沖縄問題

山路敬介氏投稿 書評 篠原章 『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』への道 その1  

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山路敬介氏の投稿を掲載いたします。 

篠原章氏の新刊、『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』(飛鳥新社)の書評に止まらず、山路氏の鋭い分析が加わってたものになっています。 

優れた著作に、優れた書評に恵まれたことを心から感謝します。 

4回分割でお届けします。その間、私の通常記事は別途掲載といたします。

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書評 篠原章 『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』への道  
              ~ 疎外される本土の納税者~      その1

                                    山路敬介

■はじめに
 

ベストセラーとなった前作「沖縄の不都合な真実」から2年半。 8/31篠原章氏の新著「外連の島・沖縄」(飛鳥新社)がようやく出版されました。 

概略のご紹介と私個人の持論も入れて、沖縄とは何なのか?、沖縄の何が問題か? 少々感じた事を論じたいと思います。 

 
篠原氏は「保守派」という括りのある言論人ではありません。
 

沖縄の問題を語る知識人として異例で、左右いずれにも後ろ盾となるような団体性はなく、権力的な方向に寄る傾きもありません。 

強いて言えば、他の人よりも思想的には個人・自由・民主主義的傾向を強く矜持としているように見る事が出来ますが、その書いたものから特段の「色付け」は伺えません。

かく言う私も保守派とは言えませんが、篠原氏の「米軍基地を(さらに本格的に)減らすためには~云々」との命題を掲げる発言を度々されるところから印象し察するところ、「SACO合意以上の米軍基地の削減はやるべきではない」と考える私とは根本的に意見の相違があるのだろうと考えています。

しかし本書での沖縄の深奥に迫る現状認識や歴史的経緯への洞察はきわめて深く、しかも完全に納得出来るものだし、かつ様々の理由から結論として「補助金は沖縄の為にならない」と言わざるを得ないのであって、そこも完全に一致します。

日本人は沖縄に多年にわたる特別の愛情を注ぎ込みながらも、彼我の違いを簡略化した一面的理解しか持つことはなく、要するに「自分好みの絵ヅラ」に当てはめて考えて来たのではないだろうか?
 

日本政府は沖縄の本質的問題を理解せず、あるいはそこをスルーして対峙して来なかったゆえ、今だに安全保障を一地方に人質として取られ続ける失態を補助金で糊塗し続けるが、もはや限界を越えているのではないか? 

沖縄県や沖縄の為政者の「外連」は明らかだが、主権者である沖縄県民自身が果たして民主主義の義務と責任を果たして来たと言えるのか?  

また、その結果として自主的・主体的な生き方を見いだせていないとすれば、それを阻害し縛り付けているものを歴史的要因の中からも正して行かなくてはならないのではないか?

これらの問いは非常に深刻な意味を含み、本書は多額の補助金の交付を中心とした従来型の中央の沖縄関与の方法が、「基地の問題」とはまったく別の次元で沖縄をダメにし、交付する金員の意味を曖昧にしてやればやるほど、結果的に日本と沖縄を「別個の意識下」に置く事になる構造を明らかにしたものです。

無理にでも本書の難点をあげるならば、著者は普通一般の沖縄県人よりも沖縄の事を深く理解して在りながら、自身が沖縄県人ではないだけにいわゆる被支配層一般へ向けた責任の言及が少なかった事になるかと思います。
 

なお、「外連」(けれん)とは、簡単にいえば「ごまかし」、「はったり」、「いかさま」と言う意味だそうで、私はこれを膝を打って得心するほどに「当を得た表現」であると思い、
ほぼ全編にわたりその事例が十二分に実証性をともなって行き届いている事が特筆される点と思います。
 

 
本書が、(これまでの沖縄関連本を見ればわかるように)公平に論じられた本格的な類書もなく、土台となる先行した研究や評論もほぼ皆無の中で、飛び級的に問題の核心に迫る事が出来たのは奇跡的です。

それは、多種多様の「ニセ沖縄愛」を表明する知識人・言論人・マスコミ人・本土からの運動家らとは違い、長年にわたり好悪を越えた深い地点から沖縄の「酸い甘い」に浸り切って来た著者の経験からの結果からによるのだろうと思います。
 

それだけでなく左右いずれにも属さない立ち位置も必須条件であったし、沖縄取材において特に重要な事は「嘘つきたちの言う建前」からでも、「本音」を的確に拾い上げる悟性が必要で、筆者にそれが備わっていた点が大きかったと言えます。

 普天間基地跡地利用に関する経済効果評価書は「ウソのかたまり」
 

 
すでに良く知られるように沖縄県議会事務局が普天間跡地利用の経済効果を野村総研に依頼して、その結果の馬鹿げた数値を公表し日本中に恥を晒した事がありました。
 

そもそも一見して実にお粗末な代物で、県民なら誰もが「そんなハズはないだろう」と直感的に肌で感じられるものでした。

それでも議会が責任持って発出した数値だし、シンクタンクのネームバリューもあったのでしょう、この調査結果を根拠とした論説が本土でも多数出始めました。

しかし、財政学者でもある篠原氏が前作その他において徹底的にその問題点を指摘され、以来この調査結果を論拠に使う言論人は、イデオロギーに塗れた厚顔無恥の輩しかおらなくなりました。
 

 
このようなイカサマで恣意的な調査結果を得るために多額の税金が使われたのですから、県民は誰がどういう目的で、どういう前提を付して野村総研に依頼したか、その点を明らかにして責任を問うべきところでした。
 

しかし、そもそも県議会・県庁・知事・マスコミ総出の一丸となった「外連」だし、沖縄県ではこの手の「責任追及」は二紙が乗り出してこない限り望むべくもなく、そうした声はとうとう起こりませんでした。 

 
この例の場合、保守も革新もその垣根はなく、「公」はともかく「民」も同調するような「一体性」を見せたは事は特に留意が必要です。
 

県議会がこうした欺瞞的な調査・発表を行った理由は、表向き「普天間の早期返還を促すため」ですが、それだけでなく各人各派の思惑は様々でした。

ただ、そこに通底する「補助金獲得に資する」ための共通了解は暗黙のうちに確固としてあり、それが全県的にあのような「ウソ」を平然とまかり通らせた原因だと言えます。
 

何事につけ暗黙のうちに「金づるとしての日本政府」を横目で見た、要するに日本を対位的視点から見る事を離れられず物事を捉える事、それをそうは見えないように宣伝と嘘でくるみ、そうする事によって利益を得る「身についた体質」がこの「外連」を行わせしめたと思うのです。 

 
■ 沖縄は「優遇」されている
 

 
近年は本土の保守派を中心に「基地が在るからといって、沖縄県は優遇されすぎているのではないか?」という、きわめて健全で当然の疑念が発せられるようになりました。

こうした声を警戒する、反論となる沖縄県庁の公式見解はこうです。
 

≫「平成27年度決算ベースで、沖縄県の国庫支出金は全国10位。
 地方交付税まで含めた国からの財政移転は全国12位。
 また、人口ひとりあたりで比較すると5位で、復帰後一度も全国1位にはなっていない。」
 と、します。

本土の有識者やマスコミ関係者など一般のリベラルな人たちは、一部本土保守派の論調に対し、この沖縄県庁の見解を口を揃えてなぞります。
 

しかしそれは無知とはいえ、明らかに沖縄県による「事実の隠蔽」にまんまと引っかかり、もしくはそれに意図的に加担する行為です。

この事は本書第7章で詳しく論じられているとおり、県による「沖縄への批判をかわすため」の詭弁にすぎません。
 

合算する必要のない地方交付税を合算し、高率補助や一括交付金の存在に一切触れもせず「沖縄県は特に優遇されているとは言えない」と言い抜ける事で、問題を顕在化させないように隠蔽・糊塗する念入りに工夫された「操作された論述」です。 

 
沖縄県への優遇措置はそんなものだけでなく、酒税、揮発油税、航空機燃料税、石油石炭税、NHK受信料の軽減措置、別口の防衛省からの補助金事業等々、数え上げたらキリもありません。
 

しかし私はこれを「全て無くせ」などと言っているのではありません。 

必要で妥当な政策ももちろん多いし、「米軍基地が存在する事の対価」である事が明瞭となり、そのうえで数量的な妥当性が国民的に認識される限りこれを容認する立場です。 

しかし、こうした事実を隠して物事を運ぼうとする県の姿勢が「外連だ」という事は言わなくてはなりません。

本書によれば同種の沖縄県庁による統計上のトリックは、沖縄経済の基地依存度を5%とした点にも現れています。
 

これも事実上、基地が存在するがゆえ支払われている振興予算をすっかり除外する事による「意図的に操作された数値」だと言えます。

翁長県政の目玉、法廷闘争

なお本書は第2章から約100P分にわたりこの2年半の翁長県政のイカサマぶりを克明に追っており、その解説としても記録としても秀逸です。
 

これにくらべて、これまで私が「ありんくりん」で度々書かせて頂いた沖縄県・翁長知事の馬鹿げた訴訟合戦とその法廷戦術についての解説は非常に分かり辛かったと反省しきりでして、お恥ずかしい限り。 

本書では特段の法律知識がない場合でも、とてもわかりやすく時系列的に要点も簡潔にまとまっていて、もう私の多量の手持ちの資料も捨ててもいいかなと思いました。

ここで詳細は書けませんがご興味ある方はここをじっくり読まれる事で、その表出される言葉や行動とは裏腹に翁長氏がいかに愚劣なハッタリ屋か、司法制度を目的外利用し、果たして日本の司法そのものを汚し、いかに日本中に「沖縄の品位」を貶める所業を行ったか良くご理解頂けるものと思います。

あわせて、それならなぜ翁長氏はそういう愚劣な行動をとったのか? それを県民はやや容認しているように見えるのは何故なのか? と、考える所からこそ沖縄理解の端緒が開かれても然るべきだと考えます。

沖縄の為に何をしてくれるのか?
 

 
 「お前はいったい沖縄の為に何をしてくれると言うのか?」、「いやなら米軍基地をすべて本土に持って帰れ!」等々。
 

このような言葉を当の県民から投げつけられたら、あなたならどうしますか?

答えを発する以前の問題として、そういう問いを臆面もなく投げつける事の出来る相手の傲岸にして恥知らずな人間性をまず疑うでしょうし、そのような異常にたじろぎ、ひるんで、かかわり合いになりたくないゆえに、黙してこれを遠ざけるようにするでしょう。
 

 
しかし、本土のリベラル系の知識人はじめマスコミ関係者や、自分勝手な正義を標榜する人たち、似非反差別者たちやネットスラングでいう「意識高い系」は違います。
 

彼らは狭小で偏頗な民主主義理解しか持たず出来ず、かつ浅薄で一面的な歴史理解ゆえ、機会主義的で自己拡大欲求を満たす事の出来る「お手軽な道具」として沖縄問題をあつかい、あるいは「長いものには巻かれろ」精神から深く考えもせずに、このような言質に簡単に迎合してしまうのであって、迎合しないまでも「一理ある」と簡単に考えてしまうのです。 

まことに「軽い正義」であるとしか言いようがありません。 

彼らは、そのほとんどが自己の利益のためにする目的なのであって、ニーチェが言う「同情する事によって至福を覚えるような、哀れみ深い人たち」でもあるのです。

こうした言葉を投げかけられるのは沖縄に多少の疑義を言う知識人達の宿命のようなもので、いわば「踏み絵」だし、被害者ヅラした人間が行う「被害者優位の論法」に立ったある種のマウンティング行為でもあります。

著者(篠原氏)もそうした洗礼を受けた例外ではありませんでした。
 

問題は、このような薄汚い言葉を実際に吐くのは運動家相当の人達とまず相場は決まっておりますが、言葉にせずとも「本土に何かをしてもらうのは当然だ」と、漠然と考える県民がまだ多くある事なのだと思うのです。

著者はそうした場面に遭遇するたびに考え、結果として「沖縄の心」とは都度公式に説明されるような「平和を愛する心」などでは決してなく、「愛されたい心」こそ「沖縄の心」なのだと確信するに至ります。
 

これもまた仮象の姿であり、「外連」の一節です。 

                                           (続く)
 





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シュワブ・ハンセン陸上案の可能性はまだ残っている

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昨日の米国監査院(GAO)辺野古移設問題報告書について続けます。 

残念ですが、小川和久氏も指摘するようにこの問題は日本政府、自民党、そして現地沖縄においてもほとんど理解されていません。 

もちろん、「新基地の機能強化反対」などといっている反基地派は論外です。 

移設された施設はシュワブの拡張であって、都市部の基地を過疎地域に移して、安全化を図り、同時に縮小しようという計画であって、あくまで代替施設にすぎません。 

代替とはひとつを消滅させ、新たにその替わりのものを作ることであって、1のものを2にすることではなく、あくまでも1は1なのです。 

いや1ではなく、代替施設は普天間の38%だそうですから0.38ですか。

21373cc7http://asiareaction.com/blog-entry-2061.html

このての言葉遊びを得意とする反基地勢力と長年に渡って争ってきたために、本質が忘れ去られています。 

普天間移設計画とは切り分けすれば、要は3つに尽きます。 

①危険性を持った都市部の密集地から、海に面した過疎地域に移動させ、万が一の航空機事故に対しての安全性を向上させる。 

②そのことを通じて、沖縄の米軍基地縮小計画を進めて、県民の基地負担を軽減する。 

③緊迫する東アジア情勢に対応している、在沖米軍基地の機能を落さないで移設する。 

①②については、政府も再三に渡って力説していますが、③の米軍基地機能についての言及はありません。 

というのは、③は前提であって当然だという先入観がある上に、また今、それを口にすることで無用に県民を刺激したくないという気持ちが、政府関係者の中に濃厚に存在するからでしょう。 

だからかえって、反基地派の「新基地の機能強化反対」という妄説が一人歩きすることになります。 

「機能強化」されたのは、たかだか一部の通信施設や、海からのアプローチ道路を作ったていどのことで、基地全体の面積が大幅に減少した結果として、軍用基地としてたいへんに問題がある計画案になってしまっています。 

小川氏はこう述べています。(国際変動研究所『NEWSを疑え!』第611号 2017年8月24日号)

「①辺野古は普天間の38%の広さしかない。 

②辺野古は滑走路が短すぎて、輸送機や戦闘機が飛べず、運用できるのはオスプレイとヘリコプターだけである。つまり、平時から使いものにならず、海外災害派遣にも使えない。 

有事には、滑走路が短いことだけでなく、全体が狭すぎることが問題となる。有事には米本土などから海兵隊の航空機が沖縄に集結し、たとえば普天間関係だけでも300機といった数を収容しなければならない。(略)
辺野古は膨れあがる航空機を受け入れることも、兵員や物資を集積させておくこともできない。つまり、有事にも使いものにならない。」(太字は小川氏による)

 東アジア有事において、米軍はグアム、ハワイあるいは米本土から、航空機、兵員、艦船の増援計画を発動します。 

その時、航空機の受け入れ場所となるのが、在沖米軍基地です。空軍の航空機は嘉手納、海兵隊航空機は普天間に集結します。 

1996年7月、在日米軍作戦部は嘉手納統合案の研究に絡めて、普天間の固定翼機を含めた基地機能の移設を目標に据えた技術評価を実施しています。  

その結果、このような規模の収容能力が必要だという結論が出て、日本側に通知されています。  

普天間・・・平時71機    有事最大230機
・嘉手納・・・平時113機   有事最大390機

・嘉手納+普天間の有事の機数計・・・620機

※機数はあくまで目安で、増減はありえます。 

民主党政権が出した嘉手納統合案が拒否されたのは、嘉手納に統合すると有事には実に5倍もの620機もの航空機を収容せねばならないことになり、物理的に不可能だからです。 

ではこの普天間代替施設が、有事に来援を引き受けられないとなったらどうするのでしょうか。 

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 上の代替施設の計画をみると、河走路が短いのが致命的であるだけではなく、航空基地としては大変に手狭なことがわかります。

来援機は機体だけで飛んでくるわけではありません。

航空機は精密機械なために、多くの整備スタップが必要です。それだけでは足りず、機体に武器・弾薬を搭載したり、燃料を入れたりする関係スタッフや資材まで派遣されてきます。

1999年に、沖縄から米軍のF-15が6機トルコに派遣されたときは、100人の整備要員が一緒に派遣されたそうです。

単純計算で一機あたり16名です。

この16人は機付整備員だけの数か、それ以外の要員も含めたものかわかりませんが、とまれ1機につき10名前後の要員も共に移動ししてくるわけです。

最大で仮に600機が増援されたとした場合、在沖米軍基地には実に約1万名の将兵と彼らが持ち込む資材が溢れるわけです。

うち海兵隊だけで3600名です。これだけの将兵をどこに収容するのでしょうか?

通常、米軍は戦時に際して航空基地に仮設住居を設営します。下の写真は湾岸戦争中、バーレーンのイサ空軍基地の一角に米軍が設営した仮設の居住エリアです。

Photo_2『NEWSを疑え!』第611号より引用

このようなものを作る余分なスペースが、辺野古の代替施設にあるかどうか、よく計画概念図をご覧になって下さい。

まったくありません。通常運用だけでギチギチです。

Photo普天間基地に着陸した大型輸送機C17 中型輸送機C130も見える

代替施設は、有事において来援する200機の航空機も、3600人のスタッフも受け入れる余地がないものです。

つまり、計画案では、有事は想定されておらず、しかもC-17やC-130といった中・大型輸送機も運用できない、ヘリやオスプレイの平時運用「だけ」のものなのです。

GAOは、3000人のスタッフを擁する世界最大の会計検査院です。

GAOは、高い専門性を持ち、議会の眼として厳しい監査をおこなっています。

「かつてGAOは、米海軍が29隻の建造を予定していたシーウルフ級攻撃型原潜を、あまりに高価で、冷戦終結後のニーズからして過剰性能と指摘。結局、3隻調達しただけで建造は終了しました。
GAOは、米空軍が1996年から最終的に750機の配備を予定していたF-22戦闘機についてもコストが高すぎると指摘。結局、製造されたのは試作機を含め197機でした」(同上)

日本のように専門性が欠落した馬鹿丸出しのメディアや野党が煽るのではなく、その使用目的と価格のバランスを掘り下げて検証するGAOは、米議会だけではなく政府にも強い影響力を持っています。

海兵隊トップ゚だったマティス国防長官は、当然、このGAO報告書を読んでいます。そして、代替施設が日米政府の政治的妥協の産物であることも理解しているはずです。

マティスの米軍随一といわれた頭脳が、どのような判断を持っているか知りたいものです。

まだ再検討のチャンスは残っています。

それは名護市長選において保守系候補がGAO報告書に基づいて、代替施設を海上にではなく、シュワブ・ハンセンの施設内に移転することを主張することです。

このことによって美しい海が守れるばかりではなく、名護市民・沖縄県民にとっても最善な選択だと訴えることです。

老婆心ながら、「全基地撤去」の現職・稲嶺候補に勝利するには、ただの政府案の現状肯定だけではかなわないと、私は思います。

政府は、辺野古再工事にめどがついた以上、正直言ってこの移設問題にはこれ以上関わりたくないと思っているはずです。

またそれを政府自らが言ってきたことの自己否定につながりかねないために、絶対に政府からは見直しを言い出せないのです。

沖縄現地、しかも建設予定地自治体からではなければ、政府は聞く耳を持たないでしょう。

今日の記事は保守の人たちに評判が悪いと思いますが、あえて書くことにしました。

それは、おそらく陸上案を再浮上させるためには、今度の名護市長選がほんとうのデッド゙エンドであって、次の知事選の時期には埋立工事がそうとうに進行しているとおもわれるからです。

願わくば、いったんいままでの経緯やしがらみを離れて、10年、20年先のことを考えて代替施設のことをかんがえられんことを。

 

 

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米政府監査院 辺野古移設計画で短すぎるとの指摘

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 米政府監査院(GAO・Government Accountability  Office)が、辺野古に作られる予定の新滑走路について報告書を出しています。

GAO・2017年4月5日・『MARINE CORPS ASIA PACIFIC REALIGNMENT DOD Should Resolve Capability Deficiencies and Infrastructure Risks and Revise Cost Estimates』(アジア太平洋の米海兵隊再編──国防総省は能力不足とインフラのリスクを解消し、費用見積もりを修正すべきである) 

国際変動研究所『NEWSを疑え!』第611号(2017年8月24日号)の翻訳を、一次情報としてアップしておきます。引用させて頂いたことを、心から感謝いたします。 

さてこのGAO報告書の内容は、同研究所の理事長・小川和久氏が指摘するようなことです。 

「報告書の内容を一言でいえば、アジア太平洋の米海兵隊再編には、移転先の能力不足という問題やインフラが貧弱すぎるという懸念がある。国防総省はそれを解消しなければならず、甘すぎる見積もりも修正しなければダメだ」 

この滑走路の短さという航空基地としての致命的欠点は、長年、小川氏が指摘し続けたことでした。 

また当時海兵隊に所属していたエルドリッジ氏はもその狭さに対して、「ひとりのマリーンも移りたいとはおもわないだろう」と述べています。 

小川氏は、これが政治的決着の結果だとしています。

「海兵隊も米国防総省もわかっている。2010年の春、国防総省当局者は『早期の決着で日米同盟が安定的に』と言っていた」

ここでまた改めて米国鑑査院に指摘されたわけで、政治的に決着して工事再開となったあとだけに日本政府も苦しいところです。 

あたりまえですが、普天間飛行場が軍事施設な以上、その移設は軍事的な合理性を考慮せねばなりません。

しかし、現実には「受け入れてくれるところが辺野古しかない」という消去法で決定されたというのが実情でした。

イデオロギー対立に転化してしまったために、合理的判断が介入する余地は断たれたのです。

結果として、米軍・日本政府・県の誰にとっても不満足という中途半端なものに政治決着しました。

翁長県知事や稲嶺市長は、常日頃「新基地は機能強化だ」と言っています。

しかし逆に使用する海兵隊側からすれば、「機能強化だって?とんでもない!辺野古は普天間の38%の広さしかなく、これでは有事に来援する航空機をうけいれられず、日常的にもヘリとオスプレイだけしか使えないハンパな基地だ」という不満がありました。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f37c.html

日本政府が対米従属だからだ、という天木さんや植草さんのような人がいますが、関係ありません。

何度となく書いてきて、さすがに私も飽きてきましたが、米軍は普天間から動きたくないので、対米従属したいなら、移設なんて言い出さなかった方がもっと米国に感謝されたことでしょう。

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なぜって、普天間基地は滑走路が2700mあって、大型輸送機が離発着できる十分な長さがあるからです。 

ところが、「新基地」はこれが1600mですから、実に1100メートルも短くなります。

え、滑走路が2本あるだろうって。あのね、あれは、片一方が離陸用。片一方が着陸用なのです。

埋め立て面積を極力少なくするために、一本を二つにぶった切ったので、変なV字になっているのは、市街地空をはずしたら、あの角度しかなかったのです。 

これでは米軍が外国の基地との物流に用いているC-17などの大型輸送機は使用できなくなり、わざわざ嘉手納基地から積み替えねばならなくなります。

ほんらいこのような見直しは、去年の3月からの「和解期間」が最後のチャンスだったのですが、県側のあまりに硬直した姿勢によって、それがなされないままここに至ってしまいました。 

なお、米国鑑査院は「辺野古の機能は不十分で、限定的にしか使えない」と指摘しましたが、全否定したわけではなく、有事用の補完滑走路を調査することを求めています。 

※原典●MARINE CORPS ASIA PACIFIC REALIGNMENT: DOD Should Resolve Capability Deficiencies and Infrastructure Risks and Revise Cost Estimates
[リンク]https://www.gao.gov/products/GAO-17-415
 

太字は引用者です。

                      ~~~~~

Photo_2名護市HPより

■普天間飛行場代替施設の滑走路の長さの短縮 

 国防総省は、キャンプ・シュワブで計画されている滑走路の能力不足を完全には解決していない。これは海兵隊普天間航空基地の9000フィート(2740メートル)の滑走路に代わるものだが、より短いものとなる。 

同基地は、さまざまな固定翼、回転翼、ティルトローターの航空機による任務を支援している。災害救援などのため国連が活動するとき、在日米軍は主要なパートナーとなるので、普天間航空基地は必要に応じて滑走路を提供する。 

海兵隊当局者によると、キャンプ・シュワブで提案されている滑走路は、同様の任務所要を十分に満たさない。  

5900フィート(訳注:オーバーランを含む1800メートル)のV字型滑走路2本は、ある種の航空機には短すぎるというのである

海兵隊普天間航空基地の滑走路を使えなくなると、沖縄における固定翼機の有事用滑走路がなくなり、国連が使用できる滑走路もなくなることは、GAOが1998年3月に報告書で指摘したが、海兵隊当局者の話によれば、その状況は今も変わらない。 

政策担当国防次官室の当局者によると、沖縄で他の有事用滑走路を確保する計画は、優先順位が低いのでまだ立てていないという。 

国防総省は、そうした計画はしていないものの、臨時・有事の任務の支援に使える場所を探すため、日米共同で候補地の調査と測量を行うことの承認を求める書簡を、2014年4月に日本政府に送っている。 

この書簡は、初めの一歩としてはよかったが、沖縄県内で有事用滑走路を見つけることを主旨として書かれたわけではなかった。 

候補として挙げられた12か所のうち、沖縄県内は1か所だけで、有事用滑走路の候補地の中には1500マイル(2400キロ)以上も離れた場所もあった。 

また、書簡で提案された土地調査は完了していない。今回の聞き取り調査に対し、海兵隊と在日米軍の当局者は、有事用滑走路を見つけることは依然として必要だと述べた。 

国防総省は、キャンプ・シュワブが普天間飛行場代替施設の滑走路の任務を支援する能力に、影響を与える制約や条件を、統合施設基準2-100-01に照らして指摘した。 

海兵隊と太平洋軍の当局者によると、代替施設の滑走路が短いため、一部の任務の所要を満たさないことについては、どこか別の場所に長い滑走路を提供することで埋め合わせる最終的な責任が日本政府にあるという。 

しかし、海兵隊と国連の任務所要を支援できる沖縄県内の有事用滑走路候補地を、国防総省が日本政府に示していれば、問題解決に役立つはずだ。

国防総省がキャンプ・シュワブに建設を計画している滑走路は、必要な能力を欠くのだから、欠落する能力を代替する有事用滑走路の候補地を測量して決定するまで、同省は必要な任務所要を支援できなくなる危険を冒しているのだが、問題は未解決のままである。

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翁長知事の誤算みっつ

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当初、本記事は山路氏の論考とカップリングにいたしましたが、長文のために別途掲載にいたしました。

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私は翁長氏が古巣の自民を割って登場した時の衝撃を、いまでも忘れることはありません。 

このときの衝撃がいかにすさまじかったのかは、自民は以後の選挙をことごとく落したことでもわかります。 

つまりは、翁長氏は、自民県連からただ「出た」のではなく、「ぶっ壊して出てきた」のです。 

この衝撃は自民県連の指導部からもたらされたもので、しかもその手下たちは県庁所在地たる自民党那覇市議団(新風会)でした。 

つまり、自民県連の中枢部が丸ごと敵陣営に寝返ったのです。 

ひとつの政治集団は外部からの衝撃だけでは、簡単に崩壊することはありません。むしろ結束して強固に固められます。 

しかしそれが”ユダ”によってもたらされたものだったが故に、かつての自民県連は内部崩壊の危機の淵に追い込まれたのです。

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左翼陣営にとって、これほど痛快な出来事はなかったでしょう。 

「翁長」という敵将を得て「島ぐるみ」を演出できたばかりではなく、炎上する敵陣営を高みから見物していればよかったのですから。 

この裏切りはおそらく、翁長という政治家にとって、一生つきまとう暗い影となるでしょう。 

そして翁長氏がこの裏切りを繕うベールに使ったのが、オキナワ・ナショナリズムでした。 

米国政府相手の独自外交、駐米沖縄県大使、国連演説、そして延々と続く移設問題やオスプレイをめぐる本土政府との戦い。 

これではまるで、沖縄県は特別自治区だと宣言しているようなものです。

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「負ける戦いをしない」政治家であるはずだった翁長氏の誤算は、みっつあります。 

ひとつは、なにより共産党を甘く見たことです。山路氏も触れておられましたが、翁長氏がよく知っている公明党とは違って共産党は1㎝も立場を変えません。 

共産党の政治目標はあくまでも「全基地撤去」であって、辺野古移設においていかなる中間的な妥協点も存在しないのです。 

特技のはずの腹芸を封じられた老練な政治家ほど、この世で惨めなものはありません。 

去年3月に本土政府からの提案の「和解」期間案に乗ったことを、翁長氏は後に深く後悔することになります。 

では、確実にニッチもサッチもいかなくなる本土政府の提案に、なぜ乗ったのでしょうか。 

それがふつためです。

昨日の論考で山路氏は今年5月に菅官房長官が振興計画の延長を唐突に言い出したことを、翁長氏のこれ以上の「抵抗」を封じる手段だと書かれていました。 

同じメカニズムは去年の「和解」期間にも働いていたのです。「和解」期間の終了は秋。秋は次年度予算折衝の開始時期なのです。 

翁長氏は次年度予算をつり上げるためには、戦闘的ポーズを崩さず話し合っている「ふり」だけは必要だったのです。

翁長氏の政治家としての致命的欠陥は、経済オンチだということです。

おそらくはあまりに長期に渡って、振興予算配分の胴元の座にあぐらをかいてきたために、経済オンチで済んだのでしょう。 

ここが経済人だった仲井真氏との大きな差です。

振興予算なしでの県経済をまったく構想できず、国家戦略特区というお題にも、「先島への外国人労働者の輸入」ていどのことしか思いつかないのが、翁長氏です。 

つまりは、国からの手厚い経済支援なしで県を動かせないわけですから、国との関係を断ち切れないのです。 

三つ目は、国がおどろくほど柔軟だったことです。去年の春に工事を再開することは可能でした。 

しかし、それをあえて捨てて休戦期間を作り、毎月官邸の最実力者である菅氏を沖縄通いさせたわけです。 

抵抗する翁長氏のメンツを立てながら、話し合いを尽くした形を整え、最後には最高裁判決というこれ以上ない決定打で一連の移設を巡る政治劇に幕引きしました。

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その後はエピローグのようなものです。まだ共産党に配慮してゴネる翁長氏を再び「黙らせた」のが、先にも述べた今年5月の振興計画の延長でした。 

いまや政府は翁長氏を潰す気などありません。どうぞそのまま「戦っているふり」をしてください。そのほうが都合がいいとすら思っているはずです。 

なぜなら、工事はすでに再開されているという実は取っており、しかも無意味な闘争をすればするほど県民は翁長氏に、「成果が出ない知事」という印象を強く持つからです。

そして県民の目には、翁長氏は保守でもなんでもなく、身も心も共産党に乗っ取られた傀儡政治家と写るでしょう。 

そして沖縄左翼陣営には、翁長氏に代わる独自候補がいません。

あえていえば山城氏でしょうが、病身なうえに社会党色が強すぎて共産党は乗れないでしょう。 

2期を巡って人選さえ誤らねば、山路氏が述べるように保守が奪還できる条件は整いつつあります。

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山路敬介氏寄稿 沖縄県の政治状況と翁長知事の実相 最終回 翁長知事の再選はあるのか?

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山路氏寄稿の最終回になります。 労作の提供に心から感謝ましす。  

私たちはえてして、保守だから翁長氏を批判する、逆にリベラルだから翁長氏を支持するという平板な見方に陥りがちです。

山路氏論考のきわだった特徴は、イデオロギーで曇らない「突き放した」立体的な視点が基調にあることです。

さて、山路氏の最終回です。 

                          ~~~~~~~~

  ■ 沖縄県の政治状況と翁長知事の実相その5
                                              山路敬介

承前

■ 翁長知事の再選はあるのか?

世論調査を行えば、今だに翁長知事の支持率は一定水準以上あると思われます。
 

少なくも現状の安倍首相よりはマシでしょう。 

ただ、それは対立候補がない状態においてです。 

翁長知事は「健康問題」を抱えているといわれますが、年齢相応の持病があるにしても現在のような有閑な職務に耐えられないほどではありません。 

しかし、私は沖縄自民党が興南学園の我喜屋優氏を担ぎ出すことが出来れば、翁長知事は「健康問題あり」として出馬しないと考えています。 

「負ける戦い」をしないのが翁長流だし、負ければ退任後の地位を左右します。 

辺野古移設について我喜屋氏は「約束は守るべき」という立場ですが、我喜屋氏相手の場合、両者が戦えば翁長氏は逆に10万票の大差で負けるでしょう。 

「辺野古移設反対」は沖縄の民意だと良く言われますが、それも大した意味ではないと言う事でもあります。 

 
私は、翁長氏は棺桶に入るまでには、自民党に戻るものと考えています。
 

そうでなければ子息の翁長雄治氏の将来がなくなるし、自民党県議や周辺議員の中にはそうした橋渡しをする用意のある方も複数います。

他にも、例えば安里繁信氏が対抗馬であってすらも、翁長氏は勝てないと思われます。 

しかし、残念ながら西銘恒三郎氏や安倍総理に近い島尻安伊子氏では無理です。 

一方、オール沖縄側には翁長知事以外、誰も「勝てる候補」はいません。

県・自民党本部はそこを良く考えて、傲慢な自家意識に囚われることなく候補者を擁立してもらいたいと思います。
                          

しかし、それより何より「県民意識の変化」は、単純に「結果を出せない知事」である事を良く見抜いた結果であって、その評価である点が一番大きな要因でしょう。
 

およそどこの首長に対してもそうですが、市民・県民の支持というものは、就任後においては、それまでの知事の主張の内容は実はどうでも良く、「どのように実行したか?」、「どれだけ実行できたか?」という点のみが評価基準です。 

その意味で、「埋め立て承認取り消し訴訟」による県側の全面敗北は取り返しのつかない失点でした。 

多くの県民にも何となく結果は予想出来ていたとはいえ、裁判の過程で先に譲歩してでも、滑走路の位置を変えるなり期限を設けるなりして、「一矢を報う」くらいの事は出来たのではなかったか?  

「絶対に勝てる」と約束した知事の言葉は食言に同じで、その事に対する評価は静かに深く県民に「翁長ばなれ」、「新風会ばなれ」となって蓄積されて来ています。

ほとんどの県民は「普天間の移設」や、全体的に米軍基地を減らす事に希望を持っています。
 

それでも元々は、「辺野古移設」そのものには強い関心を持ってはいず、これは「どうせ出来るのだから」という既定路線のあきらめムード的感覚からというよりも、「田舎に移るんね~」と言った程度の認識で、何やら「よそ事」であるような現実感にとぼしい感覚に近かったと思われます。 

ですので、当初からSACO合意の内容や本質を理解する人はごくわずかだったし、「辺野古移設」が全体的な基地負担軽減に繋がる「正式な条件」だ、という事も全く理解されていませんでした。 

そこを大々的に「辺野古移設問題」として、経緯を無視し虚実ないまぜにしてクローズアップさせたのは運動の成果というよりなく、弱い発信力しか持たない政府や、「二紙」に発言権を奪われた仲井眞県政の根本的欠陥を突くかたちで、沖縄マスコミの特殊性と左派運動の接着が最大限に機能した成果でした。

                                               (了)

 

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山路敬介氏寄稿 沖縄県の政治状況と翁長知事の実相その4 国と「呼吸」を合わせているかの翁長知事

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山路氏の論考の4回目です。 

                     ~~~~~~ 

          ■沖縄県の政治状況と翁長知事の実相 その4  
                                           
山路敬介                                                                     

 承前 

二紙の論調と乖離しつつある「県民の意識の変化」に耳目を閉ざす翁長知事 

私は沖縄県民意識の特殊性があるのだとすれば、「閉ざされた情報・言論空間に置かれている事」が、その原因の第一にあげられると考えるものです。 

ですが、それであっても翁長知事就任以来起こった様々な出来事から、「県民意識」の変化は確実に起こっています。

それは、「コザ騒動」以来、基地反対派が長く封印してきた「暴力行為容認路線」に転換した事への嫌悪感や、本来基地問題とは何ら関係のない本土からの異様なゴロツキ紛いの「反差別暴力集団」の来襲などによる危機感もあるでしょう。
 

話がそれますが、2016年4月26日の琉球新報コラム「金口木舌」はひどかった。 

「ヘイト行動への反抗」という題で男組(しばき隊)のイベントなどを紹介し、「超圧力・武闘派 男組の再結成だ!」などと、最大限に持ち上げた有様は反吐が出そうでした。 

その後、香山リカ氏や安田浩一氏などしばき隊応援団の有名人の論説がしげく紙面に載るようになり、「マイノリティの沖縄が、マジョリティの本土に差別されている」という構図をつくり、その証明として「沖縄の基地問題」があるのだというキャンペーンを行いました。 

 
このような、これまで思ってもみなかった「差別」の存在を外部者に勝手につくられた事に県民は当惑しはしましたが、明治時代じゃあるまいし、本土の人たちに沖縄への差別意識など毛頭ないのは明らかで、それゆえ当の沖縄県民自身も「被差別者」になる気など全くありません。
 

「沖縄人は劣った民族なのだから、米軍基地を押し付けてもよい」と考える国民など見た事もありません。 

だいいち都道府県人気ランキングで4位なのだし、移住希望者が引きも切らないのですから、わずかその点からだけでも全くお話になりません。 

年寄り左翼の皆さんはいざ知らず、沖縄の若者でこのような薄っぺらい「差別論」に乗っかり、その果の「暴力容認論」に傾く恥知らずは全く存在しません。 

 
それでも二紙は今だに、深刻な暴力事案による逮捕者を正当化する試みを続けていますが、ネットをほんの少しくぐれば「真実を目の当たりに出来る時代になった」のです。
 

沖縄でも他県同様に、特に若い連中ほど報道に惑わされることなく自分から積極的に事実を拾いに行く傾向が「二紙との乖離」を生んでいると言って差し支えないでしょう。

ところで、知事の「アイデンティティー」の押し売りにも辟易しました。
 

生まれた島を個々人が恋うるのは当然にしても、知事がそれを言う事の「政治的臭み」には耐え難いものがあります。 

また「魂の飢餓感」などと馬鹿げて浮いた物言いは、その知的レベルの低さも露呈しましたが、これには若者に限らず失笑・「赤面もの」でした。 

 
同じように政治家の中身のないワードだとしても、小池知事の「ダイバーシティー」だの「サステイナブル」だの聞くにつけ、せめて格好だけでもいいから考えて言葉を使って欲しいと願わずにおれません。
 

そのような中、かつて「最低でも県外」と主張したバカな総理の自身の妄言に固執する行動がなお混迷を深め、その流れに乗り翁長雄志という「普天間の即時返還と辺野古移設阻止が同時に出来る」 と公約する知事候補が保守系から現れたのですから、米軍基地の減少に加速度が着くと期待して票を入れる県民が多かったのは当然です。 

結果、粛々と法に則って許可をした仲井眞氏が落選し、出来ない事を「出来る」とウソを言って県民を騙した翁長知事が誕生したのです。 

  
誰が知事であれ、法に基づいて行政を行っておれば、「埋め立て承認許可」は必ず行われなければならず、その当然の事をなしたに過ぎない仲井眞氏の「埋め立て承認許可」には一切の違法性がない事が最高裁によって明らかになりました。

いくら二紙が県民に向かって本質を隠し闇に向かって吠え立てても、以上のような諸々の事実がようやくにして徐々に県民の間に広がり、その結果の「オール沖縄」首長戦3連敗なのだという事実を、翁長知事はもっと厳粛に受け止めるべきです。


国と「呼吸」を合わせているように見える翁長知事

「取り消し訴訟」の完全敗北と高裁和解条項によって「辺野古移設問題」は、国と県の間の行政機関間においては決着をみました。
 

ところが問題は「辺野古移設を絶対阻止する」とした翁長知事と、それを信じた県民の間の決着がまだついていないのです。 

 
そこをファクトによって、県民の前に明らかにするのが新聞本来の役割ですが、沖縄ではそういう報道は期待出来ません。
 

中華人民共和国の新聞は中国共産党の機関紙ですが、沖縄の新聞は運動体の機関紙なので、国民の知る権利・言論の自由を実現する新聞本来の目的を果たすものではないからです。 

考えようによっては、人民日報や環球時報よりもまだ悪い。 

 
信念はないが、もともと世故に長けた翁長知事は「県民には真実を隠しておく」方が得なので、いちおうそこに乗って時間稼ぎを試みます。
 

しかし、そこはそれ。少なくも国・県の間において「取消訴訟の完全敗北」=「辺野古問題の終結」は揺るぎない真実ですから、行政の長としてそのように振舞わねばなりません。 

敗訴直後から「完全敗北の事実」をまるで認めず、他にも手段が存在するように見える幾多の言動を繰り返してきた翁長知事ですが、それは単に言動であって、以後の「行政行為」としては今回の訴訟提議までありませんでした。 

絶えず威勢のよいラッパを吹き鳴らす事は、県民や運動体向け。そのスピーカーとして新聞の存在があるようです。

しかし実は注意深く和解条項を守り、判決の趣旨に逸脱しないように慎重に国との呼吸を合わせているのが真実と思われます。

以降、主観的部分もあろうかと思いますが、私がそう考える理由を縷々述べて見たいと思います。 

また、いろいろ見方はありましょうが、私は今回の訴訟はギリギリ高裁和解内容に抵触しないものと考えています。 

むしろ、和解内容は翁長氏において十分正しく意識され、今回の岩礁破砕訴訟は全面敗訴を承知のうえであり、そこまでして「「撤回」を回避する道を選んだ」という事だと考えます。

① 敗訴直後から翁長知事は「岩礁破砕更新許可」や「河川の付け替え許可」、文化財法護法(これは名護市ですが)などの、あらゆる手段を用いて「辺野古移設を阻止する」とブチあげました。
 

しかし、本気で「辺野古移設を阻止」したい人間が、そうやすやすと自分の手の内を晒すものでしょうか? 

実際、今回も岩礁破砕許可権限を利用して来るだろうと警戒をされて先手を打たれたのは、事前に県からそういうサインが出ていたからにほかなりません。

② そもそも「更新許可申請」を行わない事が国の「違法行為」だというのならば、なぜ、その事を理由にして「承認の撤回」を行わなかったのか?
 

水中ドローンを想定してまでの軽微な工事の瑕疵の発見さえ、その理由とするべく身構えていた点を考えると非常な矛盾です。 

 
③ 政府が決定した例年どおりの補助金3000億円超えの決定は、これまでのような度重なる折衝が見えず実に唐突感のあるものでした。
 

補助金要請を強く言えない翁長知事の政治的立場を慮った「政府の配慮」がそこにあった事は明らかで、持ちつ持たれつの両者の気脈を感じないワケには行きません。

④5月に菅官房長官が、これも唐突に「「沖縄振興計画」の延長をやる方向だ」と発表しています。
 

その方向性に向かうまでの議論が明らかでなく、国と県との折衝が行われたのは当然としても、それがどのように行われたのか全然明らかではありません。

この事について篠原章氏は、3月に「「撤回」は必ずする」と宣言した翁長氏が今だにしないのは、まさに菅氏が発表した「沖縄振興計画」のゆえだ、と推察しています。
 

爾来、振興計画の延長こそ翁長氏の悲願だったのであり、「翁長氏はそのために日の丸保守という立場を捨て、「辺野古反対」まで訴えて政府に圧力をかけた」という見立てです。 

延長を示唆した菅氏発言を受けて、これまでの強力な反政府姿勢を取れなくなったもので、「埋め立て承認を撤回」しない理由もここにあるという見解です。 

 
詳しくは新刊書の到着を待ちたいと思いますが、なるほどそう考えれば数々の疑問は氷解します。
 

また、今回の訴訟の存在ともバッティングしないどころか、細部で非常に整合性があります。

本題から外れますが、しかし私は「沖縄振興計画」の延長には大反対です。
 

この種の補助金計画が沖縄の社会構造にどういう影響を与えてきたか?、保守も左翼も一緒になってそこから利益を吸い上げつつ、今だに最低賃金で働く人々がとにかく多いのはなぜか? 

行政の金に頼る意識を持ってしまえば補助金ひも付きの分野のみ伸長し、本来あるべき産業構造をいびつにします。 

雨後のタケノコのように補助金を配分したり消化したりするための外郭団体が設立されて来たし、それらは結局「行政の肥大化」となって民間活力を奪います。

そこを沖縄自民党は言わないし、むしろ補助金を引っ張って来られるウデを集票の源泉にしているところがあります。

                                  (次回最終回)

 

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依田氏事件は往来の自由侵害の問題だ

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今回の依田事件については、反依田側の意見はことごとく暴行があったかなかったかという一点に絞られていました。溜め息がでます。 

私の記事をまったく読んでいないのは明白で、一行も読まないで投稿するなよ、と思いますが、しかたがない人たち。  

私はこの記事を、なにがあの事件を起こす原因となったのか、その本質を見るために書いてきました。  

依田事件は、依田氏が好き好んで起こしたものではありません。

では、反依田派の皆さんに素朴な質問ですが、なぜあんなヤンバルの原生林地帯の辺鄙な場所に「被害者」女性を含めて数名の人たちがいたのでしょうか?

山菜摘みでもしていましたか。はたまた、バードウォッチングでも?

いいえ、わかっていますよね。あなた方がいちばんひた隠しにしている「秘密」です。

「秘密」にカッコをつけたのは、ほとんどの人が知っているのに、あなた方はまるでそれを”ないものの”ようにして論じているからです。

はいそうです。この「被害者」女性たちは、公道を私的検問していたのです。Cstquksumaaoe8j

の写真がその「検問」風景で、反対派のツイッターで堂々と掲示されていました。

建前としては工事の作業関係者をつまみ出すということらしいですが、なんと警察車両まで「検問」しているようです(!)

こんなことをやられて平気な県警も県警ですが、赤信号、皆で渡れば怖くないのデンでしょうか、集団だと大胆な違法行為をしています。

このような反対派の警戒線に依田氏は引っかかったのです。

あの道を依田氏が通ることは、往来通行権という国民の基本的権利に属することです。 

これは私が恣意的に言っているのではなく、ウィキにはこう述べられています。
往来を妨害する罪 - Wikipedia

「往来を妨害する罪とは、公共の交通に対する妨害行為によって成立する犯罪。刑法124条から129条(第二編 罪 第十一章 「往来を妨害する罪」)に規定されている」 

したがって、公道において恣意的に往来を恒常的に妨害し続け、なおかつ「お前は帰れ」と命じた側に非があるのは明白です。 

なぜならなんの権限も持たない私人が、公道において一般人の往来を制限し、かつ統制しようとしたからです。

これは刑法が定める、「往来を妨害する罪」に該当します。

このような不法行為とそれに抗議した側の紛争が、あの事件です。 

このことに一切触れないで、依田氏が地元で支持されているいない、トラブルメーカーだったからどうの、果ては統一協会がどうしたといった人格攻撃は、だからどうしたのだの類の無意味、かつ不毛な議論です。 

属人的なことは、各人の主観の領域ですから捨象すべきです。 

反依田氏側は、公道における私的検問、あるいは高江集落の道路封鎖が、いかなる法的論理において正当な行為になりえるのかを明確にしてからにしてください。 

Photo_2シュワブゲート付近の私的検問 車内に手を入れているのは山城議長。彼らは顔写真をご覧のよに、了解もなく撮影するのが常である。

暴力の度合いについても、裁判所が審判するべきことであって、審判が開かれていない現状で、場外からとやかく議論しても仕方がないことです。

原告側の証言・写真と依田氏の証言が乖離している以上、今の時点で部外者同士が議論しても水掛け論です。 

ですから、私が依田氏を応援しているのは、個人の自由を抑圧する集団的暴力と、警察の無作為に対して、個の資格で戦っているからです。

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山路敬介氏寄稿 沖縄県の政治状況と翁長知事の実相その3 「新風会」の凋落と、伸長する共産党の思惑

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中国が東シナ海に600隻もの大漁船団を出したようです。 

それを伝えるFNN(8月16日)です。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20170816-00000457-fnn-int 

「沖縄県の尖閣諸島周辺へ向けて出港する、中国の大漁船団。武装した漁師が乗っている可能性もあり、尖閣の海が、再び緊迫している。
日本時間の16日午後1時、中国政府は東シナ海での漁を解禁。
この港を拠点としている、およそ600隻の漁船のうち、およそ半分が、沖縄県の尖閣諸島周辺に向かうという。
尖閣諸島周辺は、日本の領海の外なら、中国漁船による操業が認められている。
ところが、2016年は、200隻から300隻の中国漁船が押し寄せ、漁船とともに中国海警局の船も領海侵犯を繰り返す事態となり、当時の岸田外相が駐日中国大使を呼び、抗議した。
あれから、およそ1年。
2017年も、尖閣諸島周辺に向け出港した、中国漁船。
この映像を見た、東海大学の山田吉彦教授は「この船団はしっかりコントロールされた、統率した動きをとるものである。後ろに見える指示船と思われる船には、日本製のかなり高精度のレーダーが積まれていることがわかる。大きな規模の船団なので、滞在期間が長く取れる。中国の海域なんだということを定着させる思惑がある」と話した。
漁民によれば、距離や船の大きさに応じて、中国政府から補助金が出ていて、福建省から遠い尖閣諸島にも行きやすいという。
また、漁船には、「海上民兵」と呼ばれる武装した漁師が乗っていることがあるという。
漁民は「民兵か? いるよ。釣魚島(尖閣諸島)に行けば、あちこちにいるよ」と話した」
 

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中国の「侵攻」の手法は、このような手順を踏むことは、いまや軍事要塞化されてしまった南シナ海でわかっています。

①少数の漁船による領海侵犯
②侵犯漁船数の増加とその恒常化
③中国公船の領海侵犯
④公船と指揮船に統率された大漁船団の領海付近の侵犯
⑤④の領海内侵入
⑥海上民兵の「遭難」名目の尖閣上陸
⑦中国と公船の「救助」
⑧日本海保との衝突
⑨中国軍艦の出動

現在は④と⑤の間のレベルにあります。

書きませんでしたが、⑩になれば、もはや海保では対応不能で、海自が海上警備行動をとらねばなりません。

このような漁船団と中国公船による実効支配を固めつつ、中国はこれまでも並行して進めていた軍事侵犯を行うことでしょう。

今さらいうまでもありませんが、尖閣諸島は「沖縄県石垣市登野城2390-94」という地番を持つ沖縄県です。 

言い換えれば、この中国漁船団の「侵攻」は、沖縄県が管理する水域への「侵攻」でもあるといえます。

しかし、そのようなことはどこ吹く風とばかりなのが翁長知事なようです。 

                        ~~~~~~ 

            ■沖縄県の政治状況と翁長知事の実相 その3
                                           山路敬介
 

承前

 翁長氏の支持母体「新風会」の凋落と、伸長する共産党の思惑

三回連続で敗退した首長選挙は「オール沖縄」の衰退を示し報道と異なるその実態を顕著にあらわしたましたが、去年の県議選と先月の那覇市議選の方は「オール沖縄」内の知事支持母体である「新風会」の壊滅的状況を明らかにしました。
 

つまり、全体的に「オール沖縄」は退潮し、オール沖縄内の共産党が伸びて新風会が著しく後退したという図式です。 

新風会退潮の原因は明らかで、若手を中心とした多数派中堅以下の経済人の支持を失ったからです。

新風会は表向き、報道等により「辺野古に基地をつくらせない」としていたとされる仲井眞前知事の翻意・変節への反発から、県内保守勢力(主に自民党離反組)が分離・結集して成立したものと喧伝されて来ました。 

ですがその実態は、かねてから水面下で小異な対立点をまさぐりつつ「仲井眞VS翁長」の絵図を欲した翁長知事実現に向けた実行部隊でした。 

このようなハンパな保守勢力が共産党と組む場合、結果がどうなるか本ブログでは民進党への懸念を例に論じられて来たところですが、新風会はその典型的な失敗例となりました。 

先月の那覇市議選におけるある新風会候補など悲惨なもので、後援会は「共産党と共闘するならば応援出来ない」とし、後援会は解散。とうとう出馬そのものが出来なくなり引退しました。 

今や、会派としての那覇市議会新風会は消滅し、社・社・民に合流という憂き目となったのです。 

まさに「内側から食い破る」、共産党の面目躍如と言ったところです。 

共産党は公明党とは違うのです。そこに「話し合い」や「妥協」といった、緩いメンタリィーは存在しません。 

選挙協力欲しさに、政策的妥協が成立する事のない共産党と共闘を欲したすえの結果は明らかで、積極的な自由主義的経済政策は打てませんし、国からの正当な補助金を要請をする事もままなりません。 

翁長氏は経済政策について当初、「仲井眞知事方針の踏襲」というカタチで共産党にも一応これをのませましたが、続いて新規の色を出す事は困難な状況に追い込まれています。

さらに安慶田前副知事の失脚があり、憶測もありましたが断片的にも明らかになった事実からその経緯が語られる中で、深刻なオール沖縄内の確執の存在も浮かび上がりました。
 

県の経済政策が先行き左傾化・硬直化する見通しを懸念し、知事に失望もし、革新化する新風会にも見切りをつけた中堅経済人の不満があり、県を通さない「国との直接的なパイプ」を希求・要望して設立されたのが、安慶田シンクタンク「沖縄経済懇談会」設立の本当の趣旨です。 

 
これは翁長氏が主唱して設立されたものではなく、しかし経済人の新風会からの離反や、「自民党への鞍替え」を最小限に食い止める意味で事後的に了承したもののようですが、これでも新風会の没落は食い止められませんでした。
 

鶴保前大臣の後援会設立なども同様、この流れにあります。 

 
新風会から距離をおく支持者は経済人以外にもなお多く、現在新たに「おきなわ新風会」なる政策集団を設立などとの報道を目にしますが、長期に新風会が存続し続ける事は難しいと言わざるを得ません。

もっとも、元々「辺野古移設」以外は自民党と差異はなく、辺野古問題が収束すればその存在意味もありませんので当然です。
 

そこをわかって自民党との「色合い」をかえ、ゆえに「辺野古反対」に固執もするし、手元の一票をかき集めんとし、生き残るために新風会そのものが非自民的左傾化をしていく「悪循環のループ」は目も当てられません。

翁長知事は翁長知事で、新風会の退潮と比例して、その分を共産党をはじめとする革新系に支持基盤の埋め合わせを頼る以外にない状態に陥っており、それゆえ革新の主張を最大限とり入れた政策に傾くしかなくなっています。

革新系のうち特に共産党の目指すところは明確に「即時全基地撤去」であり、「日米同盟の撤廃」です。
 

共産党にとって、それらの主張を具現化させる為の第一歩としてのみ「辺野古新基地阻止」があるのであり、県が「辺野古反対」の主張を同じくするのであれば、当然に「本土からの金の流れ」を県みずからが遮断して主張に臨むべきである、というのが県民に隠されたその主張です。

これは、「やがて新風会勢力の伸長とともに、共闘しても共産党等を押さえ込めるだろう」とか、「共産党ともイーブンの話し合いや妥協が可能だろう」と考えた翁長知事の誤算です。
 

「腹八分、腹六分」のごとき甘っちょろい呼びかけは共産党には通用しません。 

 
国を相手にした執拗なファイティングポーズは革新系支持者へ向けたご「機嫌取り」の演技ですが、強い指導力を演出する事で支持者や事情を知らない県民へアピールという意味合いもあります。
 

 
しかし、後者においては、もはや「国」との対決気分に嫌気がさした正常な一般県民に対してはモロに逆に作用してしまい、同時に「共産党」という沖縄政治の最もタチ悪い部分のみ引き出してしまう事になりました。
 

それに引きずられる形での、「現在の沖縄政治の混迷」がある、と見るべきです。

                                            (続く)

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山路敬介氏寄稿 沖縄県の政治状況と翁長知事の実相その2 勝つはずがない訴訟のゆくえ

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山路氏の論考の2回目です。ありがとうございました。

このような精緻な分析ができる論者は、貴重です。

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              ■沖縄県の政治状況と翁長知事の実相 その2
                                       山路敬介(宮古)

承前 

訴訟のゆくえ 

すでに方々で言われるように、県・翁長知事側に全く勝目はありません。 

最高裁で既に「行政上の義務の履行を求める民事訴訟は不適法」との判例が存在するので、まず訴えそのものが却下される確率が高いと言えます。 

これは「訴訟さえ成立しない」事を意味し、巷間良く言われるいわゆる「門前払い」であって、早期に決着がつく可能性が高いと思われます。 

また、首尾よく訴訟が成立したとしても、第一義的に法の解釈権を有し「法を所管する」農水省の判断を覆すには、その解釈に「一見して明白な違法性」が認められなければなりません。 

この点で県側の主張は、「漁協以外にも潜在的権利者は存在する」ので、「漁業権は消滅していない」という左派お得意の「定義・権利の拡大」論法です。 

これを論理的根拠にすえた主張を展開する予定のようですが、そもそもそこに争点が到達する事もありません。 

なぜならば本件は新規許可でなく、期限切れした「更新許可」の問題だからで、すでに一旦、条件を満たして「県によって許可された案件」だからです。 

県が新規申請時に問題とならなかった他の権利者の存在を新たに主張するならば、事後に「別の基準」を当てはめる事と同義の二重基準性を孕む事になり、許可を受けた者の利益を不当に逸失せしめる不公正かつ不合理性な主張になりますので、このような主張が認められる事はありません。 

 
漁業権の区域・地域の範囲に関する主張部分も、そもそも日米地位協定で米軍の使用を認め、常時立ち入り禁止区域に設定されている海域ですので、「沖縄県が占有・管理している海域」という主張には無理があります。
 

 
また、那覇第二滑走路建設工事におけるケースで更新許可を申請している事をもって、「二重基準」であるとか「恣意的なもの」との主張を二紙でよく見かけますが、こういう本質を外れた議論を展開させる主張の仕方は、左翼弁護士の良く好むところです。
 

無意味な行政手続を廃する事は常に行われるべきですが、仮に国側が申請の必要のない事を認識していたとしても、県の求めに応じて申請・受理されているのですから、申請した国を「責むべき事由」にはなりません。 

少なくも、この種の主張は直ちに国側(水産庁)の判断が「違法である」との証明にはつながらないし、その根拠たり得ません。 

それでも一万歩譲って、この訴訟に県側が全面勝利したと仮定しましょう。 

しかしそれならそれで、国は岩礁破砕更新許可を再申請すればいいだけの話なのです。 

多少の期間の遅れが生じたとしても「埋め立て承認」が既に有効になされている以上、法的には許可せざるを得ないのであって、この訴訟自体をもって些かも「辺野古阻止」につながる実効性はないのです。 

このように二重三重に勝訴の見込みが無い事、「辺野古阻止」という観点からは効用のない事は県幹部も翁長氏も与党の議員連中も十分認識しているに違いなく、このような「濫訴」に等しい訴訟提起は、およそ「公」がする事ではありません。 

常識的判断が欠如した左翼弁護士にむしられるだけで、限りある県予算をドブに捨てる行為でもあります。 

一刻も早い普天間移設を切実に望む市民や、心ある県民にとって看過出来る事ではありません。 

 
ちなみに二紙の論調は例えば、「「本丸」撤回へ助走」(琉球新報 7/25 三面)などと白抜きの大見出しで報じますが、本文ではこの訴訟のどこに助走的要素があるのでしょうか?
 

この訴訟が一体どのように「本丸撤回」に結びつくのか、全く説明がありません。 

本当のところ、「撤回」する気のない知事の本心を見据えた二紙が、運動体の立場に立って知事をけしかけている場面なのかも知れません。 

 
見出しの勢いとは180度違い、本文では「仮に今回の訴訟で県が勝訴した場合でも、国が岩礁破砕許可を申請した場合、それは認めざるを得ない」(県幹部)とあり、提訴の理由として「目の前で工事が日々進む中、何もしないワケには行かなかった」(同)と正直に語らせています。
 

いつもの事ですが、これでは「新聞」とは言えません。 

もっとも、「”暴力的運動”容認へ助走」と言うのが、本当に付けたかった見出しなのでしょう。 

 
それと関連してこの訴訟の大きな疑問は、もし翁長知事が本気で「埋め立て承認の撤回」をこれからやるつもりならば、今回の県側の主張は「撤回訴訟」の中で補足理由として組み合わせて主張すべき事が最も効果的だということです。
 

それが目的を達成する為には最善の訴訟戦略であり常道でもあろうに、なぜしないのか、 という疑念が強くあります。 

国にも「普天間の危険性の除去」以外に辺野古移設を急ぐ理由はあるし、それゆえ「焦り」も必ずあります。 

その「焦り」が、合法ではあるものの「漁業権の消滅」という強い解釈を水産庁から引き出す要因になった側面はあるのです。 

しかし、それが「違法かどうか」を今ここで争うならば、間違いなく「違法ではない」という判断にしかなりません。 

ここで問題を分けて確定されてしまってからでは、「撤回訴訟」において主張を補強する「大事な一つの柱」を失う事になるのです。 

県側としては「民意」だけでは撤回の理由足りえないとかねて判断しているし、承認後の「撤回」が認められるほどの深刻な違反事案の発見も覚束ない中、この件は「撤回訴訟」の中でこそ裁判長の心象部分に訴える事が出来る重要なファクターです。 

少なくも地裁レベルでは多大な効果があったはずで、それをあえて無意味に「捨てた」意味はなんだろうか、と考えないわけには行きません。 

 
何やら「国と握っている」かのような見方は性急としても、これはもう「撤回」をするつもりはないのではないかと、考えざるを得ません。
 

少なくも三月に知事が断言したような「承認撤回に賭ける決意」というものは、よほど「眉唾」と考えないわけには行きません。

余談ですが、このような「バカな県」に対して国が損害を賠償させる方法は常にありますが、産経新聞が言うような「翁長知事個人への賠償請求」は、県議会の通し方を見る限り遺漏はなく、「識名トンネル事件」や「国立明和マンション事件」にみるような住民訴訟を利用した方法では難しいと考えます。
 

他の直接的方法について菅官房長官が示唆的に述べた事がありましたが、過去に例がないので分かりません。

                                              (続く)

 

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山路敬介氏寄稿 沖縄県の政治状況と翁長知事の実相その1 翁長知事の「戦っているふり」とは

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山路敬介氏から頂戴した寄稿を、4回連続で掲載いたします。 

地元紙に踊る勇ましいシュプレッヒコール、一斉に掲げられるボードなどとは裏腹に、「オール沖縄」は手詰まり感に満ちているようです。

その最大の理由は、翁長氏が「この先」を見通す展望を提示できないからです。

翁長氏は口先ではあいかわらずの強気で「撤回」を言いますが、それは実はすでに空鉄砲であることは、翁長氏自身もっともよく理解しているはずです。

何度もこのブログで書いて来たように、もう辺野古移設問題は去年暮れの最高裁判決で終わっています。

翁長氏はその無能さ故に、国との協議期間として設けられた「和解期間」をまったく無駄に費やし、シュワブ・ハンセン敷地内移設など別方法の解決もあったに関わらず、何ひとつ新たな解決法を提起しようともしませんでした。

なぜなら、いまや翁長氏の最大の支持母体となってしまった共産党が、絶対に陸上案に反対するからです。

知事にとって腹芸のひとつも見せようにも、産党が「全基地撤去」以外いかなる解決も許さないことが明らかな上に、自らの派閥の新風会が事実上崩壊してしてしまっては現実的に打つ手なしだったわけです。

ですからズルズルとあーでもないこーでもないとグズって見せて、なんとか2期までつなぎたいというのが、今の翁長氏のほんとうの姿です。

戦いたくても戦えず、かといって収拾することもできないハンパな存在。それが今の翁長知事です。

具体的に考えてみましょう。

①去年暮れに受諾した最高裁判決の実施・・・共産党の反対で不可能
②闘争の継続・・・政府が対策済で一蹴
③陸上案など別の提案・・・和解期間ならまだしも今は不可能

つまりは彼には何もできないのです。すべてがどん詰まりの袋小路。

したがって翁長氏にできることは唯一、「戦っているふり」だけなのです。

翁長氏は、国と県の間に不信の壁を築いてしまいました。政府と太いパイプを構築すべき知事としては、それだけで失格です。

つまるところ、翁長氏は共産党流の「解決されては困る。いつまでも反基地運動ができさえすればいい」という永久革命路線に呑み込まれたにすぎないのです。

共産党はそれでいいでしょうが、マトモな民政をせずに闘争しか頭にない知事など、県民にとっては無用な存在です。

今、翁長氏がなすべきは、自らが神輿に乗ってこじれさせた移設問題の責任ある収拾以外ありません。

なお、写真と本記事の冒頭タイトル小見出しは、編者が挿入したものです。

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Photo8月12日「県民集会」で演説する翁長氏 

           ■沖縄県の政治状況と翁長知事の実相
                                       山路敬介(宮古)
 

はじめに 

8月12日に、「辺野古移設反対」と今般県がおこした「工事差し止め訴訟を支持する」ための「県民大会」が開かれました。 

もっとも「県民大会」というネーミング自体がフェイク同然で、主催は「オール沖縄会議」、最初から自民党や公明党に出席すら求めないという、実態上「一党派による政治集会」にすぎぬ代物でした。 

そこで私がほんのちょっと心配したのは、大会で翁長知事が撤回時期を具体的に明示するのではないか、という点でした。 

それは思ったとおり以上に杞憂だったようです。 

翌13日の地元二紙の見出しは踊ります。 

いわく「国の不条理撃つ」、「民意は揺るがず」、「埋め立て承認撤回へ 知事”決意”再び」、「翁長氏決意表明 必ず承認撤回」、等々。 

全くもう、ほとほとウンザリします。 

この大会で採択された「特別決議」や「大会宣言」の全文を読んでも、埋め立て承認の「撤回」は採択されていないのです。 

たしかに知事は登壇して「撤回をやる」としましたが、相変わらず時期については「私の責任で決定する」と、力強く言葉を濁しました。

後刻行われた会見でも同様で、時期の明言はありません。 

もともと3月25日には「撤回」は明言していて、その後は撤回時期を問われるたびに「撤回は十分にありうる」だとか、「あらゆる状況を勘案して検討している」、「撤回は視野に入れて検討している」などと、揺れているように感じさせる体たらくでした。 

実のところ本大会の開催理由は、オール沖縄内で勢力を増した最左派からの「撤回をしない知事」への不満をガス抜きするためであった要因が大きく、それでも3月25日の時点から今日まで事態は一歩も前へ進んでおらないのです。 

現実にはいまだに「雰囲気による撤回は出来ない」、「明確な根拠を得ないかぎり、撤回には踏み切れない」(県幹部 3/13琉球新報3面)のです。 

つまり翁長知事という人は、根拠(証拠)なしに支持者を前に「撤回をやる」と約束してしまっている、まれに見る愚かな知事なのです。 

さて、翁長知事もここまで再三「撤回」を言うのですから、「絶対に撤回しない」と私が断言する事は出来ません。 

しかしその時期は、さらに先延ばし戦術を凝らしたうえで護岸工事も先が見えて、裁判所が状況を「そもそも撤回する合理性がない」と、安心して判断を下せるようになる時点になるのでしょう。

Photo_7沖縄タイムス8月13日1面

 ■ 県・翁長知事にとっては裁判も「茶番」 ~ 名物化した沖縄の裁判

沖縄県は7月24日、国を相手にした岩礁破砕差し止め訴訟を提起し、併せて判決が出るまでの工事を差し止める仮処分を那覇地裁に申し立てました。 

この問題の発端は表向き県・翁長知事からみれば、国側が名護漁協の漁業権の放棄をもって「漁業権の消滅」と判断し、したがって「県の岩礁破砕許可は必要としない」との判断を下した点にあります。 

県・翁長知事側の主張は、「このような一方的な国側の法解釈は重要な知事権限を侵す「辺野古ありき」の恣意的なものであり、違法である」と決めつけ、いつものように即席に作り上げたような義憤を表向きの看板にしています。 

しかしその実は逆に、県・翁長氏側が岩礁破砕許可など知事権限を最大限恣意的に用いる事で工事遅延を目論み、「政治的な得点」を上げようと画策した事こそが発端です。

しかし、国にその機先を制られて、予定どおりの手慰みが不可能になった「焦燥感」から発した、実に子供っぽい「悪あがき」にすぎません。

例によって二紙は「怒れる知事」だの、「沖縄県VS日本政府」という演出を最大限に施しつつ、翁長氏もその求めに応ずるまま、その本心や実相を隠し「二紙」との共闘関係を外れないように苦慮する滑稽なさまは、「いつもの沖縄の風景」でもあります。
 

ときおり二紙と翁長氏、どちらがどちらを利用しているのか分からなくなる事があります。 

 
雑駁に言ってこの裁判の意味は、オール沖縄そのものの退潮の現実があります。

さらにオール沖縄内の革新系に吸収される危機感さえつのる知事支持母体である「新風会」系の巻き返し、オール沖縄内のパワーバランスの再調整・再結束のための「やってる感」を演出する政治的必要性に迫られたパフォーマンスにすぎません。 

常に変わらぬ翁長氏の「政治屋」としての力学中心、「方便」とその場しのぎの都合主義的方法論がその根底にあります。 

 
二紙の報道と違い、今ここに至って「辺野古移設阻止」など全く問題にならぬ事、本ブログで再三指摘されるように「取り消し訴訟」の完敗をもって、「辺野古移設問題」は完全終了したものである事を翁長氏はよく承知しているに違いありません。
 

「撤回」という手段を繰り出しても国に勝てるとは思っていないし、そもそも「撤回」をするつもりもないのではないでしょう。 

 
翁長知事は、これ以上「二紙」と同化して県民を謀る行為をやめ、「辺野古移設阻止」はもう不可能なのだ、という真実をはっきりと県民に伝えるべきです。

 

                                             (続く)

  

 

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