福島にはもう住めない、行くなと言った人々は自然の浄化力を知らなかった
今日であの忌まわしい東日本大震災と福島原発事故から8年になります。今も約3100人がプレハブ仮設住宅で過ごし、約5万2千人が避難生活を続けています。
これだけ復興が長引いた原因の一つに、一部の人たちが「福島」を恐怖のシンボルとして祭り上げてしまったからです。
彼らは口を揃えて「フクシマには人は住めない。フクシマには行っていけない。フクシマのものを食べてはならない」などと言って、恐怖を煽り立てました。
今でも数こそ減りましたが、そのような人たちは残存しています。
朝日、毎日、東京などのメディアは訂正記事のひとつも出さずに、平然と口をぬぐっています。
朝日は鼻血報道をした「プロメテウスの罠」の記事の謝罪広告を掲載し、それでもらった賞は遅ればせながら辞退すべきです。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-10db.html
ちなみにこれらの放射能プロパガンダをしたメディアと、辺野古移設反対を応援するメディアはなぜか見事に重なっています。
とまれフクシマに行くなという被災地差別まがいのことを言う人はさすがに減っても、福島県産のコメを不必要に恐怖したりする人は今でも絶えないようです。
一方、多くの国民は不必要に恐れることはなくなりましたが、それは政府の除染作業の結果だと思っています。それは間違いです。
むしろ1ミリシーベルトを目標とした除染は、莫大な費用をかけてむしろ復興を遅らせました。
真に、フクシマを清浄化したのは、自然の日常の営みによるものです。
この事実に触れた記事はいまだにあまり少なく忘れ去られようとしているようですので、あえて3年前の記事を再録することにしました。
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下の画像は、「美味しんぼ」2014年5月のスピリッツに掲載された『美味しんぼ・福島の真実』です。
当時私はこの掲載と同時に強く反論し、ミニ炎上までした記憶があります。
ここで登場するのは、福島大学の現役教員である荒木田岳氏ですが、きわめて断定的に「福島は住めない論」を、雁屋哲氏に吹き込んだ人物のひとりです。
彼の言動を見ていると、典型的なデマッターがたどることを言っています。
(週刊スピリッツ2014年5月「美味しんぼ・福島の真実」より 以下同じ)
彼らは大げさに騒ぎ立てるだけで、地道な実地計測をしていません。するとしても、せいぜいが、市販のガイガーカウンターで街の通学路の側溝か、近所の河川敷を計るていどです。
特にこのような人たちは側溝、つまりはドブがお好きなようで、なにかというとこのドブの泥土にくっつけんばかりにして計測しています。
側溝は、街路や家屋の放射性物質が流れ込むためにホットスポットになるに決まっている場所です。
週刊現代、上杉隆、グリーンピース、反原発団体などやり口はすべて一緒で、センセーショナルに騒ぎたければ、ドブで計ります。
ですから側溝の計測記録を出して来る人がいたら、まず眉に唾をつけて下さい。ほとんどが、ことあれかしのデマッターですから。
降下した放射性物質は、屋根や道路面にいったん溜まり、その後に雨で雨樋から側溝、下水施設、あるいは用水路から川へと流れ、最終的には海に流れ出して希釈されていきます。
途中の各所では、堆積物として徐々に溜まっていくわけですが、そこでは堆積が重なるために濃度が必然的に高くカウントされることになります。
ですから、荒木田氏が持ち出した下水道は非常に特殊なスポットで、イコール街全体の汚染そのものではないのです。
別に「住めない福島」だけの問題ではなく、東京都の下水処理施設ですら同じでした。
東京都下水道局
上図のように、東葛下水処理場などは、事故から1年たった2012年3月でも未だ1万ベクレル/㎏を超えています。
放射性降下が微小だった神奈川県の下水処理施設も同じでした。溜まるのです、下水施設は。
では、「東京も神奈川も住めない」と言うべきなんでしょうか。わけはありません。(実際に神奈川からも多くの自主避難者を出しましたが)
下水道や処理施設の汚泥の粘土分子は、強力なセシウム・トラップです。※トラップ 特定の物質を捕獲して封じ込めること。
泥や粘土は分子構造の中に放射性物質を封じ込めてしまいます。
ですから、人間には利用できません。
よく放射能はなくならない、移動するだけだという人がいますが、たしかに半減期まで減りはしませんが、人間の活動からは隔離されて利用できなくなります。
できない以上、放射能を遮蔽したのと同じことです。
どうしてこう簡単なことが:分からないのかと、かえって不思議なくらいです。
この人たちにとっては、放射能は民俗学でいう「ケガレ」みたいなもので、いったん汚染されたらもう半永久的に「汚い」のでしょうね。
さて、荒木田氏たちはこれだけ恐怖の大魔王みたいなことを仰せになるのですから、トータルな汚染状況を調査しているのかといえば、そうでもなさそうです。
本格的に、農村に分け入って谷津田を一枚一枚計測したり、阿武隈山系の森林を踏査しようという努力をはらっていないくせに、まるで預言者のように「福島は除染しても住めない」などと平気で言う神経がわかりません。
この「美味しんぼ」事件の反論で、私が一番力点を置いたのは、放射能は自然のエコシステムの中で、有効に無力化しているということです。
荒木田氏は、下のように河川を除染しろとか、海に出るの阻止しろとか言っていますが、少しは真剣に湖沼や水系の浄化に取り組んでいる研究者の話を聞くべきでしたね。
私は2011年夏、霞ヶ浦の環境保全に関わる地元大学の専門家と共に霞ヶ浦や付近の河川や水田などを実測調査したことがあります。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-8e5d.html(6回連載)
河川で有意な放射線量がわずかに測定されたのは事故直後だけで、それは静かに移動して湖や海に流出していることがわかりました。
では荒木田氏のいうように、「海に拡がるのを阻止」する」必要はあるのでしょうか。
ありません。それは水系の仕組みをみれば理解できます。荒木田氏などが考えているように山や街に降った放射性物質が、キャッホーと一気に河を経て海に流れ込むわけではないのです。
山に降った放射能は、水田に流れ込み、用水路を経て河川に流れ込みます。その過程をひとつひとつ検証せねば、「福島が住めない」などと安直にいえないはずです。
座間市HPより
では順を追ってご説明していきます。
できるだけ専門用語を使わずに、図表を使って平明に解説します。
荒木田氏から「いくら街を除染しても、すぐに山から汚染水が流れてくる」といわれた、山系に降った放射能汚染はどうなっているのでしょうか。
実は阿武隈山系には、研究者の実地調査が何度も入っています。
まずは、もっとも初期の11年9月に、福島県山木屋地区標高600mの福島第1原発側斜面で、新潟大学・野中昌法教授が行なった土壌に対するセシウムの沈着状況の計測結果です。
●山木の土壌の放射性物質分布
・A0層(0~7㎝)・・・・98.6%
・A1層(7~15㎝)・・1.4 (2011年9月測定)
このように、放射性物質は微生物が分解中のその年の腐植層(A0層)に98.6%存在し、その下の落ち葉の分解が終了した最上部(A1層)には達していないことが分かりました。
事故後、福島の山間部では、この森林に降下したセシウムが、A0層とA1層の間にある地中の水道(みずみち)を通って雪解け水となって流れ出していくものと推測されます。
セシウムは、葉と落ち葉に計71%が集中しており、それは地表下7㎝ていどに99%蓄積されていました。
畑以上に表土に結着した量が多いようです。これは山の表土がトラップに有効な腐食土に覆われているためだと思われます。
言い換えれば、山は畑以上にトラップ力が強いようです。
大部分は土中にトラップされますが、2011年に降った放射性物質の一部は沈下せずに、むしろその下の去年の腐植層との隙間を流れ出したと思われます。
いわば、初年度の汚染水は大部分を土壌に残留し、土壌分子に固定されながら、一部が地表を滑ったような形で下に流れ落ちたのです。
国立環境研究所は筑波山における調査に基づいて、この山からの流出量は「事故後1年間の放射性セシウムの流出量が初期蓄積量の0.3%だった」と述べています。
http://www.nies.go.jp/shinsai/radioactive.html
わずか0.3%であっても汚染物質は、山と里地との接点である谷津田の水口(みなくち)を汚染しました。
私たちの地域での自主計測会の様子 ガイガカウンターをビニール袋に入れて計測している。筆者撮影
下の谷津田のデータは同じく野中教授らのグループが測定したものです。
11年度米で、もっとも多くセシウムが検出されセンセーショナルに騒がれたのは、谷津田水口周辺でした。
左手手前が水口。下にいくと水尻。ここから用水路に入り、河に出て行く。この写真は二本松ではありません。筆者撮影
放射性物質を含んだ山からの水は、まず水口でトラップされ、下へ流れるに従って減衰して、より下流の水路や河川に流れていくのがわかるでしょう。
●福島県二本松・放射性物質が玄米で500bq検出された水田付近の測定結果
同上の空間線量(マイクロシーベルト)
・水口・・・・1.52
・中央・・・・1.05
・水尻・・・・1.05
同上土壌線量(ベクレル /㎏・セシウム134・137の合計)
・水口・・・・6200
・中央・・・・3900
・水尻・・・・2600
しかも、事故から5年近くたった現在は、この11年の汚染された山の地層の上に、さらに新たな腐葉土の地層ができたために、11年の地層は50㎝以下に沈下しているはずてす。
これによって、事故直後山の表土を滑り落ちる汚染水の流出量は、今はほぼ途絶えたか、激減しているはずです。
さてこの山からの汚染水は谷津田を経て用水へ、用水から川へと流れこみます。ではこの河の汚染状況はどうでしょうか。
阿賀野川 http://www.hrr.mlit.go.jp/agano/kangaeru/tushinbo/2009/places/06_g-agmzpl.html
これについても゛新潟県が2011年に調査したデータがあります。
そしてほぼこの底土、護岸部分にトラップされたために水質自体の汚染は非常に低く、河口での線量は著しく減衰しているのがわかります。
●阿賀野川放射性物質調査結果 2011年新潟県http://www.pref.niigata.lg.jp/housyanoutaisaku/1339016506464.html
1 阿賀野川の河川水
5月29、30日に、上流~下流の7地点の橋で採取した河川水から、いずれも放射性セシウムは検出されませんでした。
これまでの阿賀野川水系の淡水魚の測定結果
8魚種で検査を実施 不検出~49ベクレル/kg
2 阿賀野川の底質(泥等)(別紙1参照)
5月29、30日に、上記7地点の橋から採取した川底の泥、砂等の10検体を分析し、最大68ベクレル/kg湿の放射性セシウムを検出しました。
3 阿賀野川岸辺の堆積物
5月29日に、川岸3地点で試料を採取し分析したところ、中流の岸辺で表面から深さ30~40cmの層で採取したものから最大232ベクレル/kg湿の放射性セシウムを検出しました。
私が述べたように、河川水からは検出されず、川土や川岸からのみ検出されています。
これはセシウムの特性が水に溶けにくい性格のためです。これは農水省飯館村除染実験時の調査記録にも記されています。
下の計測図を見ていただくと、表層の粘土がもっとも多くセシウムをトラップし、その下のシルト(粘土が混ざった層)はそれにつぎ、砂質になるとまったくといっていいほどトラップしなくなるのがわかります。
だから、セシウムは地表5㎝前後の部分に多くあったわけです。
http://www.s.affrc.go.jp/docs/press/pdf/110914-09.pdf
この飯館村除染報告書はこう述べています。
「放射性セシウムは農地土壌中の粘土粒子等と強く結合しており、容易に水に溶出しない。一方、ため池や用水等、水の汚染は軽微である。」
つまり、放射性物質は河に流出したとしても、水に溶けにくいために底土、岸に吸着してしまい、水質汚染につながりにくいのです。
というわけで、新潟県の阿賀野川の計測結果で水質汚染がなかった理由がこれです。
では、これを荒木田氏が言うように、「除染に意味があるとしたら河川の除染だ」というようなことをしたらどうなるでしょうか。
除染方法が具体的に述べられていないのですが、河川や湖沼では底土を大きなポンプ浚渫船で吸い込むしか方法はありません。
つくづくこの「福島住めない論」の荒木田氏は、なにも知らない人だとため息が出ました。
ポンプ浚渫船 http://blogs.yahoo.co.jp/crazyfloater/33522132.html
こんなことをしたら、せっかく河口や底土、あるいは岸の土壌に決着してトラップされているセシウムは攪拌されて、泥と水が混ざり合って、元の木阿弥です。
このように河川の「除染」は意味がないばかりか、かえって汚染の拡散となってしまうのです。
ですから、環境省は福島県、茨城県の湖沼や河川の除染にはあえて手をつけていません。
河川以外にも、一部は下水路から処理施設へと向かいますが、この段階で処理場汚泥に沈殿するのは冒頭に見たとおりです。
このように山から流れた汚染水は、森林から海への長き道のりを辿って各所で「捕獲」されて封じ込められていっています。
そして海にたどり着いた放射性物質も、海流で沖まで持っていかれ、海流に乗って拡散していきます。
このような複雑に絡み合う日本のエコシステムは、放射能という新たな敵に対しても健全に機能し、放射性物質を各々の持ち場で封じ込め、次の場所に譲り渡していったのです。
これが自然生態系の外敵に対する防衛機能です。
そしてこの自然のトータルな協同の力によって、放射能物質はいまや見る影もなく衰弱していました。
今国が民主党の置き土産としてやり続けている「除染」作業は、この自然の摂理に従ったセシウムトラップの数億分の1の働きもしていないでしょう。
人間のやることが、いかに虚しいものかお分かりいただけたでしょうか。
福島をカタカナで呼んだりする行為そのものが、復興を妨げたのです。
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