庁「成果出た」』とあった。
 

同紙27面にも詳細が掲載されていたが、それによると「戦中・戦後期の混乱期で義務教育を受けられなかった人らを対象に、那覇市のNPO団体が運営する夜間中学へ県は2,011年から支援を行ってきた。 

17年度の支援額は395万円。この団体へは来年度(H.30)以降も5名の人が在学している(概要)」。支援打ち切りについて「文科省が全国に公立夜間中学を設置する計画がある。設置されれば、対象者も広がる。後退ではない」と。 

一方で、県は昨年9月に「しまくとぅば普及センターを県文化振興課内に開所」し、普及促進に取り組んでいる団体等を対象に「上限100万円の普及促進事業補助金制度を設けている」。

沖縄戦により義務教育も満足に受けられなかった方々が通う夜間中学への「年間400万円弱」の支援を打ち切り、翻ってかつての「本土化教育の裏返し」のような取り組みには力を入れる。
 

学校の校庭が狭く体育祭も満足に開催出来ないような普天間高校の移転計画は「予算も土地の目安」もついたが、「用地取得が出来ずに白紙撤回」・・・。

この先、辺野古の工事が順調に進んで完成しても、飛行場機能の移転などを含めると約10年の時間が必要であろう。
 

その間、ずっと「子供たちを危険な場所へ通わせ続ける」のであろうか・・・・。

SACO最終報告が出てから22年。西普天間住宅跡地は返還されて3年。整地は順調に進んで既に地権者へ返還された。
 

高校移転予定地の地権者は用地として土地を売ることを拒み、高校移転も「白紙」になった。何も動かぬ「普天間飛行場」と「普天間高校」そして「普天間第二小学校」である。 

テレビを観れば「しまくとぅば普及運動」のコマーシャルが流れている。

沖縄は、私たちは、一体「どこへ向かって」いるのであろうか?

これが「沖縄の現実」の一端である。
 

                                                                                     (了)

 

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宜野湾くれない丸様寄稿 普天間高校 西普天間返還地への移転断念その1

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宜野湾くれない丸様より寄稿いただいております。ありがとうございました。 

政局にふりまわされることなく、このような熱のこもった論考を掲載できることをうれしく思います。

                           ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

 

                 ■普天間高校 西普天間返還地への移転断念
                                                                 宜野湾くれない丸
 

先週の土曜日(4/14)、沖縄タイムスの1 面トップに、那覇市が憲法の定める政教分離に違反する判決の記事が掲載されていた(孔子廟訴訟)。 

「違憲か合憲か」を争う住民訴訟で原告の住民側が勝訴した画期的な判決であった。 

さらに同紙の 2面には、「西普天間への移転断念 県立普天間高校 県が方針 必要な用地確保できず」とあった。 

宜野湾市に住むものとして、最近まで子供が同校に通っていた父兄の立場からすると、「違憲判決」をうわまわる驚きと同時に「やはり・・・」という何とも言い難いやるせない気持ちに覆われた。  

2018_4_14_3(「西普天間への移転断念」沖タイ2018_4_14)

これまで私は、普天間第二小学校の移転にまつわる経緯を少しずつ調べてきたが、ここへきて再び「断念」という新聞記事に遭遇したわけである。 

「危険と同居仕方ない 第二小移転を断念」(沖タイ・朝・1992年9/19 )がひとつめの「断念」で、今回が二度目の「断念」である。 

普天間高校の「移転断念」について、新聞報道などを基本ソースとしてこの二度目の「断念」の経緯を探り、何故再びこのような結果になってしまうのかを、その背景を考えてみたい。 

■普天間高校の概要 

沖縄県立普天間高等学校は、1946年(昭21)にコザ高校野嵩(のだけ)分校として設立され、1948年(昭23)に野嵩高等学校として独立。 

1957年(昭 32)に普天間高等学校と改称。本土復帰の1972年(昭47)に沖縄県立普天間高等学校となり現在に至る。 

各学年10クラス、普通課程のみで全校生徒は男子 510名、女子691名、合計1,201名(H.27 )。 

校訓は「質実剛健」「進取創造」、校章にある二つのペンは「戦争で灰じんに帰した郷土を再建し、平和な道を歩むには、『一にもペン(教育)、二にもペン(学問)が大切だ』ということを表している(制定昭和 23年6月)。 

卒業生の殆どは上級学校へ進学している。佐喜眞淳宜野湾市長や喜納昌吉氏は卒業生である。 

■移転の経緯 

普天間高校は、敷地の狭さや施設の老朽化、学校正門が県道81号線、国道330 号線がまじわる三叉路沿いにある。 

この付近は日夜を通して交通量の多い危険な三叉路である。

正門両脇には民間の建物が連なっており、狭い土地へ学校が「押し込められた」ような息苦しさを感じる。

普天間飛行場が出来たために歪な都市計画をせざるを得なかった現実がここにある。

新聞報道や宜野湾市のホームページ(まち未来課)などを参考にして移転計画の経緯を追ってみたい。

5(「普高の正門。手前の道路は国道330号線」)

宜野湾市はSACO最終報告を受け、地権者と行政との協同によって西普天間住宅跡地(以下、跡地)の利用検討を進め、平成15 年度に「まちづくり計画」を策定した。

2013年(H.25 )には跡地の利用方向性を「住宅系のまちづくり」から「沖縄の発展をけん引する都市機能を持つまちづくり」へと転換した。

これを受けて同年12 月、普天間高校同窓会が県教育委員会へ同校の跡地への移転要請を行った。

その後、佐喜眞淳宜野湾市長らも県教委などに求めたが、同教 委は「国からの特別な財政措置がない限り難しい」 との回答であったと。

県としては既に、琉球大学医学部及び付属病院を中心とする「国際医療拠点ゾーン」と普天間高校の移転を想定した「人材育成拠点ゾーン」、地権者の土地利用を想定した「住宅ゾーン」を設定し、国へ対して支援の要請は行っていたが、宜野湾市への回答は「難しい」というものであった。

事態が急変したのは、2016年(H.28)11月28 の新聞紙上で「移転計画頓挫」の報道からである。

「県と市の連携不足」が頓挫の原因であった旨の内容であった。

私は報道を知り宜野湾市役所へ問い合わせメールを入れたが、ひとことの返答もなかった。

1(普校移転促進横断幕)

半年後の 2017年(H.29)5月、状況は好転した。

「県、普天間高の移転検討 国に費用負担要望」(沖タイ2017年5/11 )、『「知事検討を指示」自民党会合で表明』(琉球新報2017年5/11 )と出ていた。

これまでも要望はしていたはずであろうが、新聞発表されたことは何がしかの「見通し」が立ったのであろうか、と感じた。

この時点での新聞報道ではなされていなかったが、知事の発表直後に県と内閣府が調整して「土地購入費に一括交付金を充てる予定」になった様子である。

『同年( 17年)6月に閣議決定された経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)に、「普天間高校を活用した人材育成拠点の形成を図る」と明記。』(沖タイ2018年 4/14 )と書かれていた。

つまり政府は「資金は出し」「骨太の方針へも高校名を記載」したということは、高校の移転へ向けての「準備は整った」・・・・、はずであった。

                                                                                            (続く)

 

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孔子廟裁判 那覇市側敗訴

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金城テルさんが那覇市を訴えていた、孔子廟訴訟での全面勝訴が確定しました。

那覇市が控訴する可能性はありますが、差し戻し審での判決が動く可能性は極めて低いといえます。 

「那覇市の公園に建てられた久米孔子廟を巡る差し戻し審の判決で那覇地裁は住民側の訴えを全面的に認めました。
この裁判は那覇市が久米崇聖会に孔子廟の設置を許可し市有地を無償で貸したのは政教分離の原則に違反し、使用料を免除するのは無効だとして住民が那覇市を相手に訴えているものです。
これに対して那覇市側は「一般の人が使えるため宗教的な施設ではない」などと主張していました。これまでの裁判では一審の那覇地裁が住民の訴えを却下したものの控訴審では一審判決を破棄し、差し戻す判決が言い渡されていました。
13日の判決で那覇地裁の剱持淳子裁判長は久米孔子廟について「宗教的性格を色濃く有する」としたうえで「市が特定の宗教を援助していると評価されてもやむをえない」ことから政教分離の原則に違反すると判断し、市が使用料を請求しないのは違法だと結論付けました。那覇市は「判決文を精査して控訴するか検討したい」としています」(琉球朝日放送4月13日 下写真も)
 

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本土の人にはなじみが薄いと思いますが、那覇市久米には孔子廟という宗教施設があります。

私有地に建てるならどうぞご勝手にですが、ここは市営公園の敷地内です。 

市有地に特定宗教の施設を作って、憲法の政教分離原則に抵触しないとかんがえるほうがおかしいでしょう。

靖国神社に玉串料を奉納したからといって、クリスチャンの一部から訴えられるような我が国で、公共施設内に特定宗教施設ができ、しかも無償賃貸契約されてしまうという奇怪さ。

金城テルさんは、那覇市有地の松山公園に建てることを市が認め、使用料も減免してきたことについて、那覇市を訴えてきました。 

この特定の宗教団体にこの特例措置を決定をしたのは、当時市長であった翁長氏です。 

今回、翁長氏は知事になっていましたので、直接は判決とは関係ありませんが、やはり敗訴した真の人物は、翁長氏その人であるというべきでしょう。

下の写真は市営松山公園内に建てられている孔子廟ですが、正門まで付随した大きな宗教施設だと分かります。 

Top3http://kumesouseikai.or.jp/ja/toppage/

那覇地裁は孔子廟が宗教施設ではないとする現那覇市長の城間幹子市長と、参加人兼補助参加人久米崇聖会側の主張を退け、明確に「(特定)宗教的性格を色濃く有する」としたうえで、「市が特定の宗教を援助していると評価されてもやむをえない」と判決を下しました。

また運営主体の久米至聖会もまた判決では、「宗教行事を行うことを主たる目的とする団体」と評価され、」「憲法第80条及び第20条1項後段の「宗教団体」とされました

原告の金城テル氏自身に、その訴訟理由を語ってもらいましょう。(平成28年8月2日陳述書より)
http://nahaaction.web.fc2.com/pdf/kume_chinjutusyo.pdf 

金城氏は、この孔子廟が、これも翁長氏が3億円の税金を投じて建てた龍柱と同じ目的で作られたと感じたそうです。 

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「首里城の龍柱に模した4本爪の龍は、 中国の冊封を受け、属国となった印だということでした。
知り合いの議員に 聞くと、若狭にある久米孔子廟が跡地の松山公園に移設され、そこでも龍柱 2本が新設されるとのこと。
しかも、この龍柱は5本爪だといいます。5本 爪の龍は、中国古来、孔子の生地のほかは、皇帝だけに許されたものでした。
今、石垣市の尖閣で日中間の緊張が高まっています。
若狭緑地と孔子廟に建 つ4本爪と5本爪の龍柱は中国共産党が虎視眈々と狙っている沖縄侵略の象徴のように思えました」

そして裁判で争われた政教分離については、市側はこれは儒教施設であって宗教ではないという説を主張しましたが、それについて金城氏はこう述べています。

「この裁判では「儒教は学問か宗教か」が争われていますが、 私は儒教には 学問と宗教の両面があると思っています。
論語は学問ですが、釋奠祭礼(せ きてんさいれい)は宗教儀式です。 明倫堂は学問の施設ですが、 孔子廟は宗教施設です」
 

大変明快な答えです。儒教は哲学であると同時に、宗教的祭祀を行う宗教でもあり、現代世界においてはなによりも、中国の「政治」そのものです。 

たとえば米国においては「孔子学院」と呼ばれる施設が多く建てられましたが、その性格は「中国側のスパイ工作組織であり、米国の安全保障を脅かしている。孔子学院は米国の教育機関の監視外にあって、中国の意向に沿った政治をプロパガンダしている」(※)と糾弾され、各種教育機関から放逐されつつあります。
※2018年4月5日 テキサス州選出のヘンリー・クーラー共和党議員とマイケル・マッカール民主党議員 

私もこの中国の政治的意図を「忖度」し、まるで虎におもねる猫のような翁長氏の行為そのものに問題があると思っています。 

龍柱だけなら、中国人観光客誘致という言い分も成り立つでしょうが、孔子廟まで市有地にタダで作らせ、使用料は免除というのでは、いくらなんでもその隠された意図があらわです。 

それは、かつて中華帝国の朝貢国だった頃から染みついた慕華思想から発しています。 

今の韓国に露わですが、沖縄にも一部存在し、本土の野党、メディア、そして与党内部にも二階幹事長などの親中派や公明党などの中にも存在します。 

自分を帝王に扈従するしもべとして初めから位置づけてしまう、いわば自己植民地化思想です。 

それは近代国家間の友好などという水平目線ではなく、仰ぎ見るように中華帝国を奉り、その意に沿おうとすることが道徳だとする意識です。 

ひとえに中国に「忖度」し、中国の歴史上の恩義に感謝し、何くれとなく便宜を図ろうとするわけです。

これが嵩じると、黄龍旗をひるがえした中国軍艦を待ち焦がれる沖縄地元紙のようなことを言うようになります。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-85e9.html 

「黄色軍艦がやってくる…。船体に黄色の龍の文様を描き、黄龍旗を掲げる清国の南洋艦隊は黄色軍艦と呼ばれたという。知人とこの話をしていたら、黄色軍艦が沖縄を侵略すると、勘違いして話がややこしくなった。
実際は逆で、明治の琉球人にとって清国軍艦は援軍だった。武力で琉球国を併合した明治政府に対し、琉球の首脳らは清へ使者を送って救援を求めている。そして、沖縄側はその黄色軍艦を待ちわびたのだった」(沖縄タイムス2005年5月16日 大弦小弦)
 

この先にくるのが、翁長氏が国連で言った「民族自決権」です。
関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-e720.html 

「日本の沖縄県の知事、翁長雄志です。
私は、沖縄の自己決定権がないがしろにされている辺野古の現状を、世界の方々にお伝えするために参りました。(2015年9月2日、国連人権理事会)
 

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 この「民族自己決定権」は英訳ではright to self-determination 、すなわち民族自決権のことで、それは支配民族からの分離独立を意味する概念です。

民族自決権を翁長氏のように中国に媚びへつらう者たちが、尖閣問題で緊張する両国関係の下で言うなら、それがいかなる意味を持つのか、自ずと明らかだというものです。

この孔子廟訴訟判決がでたのは、偶然ですが、翁長氏のすい臓癌が分かった数日後でした。

私には翁長時代の終わりを告げる、弔鐘の音のように聞こえたものです。

※敗訴したのは翁長氏ではなく現行市長だ、という横須賀氏のご指摘をいただきました。そのとおりですので改題しました。
また正確に言えば「確定」ではないので、冒頭部分に追記しました。

 

 

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