慰安婦問題

朝日の罪

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2014年6月24日の記事を再度掲載します。 昨日、コメント欄にあったように、この慰安婦問題の元凶はいうまでもなく朝日新聞という私企業です。

この報道企業がありもしない「従軍慰安婦強制連行説」をデッチ上げ、それを社是として延々約30年間に渡ってキャンペーンを続けたために、嘘が事実として固定化されてしまいました。

先日来取り上げている奥茂治氏が、なぜ「たったひとりの歴史戦」を戦わざるをえなくなったのかといえば、ひとえに吉田清治という詐話師を「良心の告発者」として祭り上げ、自作自演した朝日にあります。

朝日は当時、一国の官房長官談話に執拗に介入し、圧力をかけ、最後には全面降伏を強いました。

朝日はよく勘違いされていますが、報道機関ではなく「政党」なのです。しかも共産党以上にぶっ飛んだ。

本来、この謝罪碑を張り替えるのは当然で、世界の主要紙に自社が流したフェークニュースの謝罪広告を打つべきなのですが、朝日はそうするどころかあいもかわらずだんまりを続けています。

このフェークニュースの作り方は朝日の伝統芸、慰安婦問題の吉田に相当するのは、今回の加計事件の前川氏に当たります。

おそらく今回の前川告発もかつての吉田のように、一定の時間が経過すれば様々な検証が入って、前川告発がいかにいかがわしいものだったかが暴露されることでしょうが、生憎その時には朝日が作った政局は終了してしまっているでしょう。

ただし、吉田の時はネット言論不在でしたが、今は瞬時に嘘がネットで検証されて拡散していくので、案外時間はかからないかもしれませんが。

とまれ朝日と毎日、NHKは、加戸前知事の証言を完全スルーしたことで墓穴を掘りました。

さて、この記事は、政府が公表した「河野談話検討報告書を読む」シリーズの一回として書かれたものので、いちばんまとまって慰安婦問題の流れがご理解いただけると思います。 

今回再録したのは、朝日新聞が強く政局のみならず日韓関係に影響をおよぼした部分の回です。 

朝日は今回の加計事件のように、火のないところに煙を立てて政局化し、政治を支配しようとします。 

とりわけ慰安婦問題が悪質なのは、靖国参拝問題などと同じ手口で、外国政府を利用して政局化したことです。 

この方法を使ってしまうと、問題は国内政治のみならず、外交関係を直撃します。

朝日はなんどとなくこの「御注進」をしつづけ、日本が永遠に中韓の従順なシモベでいることを運命づけようとしました。 

結果、とうとう韓国にムン・ジェインという反日モンスターを生み出す有り様となりました。

ここまでくれば、もう朝日がどうのこうのというレベルではなく、政治力学の自律的運動で動くことになります。 

この「河野談話検討報告書を読む」シリーズは全8回で、政府が公表した検証報告書を一行一行読み込んでいったものです。 
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-60e7.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-68c6.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-2deb.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-97a2.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-b2c9.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-628f.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-e5a8.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-09c8.html

また朝日が当時出した社説を批判したものとしては
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-bf9b.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-4438.html

なぜ朝日が32年間も嘘だと知りつつ封印したのかについては
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-56b8.html 

植村隆元記者についても相当量書いています。
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-0aec.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-d4d9.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-c2a3.html

クマラスワミ報告については
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-51a9.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-2adf.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-d3cf.html

※すいません。タイトルが決まらなくて・・・。

            ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

報告書の前半は、いわゆる「従軍」問題を巡る日韓間のやりとりの経緯に割かれています。

これは1992年1月に予定されていた宮沢首相(当時)の訪韓を前に、問題が韓国国内で火を吹いていたからです。

「1991年8月14日に韓国で元が最初に名乗り出た後、同年12月6日には韓国の元3人が東京地裁に提訴した。1992年1月に宮沢総理の訪韓が予定される中、韓国における問題への関心および対日批判の高まりを受け、日韓外交当局は同問題が総理訪韓の際に懸案化することを懸念していた」

宮沢総理訪韓前に、これにさらに火を注ぐような衝撃的な記事が日本で出ました。

それが、朝日新聞(1991年8月11日)記事『元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く』(欄外資料参照)です。

「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦」』」(同記事)

この記事の致命的誤りは上記のように、当時日本国内でも実施されていた勤労動員である「女子挺身隊」と、従軍を意図的に混同して、それを「連行」という官憲の強制性としていることです。

女子挺身隊は1943年に実施された14歳以上25歳未満の女性の工場などへの勤労動員のことです。

これは当時の米英でも一般的であって、女性を工場に「従軍」することとはなんの関係もありません。

しかし、この朝日記事によって、日本の官憲が暴力的に韓国婦女子を従軍にしたという認識が完全に固定し、後の日韓交渉での韓国側主張を裏付けることになります。

また記事の直後に、後に問題のシンボル的な人物となった金学順氏のソウルで記者会見がセットされており、この朝日新聞記事が韓国内の訴訟運動と連動していることは明らかでした。

事実、この「従軍」訴訟団は「太平洋戦争犠牲者遺族会」といい、その常任理事だった梁順任氏の娘婿が、朝日新聞韓国特派員だった植村隆記者です。

植村記者の義母は既に賠償訴訟の原告団長をしており、義母の訴訟を有利に運ぶために挺身隊を動員とこじつけて「日本軍の強制連行」説を作り出したようです。

ちなみに、その弁護人を務めたのは福島瑞穂議員(元社民党党首です。

つまり、この朝日記事は一方の利害関係者の情報提供によるインサイダー記事というだけではなく、新聞が記事の火元自体を作ってしまい、自分でそれを記事にするという自作自演的性格を持っています。

報道の客観性という次元ではなく、もはや報道倫理からの逸脱です。

この植村記事以外にも、ほぼ同時期に朝日新聞(大阪版)は、1991年5月22日に、吉田清治氏の「木剣ふるい無理やり動員」発言を掲載し、第2弾として同年10月10日に再度「には人妻が多く、しがみつく子供をひきはがして連行」したという「吉田証言」を掲載しました。

吉田氏は、1983年に「私の戦争犯罪」という本で、「1943年5月15日付の西部軍動員命令によって1943年5月17日に下関港を出発し、翌日済州島に着いて、兵士10人の応援で205人の婦女子を要員として強制連行したと狩りをした」という「証言」をした人物です。

この吉田氏の「日本官憲が韓国婦女子を暴力的に強制連行した」という「内部告発」の影響は、氏が韓国国内で「謝罪行脚」をしたことにより燃え広がっていきます。

なお、この吉田証言は、後に秦郁彦氏の現地調査で事実無根の捏造であったことが明らかになっています。

吉田氏当人も1996年5月に週刊新潮のインタビューで、自ら「創作」であったことを認めていますが、いったん世に出た捏造証言は修正されることなく、以降の韓国政府公式の「従軍は性奴隷だ」というプロパガンダの根拠となっていきます。

そもそもこの訴訟には、日本の人権派弁護士である高木健一氏などが立ち上げから関わっていました。 

いやむしろ、「従軍」の訴訟運動は韓国側の自然発生的運動ではなく、むしろ戦後補償を運動化したい高木氏などが、韓国人元に働きかけて始まったというのが実態のようです。 

たとえば、高木氏は同じサハリン残留韓国人訴訟においてこのようなことを言って、原告たちを集めていたことがわかっています。

「東京で大きな弁護士事務所を、開いている高木弁護士が、もっと日本から賠償をとれるから要求しなさいと教えてくれた」(サハリン残留韓国人訴訟会長談) 

つまり、この「従軍慰安婦」問題は、当初の「慰安婦」探しから訴訟団作りに至るまで日本人が大きく関わっていました

そしてそれを一挙に大きな政治課題にしたのが朝日新聞です。

朝日新聞は従軍問題をあえて宮沢訪韓の前段にぶつけることで、韓国側の反発を作り出し、それを外交懸案にすることで自民党政権に痛打を与えることを狙ったわけです。

このような中韓政府を引き込むことで、社論を通そうという手法は、この新聞社が好むところです。

国内政治ならまだしも、外国政府まで巻き込んだ現実政治にここまで深く介入するとなると、朝日新聞はもはや報道機関というより立派な政治党派といっていいでしょう。

さて、この韓国国内の思わぬ従軍問題の炎上に驚いた宮沢政権に対して、「韓国は懸案化しないように」あらかじめ「日本側が例えば官房長官談話のような形で何らかの謝罪をすることがいいと伝達してきます。

つまり、この後に出る加藤・河野官房長官両談話は、日本側の自発的なものであったというよりむしろ韓国側の入れ知恵だったわけです。

「1991年12月以降、韓国側より複数の機会に、問題が宮沢総理訪韓時に懸案化しないよう、日本側において事前に何らかの措置を講じることが望ましいとの考えが伝達された。
また、韓国側は総理訪韓前に日本側が例えば官房長官談話のような形で何らかの立場表明を行うことも一案であるとの認識を示し、日本政府が申し訳なかったという姿勢を示し、これが両国間の摩擦要因とならないように配慮してほしいとして、総理訪韓前の同問題への対応を求めた。」
 

しかし、これで朝日新聞のキャンペーンは終わったわけではなく、1992年1月13日第1面に吉見義明中大教授が、防衛研究所で「募集に関する日本軍の関与についての新資料が発見された」との記事が出されます。

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この資料を発見したとされる(※実際は現代史家には知られていた資料でしたが)吉見氏はこう書いています。

「この通達は、「派遣軍が選定した業者」が日本内地で誘拐まがいの方法で「強制徴集」をしていた事実を陸軍省が知っている事を示しており、日本軍に対する国民の信頼が崩れる事を防ぐために業者の選定をもっとしっかりするようにと指示している」。(「共同研究日本軍」)

「軍の威信を傷つけるこれらの問題点を克服するため陸軍省が指示しているのは、(ア)募集などは派遣軍が統制し、人選などは周到に行うこと(イ)募集実施の際は関係地方の憲兵・警察との連携を密にすること、の2点である。つまり各派遣軍はもっと周到に徴集に責任を持て、と指示しているのである」(同)

この吉見説については、多くの現代史家からの批判が存在します。朝鮮現代史研究家の西岡力氏は、これは強制連行をした証拠にはならず、むしろ悪質な斡旋業者を取り締まる内容であるとしています。

「合理的に考えるなら、戦地での民心離間を心配する軍が、一部で抗日独立運動が続いていた植民地朝鮮で強制連行を行い、朝鮮における民心離間を誘発するはずがない。吉見教授文書は、権力による強制連行を証明するものではなく、むしろそれがなかったことを示唆するものだった」
(「よくわかる問題」)

素直にこの吉見資料を読めば、むしろ斡旋業者が悪質な募集をしているので、このようなことを禁じるようにしか読めません。

吉見氏の意図とは別に、むしろ業者の誘拐まがいの「強制連行」に軍が関与しないようにすることを指示していたことを示した資料です。

歴史家の秦郁彦氏はこう述べています。

「このリード文を読めば、キャンペーン報道の意図が首相訪韓のタイミングに合わせて、それまで『国の関与』を否定していた日本政府に『偽証』の証拠をつきつける劇的な演出だったらしいことが読みとれる。
1月11日といえば、訪韓の五日前にあたる。今さら予定の変更もできず、かといって予想される韓国側の猛反発への対応策を立てる余裕もない。私はタイミングの良さと、『関与』という曖昧な概念を持ち出して、争点に絞った朝日新聞の手法に、『やるもんだなあ』と感嘆した」

この朝日記事でパニックに陥った当時の政府の状況を、報告書はこう述べています。

「日本側は、1991年12月に内閣外政審議室の調整の下、関係する可能性のある省庁において調査を開始した。1992年1月7日には防衛研究所で軍の関与を示す文書が発見されたことが報告されている。その後、1月11日にはこの文書について朝日新聞が報道したことを契機に、韓国国内における対日批判が過熱した。1月13日には、加藤紘一官房長官は、「今の段階でどういう、どの程度の関与ということを申し上げる段階にはありませんが、軍の関与は否定できない」、「いわゆる従軍として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上げたい」との趣旨を定例記者会見で述べた。

このように政府は、吉見氏の新資料発見の朝日記事の裏をとることもせずに、わずか2日後に慌てふためいて加藤紘一官房長官(当時)が早くも「軍の関与」を認めて「反省の気持ち」を表明してしまっています。

そして訪韓した宮沢首相は首脳会議の席上で、実に22分間で8回も謝罪するというギネス級のお詫び外交をしてしまったわけです。

ただし、この時点では、日本側は「関与」は認めても、「強制性」まで認めておらず、また賠償する気もなかったようです。

秦氏が皮肉まじりに指摘するように朝日新聞は、「関与」とは巧妙な表現をしたもので、まさにどうとでも取れる表現です。

しかし、この加藤談話で「軍の関与」を認めてしまった以上、「関与」を「強制性」と理解している韓国側主張まで首の皮一枚ということになってしまいました。

というか、何に韓国が怒っているのか、従軍問題とは何なのか日本政府はまったく理解していなかったというのが実態だったのでしょう。

そのために、とりあえず謝っておけばいいだろうという、いかにも日本人体質そのものの対応をした結果、更に悪い結果に引き込まれていきます。

ここにおいて日韓外交交渉の力関係は決定しました。朝日新聞を論拠にして強硬な主張を繰り返す韓国政府に防戦一方の日本政府という構図です。

全面的に韓国ペースでの河野談話作りへと進む助走が始まったのです。

以後、当時の宮沢政権は朝日新聞と韓国政府に挟撃されるようにして、韓国主導の強制性を認める謝罪への道へと踏み込んでいくことになります。 

                 :;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+ 

●資料 朝日新聞1991年8月11日 
植村隆記者記事
 

「日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。 

尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。(中略)女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされてにされた。ニ、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士ニ、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に一回は軍医の検診があった。数ヶ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。」

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慰安婦問題は朝日の構造的体質から生れている

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とうとうこの年も終わりです。なんなんだ、というくらい一年が短いのに驚かされます。 

ガキの頃には、夏休みが延々とあって、クタクタになるほど遊べて、学校が始まるとヘロヘロになるまで遊んで、子供にとって年間最大のイベントであるクリスマスとお年玉をもらって、また春休みまで精一杯遊んで(おいおい)、ありゃちっとも勉強をしていた記憶がないのはなぜなんだぁ(苦笑)。 

しかし、「象の時間、ネズミの時間」といいますが、実感するなぁ。 

内的時間は歳によって違うのですなぁ。しみじみ。この調子でいくと、たちまちあの世に行っちゃいそうです(笑)。

などと思っていたら、私より先にPCが壊れました。前々からヘンだったのですが、とうとう起動しなくなりました。 

生意気にも、「システム復旧はムリっす」などとほざいています。こんな時期ですからお手上げです。 

いま、なだめすかしながらサブ機で打っています。ああ、調子がヘンだ。 

PCは実に便利で、田舎暮らしをする必需品ですが、ないとなるとそれはまたスッキリして、いいかもなどと思っています。 

年末年始の予定は、元旦の祝賀を除いて4日までお休みします。ただし、パリ同時テロのような事態が起きた場合は別ですが、お願い、起きないでね。 

というわけで、本年は大変にお世話になりました。よき年をお迎えください。

                ~~~~~~~~~~~ 

これにて、と思いましたが、せっかくPCの機嫌がいいので、少しだけ。 

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昨日の続きです。 

おおむね、国内の反応は予想どおりでした。右方向の方々は怒り狂っておられるようですが、大方の国民はとまどいながらも平静に受け入れたようです。

朝日がなにを言うのかと思っていたら、一面トップ大活字で「政府責任を認める」ときたもんだ。 

朝日は社説で、こんなことを言っています。
http://shasetsu.seesaa.net/article/431697346.html

「戦時中、日本軍の将兵たちの性の相手を強いられた女性たちをいかに救済するか。政治的な立場を超えて、両政府がともに対処すべき人権問題である。
元慰安婦の1人が初めて韓国で名乗り出て、24年の歳月が流れた。今年だけでも多くの元慰安婦が遺恨を胸に抱いたまま、亡くなった。韓国政府が把握する存命中の元慰安婦は50人を切り、平均年齢は90歳近い。
両政府に残された時間はわずかしかない。両国関係にとっても長く刺さってきたトゲを自らの手で抜くべき時だ」

はいはい、そのトゲを人為的に植え込んだのはあんたたちでしょう。ここまで人間、厚顔無恥になれれば、人生はバラ色です。 

朝日は慰安婦問題において、火付けした当事者です。しかも植村記者ひとりのうっかりミスなどではなく、朝日の構造的体質から生じています。 

過去記事をベースにして、いい機会ですから、加筆してもう一回振り返ってみましょう。
※過去記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-b7c3.html

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朝日は日本において、発端を作り上げた当事者だっただけではなく、そのプロパガンダ拡声器の役割を演じてきました。 

朝日と韓国の慰安婦団体、マスコミ、そして政府に至るまで、まるで呼応するようにして、この「従軍慰安婦」問題を国際問題に仕立て上げていきました。

それを国家の外交方針にまでしたのがパククネ大統領でした。

朝日がしたことはただの誤報というレベルではなく、まさに火のないところを大火事にした所業だったのです。

未だ慰安婦問題について書かれた膨大な量の慰安婦記事は、「間違っていましたから取り消します」といったたった16本などという生易しい量ではありません。 

朝日のデーターベースを検索するだけで、実に7419本、「慰安婦 強制連行」でも1046本もあるのです 

これ全部とり消すのですかぁぁぁ・・・、ボク、気が遠くなりますぅぅぅ。(←エコーかけてね)  

だから、吉田清治と植村隆にだけ救出不可能として生贄に捧げて、誤報事件で第三者委員会まで作ったにも関わらず、以後、まったくどこ吹く風とばかりの姿勢を貫いています。 

まことに見事なブレのない不動の精神で、逆にいかに慰安婦報道がこの新聞社の根っこの部分から来たものなのかがわかります。 

気の毒にもバッシングされまくった植村隆記者などは、しょせんは慰安婦告訴団体幹部の娘婿だったことを会社に利用されて、韓国に送られただけの小者にすぎません。  

朝日が本気で守りたかったのは、死んだ吉田清治でもなく、ましてやザコの植村記者でもありません。この慰安婦問題には、社の中枢が関わっているのです。 

時系列でみていきましょう。 

植村記者が果たした役割は、極めて悪質でありながらも微々たるものです。 

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上の写真でいかにも詐欺師然とした顔をさらしているのが、かの有名な吉田です。こういう顔した男の「証言」を丸飲みすること自体ナンです。

1980年代初期まで吉田は、慰安婦問題の火付け役のひとりでしたが、まだ日本では左翼出版社から本を出したていどの、無名のヘンな奴にすぎませんでした。 

彼を一躍「時の人」にしたのが、北畠清泰大阪本社論説委員(故人)です。  

この北畠という人物こそが、この慰安婦問題の日本における伝道師の元締めであり、説教師でした。 

北畠は、1992年1月23日付け夕刊コラム「窓・論説委員室から」に、このように吉田を取り上げて、一躍「時の人」に仕立て上げます。 

一読すればお分かりのように「吉田証言を」一切の裏取りをしないまま、丸のまま紹介して、それをあたかも事実のように報じています。 

おそらく北畠は、「日本の過去を断罪する」という朝日の社是にドンピシャではまった男が出てきたことに狂喜したのでしょう、こう書いています。

「記憶のなかで、時に心が痛むのは従軍慰安婦の強制連行だ。吉田さんと部下、10人か15人が朝鮮半島に出張する。総督府の50人、あるいは100人の警官といっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。
木剣を振るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む。一つの村から3人、10人と連行して警察の留置所に入れておき、予定の100人、200人になれば、下関に運ぶ。
女性たちは陸軍の営庭で軍属の手に渡り、前線へ送られて行った。吉田さんらが連行した女性は少なく見ても950人はいた。
 「 国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」(1992年1月23日朝日新聞)

これが日本における、吉田清治のマスコミデビューです。 

実は、吉田は自分のファンタジー原稿を扱ってくれるメディアを探して、そこここのマスコミにあたっていました。

北畠が記事にする10年も前の82年に、朝日東京本社支局に勤務していた前川恵司記者にも接触しています

また、後述しますが、同時期に吉田は大阪本社の清田社会部長にも接触しています。

前川の「慰安婦虚報の真実」によれば、前川は、吉田の証言が整合性がなく虚言であることを見破り、記事にすることを拒否しています。 

ですから、北畠が慎重にウラ取り取材すれば、社内情報だけで吉田などといったペテン師に引っかからなかったはずてす。 

ところが北畠は、この慰安婦問題が一貫してそうであったように、裏を取ると虚構だと分かってしまうために、あえて目をつぶっています。 

後に朝日は、それを意図的に公然と行うようになり、「軍が悪事を働いていたことはほんとうなんだから、多少の間違いも大義のまえの小事にすぎない」という歪んだ社風を作っていきます。

その先鞭をつけたのが、この北畠でした。言うまでもなく、この最初の段階で、既に北畠はジャーナリスト失格です。 

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北畠について、朝日新聞元記者であった長谷川煕(ひろし・上写真)記者の証言が、最近出ました。 

長谷川のことは、「松岡利勝と美しい日本」という優れたノンフィクションの作者として知っていましたが、今回は渾身の内部告発となっています。 

その名も「崩壊-朝日新聞」です。私もさっそく取り寄せて、いま読んでいるところです。 

長谷川は、この本が出る前に週刊文春(2014年9月18日号)のインタビューに答えてこのように述べています。 

「私(長谷川)は北畠がヒソヒソ電話で語り合っている場面を度々目撃しました。その相手こそ(略)吉田清治氏だったのです。
 北畠は、「(吉田氏のような人は)世間の圧力が強くなると日和ってしまう」とか、「違うことを言い出す」とか、概ねそのようなことを言っていました。
「取材するこちらが常に手綱を強く持っていないといけない」という趣旨のことも話していた
」(※記事中は北畠はXと表記されている)。

 つまり、吉田の「手綱を強く持っていた」のは、朝日新聞大阪本社幹部の北畠だったのです。 

また、この北畠が共産党員だったことも、長谷川は証言しています。

この北畠のみならず、大阪本社内部が、「共産党員にあらずんば記者にあらず」といった空気に支配されていたとも述べています。 

私は共産党員が職場にいたとしてもそれ自体は問題ないと思いますが、しかし党の方針とマスコミ報道を混同することがあったとしたならば、それは強く批判されるべきです。

当時創刊されたばかりのAERAの立ち上げ編集部にいた長谷川は、本社とは違った自由な言論空間を作るつもりで、この慰安婦問題にも取り組んだそうですが、それらはすべて握りつぶされました。

「北畠は『AERA』の職場に来た時、「朝日新聞に左翼でない人間なんているのかなあ」と話したり、ある記事が原因でモスクワから追放された経験がある木村明生のことを、「ああいうとんでもない奴がいるんだ。ひでえ野郎だよ。けしらからん」と罵倒していた」

さてもうひとりの重要人物に、北畠と同じ大阪本社社会部幹部だった清田治史がいます。植村はこの清田の社命で慰安婦証言を取るべく韓国に渡っています。 

実は、注目を浴びませんでしたが、北畠記事のはるか以前の82年9月の時点で「吉田証言」を書いたのが、この清田です。 

元朝日新聞記者で、当時清田氏の部下だった長岡昇は、自身のブログでこう証言しています。  

「1982年9月2日の大阪本社発行の朝日新聞朝刊社会面に最初の記事が掲載されました。大阪市内で講演する彼の写真とともに「済州島で200人の朝鮮人女性を狩り出した」「当時、朝鮮民族に対する罪の意識を持っていなかった」といった講演内容が紹介されています。
この記事の筆者は、今回8月5日の朝日新聞の検証記事では「大阪社会部の記者(66)」とされています。
その後も、大阪発行の朝日新聞には慰安婦の強制連行を語る吉田清治についての記事がたびたび掲載され、翌年(1983年)11月10日には、ついに全国の朝日新聞3面「ひと」欄に「でもね、美談なんかではないんです」という言葉とともに吉田が登場したのです。
「ひと」欄は署名記事で、その筆者が清田治史記者でした。朝日の関係者に聞くと、なんのことはない、上記の第一報を書いた「大阪社会部の記者(66
)」もまた清田記者だったと言うのです」(2014年9月「慰安婦報道、一番の責任者は誰か」)
http://www.johoyatai.com/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=1136

後に清田は、植村記事が誤りだと分かった時に既に東京本社外報部長にまで出世しており、秦郁彦の済州島調査で慰安婦報道が根も葉もない誤報だとわかった後も、この誤報をもみ消しつづけた張本人のひとりです。 

長岡は、こう述べています。 

「清田記者は「大阪社会部のエース」として遇され、その後、東京本社の外報部記者、マニラ支局長、外報部次長、ソウル支局長、外報部長、東京本社編集局次長と順調に出世の階段を上っていきました。1997年、慰安婦報道への批判の高まりを受けて、朝日新聞が1回目の検証に乗り出したその時、彼は外報部長として「過ちを率直に認めて謝罪する道」を自ら閉ざした、と今にして思うのです」(同上) 

そしてもうひとり。ソウル支局長として慰安婦誤報を拡散した人物が、市川速水東京本社編集局長です。  

市川は2006年に、既にこう述べています。

「僕の取材でも、腕を引っ張られて、猿ぐつわはめられて、連行されたという人は一人も現れていません。だから、強制的ではなかった、さらに慰安婦問題はなかったとさえ言う人がいるわけです。でも、そうじゃなくて、証言の共通項を見ていくと、あの人たちは貧乏な家で、女衒にだまされて気がついたら戦地に行かされて、中国などで慰安婦をさせられた。僕は10人くらいかなあ、実際に細かく証言を聞いたけど、もちろん好きで行った人はいない」(『朝日vs産経lソウル発』) 

これを読むと市川は、吉田偽証が間違っていることをよく知っています。  

そして慰安婦の多くが貧困により慰安婦になるか、女衒にだまされたこともわかっています。今、朝日が取り消したような誤報は、ことごとくウソだととっくに知っていたのです。

つまり、なんの裏付け証言も証拠も存在しなかったが、「好きで行った」わけではないから強制連行だというのですから、たいしたもんです。

この拡大解釈が、強制連行を論破された後の「性奴隷」プロパガンダの基本ロジックとなっています。 

その市川が8年後にしたことが、池上彰の原稿を抹殺することでした。

当時、東京本社編集局長という要職にいた市川は、自分がソウル特派員時代に、吉田証言が偽証だと知っており、もちろん挺身隊との混同が誤りだと知る立場にいながら、池上氏の記事を削除するという報道管制を敷いたわけです。 

まさに言い訳の効かないジャナーリズムの自殺そのもので、この池上事件が朝日の墓穴を掘る直接のきっかけとなってしまいました。 

そして4番目に登場するのが、ジャーナリストというよりもはや左翼運動家として有名な松井やより東京本社社会部記者です。

松井は、朝日の現職記者のまま、1992年8月に開かれたメウルYMCA会館での慰安婦集会(アジア女性連帯会議)を福島瑞穂と主催した人物です。 

彼女が果たした役割は、社会部時代に、それまで大阪本社が主に扱っていた慰安婦問題を東京本社に持ち込み、大々的に取り上げ、さらに運動にしたことです。 

当時、朝日は慰安婦報道を逃げも隠れもできない「生存者のいる旧日本軍が犯した犯罪」として大々的に報じており、その運動家だった松井は編集委員になります。

ちょっと入り組んでいるので、登場人物を整理しておきましょう。 

朝日新聞「慰安婦」問題を作った人物たち
北畠清泰(故人)・・・大阪本社論説委員・1992年1月に吉田清治を大阪版「窓・論説室より」で紹介し、世に送り出す立役者となる。
清田治史・・・1982年に大阪版社会面で紹介し、1992年に植村記者をソウルに派遣する。後に東京本社外報部長時の1997年に誤報と知っていながら握りつぶす。取締役へと出世。もっとも深く慰安婦問題にかかわった人物。
市川速水・・・2003年~06年、ソウル特派員として慰安婦誤報を拡散。後に東京本社編集局長。池上事件の張本人のひとり。
植村隆・・・1991年8月、大阪本社社会部時代に清田の命令でソウルに派遣され、義母のコネで慰安婦の歴史的大誤報を書き、慰安婦誤報の象徴的人物とされてしまう。
松井やより(故人)・・・1992年慰安婦のソウル集会を福島瑞穂と主宰し、東京本社社会部時代に大々的に拡散する。後に編集委員。

このように見ると、慰安婦問題は植村のようなただの平記者が起こしたものではなく、大阪本社中枢、そして東京本社中枢まで絡んだ構造的なものだったことがわかるでしょう。 

前出の元朝日記者長岡は、このように書いています。  

「慰安婦をめぐる虚報・誤報の一番の責任者が取締役会に名を連ねるグロテスクさ。歴代の朝日新聞社長、重役たちの責任もまた重いと言わなければなりません」(前出)

これらの、論説委員、外報部長、編集局長、編集委員といった錚々たる朝日新聞のまさに中枢に位置する人物たちが絡んでいるのが、この慰安婦問題の特徴なのです。

このような、「過去の日本を断罪するためなら虚報も許される」という朝日の体質と、韓国の「反日なら何をしても許される」という反日無罪の韓国の異様な体質が増幅し合って、この慰安婦問題を作り上げたのです。

いろいろの人も言っていますが、10億のうち9億9千万円くらいは朝日が払ってバチがあたらないでしょうね。

朝日さん、築地の社屋売りなさい。

                                         ※文中敬称略 

※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-772b.html

朝日が10億円払えに清き一票を!
Petition · 慰安婦見舞金は朝日新聞が払え · Change.org

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植村記者が誇らしげに言う「歴史の転換点」とは

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この植村記事の出た1992年の時点において、朝日新聞には「従軍」慰安婦は、強制的に日本の官憲や軍によって拉致されたのだという絶対的確信がありました。 

当時は、2014年8月の検証記事にあるような<慰安婦問題の本質は女性への人権侵害である>という抽象度の高い概念そのものが存在していませんでした。

当時の朝日はあざといまでに、<日本軍が奴隷狩りのようにして、韓国女性を強制連行して慰安婦にしたのだ>と言い張っていたのです。

どこでも、どの時代にでも通用してしまう「本質的人権論」などではなく、泥臭い現実が争われていた時代だったのです。

「日本軍が大量の韓国女性を暴力で拉致して慰み物にした」、このように大新聞に報道されたが故に、宮沢政権は腰を抜かしたのです。

もしそれが仮に、「日本軍は女性の人権侵害をした」ていどの内容だったら、痛くも痒くもありません。

「あ、そうですか、なにせ当時は戦争やっていましたからね。お気の毒に」、でお終いです。

時代水準と言えばそれまでですが、そのあたりのエグサを理解しないと、なぜこうまで慰安婦問題がこじれにこじれたのか理解できなくなります。

いまだに、韓国は1992年の植村記事の時点の水準から一歩も先に進んでいません。

かの国との齟齬は、この23年前のまま止まってしまった彼らと、それから七転八倒しながらも事実を追及してきたわが国との落差なのです。

当時朝日は、軍が強制連行したという吉田清治証言を100%正しいと信じて、「慰安婦証言が出た」というので、おっとり刀で植村記者をソウルに出したわけです。  

ではその証言を始めたという元慰安婦の金学順氏は、弁護団聞き取り証言の中で何と言っていたのでしょうか。 

1991年8月のあの衝撃的な記事から4か月後の12月25日に書かれた記事には、こうあります。 

「見出しは、<かえらぬ青春・恨の半生に日本政府を提訴した金学順さん」>とある。記事はこうだ。
韓国の「太平洋戦争犠牲者貴族会」の元従軍慰安婦、元軍人・軍属やその遺族35人が今月6日、日本政府を相手に、戦後補償を求める裁判を東京地裁に起こした。慰安婦だった原告は三人。うち2名は匿名だが、金学順(キムハクスン)さん(67)=ソウル在住=だけは実名を出し、来日した。(略)
その恨の半生を語る証言テープを再現する。
「私は満州に吉林省の田舎に生まれました。父が、独立軍の仕事を助ける民間人だったので満州にいたのです」(略)
貧しくて学校は普通学校(小学校)四年で、やめました。その後は子守をしたりして暮らをしていました」
「『そこに行けば金儲けができる』。こんな話を、地区の仕事をしている人に言われました。仕事の中身はいいませんでした。近くの友人と二人で、誘いに乗りました。17歳(数え)の春(1939年でした(略)」
(植村手記より再現 朝日新聞1992年12月25日)
 

植村氏はこの証言を手記の中で、控えめながら誇らしげに「歴史の転換点」と呼んでいます。手記はこう言います。 

「韓国では金学順さんに続き、元慰安婦の証言者が相次いだ。こうした事態を受けて、日本では1993年8月に河野談話が出された」
「私の記事は日韓のメディアに影響を与えなかったが、私は知らないうちに歴史の転換点を目撃することになった」
 

では、この植村氏が言う「歴史の転換点」と呼ぶ金学順氏の証言が引き起こした、河野談話とはいかなるものだったのでしょうか。

それは宮沢訪韓を間近に控えて、韓国と波風を立てたくない一心の日本政府による政治的配慮の塊のような代物でした。

この後に日本政府が強制連行を認めた動かぬ証拠とされるようになった河野野談話とは、まさに「日韓合作」そのものでした。

発表までに常に韓国政府が介入し、継続的「事前調整」(報告書の表現)をしています。

河野談話検討報告書はこう述べます。

「韓国政府は、日本政府による調査結果の発表に先立ち、1992年7月、問題等に関する調査・検討状況を発表したが、その際にも日本側に対し事前にコメントするよう要請し、結果として、両国で事前調整が行われた」(検証報告書)

わが国は一国の外務公文書を公表前に外国に見せていて、事前に談合し、その圧力に沿って書き換えていたわけてす。

言って来る韓国政府も韓国政府ですが、その主権侵害に唯々諾々と従ってしまう日本政府も政府です。

「『強制性』については、例えば、一部には軍又は政府官憲の関与もあり、『自らの意思に反した形』により従軍とされた事例があることは否定できないとのラインにより、日本政府としての認識を示す用意がある」 (検証報告書)

証拠もなにも出ていないのに、「強制性」をわざわざ「自らの意志に反した形で」と間口を拡げてまで河野談話を作ろうとしたのです。

この「自らの意志に反して」という言葉は、実に使い勝手のいい言葉でどうとでも取れます。

この軽率に使った言葉が、後々に動かぬ「強制連行」を認めた言辞として世界に流れていくことに、当時の宮沢首相-河野官房長官は気がついていませんでした。

さて金学順さんの証言にある時代は、まさにあのドラマ『おしん』の時代にあたります。

不況と冷害による農村恐慌で、大量に女性が売られた時代に彼女たちは生きていました。売ったのは親です。だから悲惨なのです。

食べさせられなくて、弟妹を食べさせるために泣きながら娘を女衒に売ったのです。このような貧しい女性は日本にも大勢いました。

日本人慰安婦の政府への提訴がないために、まるで慰安婦はすべて韓国人女性だったように勘違いされていますが、その大部分は日本人女性でした。

親が娘に、ごめん、すまん、許してくれと手を合わせて売ったのです。それらの女性は皆「自らの意志に反して」でした。誰が好き好んで身体を売るものですか。

このような絶対的貧困を前に、「女性の人権」などという聞いた風なことを言う軽薄なインテリぶった奴を、私は心底軽蔑します。

彼女たちは親から売られても、だまされても、ぼろ布のようにされても、明るく笑っていたのです。笑わないと死にたくなるからです。

ゼニを貯めて、一軒お店でも持ってみせる。そして故郷の親兄弟に仕送りをする。それが彼女たちの生きがいだったのです。

この金学順さんも、そのようなひとりでした。彼女は、慰安婦の高給で貯めた金でお店を持って、何人かの女の子を使う立場のところまで頑張った人でした。 

彼女の提訴の理由は後にわかりますが、日本の敗戦による軍票の無効に怒ったためでした。 

このような苦難を乗り越えてきた元慰安婦に対して、戦後育ちの男たちはたじたじとなりました。彼らの多くは、戦争も飢えも貧困すら知らない世代だったからです。

このような悲惨な体験を聞かされた男たちは、植村氏のように彼女たちの体験にひれ伏すか、河野洋平氏のように国としての主語を抜かした、まるで評論家のような「談話」を出すしかなかったのです。

ですから、河野談話の聞き取り調査は、決して植村氏の言うような「歴史の転換点」を飾るようなものではなく、官僚による手抜きの仕事そのものでした。

元慰安婦団体の要求どおり大使館は使わずに聴取場所は、訴訟団体の「太平洋戦争犠牲者遺族会」の事務所で行ない、遺族会側の弁護士も同席することにしました。(※弁護士は福島瑞穂氏)

全部、慰安婦団体の要求どおりです。日本側のやりたかったことは調査ではなく、既に官邸によって原案が書かれていて筋書き通りにすすめる必要があったからです。

河野談話検証報告書は言います。

「日本政府の真相究明に関する真摯な姿勢を示すこと、元慰安婦に寄り添い、その気持ちを深く理解することにその意図があったこともあり、同結果について、事後の裏付け調査や他の証言との比較は行われなかった。聞き取り調査とその直後に発出される河野談話との関係については、聞き取り調査が行われる前から追加調査結果もほぼまとまっており、聞き取り調査終了前に既に談話の原案が作成されていた

ここでもまた「元慰安婦に寄り添い」です。「寄り添う」ことこそが大事で、その証言の客観性をなどどうでもよかったのです。

既にできあがっている「原案」に沿って聞き取るふりをするだけだったわけです。そしてその聞き取りの内容たるやずさん極まる内容でした。

これについてはこの調査の事務方責任者の石原信雄元官房副長官の国会証言が残っています。それによれば

①聞き取りした元慰安婦は16人
氏名すら明確でない者が3人
生年月日が記載されているのは半数の8人
④その生年月日すら、別の調査やインタビューには全く違うことを述べている者もいる。
⑤朝鮮半島で重視される出身地についても大半の13人が不明・不詳
⑥大阪、熊本、台湾など慰安所がなかった地域で働いたという証言もある。
氏名が確定しない者、出生地があいまいな者がほぼ全員

言うも愚かですが、これでは調査の名に値しません。

特にこのような賠償措置を用意している聞き取りにおいて、当人確認のためのなんらかの書類が必要なことはイロハのイで、聞き取りをした全員があいまいだったというのですから、もはや調査ですらありません。

おまけに出身地、生年月日までデタラメ。このために、後に政府が追跡調査しようと考えても、まったく不可能になってしまいました。

これが植村記者のいう金学順証言の、「歴史の転換点」が招いた河野談話の内実だったのです。

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クマラスワミ報告書その2 捏造された慰安婦証言 

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今回は、先週カットしたクマラスワミ報告後半を続けます。 

このクマラスワミ報告は、一種の暗黒裁判です。  前回の整理を兼ねてまとめてみましょう。  

①日本政府側「弁護人」が不在であるために、日本側の反証や弁護側証人が一切採用されていないこと
②告発側の最大の論拠が、朝日新聞が捏造であると認めた吉田清治証言であリ、これしか一次資料か存在しないこと
③吉田証言の虚偽は既に報告書作成時に暴かれており、訪日時にクマラスワミ氏に対して秦郁彦氏が証言したにも関わらず、根拠なく無視されたこと
④吉田証言以上に分量を占めるヒックス本も、吉田証言を基にしていること
⑤採用されているされている元慰安婦証言が信憑性に乏しいこと

⑥「女性の人権」というような報告書の言辞は、ただの「解釈」にすぎず、報告書は事実で争われるべきこと

                     ~~~~~~~~~~  

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(アングレーム漫画祭の韓国政府出展作品より。韓国人少女が兵隊に拉致されてレイプれ、慰安婦にさせられている。日本兵は涎を垂らした野犬として描かれている。なぜか陸軍なのに旭日旗だ。それにしても韓国漫画の絵柄は日本にそっくり。ここまで似せていて、世界一の反日国なんですから・・・)

このクマラスワミ報告が登場した90年代初期に、旧ユーゴスラビア崩壊に伴う内戦が起きました。 

旧ユーゴスラビアでは、「民族浄化」(エスニック・クレンジング)と呼ばれる大量虐殺や集団レイプが大量、かつ組織的に発生したことが国際問題になっていました。 

これについて、朝日新聞8月5日の検証記事はこう書きます。 

「戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳をふみにじられたことが問題の本質なのです。
90年代、ボスニア紛争での民兵による強姦事件に国際社会の注目が集まりました。戦時下での女性に対する性暴力をどう考えるかということは、今では国際的に女性の人権問題という文脈で捉えられています。慰安婦問題はこうした今日テーマにもつながるのです」
 

朝日の主張は、今さら指摘するまでもなく、朝日が吉田証言の捏造が破綻するごとに変化させてきた言い訳の現在形である「女性の人権」へのすり替えですが、半分だけは事実です。

それは、慰安婦問題をこのようなボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時の民族浄化と絡めて国連に持ち込んだ人達がいて、この人たちが「国際的関心を集める」役割をしたからです。 

まずその前に、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の集団レイプはいかなるものだと言われているのでしょうか。

これは、『ユーゴスヴィア民族浄化のためのレイプ』(※)という本に詳述されています
※この本の信憑性には多くの疑問が提出されています。

この本によれば、ボシュニャク人(ボスミア系ムスリム)女性を拉致して集団で強姦し、中絶できない時期になって元の村に返します。

すると、敵対する民族の子を産んだということで、その村の中で亀裂が走ります。これが大量に組織化された形で行なわれ、敵対する民族の血を絶やすために行なわれたとされました。フォチャの虐殺 - Wikipedia

なお、この犯人とされたセルビア人の名誉のために付け加えれば、この民族浄化をキャンペーンしたのは米国の大手広告会社でした。

この広告会社はルーダー・フィン社といい、ボスニア・ヘルツゴビナ政府のシライジッチ外相の依頼を受けて企画したものだと判明しています。※『戦争広告代理店』

意図的に証拠や証言を捏造し、煽情的なドキュメンタリー映像で情報操作をしたのです。

これは当時、ボスニア側に立って軍事介入していたNATOと米軍にとっても好都合で、おそらくは米国政府の公認の下になされたと考えられます。

それはさておき、朝日新聞がいうようにわが国が戦時中に当時「日本人」だった朝鮮民族を「民族浄化しようとした」などと考える人がいるでしょうか。

まったく問題の違うこのふたつを、「戦時性暴力」という一点で強引に結びつけて、「日本もセルビアのような集団レイプをしたのだ」と主張する人たちが抱き合わせで国連に持ち込んだのでした。

持ち込んだのは、日弁連の戸塚悦朗氏です。

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(写真 戸塚悦朗氏。この自由報道協会のインタビューの中で「日韓併合は無効」と述べている)

彼がボスニア・ヘルツゴビナ紛争と抱き合わせで慰安婦問題を主張したために、異例の速さで国連にとりあげられ、現代奴隷制作業部会などで審議され、その結果できたのがこのクマラスワミ委員会です。

戸塚氏はこう得意気に述べています

「数多くの国連人権会議に参加して、この問題(慰安婦)を提起し続けた。現代奴隷制作業部会、差別防止少数者保護小委員会(人権小委員会)、人権委員会(人権理事会)には毎年参加した。そのほか、ウィーン世界人権会議(93年)とその準備会、北京世界女性会議(95年)とその準備会など参加した関係国際会議を数えるだけでも気が遠くなるほどの数になった」
(『日本が知らない戦争責任』)

日本政府はこの間、「ボスニア紛争に絞るべきである」「既に謝罪済みである」などと弱々しい抵抗をしましたが、河野談話によって制約されているためもあってほとんど無力なものに終わっています。

このような「空気」の下で、わずか1年間という速さで最初の報告書が出来上がります。ほとんどすべては仕組まれており、戸塚氏たちが提出した資料のみが全面採用されたのは前回見たとおりです。

さて本日は、元慰安婦の証言部分に移りましょう。 

よくクマラスワミ報告書は、吉田証言が捏造であっても揺らがない、それは慰安婦の証言が多数採用されているからだ、という人がいますが、その「証言」は報告書パラグラフ54~60( 16頁~20頁)に16人の「軍性奴隷というさまざまな現象を明らかにするために特に選んだ証言」を見てみましょう。  

その冒頭に報告書が手放しで称賛する、「勇気をもって語った証言」とはこのようなものす。

「13歳だった私は井戸の水汲みに行って日本人の守備兵に襲われて連行されました。10日ほどして日本陸軍の守備隊に連れていかれました。私たちと一緒にいた朝鮮人の少女ひとりが、なぜ1日に40人も相手にしてければならないのかと聞いたことがあります。中隊長のヤマモトは彼女を剣で打てと命じました。私たちの目の前で彼女を裸にして、釘の出た板の上を転がし、釘が彼女の血や肉片でおおわれるまでやめませんでした。最後に彼女の首を切り落としました。別の日本人は私たちに『朝鮮人の女が泣いているのは食べ物がないからだ。人間の肉を煮て食べさせてやれ』と言いました」(チャン・オクスン 咸鏡南道)

つまりこの「証言」によれば、日本軍は13歳の初潮前の女性を強制的に拉致して「性奴隷」にした上に、1日40人も相手にさせたと言うのです。 

日本軍の強制連行ウンヌンははとりあえず置くとしても、初潮前の少女に毎日1日に40人を相手させた・・・、正気ですか。頭、大丈夫ですか。物理的に不可能です。死にます。 

しかも抗議すると拷問して、首を刎ね、その死体を煮て仲間の慰安婦に食べさせたというのです。  

ほとんど猟奇ポルノ小説です。このような人肉調理は、わが国の風習にはありません。 

人肉は別として、これは牛の骨つき肉を長時間煮込んで作るソルロンタンの調理方法です。 

このヤマモトという日本将校は豚骨ラーメン屋の親爺だったのでしょうか(笑)。 

残念ながら、当時のわが民族には、野菜の煮つけと魚が主食でした。肉は軍隊に入って初めて喰ったという兵隊ばかりでした。とうていそんなこと自体を思いつかなかったでしょう。 

釘の上をころがしてズタズタにするというのも、李朝にあった拷問方法です。 

よくもまぁこんなデタラメが言えるものと思いますが、捏造情報を作る場合つい自分の国の「伝統」をベースにしてしまうのが哀しいですね。 

むしろ、こんなレベルの低いデマを、国連が正式資料として採用したことのほうに驚かされます。  

旧軍が南方において飢餓に苦しみ、一部でカニバリズムが発生したことは文献に残っていますが、慰安所があるような都市部(※)で軍が組織的に懲罰のために女性を煮て食べさせたなどというものは、伝聞まで含めても皆無なはずです。 (※慰安所が戦場にテント張りであったような記述が報告書にありますが、慰安所は戦線から離れた後方の都市に設置されていました) 

もし、そのような記録が残っているならぜひ見せて下さい。呆れてものがいえません。よくこんな偽証ともいえないような幼稚なデマが国連人権委で採用されたものです。  

このような「証言」は、当時の日本軍関係の資料や、米軍の調査をみれば、ありえない妄想だとわかるはずです。しかし、その裏付け調査をクマラスワミは一切行なっていません。 

NGOが集めた元慰安婦の「証言」を聞きっぱなしで書き写して、それを証拠だとしているにすぎません。

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(アングレーム漫画祭の韓国政府出展作品より。日本軍がまるで軍需品のように慰安婦を投下している)

16人という数は偶然でしょうが、河野談話の基となった聞き取りでは以下のことが分かっています。
※関連記事 http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-628f.html

産経新聞(2013年10月16日)が入手した聞き取り調査報告書によるとこの16人は

・氏名すら明確でない者が3人
・生年月日が記載されているのは半数の8人
・その生年月日すら、別の調査やインタビューには全く違うことを述べている者もいる
・朝鮮半島で重視される出身地についても大半の13人が不明・不詳
・ 大阪、熊本、台湾など慰安所がなかった地域で働いたという証言もある
・日本で賠償訴訟を起こした原告が5人含まれる

特に出身地方や生年月日がデタラメなケースが多く、追加調査が不可能でした。河野談話は、当初から形式的聞き取りで済ますというのが方針だったために、大使館員たちはそれを追及しませんでした。

またこれら慰安婦証言は、慰安婦訴訟団体の指示に従って証言していることが後に分かっています。 

たとえば、太平洋戦争犠牲者遺族会の代表の梁順任氏の動画を見ると、この中で彼女は、「ジープとかヘリとか言っちゃダメ。熊本とか台湾もダメ」などと振り付けしていて、生々しい証言の舞台裏を覗けて、興味深いものがあります。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm24188858  

このようにジープやヘリが慰安婦の「証言」に多く飛び出すのは、朝鮮戦争時の数万といわれる米軍相手の慰安婦が存在したからで、日本政府を訴えた元慰安婦原告にかなりの数の米軍相手の娼婦が混じっていたためだと思われます。 

なお、同様の慰安婦に対する「振り付け」を、福島瑞穂氏や松井やより氏がしている場面も目撃されています。  

それはさておき、国連は多国籍組織なために、その当該国に「勧告」という介入措置を取る場合、慎重な事実関係の見極めが必要です。  

ここが一方に偏れば、国連という調停組織がかえって紛争の火種を提供してしまうからです。

これについて国連人権小委の委員だった国際法学者の横田洋三氏はこう述べています。

「96年に人権委員会に出されたクマラスワミ報告書や、マクドゥーガル報告書といった文書の位置づけについて、国連人権小委員会の委員を務めた国際法学者の横田洋三は『国連機関である人権委員会、あるいは人権小委員会が審議するための材料を提供するもので、国連の立場を示す文書ではない』と話す。その上で『NGOが世論に訴えて日本政府への批判を強めるための一つの材料として使われたといえる』と指摘した」
(産経14年7月14日)

しかし、人権委員会という拘束力のない下部組織で、しかも日本の過去の戦争犯罪という気楽さからか、クマラスワミ報告書はこの独自調査をせずに、一方的な韓国政府の言い分と、わが国の反政府NGOからの聴取で作成してしまっています。  

私たち日本人がクマラスワミ報告を撤回させねばなりませんが、それに当たって一切の感情論と政治的色付けは排するべきです。  

昨日も述べましたが、撤回させるべきは、吉田証言と、それを基に戸塚氏が造語した「性奴隷」(sex slave)という概念です。  

全面的書き換えを要求する必要はありません朝日新聞も認めた吉田証言の捏造が削除されれば、自動的にそれを種本としたヒックス本も覆り、かくしてクマラスワミ報告は根底から覆るからです。  

そしてクマラスワミ報告こそが国際社会における「慰安婦誤解」の発信源な以上、これを事実上崩壊させることにより、若干の時間はかかりますが、日本の汚名を雪ぐ道が開けます。  

それ以降やらねばならないことは山積していますが、それはその変化した新たな状況下で考えましょう。 朝日批判にドメステックにこだわり続けるのは無駄な消耗です。

朝日は吉田証言が捏造であったことを既に認めているのですから、その道義的責任を国連のクマラスワミ報告から当該部分を削除要求することでキッチリとってもらえばよいのです。

慰安婦問題を国際化させた最大の「功労者」の戸塚弁護士はこう言います。

「日本が犯した過去の重大な犯罪問題について、日本人として自らその責任を明らかにしなければ、韓日(原文ママ)両民族の真の友和はありえない」(『季刊戦争責任研究第5号』1994年)

「日本」という部分を「朝日新聞」、あるいは「戸塚弁護士」に置き換えてみれば、まさに仰せの通りです。

なお、この普通の日本人だったら「日韓」と呼ぶことを、わざわざ「韓日」呼んでみせる戸塚氏を国会参考人招致するのは当然のことです。

この人、きっと竹島をドクトと呼んでいるのでしょうね(笑)。

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クマラスワミ報告書その1 国連の名の下に行われた人民裁判

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次に、慰安婦誤報訂正問題を働きかける対象を考えてみましょう。これも複数作ることは避けるべきです。 

すると、吉田証言を削除させる対象はおのずと決定されていきます。国連人権理事会(旧委員会)のクマラスワミ報告書です。 

クマラスワミ報告は先日も触れたように、国際社会の定説となっていますが、その影響力の大きさに比して、内容はなんじゃこれはというようなシロモノです。

私は先日から原典に当たって読んできましたが、ほとんどトンデモ本に分類したいような内容です。

序文、概念規定から始まる報告書は、体裁こそ立派な法律文書のようですが、後述するように、その資料となる文献は吉田証言とそれをタネ本にしたヒックス本、そして金一勉のたった3冊の本にすぎません。

慰安婦証言も、13歳で日本軍に人狩され、日本軍が反抗した慰安婦を殺して、仲間の女性に煮て食わしたのを見た、などというスプラッタムービーの見すぎのような証言が堂々と採用されています。

いちおう、日本政府や秦郁彦氏の意見にも触れられていますが、根拠なく一蹴されるか、秦氏の知見に至っては吉田証言について疑問を呈した部分は削られ、知見は改竄される有り様です。

いわば、弁護人ぬき裁判です。

弁護士がいないので、検察側陳述が延々と続き、検察側証人のみが出廷して、反対尋問もできないうちに、クマラスワミ裁判長に「性奴隷という犯罪を犯した」と判決を言い渡されてしまいます。

まさに言葉の比喩ではなく、国連版人民裁判です。これだったらいちおう弁護人がいた東京裁判のほうがましだ、と皮肉のひとつも言いたくなります。

いつからこんなご立派な組織に国連はなったのでしょうか。国連人権理事会ではなく、国連人民裁判所と名称変更して下さい。ついでに世界2位の国連拠出金も引き上げたらいかがでしょうか。

こんなものが国際的認識のベースになったのですから、目も当てられません。

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(写真 ラディカ・クマラスワミのオバさん。コユイ顔た。怒ったら怖そうだ。スリランカ人に恨まれる覚えはないのだが、なぜこんな嘘ばかり信じる。泣きたくなるぞ)

では内容を見ていきましょう。

クワラスワミ報告書は、先日述べたように「概観」と「徴収」という、強制連行にかかわる根幹部分を成す、21箇所のパラグラフのうち11箇所が、吉田清治の『私の戦争犯罪』と、それをネタ本にしたG・ヒックスの『コンフォート・ウーマン』(『従軍慰安婦-日本軍の性奴隷』)をもとにして書かれています。  

クマラスワミ女史は訪日もしていますが、吉田清治が面談を拒否したために、直接面接調査していないにかかわらず、彼を無条件で信用してしまい、報告書にはこう書いています。
※クマラスワミ報告書原文
http://www.awf.or.jp/pdf/0031.pdf#search='%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%9F%E5%8E%9F%E6%96%87'

日本の支配下にある国々で奴隷狩りと拉致によって「強制連行をおこなったひとりである吉田清治は、戦時中の体験を書いた中に、他の朝鮮人と共に千人もの女性を連行したと証言している

そして吉田証言に基づいて、冒頭「第1章定義」でこう書きます。 

「まず最初に、戦時中、軍隊によって、また軍隊のために性的サービスを強要された女性は軍性奴隷制の実施であったと、本特別報告者はみなしている」 

この定義は日弁連の戸塚悦朗氏が国連に提出した概念規定のままです。 

そして売春行為を、報告所は「レイプ」(強姦)と定義します。 

「女性被害者は戦時の強制売春と性的従属と虐待の間、日常的レイプと身体的虐待といった苦しみを味わった」 

そして慰安婦募集については、吉田証言か全面採用されています。 

「より多くの女性を求める為に、軍部のために働いていた民間業者は,日本に協力していた朝鮮警察といっしょに村にやってきて高収入の仕事を餌に少女達を騙した。あるいは1942年に先立つ数年間は、朝鮮警察が『女子挺身隊』募集のために村にやってきた。このことは、募集が日本当局が認めた公的意味合いを持つことを意味し、また一定程度の強制性があったことを示している。もし『挺身隊』として推薦された少女が参加を拒否した場合、憲兵隊もしくは軍警察が彼女たちを調査した 

この部分は、吉田証言のままで、朝鮮警察、軍警察(※具体的にどのような部署なのか不明)、憲兵隊が「女子挺身隊」として女性を徴募したとされています。 

これは「勤労挺身隊」と慰安婦を混同した上に、いかなる資料でも確認されていない警察、憲兵隊が募集業務をしたという吉田証言の捏造を下敷きにしています。 

そして以下の部分などは、まさに吉田証言の嘘をそのまま記述しています。国家総動員法についての勘違い、軍の強制連行、人狩り、労務報国会の役割の捏造など、吉田本からそっくり丸ごと移植されています。

「さらに多くの女性が必要とされる場合に、日本軍は暴力、露骨な強制、そして娘を守ろうとする家族の殺戮を含む人狩りの手段に訴えた。これらの方法は、1938年に成立したが1942年以降のみ朝鮮人の強制徴用に用いられた国家総動員法強化により容易となった。元軍性奴隷(※慰安婦のこと)の証言は、募集の過程で広汎に暴力及び強制的手段が使われたことを物語っている。さらに吉田清治は戦時中の経験を記録した彼の手記の中で、国家総動員法の労務報国会の下で千人におよぶ女性を慰安婦にするためにに行なわれた人狩り、とりわけ朝鮮人に対するものに参加したことを認めている(10)」

上のパラグラフの文末の(10)が文献番号です。なんどとなく引用され、1次資料はこれ以外に存在しません。(※ヒックス本は他人から聞いた伝聞情報の2次資料です)

この報告書は1996年に作成されており、当時は秦郁彦氏の調査を中心にして、地道な実証研究がなされてきており、この吉田証言は完全否定されていたにもかかわらず、さまざまな事実誤認と共に一括採用されています。

Aa17dd70  (アングレーム漫画祭の韓国政府出展作品より 日本官憲が強制連行して、少女をレイプしている)

また、吉田以上に多くの資料を採用されているのが、ジョージ・ヒックスという、オーストラリア人の『コンフォート・ウーマン』です。 

このヒックスは当時香港に住んでいて、日本語、韓国語共にまったくわからないために一次資料や、当時日本で盛んに行なわれていた実証研究がまったく読めず、在日朝鮮人女性に英訳してもらったものが6割といういいかげんさでした。 

このおそらく朝鮮総連に属すると思われる在日朝鮮人女性が提供したのが、吉田本と金一勉の『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』でした。 

金一勉強の本の一部をご紹介すれば、こんな類の叙述が延々と続きます。

「朝鮮」の民族独立の意欲を挫折せしめ圧殺せしめる根本策として、朝鮮の青壮年を朝鮮半島の外へ連行せしめる政策を樹てたこと。すなわち青年は兵隊に、若い未婚女性は「軍隊娼婦」に仕立てて「民族の消滅」を図った

つまり金は慰安婦を、民族絶滅政策と位置づけています。頭が痛くなります。反論する気にもなれません。なにせ日本が朝鮮半島で「民族絶滅政策」をしていたというのですから話にもなりません。

この金一勉の本は、戦後の一時期大量に左翼出版社から出た戦争犯罪告発のゾッキ本の一冊で、おそらくこの本をまともに史料として扱う歴史研究者は皆無なはずです。

このようなやくたいもない本を、お大事にネタ本にして世界に広めたのがヒックスなのです。

んな歴史史料というにはあまりにお粗末で、しかも強烈な反日バイアスがかかったわずか3冊の本が基になって出来たのが、クマラスワミ報告書なのです。

これはクマラスワミ女史が英語しか読めず、当時の英訳本がヒックス本しかなかったためですが、それにしても証拠採用があまりに偏向していることに驚かされます。

この報告書にもあるように、国連人権委員会自身は、独自の現地調査、証言や史料の裏付け聴取などは一切行っていません。   

独自の裏付け調査がなかったことは、クマラスワミ報告の最大の弱点です。 

秦氏はクマラスワミから聴取を受けた数少ない日本人ですが、彼の証言は「大多数の慰安婦が日本陸軍と契約をかわしていた」などと、真逆な記述に書き換えられ、吉田証言についての証言を否定した調査結果もなぜか完全削除されてしまっています。 

強制連行派の吉見義明氏も聴取を受けたそのひとりですが、彼すら「吉田証言を使わないように」と述べたにもかかわらす、その部分は削除されてしまっています。 

このように見ると、クマラスワミ女史の頭の中には、調査以前に「軍性奴隷制」「人狩り」「レイプ」などという結論が既にあって、それに合わせて資料をはぎ合わせ、思惑と異なる資料や証言は意図的に削除し、結論に導いたものと考えられます。

なんともものすごい「裁判官」がいたものです。

※お断り 読み直しみると、あまりに長い!(笑) 後半の証言部分をカットして月曜日に回し、増補して再掲載します。早朝に読まれた皆さん、すいません。

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池上彰氏に平伏した朝日新聞の醜態

012
池上彰氏のコラムが復活しました。 

まったく冗談のような展開で、「天の声」の代弁者を自負する朝日新聞が、「人が語る」ことに屈してしまったようです。醜態の極みです。  

この池上コラムは朝日のデスク段階では問題なく通ったものの、その後におそらく木村社長直々の「天の声」で潰された模様です。 

このことによって朝日は、保守から中道左派までまんべんなく敵に回したことになり、落城まで一歩手前でした。  

これは池上彰氏が日本でも有数のニュース解説者であり、政治スタンスとしては朝日と政治信条が近い人だったために、朝日にとっても池上氏の連載打ち切り通告はひどくこたえたようです。 

愚かしくも、このボツ事件によって朝日が自らのメンツを守るためには、「言論の自由」すら踏みにじって平気であるということを満天下にさらしてしまうこ結果になりました。 

これは報道機関としては自殺行為です。 

ここに至って、今までは表面に出てこなかった朝日の現場記者の不満が複数噴出してきました。

彼らからすれば、「朝日のことをこれだけ心配してくれている池上さんの厚意を無視して、このバカ社長め」といったところですか。 

テヘラン支局長など「はらわたが煮えくり返る」とまで発言していますが、築地に帰ってきて同じことをいえるのかどうかは別ですが。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140903-00000002-jct-soci&p=1 

昨日の文春にリークした木村社長社内メールなどは、社員のID・パスワードでしか閲覧できず、プリントアウトすればした人間が特定されるという秘密指定文書でした。 

これを社外に持ち出したのは、反木村派の社員以外考えられません。たぶんこのような木村社長の対応に怒りを貯めている記者が多く社内には存在すると思われます。 

木村社長の行動は、重大欠陥商品製造元がリコールもせずに32年間放置し続けた企業のトップとして極めて異常であり、企業統治ができなくなってきていると思われます。

これで経営陣と社員がなんの危機感も持たなかったら、こちらのほうが異常ではないでしょうか。

かくして朝日は平伏して、「どうぞ池上様、記事を復活させ下さいませ」と哀願したようです(笑)。

しかしこのようなことを、世間では恥の上塗りと呼びます。

さて、改めて「復活」した池上コラムを読むと、さすがに押えるべき点は押えてあります。  

池上氏はこう書いています。

「この証言に疑問が出たのは、22年前のことでした。92年、産経新聞が、吉田氏の証言に疑問を投げかける記事を掲載したからです。
こういう記事が出たら、裏付け取材をするのが記者のイロハ。朝日の社会部記者が「吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという」と検証記事は書きます。
この時点で、証言の信憑性は大きく揺らいだはずです。朝日はなぜ証言が信用できなくなったと書かなかったのか。今回の特集では、その点の検証がありません。検証記事として不十分です。
検証記事は、「慰安婦」と「挺身隊」との混同についても書いています。「女子挺身隊」は、戦時下で女性を労働力として動員するためのもの。とは別物です。91年の朝日新聞記事は、女子挺身隊とを混同して報じたものだと認めました」
 

池上氏は朝日の検証記事が報道のイロハのイである取材の裏取りをしていないことを指摘しています。

朝日は、吉田清治証言をまったく裏取りすることなく記事にしています。 

これは元朝日ソウル特派員だった前川恵司氏が「川崎支局の1980年頃に吉田氏と接触して、連行した女性の数がその都度大きく違うのでこれはニセモノだと感じて取り上げなかったにもかかわらず、大阪本社が記事にしてしまった」という証言と符号します。

ちなみに今回の慰安婦誤報問題で、大阪本社は一貫して先走っており、吉田証言も東京で扱う以前に記事にし、植村記者も大阪本社社会部出身です。

それはさておき、この吉田証言の捏造を92年に秦郁彦氏の現地調査に基づく産経報道によって指摘されたにもかかわらず、「産経ごとき右翼三流紙に何が分る」とばかりに、その時点での裏取り調査を怠りました。 

先の前川元記者によれば、植村記事は「当時挺身隊がではないことは常識だった」ことから掲載直後から社内でも疑問が出ており、吉田証言すら怪しむ声があったのですから、ここでしっかりと裏取りをすべきだったのです。

にもかかわらず、朝日は訂正記事は恥とはかりに、そのまま口を拭ってしまいます。

そして裏取りするどころか、居直ったようにむしろ戦線を拡大し、ありとあらゆる場所で問題を使い始めます。

見方を変えれば、既に韓国政府はこの朝日報道を基にして謝罪と賠償を求めており、クマラスラミ報告書などによって国際的に認知されてしまったために引っ込みが突かなくなったのでしょう。 

この92年の秦氏の済州島での吉田証言調査は、いわば先の大戦における「ミッドウェイ」に相当する転換点の事件のようなものでした。 

朝日は、開戦劈頭の吉田証言と植村記事、そして吉見「軍関与資料発見」の三本立て攻撃が、想像を越えて日本政府を追い詰め、河野談話という政治的戦果を上げたことに狂喜していました。 

そしてこの「一報道機関の良心的報道が政府と国際関係を動かした」という満足感を損なう、秦氏の吉田証言調査と産経報道などは無視を決め込んだのです。 

それは朝日が吉田証言と植村記事に頼らなくても、河野談話が作り出した「女性たちは好んでになったわけではないのだから、それは広義の強制性に当たる」という論理で充分に対応可能だと考えたからです。

なお、 この「軍の強制性」を「戦時における女性の人権侵害」にすり替える論理こそ、検証記事において朝日が使ったロジックです。

しかしいうまでもなく、日本の制度が問題視されたのは、「軍が奴隷狩りのようにして韓国女性を連行してにした」ということに国際社会が驚愕したからです。

どこの国、どの時代にも似たような戦時娼婦はいましたが、「日本は軍を使って狩り集めていた」ということを批判されたのです。

その肝心な争点が破綻すると、誰も反論できない絶対的真理とでもいうべき「女性の普遍的人権」を担ぎ出したというわけです。

それゆえ、92年以降、基本である吉田・植村論理が破綻してたことを知りながら戦線を拡大し続け、朝日自身のカウントでも16回にわたって吉田証言を引き合いに出しています。 

かくして問題は、朝日にとってこれをかざせば必ず勝利できる万能の攻撃兵器と化していました。 

たとえばつい最近の14年1月にもNHK籾井会長に対して、問題を踏み絵に使っています。これなどは非常に悪質なものです
※朝日デジタル1月25日tp://www.asahi.com/articles/ASG1T5TK2G1TUCLV007.html 

朝日:2001年の番組改変問題があった。を巡る問題についての考えは。
籾井:コメントを控えたい。いわゆる、戦時ですよね。戦時だからいいとか悪いとかいうつもりは毛頭無いが、このへんの問題はどこの国にもあったこと。違いますか。
(略)
朝日:先ほどの発言から、は戦争していた国すべてにいた、というふうに取れるが。
籾井:こっちから質問ですけど、韓国だけにあったことだとお思いですか。
朝日:どこの国でも、というと、すべての国と取れる。
籾井:戦争地域ってことですよ。どこでもあったと思いますね、僕は。
朝日:何か証拠があってのことなのか。
籾井:この問題にこれ以上深入りすることはやめたいのですが、いいですか。そのものが良いか悪いかと言われれば、今のモラルでは悪いんです。じゃあ、従軍はどうだったかと言われると、これはそのときの現実としてあったということなんです。私はは良いとは言っていない。ただ、ふたつに分けないと、話はややこしいですよ。従軍が韓国だけにあって、他になかったという証拠がありますか?
(略)

朝日:今のところ、「会長としての職はさておいて」というが、ここは会長会見の場だ。
籾井
:失礼しました。じゃあ、全部取り消します。
朝日:取り消せないですよ
 

この会見で朝日は慰安婦問題をトラップにして、拒む籾井氏に執拗に絡んで、籾井氏の否定的見解を引き出すと鬼の首を取ったようにして会長不適格と報じました。 

池上氏も朝日がこの「挺身隊」誤報を当初から知り得ていたと見ているようです。 

この指摘は、池上氏が言うように、検証記事の中にはしなくも「93年以降、両者を混同しないよう努めてきた」という言い訳との矛盾に現れています。

混同しないように勤めてきた」のなら、その誤りを知っていたはずなのに、なぜ92年に訂正しなかったのでしょうか。「これについて「読者のみなさまへ」というコーナーでは「当時は、問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにもと挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました」と書いています。
ところが、検証記事の本文では「朝日新聞は93年以降、両者を混同しないよう努めてきた」とも書いています。ということは、93年時点で混同に気づいていたということです。その時点で、どうして訂正を出さなかったのか。それについての検証もありません」

そして、32年間朝日新聞は、わが国と韓国、国際世論をミスリードし続けてきました。当初からの報道が誤報だと分かっているに関わらず、です。 

これによって日韓関係は史上最悪になり、米国までこの誤報の影響下にあります。 

そして日本国民は度を越えて執拗な韓国の反日攻撃に嫌悪を募らせています。

この空気を醸成したのは在特会などではなく、ひとえにその原因を32年間に渡って作り出してきた朝日新聞です。 

朝日が読み損なったのは、今回の問題で欺かれていた国民の怒りが朝日が想像するより百倍も大きく、今や「国民的憎悪」の対象にすらなっていることてす。

今回の池上事件は、先の大戦の例えで言えば、朝日が営々と32年間守ってきた「絶対国防圏」の陥落を記すものです。

にもかかわらず、朝日大本営・木村参謀総長閣下は、いまだに「けじめをつけたうえで、反転攻勢に撃って出る体制を整える」(木村社内メール)という、「これは後退ではなく戦略的転進である」と叫んでいるわけです。

正気の沙汰ではありません。まさに昭和20年のわが国の大本営そのものです。 

もはや単なる社長の謝罪ではすまされないでしょう。誤報を利用して朝日がしてきたことの検証、世界、なかんずく韓国の「反日教」への影響も含めて、第三者機関に委託して真実を国民の前に明らかにするべきです。 

まぁ、こういう言い方は朝日の十八番ではありませんか。それとも自社だけは例外ですか。

皮肉はさておき、木村社長は絶対に謝罪会見などしないつもりでしょうから、早くクーデターを起こして彼を辞任に追い込み、もう少しまともな人間を社長に据えることです。

さもないと、10月の臨時国会で自民は木村社長を証人喚問しますよ。

法務大臣に松島みどり氏という朝日政治部記者上がりを据えたのはそのシグナルですから。

※追記 池上氏は連載継続を了解したわけではなさそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140906-00000003-tospoweb-ent
■池上彰氏 朝日に最後通告「猶予は1か月です」

(略)「まだコラムを継続するとも、打ち切りとも今日の話し合いでは決まっていません。『白紙です』とお伝えしました」
コラムの掲載拒否については朝日から謝罪を受け入れたが、本意はそこではない。
池上氏がコラムであくまで主張したのは「報道に過ちがあったにもかかわらず、読者に対して謝罪の言葉がない」こと。つまり、次回の掲載までに読者への謝罪がなければ、池上氏のコラムはなくなることになるだろう」(略)

                 :;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

■(池上彰の新聞ななめ読み)報道検証
朝日新聞2014年9月4日
 

過ちがあったなら、訂正するのは当然。でも、遅きに失したのではないか。過ちがあれば、率直に認めること。でも、潔くないのではないか。過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか。  

 朝日新聞は、8月5日付と6日付朝刊で、「問題を考える」と題し、自社の過去の報道を検証しました。これを読んだ私の感想が、冒頭のものです。  

 6日付紙面で、現代史家の秦郁彦氏は、朝日の検証について、「遅ればせながら過去の報道ぶりについて自己検証したことをまず、評価したい」と書いています。これは、その通りですね。 

 しかし、今頃やっと、という思いが拭い切れません。今回の検証で「虚偽」と判断した人物の証言を掲載してから32年も経つからです。  

 今回、「虚偽」と判断したのは、吉田清治氏の証言。氏が自らの体験として、済州島で200人の若い朝鮮人女性を「狩り出した」などと証言したと朝日新聞大阪本社版朝刊が1982年9月2日に報じました。その後も朝日は吉田氏に関する記事を掲載しました。  

 これについて今回、「読者のみなさまへ」と題し、「吉田氏が済州島でを強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした」と書いています。裏付けできなければ取り消す。当然の判断です。  

 ところが、この証言に疑問が出たのは、22年前のことでした。92年、産経新聞が、吉田氏の証言に疑問を投げかける記事を掲載したからです。 

 こういう記事が出たら、裏付け取材をするのが記者のイロハ。朝日の社会部記者が「吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという」と検証記事は書きます。この時点で、証言の信憑(しんぴょう)性は大きく揺らいだはずです。朝日はなぜ証言が信用できなくなったと書かなかったのか。今回の特集では、その点の検証がありません。検証記事として不十分です。  

 検証記事は、「」と「挺身隊(ていしんたい)」との混同についても書いています。「女子挺身隊」は、戦時下で女性を労働力として動員するためのもの。とは別物です。91年の朝日新聞記事は、女子挺身隊とを混同して報じたものだと認めました。 

 これについて「読者のみなさまへ」というコーナーでは「当時は、問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにもと挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました」と書いています。  

 ところが、検証記事の本文では「朝日新聞は93年以降、両者を混同しないよう努めてきた」とも書いています。ということは、93年時点で混同に気づいていたということです。その時点で、どうして訂正を出さなかったのか。それについての検証もありません。  

 今回の検証特集では、他紙の報道についても触れ、吉田氏の証言は他紙も報じた、挺身隊との混同は他紙もしていたと書いています。問題は朝日の報道の過ちです。他社を引き合いに出すのは潔くありません。  

 今回の検証は、自社の報道の過ちを認め、読者に報告しているのに、謝罪の言葉がありません。せっかく勇気を奮って訂正したのでしょうに、お詫(わ)びがなければ、試みは台無しです。  

 朝日の記事が間違っていたからといって、「」と呼ばれた女性たちがいたことは事実です。これを今後も報道することは大事なことです。  

 でも、新聞記者は、事実の前で謙虚になるべきです。過ちは潔く認め、謝罪する。これは国と国との関係であっても、新聞記者のモラルとしても、同じことではないでしょうか。 

■池上さんと読者の皆様へ
 今回のコラムは当初、朝日新聞社として掲載を見合わせましたが、その後の社内での検討や池上さんとのやり取りの結果、掲載することが適切だと判断しました。池上さんや読者の皆様にご迷惑をおかけしたことをおわびします。  

■池上さんのコメント
 私はいま、「過ちては改むるに憚(はばか)ることなかれ」という言葉を思い出しています。今回の掲載見合わせについて、朝日新聞が判断の誤りを認め、改めて掲載したいとの申し入れを受けました。過ちを認め、謝罪する。このコラムで私が主張したことを、今回に関しては朝日新聞が実行されたと考え、掲載を認めることにしました。 

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河野談話検証討報告書を読むその8 韓国人が潰した日本の「償い事業」

071
河野談話は、日本外交の記念碑的敗北の象徴として歴史に刻まれることになりましたが、その後に約束した「償い事業」が始まります。

日本側はこれで日本側の約束は果したので、今度は韓国側が約束したことを実行することを期待したようです。

「金泳三大統領よる韓国国民の前で説明して納得できる形で行われることを期待すると共に、これにより韓日関係が未来志向的にもっていけること」

また日本側は、元慰安婦に対しての「償い」を検討しており、韓国側にも打診したところこのような答をえました。

「への「措置」について日本側が、いかなる措置をとるべきか韓国政府の考え方を確認したところ、韓国側は、日韓間では法的な補償の問題は決着済みであり、何らかの措置という場合は法的補償のことではなく、そしてその措置は公式には日本側が一方的にやるべきものであり、韓国側がとやかくいう性質のものではないと理解しているとの反応であった」

ここで韓国側は、日韓間では1965年の日韓条約で「補償は解決済」であり、やるとしても日本側が勝手にやるもので韓国は関知しないという立場でした。

まことにもって原則的なことで、戦中の動員にまで個人賠償支払を命じる昨今の韓国に聞かせたいものです。Aa17dd70 (アングレーム漫画祭の韓国政府出展作品より 日本官憲が強制連行して、少女をレイプしている)

一方、日本側も政権が社会党、さきがけ、自民党の連立に変化しており、総理も村山富市氏になっていました。

そこで、元慰安婦に対するプロジェクトが練られた結果、基金を作る方向になります。

これはふたつに分かれていて、金銭的な補償については民間からの募金をあて、医療、福祉に対しては政府からの資金をあてました。

このような形になったのは、日韓条約で、個人保証も含めて終了しているためです。

「政府において検討の結果、戦後50年にあたり過去の反省に立って「女性のためのアジア平和友好基金」による事業を次の通り行うものとする。
元従軍の方々のため国民、政府協力のもとに次のことを行う。
(1)元従軍の方々への国民的な償いを行うための資金を民間から基金が募金する。
(2)元従軍の方々に対する医療、福祉などお役に立つような事業を行うものに対し、政府の資金等により基金が支援する。
(3)この事業を実施する折、政府は元従軍の方々に、国としての率直な反省とおわびの気持ちを表明する。
(4)また、政府は、過去の従軍の歴史資料を整えて、歴史の教訓とする。
女性の名誉と尊厳に関わる事業として、前記(2)にあわせ、女性に対する暴力等今日的な問題に対応するための事業を行うものに対し、政府の資金等により基金が支援する」

一方、韓国政府は「水面下での協力」を約束したものの、肝心な組織が反対の声を上げました。特に聞き取りに参加拒否した挺対協です。

「韓国政府を通じ遺族会および挺対協に対して面談を申し入れたが、「民間基金」を受け入れることはできないとの見解が両団体から示された」

そして1997年1月に、基金を受け取る意思を示した元慰安婦6名に対して首相のお詫びの手紙と共に基金を渡しました。

それに対して韓国マスコミは元に対して激しいバッシングを開始しました。

「これに対し、韓国のメディアは「基金」事業を非難し、被害者団体等による元7人や新たに「基金」事業に申請しようとする元に対するハラスメントが始まった。被害者団体は、元慰安婦7人の実名を対外的に言及した他、本人に電話をかけ「民間基金」からのカネを受け取ることは、自ら「売春婦」であったことを認める行為であるとして非難した。また、その後に、新たに「基金」事業の受け入れを表明した元に対しては、関係者が家にまで来て「日本の汚いカネ」を受け取らないよう迫った

このため早くも基金の手渡しは停止し、福祉事業への転換も試みたもののこれも韓国政府の支持がえられず結局日本の「償いの善意」は頓挫することになります。

「事業転換が実現できなかった「基金」は1999年7月に事業を停止することとなり、停止状態が2002年2月まで続いたが、同月20日、「基金」は事業の停止状態をいったん解き、韓国内での事業申請受付期限を同年5月1日にすることを決定した」

この事業成果は以下です。

「1995年に設立された「基金」には、基本財産への寄付を含め約6億円の募金が集まり、日本政府は、インドネシアでの事業をもって事業全体が終了する2007年3月末までに拠出金・補助金あわせ約48億円を支出した。韓国における事業としては、事業終了までに、元合計61人に対し、民間による寄付を原資とする「償い金」200万円を支給し、政府拠出金を原資とする医療・福祉支援事業300万円を実施(一人当たり計500万円)するとともに、これらを受け取ったすべての元に対し、当時の総理の署名入りの「おわびの手紙」をお渡しした。その数は、橋本政権下で27件、小渕政権下で24件、森政権下で1件、小泉政権下で9件に及ぶ」

よく韓国人は「日帝は韓国に謝罪して賠償しろ」とか言っていますが、このように元慰安婦に対しての謝罪は数限りなく行い、かつひとりあたり500万円の「償い金」も手渡していたというわけです。

そして、残念なことにそれを韓国人自らの手で打ち砕いた上に、「償い事業」そのものまで忘れ去ってしまいました。

このように、政府中枢を占めた人達の誤った贖罪意識によってひき起こされた冤罪事件でしたが、厖大な報告書はこのような心温まる締めくくりを用意してくれて、読む私たち国民の心をわずかに癒してくれています。

「韓国では、韓国国内における事情や日韓関係に大きく影響を受け、同政府や国民からの理解は得られなかったものの、「基金」事業を受け取った元からは、日本政府から、私たちが生きているうちに、このような総理の謝罪やお金が出るとは思いませんでした、日本のみなさんの気持ちであることもよく分かりました、大変ありがとうございます、とするお礼の言葉が寄せられた。 

 また、一部の元は、手術を受けるためにお金が必要だということで、「基金」を受け入れることを決めたが、当初は「基金」の関係者に会うことも嫌だという態度をとっていたものの、「基金」代表が総理の手紙、理事長の手紙を朗読すると、声を上げて泣き出し、「基金」代表と抱き合って泣き続けた、日本政府と国民のおわびと償いの気持ちを受け止めていただいた、との報告もなされており、韓国国内状況とは裏腹に、元慰安婦からの評価を得た」

 

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河野談話検討報告書を読むその7 典型的冤罪図式の完成

056
韓国は中韓首脳会談で、問題で「共闘」するそうです。

あらあら、自国で日本のそれより悪質な「従軍」制度に対して122名もの訴訟をおこされていることを、わが国が知らないとでも思っているんでしょうか。

それとも、日本国民が河野談話の談合事情を知らないとでも?

中国の日米離間策にまんまと乗って、本来これ以上突っ込むと韓国自身を傷つけるはずの「従軍」問題を国際行事にするとは・・・!

大丈夫ですか、韓国。熱ありませんか?バブル崩壊前夜の中国に抱きつくなんて、正気の沙汰ではありませんよ。

「韓国政府は当初、中韓首脳会談で歴史問題を扱うことに慎重だったが、安倍政権が『河野談話』検証結果を公表したことに反発し、方針転換した。中国中央テレビによると、習氏は首脳会談で、中国の抗日戦争勝利と朝鮮半島の植民地解放から70年にあたる来年、両国が記念活動を行うよう努力すべきだと述べた」(読売新聞7月3日)

それはさておき、やっと河野談話に辿り着いたかと、思わず喜んでしまうのが、我ながら情けない(笑)。

やってもいなことを、証拠もなしに自白を強要され、キム検事の「金銭的補償は求めねぇよ。強制性、認めて楽になったら、新たなニッカン関係考えてやらぁ」、という甘い言葉にほだされて、とうとう「全面自供」に追い込まれてしまった宮沢政権でした。

自供調書か反省文か、とまれ河野談話の発表となるのですが、小姑のように韓国はこれにすらクチバシを突っ込んできます。反省文くらい自由に書かせていただきたい。

ところが、自白調書までキム検事の言うがままに書いてしまうという、これまた冤罪の構図です。

刑事事件の冤罪は物的証拠がないのに、先入観や思い込みから、自白を強要することから生れます。

尋問過程が可視化されていないために、刑事や検事による誘導、調書の捏造なども起きています。

あるいは、科学的物証も、結論が決められている見込み捜査のために、都合よく切り貼りしてしまうケースすらありました。

先入観思い込みを持った捜査による冤罪が発生する可能性が高かったが、科学的捜査方法が導入されたあとは、遺留品や物的証拠からそれにつながる犯人を導き出すのではなく、予め容疑者を設定する見込み捜査の過程で証拠は後から合致させる一方で容疑者に有利な証拠は破棄や軽視や無視するといった手法が採られる」(Wikipedia)

「従軍事件」の場合、韓国や朝日新聞などは、あらかじめ「日本軍が強制的に韓国女性を連行してにした」という結論を持っていて、それに合わせて日本政府の「自白」=謝罪を強要するという「見込み捜査」をしました。

しかし物証がないために、「軍関与」の資料がたとえ監督業務ていどのことであっても「強制性」の証拠として採用してしまいました。

そして日本政府が「一部関与」=部分自供を始めると、後は「軍の直接関与」=全面自供するまで圧力をかけ続け、調書=河野談話まで、捜査当局=韓国が手を加えたというわけです。

見込み捜査、自白の強要、証拠の捏造、調書への介入という冤罪事件の要素がムンムンに詰まっているのがこの「従軍冤罪事件」なのです。

日本政府は再審を要求したほうがいいのではないでしょうか。

それにしてもこの冤罪劇を作ったのが、人権派弁護士たちというのも皮肉です。

報告書は言います。

「同年(1993年)7月28日の日韓外相会談において、武藤外務大臣より、「発表の文言については内々貴政府に事前にご相談したいと考えている」、「この問題については右をもって外交的には一応区切りを付けたい
金泳三大統領は、日本側の発表が誠心誠意のものであったならば、自分から国民に説明する考えであり、そうすれば韓国国民にも理解してもらえると考えている旨述べていた。
この点を踏まえ、是非大統領に日本側の考えを伝えてほしい」と述べた。これに対し、韓昇洲韓国外務部長官からは、『本件に対する日本の努力と誠意を評価したい。日本側の調査の結果が金泳三大統領より韓国国民の前で説明して納得できる形で行われることを期待すると共に、これにより韓日関係が未来志向的にもっていけることを期待している。韓国もこのような結果を待ち望んでいる』と述べた」

これを読むと、宮沢政権は、既に官房長官談話を事前に見せるから、よしなにと言ってしまっています。あらあら、もう主権国のプライドもヘッタクレもないようです。。

それに対してキム大統領は余裕しゃくしゃくで、「この日本政府発表についてオレが国民に説明できるように、分かっているなツボをハズすなよ」、と答えています。

ツボとは言うまでもなく「軍の強制的関与」のことです。  

この河野談話の発表文案についても、韓国政府は細かいチェックを入れてきており、韓国ペースでのすり合わせを幾度となくしていました。

「談話の文言の調整は、談話発表の前日となる8月3日までの間、外務省と在日本韓国大使館、在韓国日本大使館と韓国外務部との間で集中的に実施され、遅くとも7月31日には韓国側から最初のコメントがあったことが確認された。その際、韓国側は、発表内容は日本政府が自主的に決めるものであり、交渉の対象にする考えは全くないがとしつつ、本問題を解決させるためには、韓国国民から評価を受け得るものでなければならず、かかる観点から、具体的発表文を一部修正されることを希望する、そうした点が解決されることなく日本政府が発表を行う場合は、韓国政府としてはポジティブに評価できない旨述べた」 

すごいですね。「お前らが出すもんが、オレらから評価を受けるものでなければ、チェック入れるからな」と凄んでいるのです。

これで韓国外務部(外務省)が、今回の報告書の「反論」で、「うるさく聞かれたから仕方なく数回答えただけ」とは、まったくよ~言うよです。

この日韓の文言のすり合わせは発表前夜まで続けられ、結局、当時朝鮮がわが国の統治下にあったことから、「の『募集』『移送、管理等』の段階を通じてみた場合、いかなる経緯であったにせよ、全体として個人の意思に反して行われたことが多かった」という表現に落ち着きます。

「8月2日夜までやりとりが続けられ、『当時の朝鮮半島はわが国の統治下』にあったことを踏まえ、の『募集』『移送、管理等』の段階を通じてみた場合、いかなる経緯であったにせよ、全体として個人の意思に反して行われたことが多かったとの趣旨で「甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して」という文言で最終的に調整された

この文言に出てくる「総じて」という表現が、「全体として○○と言える」なのか、それとも「概して○○と言える」のかどちらでも取れる玉虫表現で、日韓双方をなだめたわけです。 

これが後に「全体として本人の意志に反して」として定着し、わが国政府の「軍の強制連行」を認めた致命的文言となっていきます。

ああ、イヤだ。まさに日本人の言葉で本質をだまくらかすという手法そのものです。

こういう部分こそ、負けるなら負けるでキッチリと概念規定すべきなのに、そこを国内向け言い訳で「総じて」で逃げようとしたあげく墓穴を掘りました。

またこのまた交渉経過については、日本側の提案で互いに秘匿するような合意がなされています。 

これは、日本側が一国の主権にもかかわるような官房長官談話が、実は外国政府との談合による合作であったということを知られたくなかっためだと思われますが、これも情けない。

こんなバカな申し出をしたために、この報告書の真相が20年間も蓋をされてブラックボックスだったのです。

外交交渉に惨敗し、儀式的調査でごまかし、玉虫色表現で繕って、果ては「黙っててね」ですから、大馬鹿の四乗です。

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(写真 報告書に対する河野翁の記者会見。まったく懲りない御仁だこと。「歴史に向き合わず」、韓国の言うがままに、「反省すべきでない反省」をしたために、「日韓の相互信頼関係」を、最悪にしたのはどこの誰だったでしょうね)

朝日新聞は、報告書が「信義にもとる」と言っていましたが、なにをおっしゃる。

こんな情けない外交をしておいて、自国を「レイプ国家」だと世界に認めておきながら、20年間頬被りをしたまま墓に入ってしまおうという腐った根性こそ問題なのです、ねぇ河野さん。

だいたいどんな外交機密も30年が相場。韓国が、約定を違えて、「謝罪をしていない。賠償しろ」と言い出した時点でこんな守秘義務はお終いです。

「日韓間でこのような事前のやりとりを行ったことについては、1993年8月2日、日本側から、マスコミに一切出さないようにすべきであろう旨述べたのに対し、韓国側はこれに了解するとともに、発表の直前に日本側からFAXで発表文を受け取ったと言うしかないであろう旨述べた」 

韓国は、ここまで手取り足取り河野談話を書かせておいて、「直前にFAXで見たにしておく」ですから、日本政府の威信も何もあったもんじゃありません。とことん舐められたものです。

そして、とうとう1993年8月4日、河野官房長官より調査結果を発表する会見が開かれます。これか悪名高い「河野談話」です。(※河野談話は欄外参照) 

「『「強制性』の認識に関し、河野官房長官は同日行われた記者会見に際し、今回の調査結果について、強制連行の事実があったという認識なのかと問われ、「そういう事実があったと。結構です」と述べている。
また、「強制」という言葉がの募集の文脈ではなく慰安所の生活の記述で使われている点につき指摘されると、河野官房長官は「『甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた』というふうに書いてあるんです。意思に反して集められたというのはどういう意味か。お分かりだと思います』と述べた」

「『強制ということの中には、物理的な強制もあるし、精神的な強制というのもある』、精神的な強制という点では、「『憲側の記録に残るというものではない部分が多い」、「そういうものが有ったかなかったかということも十分調査を』し、元従軍から聞いた話や証言集にある証言、元慰安所経営者等側の話も聞いたとした」

ああ、言っちゃった、という感じです。 

なにせ、日本側はなにひとつ証拠がないままに、韓国側の圧力に負けて「(強制性の事実を)そういう事実があったと。(考えてくれて)結構です」と言ってしまったのです。歴史的失言です。

そもそも河野官房長官は、強制連行を認めていない政府の政府見解である談話文面から勝手に逸れて、「物理的強制の事実があった」と認めてしまっています。

完全な個人的恣意的逸脱です。ここは重要な点で、河野談話自体は政府見解として受け継ぐとしても、こんな河野氏の逸脱暴走まで継承する必要は後の政府にありません

そして、河野氏は、「精神的強制は官憲の記録に残らない」とまで言って、「強制性」の認知幅を「精神的強制」にまで無制限に拡げていることが分かります。

これが後に、強制連行の証拠がなにひとつないにもかかわらず、「精神的強制」にまで拡大解釈されて「慰安婦問題の本質は女性の人権侵害だ」という認識を生むことになります。 

ただ細かい点ですが、一点気になるのが、「官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」という箇所です。 

当時の韓国の「官憲」、つまり警官は8割は現地の韓国人ですので、韓国人が韓国女性をにすることに加担したか、あるいは、座視していたことになります。 

同民族の女性が強制連行されているのをただ見ているなんてありえるでしょうか。あったとしたら、よほど韓国男は腑抜けです。 こんな文言をなぜ入れたのでしょう。

後から「よく読め。ここにバクダンしかけてあるぞ」ということなのか、それとも単に日本の官憲(警官)まで強制連行に関わったといいたいのか、たぶん後者でしょうが、私には分かりません。

いずれにせよ、証拠がないまま謝罪するから、こういうことになります。 

これか後に、限りなく拡大解釈されて一人歩きし、今や韓国政府は公式に20万人の韓国女性を日本官憲が強制連行して「性奴隷」(sex slave)にしたという話にまで拡大されていることはご存じの通りです。 

河野氏だけの責任とは言いませんが、それにしてもずいぶんと罪深いことをしてくれたものです。 

(次回は最終回です。やっと終わったぁ)

 

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■資料 関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話全文
平成5年8月4日
 

 いわゆる従軍問題については、政府は、一昨年12月より調査を進めてきたが、今般その結果がまとまったので発表することとした。 

 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くのが存在したことが認められた。 

 慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理およびの移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧によるなど、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。 

 なお、戦地に移送されたの出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島はわが国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧によるなど、総じて本人たちの意思に反して行われた 

いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫(わ)びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちをわが国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴(ちょう)しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。 

 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。 

 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

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朝日新聞社説を笑うその2 「償い」事業を破壊したのは誰か?

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朝日新聞社説(6月21日)は、元「従軍」に対する「償い」事業であるアジア女性基金(女性のためのアジア平和国民基金)を取り上げてこう述べています。

アジア女性基金」について、韓国政府が一定の評価をしていたことも明らかにした」
もっとも大切なのは元たちの救済であることは論をまたない

朝日は簡単に韓国政府が「一定の成果を評価していた」などと書いていますが、違います。 

それは基金実施前の態度です。確かに韓国政府は基金の実施前には「評価」しています。 

報告書はこう述べています。

「慰安婦への「措置」について日本側が、いかなる措置をとるべきか韓国政府の考え方を確認したところ、韓国側は、日韓間では法的な補償の問題は決着済みであり、何らかの措置という場合は法的補償のことではなく、そしてその措置は公式には日本側が一方的にやるべきものであり、韓国側がとやかくいう性質のものではないと理解しているとの反応であった」

この時の韓国・金泳三大統領は、今のパククネ政権と違って「謝罪と補償をしろ」などと言っておらず、謝罪は求めても「賠償は韓国でやるから、そのことで韓国は道義的に優位に立てるのだ」とすら言っています。 

つまり「補償」するのは日本側の勝手だが、韓国は日韓条約の建前はわかっているよ、という態度です。正直言って、へぇーわかっているじゃないの、と感心しました。 

ですからこの日韓合意に基づいて1997年1月から、元の希望者に支給を開始するのですが、いきなりストップがかかります。

「その翌週の日韓外相会談において、柳宗夏韓国外務部長官より、先週末に「基金」が事業を開始し、元慰安婦に支給を行ったことは極めて遺憾である、この撤回と今後の一時金支給の中断を求めるとの発言があった。また、池田行彦外務大臣の金泳三大統領表敬訪問において、大統領より、この問題は国民感情の面から見ると敏感な問題である、外相会談でこの話が取り上げられたと報告は受けているが、最近とられた「基金」の措置は国民感情にとって好ましくない影響を強く与えるものであり、遺憾である、このような措置が今後再びとられることのないようお願いしたいとの発言があった」

おいおい、わずか1週間での中断です。なにがあったのでしょうか。 

この韓国政府の豹変の原因は、韓国特有の「国民感情」という名の火病(ファビョ)が爆発したためです。

「これに対し、韓国のメディアは「基金」事業を非難し、被害者団体等による元7人や新たに「基金」事業に申請しようとする元に対するハラスメントが始まった。被害者団体は、元7人の実名を対外的に言及した他、本人に電話をかけ「民間基金」からのカネを受け取ることは、自ら「売春婦」であったことを認める行為であるとして非難した。また、その後に、新たに「基金」事業の受け入れを表明した元に対しては、関係者が家にまで来て日本の汚いカネ」を受け取らないよう迫った」 

ため息が出ます。この報告書に出てくる「被害者団体」とは挺対協だったことは、元朝日新聞の下村満子氏(元「朝日ジャーナル編集長)も認めています。 

挺対協は、日本に対する謝罪と賠償を求めながら、聞き取り調査にも応ぜず、かたくなに日本攻撃を止めなかった勢力です。 

この団体が基金の受け取りをしてもいいとした7人の元に対して、自宅にまで押しかけて「売春婦だったことを認めるのか。恥をしれ」「日本の汚いカネを受けとるな」とまで騒いだのです。 

また韓国マスコミもこれに同調して反基金キャンペーンを爆発させて、基金に対して朝日が言うように好意的だった韓国政府にまで攻撃が及ぶ有り様でした。 

激しいバッシングで「償い」金を貰った元は身の危険すら感じたと言います。

この韓国のマスメディアの過激さを表す記事に、1992年1月15日の韓国大手紙・東亜日報の記事があります。

この記事は「挺身隊」と「従軍」を混同して、こんな記事の見出しをつけています。

「12歳の女子挺身隊員」「天と地が共に憤怒する日帝の蛮行」「人面獣心」「非人道的残酷行為」・・・なんとも凄まじい。

しかしこれが韓国メディアの「従軍」の報道トーンで、「償い」金を受け取った元の老女たちにもこのような牙を向けたというわけです。

この個人補償を潰したのは、日本政府ではありません。韓国人が自らが、受け取ろうとする元に言葉の暴力で潰したのです。 

そして 1998年3月に新大統領になった金大中氏によって、正式に韓国政府として「基金」を中止するようにとの申し出を受けます。 

このニュアンスを報告書を読んで確認します。 

「この時期、韓国政府は、金大統領自身本件について金銭の問題をなくせ、政府間のイシューにするなという意見であり、両国の問題は存在しないと思った方がよいとして、「基金」には申し訳ないが、政府間の問題にならないよう終止符を打つべき旨述べていた」 

驚くべきことに韓国・金大中政権は、明確に「(問題の)金銭の問題をなくせ、政府間のイシューにするな」と言い、さらには「(従軍問題で)両国の問題は存在しない」とまで断言しています。

現在のパククネ政権とは真逆な態度です。 

韓国政府は、河野談話が協議された時点から「謝罪」と「強制性」は要求したものの、「賠償」は勝手に日本がするものであって関知しないという態度を示しており、「賠償」は日本政府が「完全解決」を求めて独自に行なったものだという認識です。

そして韓国政府はこの問題は終了したと述べているわけで、少なくとも「日韓の未来志向」という約束は、金泳三、金大中両大統領在任中までは守られていたということが分かります。

ですから、日本が韓国内で「賠償」を行なって悶着を起こすくらいなら、止めろという態度であってそれはそれで筋が通っています。 

これで分かるのは、当時の韓国政府の立場を現在のパククネ政権はなにも継承しておらず、変心したのは日本政府ではなく、韓国政府の側だという事実です。 

この経過を見た上で、改めて、朝日新聞にお聞きしましょう。この日本の個人賠償を誰が潰したのでしょうか?  

思えば、20年前に基金を潰されなければ、元たちの多くはまだ60代でした。有意義に「償い」金を使えたものなのにと残念でなりません。  

このことにひとことも触れずに、「元の救済だということは論を待たない」などとキレイゴトをのたまわれても困ります。

誰が「救済」を妨害したのか、肝心な主語を書かないために、これでは朝日読者は「そうか、自民党政権が救済をサボって来たんだな」と勘違いするでしょう。というか、勘違いするように書いているんですが。 

繰り返しますが、日本の「償い」は韓国人みずからが破壊したのです。それが故に、本来各500万円を支給されるはずだった元は個人攻撃を恐れて、また歴史の闇へと消えていったのです。  

それにもかかわらず、基金事業開始の1997年1月から終了の2007年3月までの10年間に6億円の「償い」金が準備され、約3億円が元に手渡されました。

この基金枠はさらに増える可能性もあったわけで、韓国国内の妨害にあわなかったら、すべての元への「償い」を終了していたはずです。

「事業終了までに、元合計61人に対し、民間による寄付を原資とする「償い金」200万円を支給し、政府拠出金を原資とする医療・福祉支援事業300万円を実施(一人当たり計500万円)するとともに、これらを受け取ったすべての元に対し、当時の総理の署名入りの「おわびの手紙」をお渡しした」 

日本側がなおも基金の賠償から福祉事業への転換を考えていたことに対する韓国政府の意見です。 

「1999年3月下旬に行われた日韓の事務方のやりとりにおいて、突如韓国政府が方針を変え、この問題では何かしてもしなくても批判されるということを冷静に踏まえておく必要がある 

びっくりするほど冷静、かつ、冷淡な韓国政府の意見にこちらのほうが驚かされます。まさに韓国政府の仰せのようにわが国は「何かしてもしなくても批判される」のです。

「謝罪しない」と言っては批判され、謝罪すれば「賠償していない」と言われ、賠償を始めれば、韓国国内の反日勢力が寄ってたかって潰し、潰したら今度はまた「なんの償いもしていない」とどこまでもしつこく繰り返す、そのうち外国にまで行って大騒ぎする・・・、そう、当時の韓国政府の言うとおりです(苦笑)。

こうして日本の1991年の朝日新聞の植村記事から始まり、河野談話を経てアジア女性基金の終了する2007年まで足かけ16年続いた「従軍」問題は終了しました。

これを蒸し返して、「従軍」問題を反日外交の攻撃材料にしたのは、パククネ政権でした。

パク政権は、あたかも日本が一度たりとも「謝罪と賠償」をする努力をしなかったような攻撃をくわえました。これがまったくの偽りだということはこの報告書に詳細に述べられています。 

さて、朝日は慨嘆調で、「韓国政府に登録した元の生存者は54人になった」と嘆きますが、もはや日本人にできることはなにもありません。 

何かしようにも、「日韓の未来的志向」を信じて河野談話を作ってみれば反日カードとして20年も使われ、「償い」をしようとして基金を作ってみれば、「汚い金をもらうな。この売春婦め」と罵る韓国国内の勢力に潰される・・・、これが現実でした。 

朝日はもう一回河野談話をやり直して、もう一度アジア女性基金を作れとでも言うのでしょうか。 

朝日が「問題解決の原点に立ち戻れ」と言うなら、それはわが国に対してではなくいまや「従軍は性奴隷だった」とまで言う韓国政府に言いなさい。  

韓国にこそ「河野談話の原点」に遡って、「外交的懸案として提起しない」という約束を履行することを迫りなさい。  

「信義」を言うなら、なにひとつ約束を守らなかった韓国に言いなさい。  

朝日によれば、「韓国政府は国際社会とともに対抗措置をとると表明した」そうです。  

現実には、米国国務省が無視したように、韓国と共に立つ「国際社会」は中国くらいなものでしょうが、大変に結構です。  

韓国がこの検証報告書に対して抗議したいのなら、韓国もぜひ「河野談話に介入していない」という証拠を出す必要があります。 

ぜひ出して頂きたいものです。  

そしてなにより、朝日新聞がせねばならないことは、他人に説教を垂れることではなく、朝日が日韓関係悪化に果たした大きな役割を第三者委員会を作って検証し、国民に20年遅れの訂正と謝罪記事を出すことです。

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河野談話検証報告書を読むその2 「従軍」問題は日本人が作った

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いわゆる「従軍」に対しての日本政府の強制性を認めた河野談話の作成過程についの政府報告書を読んでいます。 

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報告書の前半は、いわゆる「従軍」問題を巡る日韓間のやりとりの経緯に割かれています。

これは1992年1月に予定されていた宮沢首相(当時)の訪韓を前に、問題が韓国国内で火を吹いていたからです。

「1991年8月14日に韓国で元が最初に名乗り出た後、同年12月6日には韓国の元3人が東京地裁に提訴した。1992年1月に宮沢総理の訪韓が予定される中、韓国における問題への関心および対日批判の高まりを受け、日韓外交当局は同問題が総理訪韓の際に懸案化することを懸念していた」

宮沢総理訪韓前に、これにさらに火を注ぐような衝撃的な記事が日本で出ました。

それが、朝日新聞(1991年8月11日)記事『元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く』(欄外資料参照)です。

「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦」』」(同記事)

この記事の致命的誤りは上記のように、当時日本国内でも実施されていた勤労動員である「女子挺身隊」と、従軍を意図的に混同して、それを「連行」という官憲の強制性としていることです。

女子挺身隊は1943年に実施された14歳以上25歳未満の女性の工場などへの勤労動員のことです。

これは当時の米英でも一般的であって、女性を「従軍」にすることとはなんの関係もありません。

しかし、この朝日記事によって、日本の官憲が暴力的に韓国婦女子を従軍にしたという認識が完全に固定し、後の日韓交渉での韓国側主張を裏付けることになります。

また記事の直後に、後に問題のシンボル的な人物となった金学順氏のソウルで記者会見がセットされており、この朝日新聞記事が韓国内の訴訟運動と連動していることは明らかでした。

事実、この「従軍」訴訟団は「太平洋戦争犠牲者遺族会」といい、その常任理事だった梁順任氏の娘婿が、朝日新聞韓国特派員だった植村隆記者です。

植村記者の義母は既に賠償訴訟の原告団長をしており、義母の訴訟を有利に運ぶために挺身隊を動員とこじつけて「日本軍の強制連行」説を作り出したようです。

ちなみに、その弁護人を務めたのは福島瑞穂議員(元社民党党首です。

つまり、この朝日記事は一方の利害関係者の情報提供によるインサイダー記事というだけではなく、新聞が記事の火元自体を作ってしまい、自分でそれを記事にするという自作自演的性格を持っています。

報道の客観性という次元ではなく、もはや報道倫理からの逸脱です。

この植村記事以外にも、ほぼ同時期に朝日新聞(大阪版)は、1991年5月22日に、吉田清治氏の「木剣ふるい無理やり動員」発言を掲載し、第2弾として同年10月10日に再度「には人妻が多く、しがみつく子供をひきはがして連行」したという「吉田証言」を掲載しました。

吉田氏は、1983年に「私の戦争犯罪」という本で、「1943年5月15日付の西部軍動員命令によって1943年5月17日に下関港を出発し、翌日済州島に着いて、兵士10人の応援で205人の婦女子を要員として強制連行したと狩りをした」という「証言」をした人物です。

この吉田氏の「日本官憲が韓国婦女子を暴力的に強制連行した」という「内部告発」の影響は、氏が韓国国内で「謝罪行脚」をしたことにより燃え広がっていきます。

なお、この吉田証言は、後に秦郁彦氏の現地調査で事実無根の捏造であったことが明らかになっています。

吉田氏当人も1996年5月に週刊新潮のインタビューで、自ら「創作」であったことを認めていますが、いったん世に出た捏造証言は修正されることなく、以降の韓国政府公式の「従軍は性奴隷だ」というプロパガンダの根拠となっていきます。

そもそもこの訴訟には、日本の人権派弁護士である高木健一氏などが立ち上げから関わっていました。 

いやむしろ、「従軍」の訴訟運動は韓国側の自然発生的運動ではなく、むしろ戦後補償を運動化したい高木氏などが、韓国人元に働きかけて始まったというのが実態のようです。 

たとえば、高木氏は同じサハリン残留韓国人訴訟においてこのようなことを言って、原告たちを集めていたことがわかっています。

「東京で大きな弁護士事務所を、開いている高木弁護士が、もっと日本から賠償をとれるから要求しなさいと教えてくれた」(サハリン残留韓国人訴訟会長談) 

つまり、この「従軍慰安婦」問題は、当初の「慰安婦」探しから訴訟団作りに至るまで日本人が大きく関わっていました

そしてそれを一挙に大きな政治課題にしたのが朝日新聞です。

朝日新聞は従軍問題をあえて宮沢訪韓の前段にぶつけることで、韓国側の反発を作り出し、それを外交懸案にすることで自民党政権に痛打を与えることを狙ったわけです。

このような中韓政府を引き込むことで、社論を通そうという手法は、この新聞社が好むところです。

国内政治ならまだしも、外国政府まで巻き込んだ現実政治にここまで深く介入するとなると、朝日新聞はもはや報道機関というより立派な政治党派といっていいでしょう。

さて、この韓国国内の思わぬ従軍問題の炎上に驚いた宮沢政権に対して、「韓国は懸案化しないように」あらかじめ「日本側が例えば官房長官談話のような形で何らかの謝罪をすることがいいと伝達してきます。

つまり、この後に出る加藤・河野官房長官両談話は、日本側の自発的なものであったというよりむしろ韓国側の入れ知恵だったわけです。

「1991年12月以降、韓国側より複数の機会に、問題が宮沢総理訪韓時に懸案化しないよう、日本側において事前に何らかの措置を講じることが望ましいとの考えが伝達された。
また、韓国側は総理訪韓前に日本側が例えば官房長官談話のような形で何らかの立場表明を行うことも一案であるとの認識を示し、日本政府が申し訳なかったという姿勢を示し、これが両国間の摩擦要因とならないように配慮してほしいとして、総理訪韓前の同問題への対応を求めた。」
 

しかし、これで朝日新聞のキャンペーンは終わったわけではなく、1992年1月13日第1面に吉見義明中大教授が、防衛研究所で「募集に関する日本軍の関与についての新資料が発見された」との記事が出されます。

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この資料を発見したとされる(※実際は現代史家には知られていた資料でしたが)吉見氏はこう書いています。

「この通達は、「派遣軍が選定した業者」が日本内地で誘拐まがいの方法で「強制徴集」をしていた事実を陸軍省が知っている事を示しており、日本軍に対する国民の信頼が崩れる事を防ぐために業者の選定をもっとしっかりするようにと指示している」。(「共同研究日本軍」)

「軍の威信を傷つけるこれらの問題点を克服するため陸軍省が指示しているのは、(ア)募集などは派遣軍が統制し、人選などは周到に行うこと(イ)募集実施の際は関係地方の憲兵・警察との連携を密にすること、の2点である。つまり各派遣軍はもっと周到に徴集に責任を持て、と指示しているのである」(同)

この吉見説については、多くの現代史家からの批判が存在します。朝鮮現代史研究家の西岡力氏は、これは強制連行をした証拠にはならず、むしろ悪質な斡旋業者を取り締まる内容であるとしています。

「合理的に考えるなら、戦地での民心離間を心配する軍が、一部で抗日独立運動が続いていた植民地朝鮮で強制連行を行い、朝鮮における民心離間を誘発するはずがない。吉見教授文書は、権力による強制連行を証明するものではなく、むしろそれがなかったことを示唆するものだった」
(「よくわかる問題」)

素直にこの吉見資料を読めば、むしろ斡旋業者が悪質な募集をしているので、このようなことを禁じるようにしか読めません。

吉見氏の意図とは別に、むしろ業者の誘拐まがいの「強制連行」に軍が関与しないようにすることを指示していたことを示した資料です。

歴史家の秦郁彦氏はこう述べています。

「このリード文を読めば、キャンペーン報道の意図が首相訪韓のタイミングに合わせて、それまで『国の関与』を否定していた日本政府に『偽証』の証拠をつきつける劇的な演出だったらしいことが読みとれる。
1月11日といえば、訪韓の五日前にあたる。今さら予定の変更もできず、かといって予想される韓国側の猛反発への対応策を立てる余裕もない。私はタイミングの良さと、『関与』という曖昧な概念を持ち出して、争点に絞った朝日新聞の手法に、『やるもんだなあ』と感嘆した」

この朝日記事でパニックに陥った当時の政府の状況を、報告書はこう述べています。

「日本側は、1991年12月に内閣外政審議室の調整の下、関係する可能性のある省庁において調査を開始した。1992年1月7日には防衛研究所で軍の関与を示す文書が発見されたことが報告されている。その後、1月11日にはこの文書について朝日新聞が報道したことを契機に、韓国国内における対日批判が過熱した。1月13日には、加藤紘一官房長官は、「今の段階でどういう、どの程度の関与ということを申し上げる段階にはありませんが、軍の関与は否定できない」、「いわゆる従軍として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上げたい」との趣旨を定例記者会見で述べた。

このように政府は、吉見氏の新資料発見の朝日記事の裏をとることもせずに、わずか2日後に慌てふためいて加藤紘一官房長官(当時)が早くも「軍の関与」を認めて「反省の気持ち」を表明してしまっています。

そして訪韓した宮沢首相は首脳会議の席上で、実に22分間で8回も謝罪するというギネス級のお詫び外交をしてしまったわけです。

ただし、この時点では、日本側は「関与」は認めても、「強制性」まで認めておらず、また賠償する気もなかったようです。

秦氏が皮肉まじりに指摘するように朝日新聞は、「関与」とは巧妙な表現をしたもので、まさにどうとでも取れる表現です。

しかし、この加藤談話で「軍の関与」を認めてしまった以上、「関与」を「強制性」と理解している韓国側主張まで首の皮一枚ということになってしまいました。

というか、何に韓国が怒っているのか、従軍問題とは何なのか日本政府はまったく理解していなかったというのが実態だったのでしょう。

そのために、とりあえず謝っておけばいいだろうという、いかにも日本人体質そのものの対応をした結果、更に悪い結果に引き込まれていきます。

ここにおいて日韓外交交渉の力関係は決定しました。朝日新聞を論拠にして強硬な主張を繰り返す韓国政府に防戦一方の日本政府という構図です。

全面的に韓国ペースでの河野談話作りへと進む助走が始まったのです。

以後、当時の宮沢政権は朝日新聞と韓国政府に挟撃されるようにして、韓国主導の強制性を認める謝罪への道へと踏み込んでいくことになります。 

(続く) 

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●資料 朝日新聞1991年8月11日 
植村隆記者記事
 

「日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。 

尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。(中略)女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされてにされた。ニ、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士ニ、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に一回は軍医の検診があった。数ヶ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。」

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